僅かな休息

 自衛隊基地の指揮官との話が終わった後、千尋はピュラーの下へと向かった。

 秀明は今、指揮官達から「違反行為についての厳重注意」……という名の詳細な状況について話している。元東郷重工業経営者だけに、彼は世界中の様々な事柄に詳しい。特に、工場があった地域の情勢についてはかなり細かく把握していた。

 インベーダーが攻撃した地点に何があるのか、どんなものが作られていたのか、使える戦力はあるのか、連絡手段は――――インベーダーの攻撃による混乱と通信遮断もあって、未だ状況把握は不完全。その穴を埋めるための作戦会議という訳だ。秀明は立場上民間人なので、当然そんな作戦に関与するのは色々とアウトなのだが……今行われているのはあくまでも聴取兼厳重注意なので、書類上の問題はない。

 何より、そんな些末な事を言っている場合ではない。人類を(意図的かどうかはさておき)皆殺しにしようとしているインベーダー対策は急務なのだ。

 ……その急務から千尋が外されたのは、秀明達の心遣いかも知れない。自衛隊的には、ピュラーの面倒を見てこいという事だろう。


「(さて、どんな感じかな)」


 テントから外に出てみると、空はすっかり暗くなっていた。

 時刻は既に七時を超え、夜遅くとは言えずとも、一日の活動は終わりに近付いている。一般人であれば夕食や入浴などを行い、寝る準備に入る頃だろうか。

 とはいえ此処は自衛隊基地。日本を脅かす有事は何時起きるか分からない。インベーダーという存在が現実となった今では、尚更夜だから休むなんて言っていられない事だ。

 交代制とはいえ、夜でも大勢の自衛隊員達が仕事に励んでいた。荷物を運ぶ者、連絡に向かう者……そしてピュラーの監視を行う者。

 より正確に言うなら、監視を行う者と、の二種だ。


【パンドラァ、ママァア。ツクラレダ、チョッギ、マギ】


「……これは、パンドラが母親、という事か?」


「ちょっと前に作られた、というのが……もう少し具体的に話せるかな? 何月頃とか、何年前とか」


【ナンギヅ? ナンゲン? ワ、ギラガイ】


「あー、この単語はよく分からないか」


 尋ねられた質問に、ピュラーはつらつらと答える。迷いない答え方なのは彼女が一切嘘を吐いていないから。彼女の純朴さをこの十日間見てきた千尋は、そうだと断言出来る。

 その純朴さは、話をしている自衛隊員達にも伝わったのか。ピュラーの答えを聞く彼等の顔に猜疑心などは見られない。

 勿論彼等は聴取のプロである。相手が気持ち良くべらべらと喋るよう、上手い事誘導するのが仕事だ。猜疑心を露骨に出したら、一般的には話したくなくなるもの。故に彼等の態度には『仕事』の面が多分に含まれているだろう。

 しかしその笑みが自然に見えるのは、彼等もピュラーに『邪気』がない事を理解したからか。

 どうやらピュラーと一部の自衛隊員達は、打ち解ける事が出来たようだ。とはいえ周りにいる大半の自衛隊員は、ピュラーに銃口を向けたまま。話もしない。そして向ける眼差しは鋭く、敵を見つめるものになっている。

 何しろ自衛隊員達は『パンドラ』がどれだけ恐ろしく、残虐な存在であるかを知っているのだ。仲間や身内を、直接間接問わず殺された者も多いに違いない。その同型機を憎むなと言われて、はいそうですかと答えられる者はそうはいまい。

 幸いピュラーは、銃口を向けられる事の意味を分かっていない。能天気で無邪気な彼女は、人間達に囲まれている状況を素直に楽しんでいた。この素直さが、一部とはいえ自衛隊員達の警戒を問いた一因であろう。


「ピュラー。元気?」


 千尋が近付いて呼び掛けると、ピュラーはすぐに千尋の方へと振り向いた。ピュラーの動きに反応し、周りの自衛隊員達はすぐに銃を構えたが……ピュラーは気にせず。千尋も気にしない。

 聴取をしていた自衛隊員達は後ろに下がり、千尋に場所を譲る。ありがたく、千尋はピュラーの前まで向かう。


【ゲンギィ!】


 人間の言葉を少しは覚えた彼女は、千尋に対し人間の言葉で返事をする。人間的な『声』ではないのに、随分と発音が綺麗になっていた。

 それに答え方が如何にも元気で、子供らしくて、千尋は自然と笑みが溢れる。


「そっか、良かった……一つお願いがあるんだけど、明日から荷物を運ぶの、手伝ってくれる?」


【ニモヅ?】


「うん。多分人間一人じゃ運べない量の荷物。ピュラーの力なら、簡単だと思うけど」


【ヤグゥ! ガンバギル!】


 はしゃぐように両腕を広げるピュラー。心から喜んでいるのは、人間が好きだからか、遊びだと思っているのか。

 それとも、母親を失った悲しみを忘れたいのか。


「(もしかしたら分かってないだけかもだけど)」


 今まで一緒に過ごしてきた印象のため、正確性は殆どないが……ピュラーの精神年齢は、人間に換算した場合五歳に満たないぐらいだろう。

 子供が死の概念をちゃんと理解出来るのは四〜七歳頃と言われている。ピュラーの『年頃』だと、まだよく分からない可能性も否定出来ない。それに千尋は親近感を抱いているので失念しがちになるが……ピュラーはロボットだ。命のない無機物であり、いくら高度な知能を持とうとも、人間とは生命に対する認識が異なっている事も考えられる。

 悲しんでいないなら、それはそれで良いかも知れない。インベーダーという脅威に見舞われた世界で、めそめそしている余裕があるとは考え難いのだから。生命への認識の違いなら、これはもう価値観の話だからあれこれ言っても仕方ない。

 しかし、身近な『人』の死が分からないというのは、とても寂しい事だと千尋は思う。


「ねぇ、ピュラー……パンドラが、あなたの仲間がやられた事、どう思ってる?」


 まずはピュラーがどう考えているのかを確認。命についてどの程度の理解があるか確かめる。


【パンドラァ、ヤラレギナギ!】


 ピュラーからの返答は、今までよりもややノイズ混じり。なんと言ったのか、すぐには理解出来ず。

 頭の中で整理した千尋は、複雑な表情を浮かべてしまう。

 聞き間違いや言い間違いでないのであれば、ピュラーは「パンドラはやられてない」と答えたのだ。仲間の敗北自体を、受け入れていないようだった。

 或いは、単純にそのような概念を持ち合わせていないのかも知れない。これまでパンドラは、間違いなくこの地球で最強の存在だ。負けるなんて、考えられない事である。

 ――――実に、子供らしい理屈だ。現実を見ていない。


「(いくらパンドラでも、あそこまで粉々にされたら再生は無理)」


 パンドラの身体は、その身に宿すナノマシンのお陰で自己修復機能を有している。しかしナノマシン単体はあまりに小さく、電池の容量が殆どない。このためナノマシンを動かすには電力の供給源となる発電機が必要だ。また、ナノマシンアルゴリズムの基本は「命令がなければ待機」であるため、自分から動き出す事もない。動きを指示・制御するためのコンピューターも必要不可欠である。

 身体が半分も残っていれば、蓄電していた分でナノマシンと人工知能を動かし、急いで発電機を作って再構成……といった真似も出来ただろう。だが千尋が見ていた限り、パンドラの身体は極めて小さな破片となっていた。インベーダーの無慈悲さを考えれば、大きな残骸を残しておくとも思えない。見落としている可能性も低いだろう。

 あれだけ粉々となっては無事な発電機関やCPUがあるとは考え辛い。そもそもナノマシンもどれだけの数が無事か。あの状態から復活するのは、いくらなんでも不可能である。

 だが、ピュラーは全くそんな事を考えていない。


【パンドラ、マギ、ギギル】


 パンドラはまた来る。

 ピュラーの言葉は何処までも無邪気で、迷いがない。パンドラの再来を心から待ち望んでいるようだ。

 千尋は迷う。本当の事を伝えるべきだろうか。パンドラはもう壊された、だから此処には戻ってこない……

 喉奥まで言葉は来た。けれども千尋は、その言葉を飲み込む。甘いかも知れないが……これを無理に分からせても、辛いだけだ。時間と共に、少しずつ理解していくしかない。相手が子供であれば尚更に。


【チギロ、キモギ、イヤ?】


 ピュラーの無垢な答えに心を悼めていたからか、今度はピュラーが千尋の気持ちを尋ねてきた。嫌な気持ちなのか、と言いたいのだろう。

 まさかこちらを気遣ってくるとは。千尋だけでなく周りの、パンドラとピュラーを同一視敵視している自衛隊員達の多くも驚きを露わにする。

 千尋は少し迷った後、こくんと、頷いた。


「うん……とても嫌な気持ち、かな。私達を襲った、あの円盤がとても怖いから」


【ソガノ、アギ、イヤ。ギラギギィィ】


 千尋がインベーダーへの恐怖を伝えると、ピュラーは空を仰ぎながら激しく頭を左右に振る。「空のあれ嫌。嫌い」という言葉だけでなく、行動でも気持ちを伝えようとしているのか。

 全長五十メートルもあるピュラーがちょっと身動ぎすれば、それだけで周囲の人間には堪ったものではない振動が響く。自衛隊員達には緊張が走り、立ち上がろうものならすぐにでも発砲する事が表情から読み取れる。反面、千尋は笑ってしまう。

 幼い子供が相手に同意を示す時、身体を大仰に動かすなんてのは典型的なもの。これを見せられて、どうして微笑ましくならないのか。


「ふふっ。そうだね、とっても嫌だね。私もアイツ嫌いだなー」


【ギラギギギ! パンドラ、アギ、ヤッツギギィルル!】


 感情が昂ぶっているからか、ピュラーの言葉は段々と激しく、人間には理解し辛い発音になっていく。

 ピュラーの性格から考えて、興奮したところで暴れ出すとは考え難い。しかし『幼子』というのは、自分の感情と身体を上手く制御出来ないものだ。あまり昂らせると、ピュラー自身も望まぬ形で暴れてしまうかも知れない。

 暴れたところで此処にいる自衛隊に、ピュラーを退治する事など出来ないだろうが……ロケットランチャーにビビって逃げるような彼女にとって、攻撃される事自体が怖くて堪らない事。それにうっかりでも人間を踏み潰すのは彼女だって望んではいないだろう。

 避けられる悲劇を事前に止めるのは、大人の役目というものだ。


「もう、ちょっと暴れ過ぎ。周りがびっくりしちゃうよ?」


【ギギガギギ……ビックギ、ダメ。ゴガギィギギ……】


 窘められると、素直にしょんぼり項垂れる。

 ……これだけ面白い反応をすれば、自衛隊員達もちょっと心が揺れるようで。今までの敵意に塗れていた視線の幾つかが、ほんの少しだけ鋭さを和らげた。

 此処にいる全員が、この基地にいる自衛隊員の全てではない。此処にいる全員が、ピュラーを『仲間』と受け入れた訳ではない。

 けれども何人か、いや、たった一人でもピュラーが悪いロボットではないと思ってくれたなら。その空気はきっと周りにも伝わる。少しずつの『大丈夫』が積み重なって、信用とは生まれるもの。

 明日から自衛隊の仕事を手伝ってもらう時、幾分隊員達の抵抗も薄れるだろう。それは余計なトラブルを避ける上で、とても大事な事だ。

 ……そういった打算は千尋の中にはなかったので、この結果は棚ぼたと言ったところか。


「うん。分かってくれれば大丈夫……そろそろ私は家に帰るけど、一人で平気? 寂しくない?」


【ナギィ。ニンギゲン、ゴゴギ、タギガン、ギル】


 人間は此処にたくさんいる――――自衛隊員達を見渡しながら、ピュラーはそう言った。

 確かに、たくさんいるから寂しくはない。ピュラーの言葉に納得し、千尋はにこりと微笑み返す。そして寂しくない相手として選ばれた自衛隊員達は、少しバツが悪そうに身動ぎする。

 寂しくないなら大丈夫。

 安心したからだろうか、千尋は急に疲れを感じた。思えばこの十日間あれこれと考えていた上に、寝る時は何時もピュラーの手の上。ピュラーはロボット故に寝なくても良いが、元気で寂しがり屋なピュラーに合わせてついつい夜更かしする事も多かった。

 あの時は十分休めていた気でいたが、実際には疲れが溜まっていたらしい。今日はもう用事もなく、また明日から本格的にピュラーについて(技術者としての意見を求められる形で)自衛隊上層部に報告しなければならない。

 しっかりと休み、頭を動かせるようにしておかなければ。それが『大人』としての振る舞いというものである。


「困った事があったら、周りの人達に伝えるんだよ?」


【ワガッガ。ハナス】


「うん、じゃあ、お休み。また明日ね」


 別れと再会の約束を交わし、千尋は手を振る。ピュラーも手を振り返す。そして千尋は、自分の家であるコンテナの方へ歩き出そうとした


「深山技師!」


 直後、大きな声で呼ばれたものだから思わず跳ねてしまう。ついでにピュラーも飛び跳ね、自衛隊員達も驚かす。

 それは千尋を呼んだ若い自衛隊員にとっても不本意な結果のようで、彼は集まる無数の視線を受けて怯んだように身動ぎする。

 とはいえ彼も伊達や酔狂で千尋を呼んだのではない。息を飲み、一瞬胸を手で擦りながら気持ちを落ち着かせると、びしりと敬礼。

 そしてハキハキとした、聞き取りやすい声で告げてきた。


「作戦本部から通達です! インベーダーの円盤が日本上空に飛来。進路上にこの基地があり、迎撃作戦を行うとの事! パンドラ同型機に対し、支援要請を行うようにとの事です!」


 自分に休む暇などなく、最も恐れていた事態が迫っているのだと……

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