侵略者

 円盤から逃げ出した千尋達一行は、一旦自分達が暮らしていた自衛隊基地に戻る事を考えた。出現した円盤の情報を伝え、対処法や正体を考えねばならないが故に。

 と、思ったのは良いのだが……事はそう簡単ではない。

 まず、千尋と秀明はパンドラに『誘拐』されている。しかも何処に運ばれたのか、あまり見晴らしの良くない状態で攫われたため分からない。ましてや円盤から逃げる過程で、幼体パンドラがどちらに向けて走ったのかもあやふやだ。

 そして二つ目の問題として、自衛隊基地との距離が遠い事。パンドラも幼体パンドラも、決して素早く動いた訳ではないが、巨体故に数値としての速さは相当のもの。歩きでも時速数十キロは出ている筈だ。つまり一時間も歩けば、数十キロは移動出来る。対して人間の歩行速度は精々三〜五キロ。五十キロも歩かれていた場合、こちらは十時間以上掛けて歩かなければならない。実際には人間では乗り越えられない段差、危険な瓦礫の山、野生動物などもいるので、倍以上の行程を見積もるべきだろう。当然、食べ物や水についても考えなければならない。

 二人だけでは、そもそも帰れたかも怪しい。

 ある意味元凶の一味である幼体パンドラがいなければ、千尋達は見知らぬ場所で野垂れ死んでいた可能性もある。ましてや円盤を目の当たりにしてから『五日』が経った今でも千尋達が活きているのは、幼体パンドラに色々手伝ってもらったお陰だ。


「ピュラーのお陰で、助かったね」


「ああ、本当に……」


 幼体パンドラ……と『学術的』な呼び方を続けるのも気持ち的に寂しいので、神話におけるパンドラの娘・ピュラーの名を付けた……の掌にて。千尋と秀明は悠々とした旅路を進んでいた。

 千尋達を運ぶピュラーも、何処か楽しげ。顎をガチャガチャと揺れ動かし、笑うような素振りを見せる。千尋達が今どんな感情か、何を話していたか理解するかのように。

 実際、ピュラーは理解していた。彼女はとても賢いロボットなのだから。

 円盤から逃げ出して途方に暮れている中、何もしないよりはと千尋はピュラーとのコミュニケーションを再度試みた。言葉について伝え、人間がどんな生物であるのか教えてみたのである。

 結論を述べれば、二日と経たずにピュラーは人間についてかなり把握してくれた。人間には有機的な食べ物と水が必要である事、言葉によるコミュニケーションを行う事、群れで暮らしている事……

 更に人間の言葉も大体理解し、簡単な指示であればこなせる。長文はまだ少し苦手だが、サバイバルをするぐらいなら問題ない。

 お陰で食べ物を探してくれたり、野生動物から守ってくれたりしてくれた。そして今は電磁波が強く発せられている場所……自衛隊基地、或いは都市に向けて進んでくれている。

 パンドラに軟禁されていた時期も含めれば、かれこれ十日ぶりの帰還だ。


「(どうにか帰ってこれたけど、これからどうしようかな……)」


 人間の領域に戻れる。その事に安心するも、同時に強い不安が込み上がる。

 パンドラをも打ち倒した円盤。

 あれの正体や目的は未だ不明。パンドラを倒した後空高く飛んでいったが、まさかそのまま故郷の星に帰った訳ではあるまい。ひょっとするととある特撮番組に出てくる光の巨人のような、人間が大好きで助けずにはいられなかった種族という可能性もあるかも知れないが……無垢で無抵抗なピュラーさえも執拗な攻撃をしていた連中だ。いくら人間が大好きでも、それ以外には残虐性を露わとする存在と仲良くなるのは極めて危うい。

 今は情報が必要だ。そのためにも、自衛隊基地に早く戻らなければ……


「しかし、これからどうしたものかな」


 悩んでいると、秀明の口からも同じ心配事が出ていた。

 二人揃って名案がない訳で、決して好ましい状況ではない。しかし同じ悩みを共有していると思うと、ちょっと微笑ましい気持ちになってくる。

 強張っていた千尋の顔は解れ、自然と笑みが浮かんだ。


「とりあえず、情報収集かな。やっぱ、あの円盤が何をしているか、何をしようとしているか知りたいし」


「え?」


「……え?」


 なので相談のつもりで話してみると、何故か秀明は目をパチクリさせてしまう。予想外の反応に、千尋も呆けるしかない。

 どうやら秀明が心配していた事は、円盤についてではないらしい。

 だが、今此処で他に悩むような事があるだろうか?


「えっと、何か他に問題ってあったっけ?」


「いや、問題というか……このままだと騒ぎになりそうだが、どうしたものかと思ってね」


「騒ぎ?」


 はて、一体なんの事だろうか?


【ギギギィー! ギィリリリリッ!】


 分からずに首を傾げていた千尋だったが、その最中ピュラーが楽しげに鳴く。見上げてみれば、ピュラーは顔を動かし、あっちを見て! と言っているようだった。

 言われた通り示された方角を見てみれば、そこには見慣れた無数のコンテナが並ぶ。一見して廃港跡地のようにも見えるが、此処は内陸だ。傍に海はない。それにコンテナの並び方が理路整然としており、今でも使われている事が遠目からでも分かる。

 自分達が暮らしていた、自衛隊の基地だ。

 ようやく帰ってきた『家』。子供ではないのだから、高々十日ぶりの家にそこまで感動するものではないかも知れない。しかしここまでの出来事の濃密さからか、もう何年も帰っていないような気分になる。

 ……勿論これは千尋の個人的感想だ。自分の意見が絶対正しい、自分のようにならないとおかしい、等というつもりは毛頭ない。

 しかし、どうにも不安げな秀明の顔は、ちょっと変だと思う。

 変な事には、何かしらの理由があるものだ。


「東郷くん、どうしたの? 落ち着き、ないけど」


「むしろ僕からすると、なんで深山くんはそこまで落ち着いているんだい?」


 尋ねてみると、秀明の方から問われてしまう。自分が何かを忘れているのだろうか? 疑問に思う千尋に、秀明はこう答える。


「だって、僕達は今『パンドラ』と一緒にいるんだからね。普通に考えれば、自衛隊から攻撃されるんじゃないかな?」


 極めて現実的な可能性を。

 ……なぁるほどー。そう思った千尋は、ぽんっと手を叩く。するとようやく秀明も笑った。「あ、本気で忘れていたなこれ」と言わんばかりに。

 そしてピュラーは能天気に、ずかずかと自衛隊基地目指して前進。

 千尋と秀明が彼女の歩みを止めようとするも、自衛隊基地からロケットランチャーらしきものが何十と発射され、ピュラーの顔面に着弾する方がずっと速かった。






「……一体何処からツッコめば良いのか悩むが、兎に角、君達二人が無事で良かった」


 迷彩服を着込んだ、一人の老爺が呆れと安堵を滲ませながら千尋達に声を掛けてくる。

 今、千尋達は自衛隊基地内にあるテント状の建物に案内されていた。

 テント状と評したが、それは壁や天井が布で作られているため。建物の形は長方形。奥行きは二十メートル以上、高さは四メートル近くあるだろうか。中には長机が幾つも置かれ、椅子も何十と配置されている。またパソコンやモニターなど、電子機器も数多く置かれていた。そして中では何十人もの自衛隊員達が、今も忙しく行き交っている。書類や言葉が頻繁に交わされ、相当に忙しい事が窺えた。

 此処は普段何かしらの作戦……つまりパンドラへの攻撃を行う時、会議や情報解析をするための場所である。要するに、自衛隊の『司令部』が使う一室だ。

 この老爺は、千尋達の家でもあるこの自衛隊基地のトップに位置する指揮官である。千尋は技術者兼アドバイザーではあるが、自衛隊の作戦に関与する立場ではないため普段この場所は使わない。秀明に至っては名目上『民間人』なのだから立入禁止だ。どちらにとっても縁のない場所である。

 指揮官に招かれなければ、きっと立ち入る事はなかっただろう。


「いえ、その、こちらも、すっかり失念していて……ぴ、ピュラーはとても良い子なので、襲われる心配は、いりませんので、だから、攻撃とかは……」


「分かっている。というより、あの姿を見れば攻撃しようという気もなくなるさ」


 指揮官はそう言うと、テントに備え付けられた窓から外を眺める。

 そこには、ピュラーがいた。

 ピュラーはしゃがみ込み、周りにて監視している自衛隊員達を近くからじっと見つめている。見つめられている自衛隊員達は少し腰が引けていたものの、その手に持つ銃の引き金に指を掛けていた。何時でも攻撃出来るようにという体勢だが、ピュラーは特に気にしていない。


【コンニヂバ。コンニヂバ】


 むしろ話し掛けて、友好をアピールしていた。

 時折自衛隊員を軽く指先で突いて悪戯もしているようだが……敵意がないのは明白。戦闘に発展する可能性は低い。

 仮に、自衛隊員から攻撃を受けたとしても、ピュラーの性格からして反撃もしないだろう。自衛隊基地から放たれたロケットランチャーを受けた時でさえ、無傷なのに驚いて逃げ出したぐらいなのだから。


「あれについても、いずれ詳細は聞こう。それよりも先に話すべき事柄がある」


「はい。恐らく、私達が聞きたい事も、それです」


「……………ひょっとするとだが、君達は遭遇したのか。インベーダーに」


 インベーダー。

 侵略者を意味するその言葉への心当たりは、千尋の中には一つしかない。深く頷き、この十日間で自分達の身に起きた事を伝える。

 パンドラに攫われていた事。

 ピュラーと遠出していた時、円盤に襲われた事。

 円盤とパンドラが戦った事。

 そしてパンドラが敗北した事……

 要約して話すには、あまりにも濃密な報告。細かなところは端折ったが、それでも指揮官が大きなため息を吐くぐらいには情報量が多い。

 老体という事もあり、休ませてあげたい気持ちはある。しかし円盤……インベーダーの動向をすぐにでも知りたい。千尋はすぐに、インベーダーについて教えを乞う。


「その後円盤が、何処に行ったのかは、私達には分かりません。自衛隊は、何か、情報を掴んでいませんか……?」


「……ああ。確かに、情報は掴んでいる。人類にとって、極めて重大な情報だ」


 司令官はそう言うと、声量はあれど何処か弱々しい口調で話し始めた。

 ――――人類が最初に『それ』と遭遇したのは、九日前の事。

 全長三キロにもなる巨大な円盤が、アメリカの首都ワシントンに出現した。これほど巨大な円盤が都市の上空に現れた……それだけでも驚きであるが、円盤は米軍の監視網にも引っ掛からず、あらゆる航空レーダーからも逃れて出現したという。

 目視により存在が確認され、米空軍が向かったものの……あからさまに異星人の乗り物となると迂闊に攻撃も出来ない。どう考えても技術力の差がある相手に、積極的に喧嘩を売るような真似は誰だってしたくないのだ。

 出来る事なら平和的な宇宙人であってほしい。円盤を前にした人々は、誰もがそう思った事だろう。

 しかし異星人達は、人類の願いを易々と踏み躙る。

 円盤下部にある無数の砲台が突如として起動。米国首都への攻撃を開始したのだ。攻撃は苛烈という言葉でも足りぬもの。無数の閃光が都市を、人々を焼き払った。

 そして、米国の中枢であるホワイトハウスも。

 攻撃が始まってすぐ米軍も反撃を行ったが、円盤に攻撃は一切通用せず。また放たれた光や光弾は戦闘機や戦車、軍艦さえも容易く焼き切っていく。世界最強と謳われる米軍が、赤子の手を捻るかのように呆気なく壊滅させられた。

 米国首都を軽く焼き払ったところで、円盤は移動を開始。高高度まで浮上し、あらゆる衛星・航空レーダーをすり抜けて姿を眩ませてしまう。


「次に現れたのは、三十分後。中国北京に出現し、ここでも圧倒的な砲撃で都市を破壊し尽くした。その次はイギリスのロンドン、更にフランスのパリ、インドネシアのジャカルタ……」


「……それは、どれも世界各国の首都じゃないか!? 円盤は、人間の首都が何処かわかっているのか!?」


 秀明が思わず声を荒らげた。しまった、と思ったのか彼はすぐに口を閉じたが、しかしその疑問は尤もなもの。司令官は答えてくれる。


「それは分からない。円盤から交信はなく、未だどのような存在なのか、そもそも本当に異星人の乗り物なのかも不明だ。だが、現実として各国首都は壊滅した。しかも第三次世界大戦後、余力を残している国を優先的に襲っている。仮に敵が異星人とした場合、こちらの情報を高い精度で得ている可能性が高い」


 アメリカも中国もイギリスも、いずれも今の時代でもまだ力を有していた国だ。インドネシアも東南アジアの中では特に大きく、経済・軍事の両面で力を持っていた国である。

 それらの国の首都が僅か一日で攻撃され、壊滅した。

 犠牲者数はその一日で数千万人。しかも首都というのは、通常はその国の政治中枢が置いてある。円盤はこれも的確に攻撃しており、いずれの国も政府機関が壊滅していた。大統領や首相が死亡した際の継承順を法的に明記してある事は一般的で、普通ならば副大統領などに権限が移るが……政治中枢を丸ごと吹き飛ばされては、副大統領どころか大臣が何人も一緒に死んでいる。誰が生きていて、誰が死んでいるのか? それが分からない状況が、かつてない政治的混乱を引き起こした。

 政治の混乱は、有事において致命的だ。民主主義国家では通常、軍はシビリアンコントロール……つまり市民に選ばれた政治家を通した、『民意』によりコントロールされている。よって政治家による指示がなければ、軍は動いてはいけない。

 軍が動けなければ反撃はおろか、民衆の避難も儘ならない。その間にも円盤は次々と都市を攻撃。容赦のない火力で全てを焼き尽くす。

 そして被害が大きくなり、状況把握に労力を費やすようになると、今度は軍事基地の攻撃を始めた。流石に自分達の真上で砲撃があれば軍隊も積極的に反撃を行う。だが指揮系統が壊滅し、政府も機能していないため援軍を呼ぶ事が出来ない。ろくな反撃も出来ぬまま基地は撃破され、円盤は悠々と離脱。その情報が届く前に、次の基地の攻撃が始まり……


「どうにか各国が政治的な落ち着きを取り戻した時、人類は戦力の半数を失った。既に戦局は決したと言える」


「な、んという、事だ……」


 唖然とする秀明。司令官は深々と項垂れる。どちらも、信じたくない、認めたくないという気持ちがありありと伝わってきた。

 千尋も、その気持ちは分かる。出来ればこれが悪い夢だとか、空気を読んでいないジョークだとか、そういったものであってほしい。

 されど内心、この結果が必然のものだと思っていた。


「(そうなって当然だよね……どれだけの技術力の差があるのやらって感じだし)」


 例えば石斧で武装した原始人が、拳銃を構えた現代人に勝てるだろうか?

 言うまでもなく、否である。どれだけ屈曲な肉体でも、数が数倍上回ろうと、銃と斧の『技術力』の差は埋められない。ましてや現代人側が戦車や戦闘機を使おうものなら、現代人一人で何百何千という原始人を虐殺出来るだろう。技術力の差が開けば、このような一方的な戦い(と呼べるかも怪しい)となる。

 太陽系外惑星からやってきたかも知れない驚異の宇宙人と、隣の惑星への有人飛行をこれからやろうとしている地球人。その技術力の差は現代人と原始人レベルか、それ以上に開いているかも知れない。常識的に考えて、勝ち目などある訳がなかった。

 勿論戦いというのは技術力だけで決まるものではない。戦略も大きな要素であるし、何より士気の高さが大事だ。故郷を守るという誇り、家族を殺された恨み、一矢報いるというやけっぱち……精神で現実は変わらないが、勇ましさがあれば『無茶』が出来、余裕ぶっている相手に一発食らわせる事も出来るだろう。

 しかし残念ながらインベーダー相手には通じそうにない。


「恐らく、奴等は長い間人類を観察してきた。人類文明がどれほどの技術を持っているのか、どのような形で運用されているのか……最も成功率の高い作戦で、こちらの軍事力を潰しに来ている。反抗作戦も読んだかのように先回りし、攻撃してくる念の入れようだ」


「……成程、侵略慣れしている訳か」


「自衛隊や他国の軍も同じ認識だ。間違いなく、これが初めての侵略ではない。様々な星を侵略していく存在……」


「……だから、侵略者インベーダー、という事ですか」


 呼び名にも納得出来、千尋はため息を吐く。

 インベーダーがどれだけ侵略慣れしているのかについては、ひとまず理解した。

 そして恐らく敗北する事も、千尋は受け入れる。元より人類はパンドラに負けた身。もう一度何処かの誰かに負けたとしても、仕方ないと考える事が出来る。

 しかし、パンドラと侵略者では性質が異なる。

 パンドラはただの暴走ロボットだ。自分勝手に行動し、自由に暴れ回り、人間の命を弄ぶ。ただ遊んでいるだけで、飽きてしまえばもう人間になんて興味がない。『子供』が出来てからは育児に夢中で、負けた人間をどうこうする事はなかった。

 だが、インベーダーは違う。連中は恐らく文明の所属者であり、伊達や酔狂で侵略行為をしているとは思えない。戦争に勝った後、彼等は何かしらの『利益』を求める筈だ。人間同士の戦争でも同じで、終戦後には領土の割譲や賠償金支払いなどを行う。

 されどインベーダーはこれまで人類とろくに対話をしていないと聞く。交渉なしでは土地の割譲も、賠償金の支払いも出来ないのに。挙句もう殆ど戦力がない人類を、徹底的に叩き続けている。

 ……最悪の可能性が、千尋の脳裏を過る。


「……インベーダーは、私達をどうするつもり、なのでしょうか」


「どう、というのは……皆殺しにするのではないか、という事かい?」


「うん……」


「いや、しかしそれは難しいんじゃないか? 皆殺しは言葉で言うほど簡単じゃない。それよりも和平の方が簡単だろう。目的が資源か移民かは分からないが、こちらを絶滅させずとも達成出来るだろうしね」


 ぽつりと千尋が漏らした最悪の可能性を、秀明は否定する。

 彼が言うように、皆殺しというのは意外と面倒なものである。まず、隠れている相手を探し出すのが大変だ。一人殺すのに何十もの兵士を送る、都市一つ吹き飛ばすビームを撃つなど効率が悪くて仕方ない。それに殺されると分かれば、誰もが必死に抵抗してくる。中にはどうせ死ぬなら一矢報いてやると、自爆攻撃をしてくる者もいるだろう。文字通り死に物狂いの攻勢であり、いくら技術力で劣る相手とはいえ、こうなっては『万が一』もあるかも知れない。

 それよりも、降伏すれば助けてやる、と甘言を囁く方が良い。この方法なら、徹底抗戦派と降伏派で仲間割れを起こせる。単純に考えれば、相手の戦力が半減する訳だ。降伏派からの情報提供も見込めて、効率的な殲滅も可能となる。そうして徹底抗戦派が全滅したところで降伏派を集め、そこにビームを一発撃ち込んでやれば簡単に片付く。勿論もう脅威はないと判断し、砂漠や山などに捨てていくのもありだろう。資源のない砂漠に、数百人の人間が群れたところで何も出来やしない。或いは手頃な奴隷として使うのも悪くない。『自惚れ』かも知れないが、知能に優れる人類は労働力としてそれなりに役立つ筈だ。

 合理的に考えれば、人間を根絶やしにする必要などない。


「いいや、恐らくインベーダーは人間を一人も生かしておくつもりはない」


 その合理的な考えを、指揮官が否定する。


「ここ二日ほどの間に、欧州で正体不明の建造物が確認された。この物体は未知の物質で出来ており、現在まで破壊出来ていない。そして先端から、極めて有害なガスを放出している」


「ど、毒ガスという事、ですか?」


「或いは、生物兵器の類かも知れないな。ガスを吸い込んだ兵士はほぼ即死だ。欧州は今や三割の土地が人の生存に適していない。野生動物や植物も、死滅に近い状態らしい。ゴキブリどころかハエ一匹いないそうだ。随分と綺麗になったらしいぞ、見た目の上では」


 笑い事のように語る指揮官だが、その通りだとすれば笑ってなどいられない。皆殺しなんてものではなく、地球の生態系そのものを破壊するつもりのようだ。インベーダーにとって住み心地の良い環境に変えるのかも知れない。

 インベーダーの目的がなんであれ、地球環境を作り変えるのであれば、そこで人間が生きていく事は出来ない。積極的に殺さなくても、人間の数はいずれゼロとなるだろう。

 和解は勿論、服従すらも許さない。

 土地も、財産も、命も奪い取る――――正にインベーダーと言うべきか。


「……打つ手は、ないのか」


「ない。既に中国とロシアは核攻撃を実行したが、円盤には傷も与えられなかった。ハッキングも試みたが、侵入経路すら見当たらない。そもそも出来たところで、我々よりも遥かに優れているであろうセキュリティソフトは突破不可能だ、というのが専門家の意見だが」


「そう、でしょうね。最初期のコンピューター技師が、百人束になっても、今のノートパソコンの、ファイヤーウォールを突破出来るとは、思えませんし」


「そして相手はこちらの情報処理を一方的に蹂躙出来る。既に幾つかの通信施設がダウンし、他国との連絡が日々取れなくなる有り様だ。ヨーロッパは謎の建造物について話した二日前に連絡が取れなくなり、中国とは昨日通信が途絶した。アフリカとの通信状況も悪化している。アメリカは、もう三日前に音信不通だ」


 既に人類は打てる手を尽くした、という事を指揮官は言いたいのだろう。

 千尋も異論はない。技術力差を考えれば、この結果は必然なのだから。肉目当てで殺されたステラーカイギュウ、害獣として駆除されたニホンオオカミのように、が他の生物を滅ぼす事は地球上で散々起きてきた。他ならぬ人間自身の手で。

 人間がこれまで他の生物種にしてきた事を、地球外生命体にされるというだけ。滅びた生物達が人間相手にどうにも出来なかったように、人間もどうにも出来ないまま異星人に滅ぼされるのだろう。

 強いて一つ、希望があるとすれば……


「……パンドラがいれば、多少は抵抗、出来たの、でしょうけど」


 パンドラ。人類文明では手に負えなかった、人知を超える暴走機械。彼女の力があれば、円盤に損傷を与えられたかも知れない。

 しかし今やパンドラはいない。たった一体で戦いを挑み、そして敗れた。もう、この星にはいない。

 その忘れ形見の性分は、戦いに全く向いていない有り様だ。


「……念のために聞くが、パンドラの子供は使えそうか?」


「使えると思います?」


「いいや。ロケットランチャーに怯えて逃げるようでは、もう円盤を見ただけで逃げるかも知れない。そんな不確定要素に頼る事は出来ない」


 司令官も最初から期待していないのだろう。あっさりと、現時点で最も希望のある選択肢を切り捨てる。

 万策尽きた、とはこの事か。

 誰もが沈黙してしまう。その沈黙が数秒か、数十秒ほど続いたところで、司令官がまた息を吐く。

 彼は毅然とした表情を浮かべながら、口を開いた。


「……状況は理解した。パンドラの子供の利用方法については、そちらに一任しよう。荷運びぐらいは出来るだろう?」


「あ、は、はい。多分、やってくれると、思います」


「破れかぶれの反攻作戦をしようにも、人手がまるで足りない状況だった。物資運搬の面倒が減れば、それで十分だ」


 それは彼の本心か。はたまたこちらへの気遣いか。恐らくは両方である言葉を聞き、千尋は少し胸を撫で下ろす。

 あの無邪気で大人しい子を戦場に出すなんて、千尋はしたくない。

 ……しかしそれは、本当に侵略者に対して打つ手がない事を意味していて。


「後は自衛隊の仕事だ。深山技師はゆっくり、休んでくれ」


 指揮官が最後に投げ掛けてくれた労いの言葉を、千尋はすんなりと受け入れる事が出来なかった。

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