バッド・コミュニケーション

 空飛ぶ円盤。

 恐らく多くの人が「宇宙人の乗り物UFO」としてイメージするものだろう。勿論現在まで人類は宇宙人なんてものに遭遇した事はなく、故にただの想像図でしかない。そもそもUFOは未確認飛行物体の略称で、宇宙人は全く関係ない用語だ。しかし心の奥底に刻まれたイメージを払拭するのは難しい。

 千尋もそれを目にした時、多くの人と同じく『UFO』だと思ってしまった。


「えっと……こ、れは……何?」


 思わず、素っ頓狂な声が出てしまう千尋。一体何時の間に現れたのか。気付かないほど、そしてさもそこにあるのが当然だと言わんばかりに、『それ』はいた。

 『それ』は全長三キロ以上ありそうな、極めて巨大な物体だった。厚みに関しては百メートルほどと、全長に比べればかなり薄いが、だとしてもパンドラに匹敵する巨大さである。

 形態は間違いなく円盤型。装甲は塗られているのか、はたまた素材の色合いなのか、くすんだ青色をしている。装甲に継ぎ接ぎは見られず、まるで一枚の板で作られたかのよう。それだけで、この物体に極めて高度なテクノロジーが使われていると想像出来た。

 そして空を飛んでいる。勿論空を飛ぶ事自体は、人類にとってそう難しい事ではない。飛行機もロケットも、みんな空を飛べる。だがそれらが空を飛ぶ時には、いずれも何かしらの燃料を噴射しているものだ。物質を外に際に生じる反作用により、推進力を得ているのだから。その激しさ故に騒音を撒き散らす。

 ところがこの円盤は、なんの音も出していない。円盤下部からジェットのように噴射される物質も見当たらない。

 なら、まさかの気球? 確かに気球であれば、温かい空気が上に向かう力を利用しているので、何かを外に出す噴出する必要はないが……空気が生む力は微々たるもの。ある程度の『軽さ』がなければ浮力は生めない。またその動きは風任せで不安定になる。

 しかし円盤の装甲は、見たところ布のように薄っぺらではない。そして動いてはいるが……空高くからゆっくりと、真っ直ぐ下りてくる動きは不安定とは程遠い。気球とは異なる原理で動いていると、直感的に理解出来た。

 そして何より目を引くのが、円盤下側の物々しさ。

 円盤は浮かんでいるため、上部がどんな構造をしているのか、地上から見上げている千尋達には分からない。しかし下側であれば、嫌というほど分かる。

 無数の小さな棘が、地上に向けて伸びていた。

 棘の大きさは、全長から推測するに百〜三百メートルほどだろうか。大きさが異なる事から分かるように、幾つかの種類がある。最も多く見られるのは長さ百メートルほどのもので、単純な円錐形をしている。これだけで何百という数があった。円錐には複雑な紋様……或いは何かのライトだろうか……が刻まれており、禍々しい印象を受ける。次に多いのが二百メートルほどの円錐で、これは数十本。最も大きな三百メートルの円錐は数本と、大きさが増すほど明確に数が減っている。そして大きなものほど、紋様が禍々しい刻まれ方をしていた。

 円錐型というだけでも攻撃的なのに、紋様により増す禍々しさから、それが『武器』である事はなんとなく想像出来た。つまりこの巨大な円盤は、『兵器』の類なのだろう。

 こんなものが自分達の頭上で悠々と浮遊しているとなれば、気分は良くない。しかしそんなのは瑣末事だ。気にはなるが、問題の本質ではない。

 問題は、誰がこれを作ったのか、だ。


「(あ、アメリカの新兵器……とか?)」


 一番あり得そうな可能性を頭の中で呟くも、あまりに馬鹿馬鹿しくて変な笑みが浮かんでしまう。いくら米国が世界最高峰の技術・資源の持ち主だからといって、ここまで巨大な物体を作り出すなど考えられない。ましてや空に浮かべ、此処日本まで飛ばすなんて、それは最早陰謀論やフィクションの話だ。

 だが、世界最高峰の米国でも作れないのであれば……この円盤は『誰』が作ったのか。いや、

 千尋が考える限り、地球上の文明でこんなものを作れる国はない。それどころか世界中の国が協力したとしても、これほどの物体を作り上げるのは不可能だ。技術力の面でも、秘密裏に作り上げる労力も、人類の手に負えるものではない。大体気球とは異なる、未知の飛行技術を何処から用意するというのか。

 考えれば考えるほど、人間では作れない代物だと分かる。いや、見た目からして分かりきっていた事だ。これほど分かりやすく『自己主張』してくれるなんて、ある意味とても親切なのかも知れない。

 『宇宙人』という奴は。


「み、深山くん……その……あれは自衛隊の新兵器、とかなのだろうか……?」


 とはいえそんな荒唐無稽をすんなり受け入れられる訳もない。秀明ですら、どうにか『現実的』な案として自衛隊の名を挙げている。

 千尋は激しく鼓動する胸を抑えながら、深々と息を吐く。少しでも気持ちを鎮めなければ、まともに話せそうになかったから。

 言葉を発する時も、平静を意識しなければ言葉が途切れ途切れになる事が予期出来るぐらい、千尋もまた動じていた。


「……ううん、あんなものを作ってるなんて、聞いた事もない。大体、作れるとも思えない」


「だ、だが、それならまさか、あれは……」


「宇宙人の乗り物、なんじゃないかな。無人機かも知れないけど」


 中に宇宙人は乗っているのか、いないのか。それも気になると言えば気になるが……しかしそれ以上に、もっと気にしなければならない部分がある。

 この円盤の『目的』だ。


「(仮に、宇宙人の乗り物だとして……なんのため、遥々地球まで来たのか)」


 十年前、全盛期の人類でも太陽系の『全て』を把握していた訳ではない。

 しかし星々の環境から、地球以外に生命はいないと考えられていた。何しろ地球の次に人類の生存に適していた惑星・火星でさえ、気温はマイナス五十度、大気圧は地球の百分の一以下という有り様だ。だから『宇宙人』がいるとすれば、太陽系の外だろう。

 そして宇宙は広い。太陽系から見て最寄りの星系ですら、数光年……何十兆キロも離れているような世界だ。余程速く飛ばなければ横断など出来ないし、するにしても莫大なエネルギーが必要になる。

 相対性理論とエネルギー保存の法則が宇宙でも通じる以上、宇宙人であろうともこの制約からは逃れられない。莫大な資源を浪費して、ただの観測程度で済ませるだろうか? 宇宙人の文明が途方もなく優れていればそういう事もするかも知れないが、合理的に考えれば相応の『利益』を求める筈。

 勿論平和的な目的、例えば交易や交流などのために接触してくる事も考えられる。長い目で見ればこのやり方でもそれなりの『利益』も得られるだろう。人間が未踏破の大自然に踏み込むようなノリでやってきた可能性もゼロではない。

 しかし宇宙人の技術力があまりにも高い場合、そしてそもそも人間を対話や研究に値する知的生命体と思っていない場合……やる事は明白。そして仮に対話目的なら、降り立つ場所はこんな大平原ではなく、世界の主要都市に決まっている。

 からには、目的は明白だった。


【ギ、ギリゥゥゥ】


 幼体パンドラも嫌な予感がしたのだろうか。怯えたような『声』を発した後、背を向けて逃げ出す。

 円盤はそれを見るや、棘の先端を煌々と光らせ――――千尋の予想通り、攻撃を始めた。

 そう。攻撃してくる事自体は思った通りだ。だが予想外だったのは、その攻撃手段。

 光る棘の先端から放たれたのは、光線。

 所謂レーザーのようなものだった。レーザー攻撃自体は人類も実用化しており、ミサイルやドローンの迎撃システムとして使われている。しかしその『見た目』は、映画やアニメのような派手なものではない。これは当然だ。レーザーとは光であり、見えるという事は拡散……つまり威力が減衰しているという事。そんなものは理想的なレーザー攻撃ではない。

 だが円盤が放ったレーザーは、青々とした輝きを放っていた。いや、そもそも通った軌跡が人間の目にも見える。よって光速ではない。光であるレーザーは光速以下にはならず、円盤が放っているのは厳密にはレーザーではないという事なのだろう。

 その眩い力が、雨のように降り注ぐ。

 これがイルミネーション染みた賑やかしであれば、なんと傍迷惑な宇宙人なのかと冗談の一つでも言えた。しかし雨のように降り注いだ光は、地面に命中すると綺麗な焼き跡を残す。

 人間が浴びれば、一瞬で消し炭になるであろう威力。幼体パンドラにとっても、決して優しい攻撃ではない。


【ギキャリィ!?】


 光を背中に浴びて、幼体パンドラは悲鳴を上げた。手の上にいる千尋達に、幼体パンドラの背中は見えない。しかし濛々と昇る煙から、相当に大きなダメージを負った事は想像出来た。

 ロボットであるパンドラに、痛覚はない筈。けれども身体の操作や異常検出のためのセンサーは備わっているだろう。それらセンサーの過剰な信号が、疑似的な痛みを作り出しているかも知れない。

 苦しむ姿を見れば、人間であれば良心が痛む。人類を殺戮したパンドラなら兎も角、何もしていない無邪気な幼体パンドラなら尚更に。しかし円盤の操縦者に人間的な情けはないのか、パンドラと違って無感情な無人機なのか。円盤から放つ光は容赦なく幼体パンドラに集束。雨と呼ぶのも生ぬるい、苛烈な射撃が襲い掛かる。


【キュィリリリィィ!】


 より過酷な射撃を浴び、幼体パンドラは更に苦しそうな声を漏らす。背中から上がる煙も、より多くなっていく。

 しかしそれでも、幼体パンドラは千尋達を手放さない。落とさないよう丁寧に、優しく扱おうとする。

 千尋達を守らなければ早く逃げられるのに、幼体パンドラはそうしない。大事に抱えながら、ゆっくり円盤から逃げていく。

 これでも円盤が動かなければ、やがて幼体パンドラは射程外まで逃げる事が出来ただろう。しかし円盤はゆっくりとだが動き、幼体パンドラの後を追ってきた。いや、徐々にその姿が大きく見えるという事は、幼体パンドラよりも速く迫ってきているという事。頭上を取るつもりなのだ。

 そして真上まで位置すれば、閃光は全方位から幼体パンドラを焼き払う。


【ギリ、リ……】


 苛烈極まりない光を浴び続けた幼体パンドラは、その場に倒れ伏してしまう。

 いや、敢えて倒れたのだと千尋は理解した。倒れた時にも千尋達が潰れないようゆっくりと傾き、その手を地面に付け、千尋達を下したのだから。加えてそのまま、幼体パンドラは動かない。

 自分を屋根にして、光の雨から自分達を守ろうとしてくれている。

 何故そんな事をするのか。何か思惑があるのか、それとも気紛れか……『親』であるパンドラが人類文明を滅ぼしかけた事を考えるとあれこれ考えてしまうが、しかしこの数日間一緒にいた千尋はすぐに理由が分かった。

 難しい話ではないし、大層な理由でもない。ようやく出来た初めての『友達』。それが失われようとしている時、幼い『子供』がどう振る舞うのか。ネット上に蔓延る悪意なんてものに一切触れずに育ってきた、無邪気であどけない幼子がどうしようとするのか。

 自らの身を盾にして守る以外、思い付かなかっただけなのだ。


「い、良い……そんな事しなくて良いから、早く逃げるんだ! こっちはなんとかするから!」


 秀明も幼体パンドラの想いは理解したのだろう。そして逃げるように促してしまうのは、このパンドラが幼い子供だからか。自分達の身を危険に晒す言葉だが、千尋もそれに異は唱えない。後の事などどうでも良く、兎に角逃げてほしいと願う。

 けれども幼体パンドラに人間の言葉は通じない。通じたとしても、幼いこの子が言う事を聞いてくれるとは限らない。秀明の叫びも、千尋の願いも虚しく、幼体パンドラは千尋達を守り続ける。

 身体がどれだけ大きくとも、心は未だ幼い彼女に守られて、千尋は胸が痛む。

 それにこの状況自体が極めて好ましくない。幼体パンドラは自分の身体で攻撃を受け止め、千尋達を守っているが……攻撃に耐えられず幼体パンドラが倒れたら、その瞬間千尋達は何万トンもある金属の塊に押し潰される。だからといってこの下から逃げようにも、外は光が雨よりも激しく降り注いでいる状態だ。一歩でも出た瞬間、千尋の身体は大気中に溶け込む事となるだろう。そして全方位から光が降り注ぐ今、幼体パンドラが反撃のため身を起こせば千尋達を守るものがなくなる。よって幼体パンドラは反撃さえまともに出来ない。

 パンドラであれば背中の背ビレこと子機を発射したり、全身からミサイルを撃ったりも出来ただろう。しかし幼体パンドラは、恐らく今まで敵となる存在に一度も触れた経験がない。そんな物騒なものを装備しているとは思えず、実際発射する気配はなかった。

 つまり状況を打開する見込みが全くないのだ。


「(これならいっそ、この子だけでも助かってくれた方がマシ、と思ってしまうのは技術者だからなのかな)」


 パンドラも、幼体パンドラも、どちらもロボットだ。生命ですらない存在であり、彼女達が助かったところで、論理的に考えれば

 それでもこの子には助かってほしい。ロボットだとしても、命がなくても、全滅するよりは遥かにマシだと千尋は思う。

 どうにか出来ないか。何か策はないか。必死に頭を働かせるも、どうしようもないほど詰んでいるこの状況を打開する名案などない。アリが人間にどんな手で挑もうと、踏み潰されて終わりなのと同じだ。

 最早これまでか。人間である千尋には、諦める事しか出来ず。

 ――――されどこの星には、人間を超えるモノがいた。

 突如、轟音が辺りに響き渡る。

 雷鳴のような激しい音。幼体パンドラが爆発でもしたのか、とも千尋は思ったが、見上げてみれば幼体パンドラは(背中から煙は出ているものの)未だ健在。大きな怪我は負っていないように見えた。それに幼体パンドラ自体、不思議そうに辺りを見回している。

 そして今まで幼体パンドラを攻撃していた円盤が、白煙を上げながら傾いていた。

 何が起きたのか。その疑問は一瞬で氷解した。


【ギャリリギャギギギガアアアアアアアアアアアアアア!】


 雷鳴がちっぽけに思えるほどの咆哮が、辺りに鳴り響いたがために。

 幼体パンドラはすぐに顔を上げ、咆哮があった方を見つめる。ロボット故に表情などないが、何処となく嬉しそうに見えるのは錯覚だろうか。

 人間は彼女ほど純粋には喜べない。十年目の恐怖があるがため。中にはこの状況自体を屈辱だと思う者もいるだろう。されど千尋のように、これ以上ないほど頼もしく思う気持ちを抱く者もいるに違いない。

 パンドラ。

 人類文明さえも壊滅させた『絶望』が、地上最強の兵器が、この地に現れたのだから――――

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