置いてけぼりの森 其の六

「今まで、どこにいたんですか」

「覚えてないの。気が付けば階段の踊場に立っていて、部室の明かりが見えた。そして部室を覗くと一人で立ち尽くす君がいた訳」

「そうですか」

 二ノ宮さんは近くの椅子に座り、「変かな?」とこちらの顔色を伺うように見上げた。正直に「変です」と答えると「だよねぇ」と、彼女はからから笑って脚を組む。その砕けた所作は、最初に彼女に対して抱いた印象と180度違って見える。

「あなたそんなキャラでしたっけ」

「第一印象なんて皆見せかけだよ。でも、ここには君一人だからね」

 だから、もう演技の意味なんてない。

 悪びれもせずそう言った後「本当はどこから気付いていたの?」と、浮かべていた笑みが意地の悪いものに変貌した。

「まさか、今更『犯人はあなたです』とか言うとでも?」

「といっても私と君の二人だけしかいないからねぇ。証明の意味がない……ただ、私は純粋に気になったんだ」

「何が気になったんです?」

「『この時の作者の気持ちを答えなさい』」

 二ノ宮さんは眼鏡をかけ直し、天を仰ぐ。

 それから彼女は何も言わず、ただただ黙りこくった。確かにこれ以上化かし合いみたいなやり取りを続けていても不毛だ。とっとと本題に移ろうか。

「真っ先に変だと思ったのは、やっぱりノートの法則です」

 菊池君、二ノ宮さん、仙台さん、東雲さん。順に神隠しに遭って、その都度、各々を取り込む何者かの視点描写がノートに書き加えられる。そして、それと同時に章が消えていく。

 例えば、仙台さんの時は二章にあたる「柘植野さんの死」が消えた。ただ、その法則性を鑑みるとするなら不自然なことが一つだけあった。

「何かが変だと感じました」

 よく観察すればわかったであろう。

 しかし、自身が「瀬野君の死」に目を通していなかったこと。そして、その次に二ノ宮さんが消えたことからすぐにその違和感に気付かなかった。

「あなたが神隠しに遭ったと思われた時だけ、ノートに変化がなかった」

 仙台さんが神隠しに遭った後「柘植野さんの死」がノートから消えた。そして消えた頁を東雲さんに示した時、彼女も同じ疑問を抱いたようだった。

 何故二ノ宮さんが神隠しに遭った時、「柘植野さんの死」の章は消えなかったのか。

 答えは至極簡単だ。

 二ノ宮さんはもともと神隠しになんか遭っていない。

「あなたはそれらしい文章をノートに書き残し、神隠しに遭ったふりをして皆から身を隠した。あとは廊下からこちらに聞き耳を立てていればそれでいい」

「……なあんだ」

 ふう、とため息をついて、二ノ宮さんは少しつまらなそうな顔をする。

「君も東雲も。泳がせていたつもりが、泳いでいたのは私の方だったって訳か」

「ええ。あまり巧妙とは言えませんね」

 どちらかといえばその場しのぎの力業のようだ。

 もっとも、そのことに気付いた頃にはこの部室には東雲さんと自分の二人しかいなかったし、犯人がわかったとしてどうすることもできない現状ではあったが。

「言っておきますが」

 二ノ宮さんの向かいの席に座り、彼女を睨み付ける。

「あなたが行おうとしていることは、外法です」

 涼しげな顔であっさりこちらを見返し、彼女は「ふうん」軽く唸った。

「私が何をしようとしていたのかもわかるんだ?」

「反魂のまじない

 すかさず言う。ここで初めて彼女の目が丸くなった。

「手法としては、まず、死者の数と同じ数の生者をある程度閉ざされた場所に集める。……この時に肝心なのは、集める生者は死者の性別、概ねの年齢と同じでなければならない」

 二ノ宮さんの顔からすうっと笑みが消える。

 彼女はただ睨み返すようにこちらをずっと見て、次の言葉を待っているようだ。先を紡ぐ。

「次に、生者の一人に『死者の最期』を理解させる。媒体は何でも良い。映像でも、文章でも」

 言って、机のノートに視線を移す。

 極太のマジックペンで表紙に書かれた『絶対に絶対に見ないでくださいお願いします』の文字。やはりこれは、ここに集った誰かに中身を読ませるための誘い文句だ。

「菊池君には『瀬野君』が憑依し、仙台さんには『柘植野さん』が憑依した。そして、東雲さんには『嘉川さん』が」

「あなたの言う通り生徒が必要だった。でもね、一人欠けた状態では完全とはいえない」

 死者は四人で男子二人と女子二人。

 瀬野君。柘植野さん。嘉川さん。優太君。

 だが、対になる文芸部には菊池君しか男子がいない。

「手頃な生徒を一人、職員室で見つけたんですね」

「そうね。もうすぐ君にも彼が来る」

「そうですね。中村優太はあなたが一番愛おしく思っていた人です。結子ゆうこさん」

 いや、と一区切りの間を置いて、

佐伯結子さえきゆうこ、先生」

 ノートから視線を前に戻す。そこには初老の女性が座していた。白髪交じりのショートカット。くっきりとした目元は目尻が少し垂れており、まだかろうじて二ノ宮さんの面影がひっそりと残っていた。

「術者は他者から見分けられない……これは本来、そういう仕組みになっていますからね」

 いるはずのない思い出せない誰か。東雲さんが感じていたのは二ノ宮さん、もとい、文芸部顧問の佐伯先生のことだ。きっと、仙台さんも菊池君も、東雲さんと同じ違和感を抱けども佐伯先生のことは何も思い出せなかったのだろう。

 そう、呪術が産んだまやかしの効果で、佐伯先生は二ノ宮結子として誰からも悟られずに溶け込むことができた。

「やっぱりあなた……鋭いのね」

 彼女は、ふふ、と口元を緩めて、ノートの横に置いていた部誌を手にした。

「これも……よく探し当てたものだわ」

「見つけたのは東雲さんです」

 何せ大昔のものだ。普通に考えれば図書室の書庫に眠っていそうなものだったが、駄目元で捜索した結果、東雲さんがダンボールに詰め込まれていたものを東雲さんが見つけた。……職員室から運ばされたダンボールである。

「その中には当時の部員の名前が書かれています。『瀬野義隆せのよしたか』『柘植野笙子つげのしょうこ』『嘉川夏音かがわかのん』『中村優太なかむらゆうた』そして『二ノ宮結子にのみやゆうこ』。皆、フィクションではなく実在した方々です……つまり、」

「合宿に行こうとしていたの」

 遮られ、思わず押し黙る。

 口元は綻んだままであるが、佐伯先生の眼は何一つ笑ってはいなかった。それ以上迂闊に踏み込んで来るな。そう言外に止められたように感じる。

「当時の文芸部の皆で、観光バスに乗って……東北へ向かおうとしていた」

 佐伯先生は前傾姿勢になりながら、こちらに向かって座り直した。顔の前で繋いだ両の手は、少し震えている。

「峠を越えたバスが山道の崖の上にさしかかった。ガードレールの向こうに見えるのは民家の軒でなく、どこまでも続くような青々とした森だった」

 想像する。山間部。辺境の国道。舗装された道路を支える擁壁の遥か下は果てしない樹林である。その舞台は、まるで、

「単なる操作ミスか、病気だったのか、もう今となってはわからない……私達と他の乗客を乗せたバスはガードレールに突っ込んで、崖下に転落した。後の出来事は私がノートに書き込んだわ」

 彼女の皺の深い目元がこちらを向いた。あなたも読んだでしょ? 無言の圧に思わずこくりと首を縦に振る。

「あれは、創作なんかじゃない。私は皆を看取るように生き残って、そして……逃げてきた」

「本当に誰も、助けに来なかったんですか」

「あれが普通の森なら数時間後に救助されていたわ。でも、あれから四十年経った今でも私以外の乗客はバスごと行方不明のまま」

「そんな馬鹿な」

「あら、どうしてそんなことを言うの? あなたは『ああいうの』に詳しいように思うのだけれど」「それは、」

 そういった場所は、確かに存在する。人が消えたり、人が狂ったり、人が死んだりする場所。命の重さなんてわたあめよりも軽い場所。知らない訳がない。そして彼女も、ずっと周りに理解されないまま生きてきたのだ。当時の恐怖と苦痛を飼い慣らしたまま。

「……今でもあれは幻覚だったんじゃないかって思うの。でもね、結婚して、二ノ宮姓から佐伯姓に変わった後もどこかに引っ掛かりがあった。そして、夫を癌で亡くした時に、強く思い出した。『死』というものの残忍さを」

 再び照明が明滅した。

 チカチカと明暗明暗明暗。

 二人だけしかいないはずの教室。なのに、端の方で何かが動いた。

「  こ い」

 おそろしく低い声。まるで、人間以外の何かが人の真似をして発音したかのような、たどたどしい口調。見渡すと、明滅を繰り返す部屋の四隅に、赤く光る何かの双眸を捉えた。

「彼が来たわ」

 佐伯先生は目を閉じて、うっすらと微笑む。

「これは物語の続きなの。主人公である『私』は皆を見殺しにして生き残った。助けに戻ることもできなかった。だけど、あなたで完成する」


     ✕✕✕✕✕

 

 それはおぞましいくらいに穏やかで、静かな声だった。暗く冷たい意識の底。そこから這い出るには彼女の言う通り「うつわ」が必要だった。

 そして、その器は彼女の対面に座っている。


     ✕✕✕✕✕


 ノートが騒ぎ出す。

 気付けば新たな頁が開かれていて、ボールペン字がまっさらな紙面の底から浮き上がるように滲んだ。彼が、「中村優太」がこの部室に来る。禍々しい何かを引き連れて。

「……手記を綴った作者の気持ちは、後悔と罪悪感で満ちています。それも病的に。でも、受け入れるのは今からでも遅くない」

ーー怖くてよくわからない話で終わるよりも、救いがあった方がいい。

 東雲さんも物語のラストに不満げだった。

 登場人物全員が不憫に思えたのだろう。

 だからこそ、彼女は自らを省みず「嘉川夏音」を受け入れることができたのだ。それが、自分にできる唯一のことだと感じたから。

 だけど。


     ✕✕✕✕✕


「無力だった私を私が受け入れるのはもう諦めたわ」

 明滅する部屋。その真ん中で彼女は獣じみた笑みを浮かべる。俺は少し哀しくなって、その顔を眺めた。何だか見覚えがあったからだ。皺が深いが、まだあの頃の面影が残っている。

 彼女に対面して、器は言う。


     ✕✕✕✕✕


「あなたがしようとしていることはただの傲慢だ」


     ✕✕✕✕✕


 彼女はーー結子は、はっとした顔となり、器を見た。俺も同じ気持ちだった。君だけはあの森に囚われていて欲しくなかった。俺達のことなんか忘れて笑顔でいて欲しかった。

 だけど、誰よりも森に毒されていたのは他ならぬ彼女自身だ。


     ✕✕✕✕✕


「あなたは、どうして……」

 佐伯先生は椅子から立ち上がり、こちらから一歩二歩と後退りする。やっと異変に気付いたのか。でも、多分もう手遅れだ。

「どうして……優太が、優太が来ないの」


     ✕✕✕✕✕


 実のところ、器は、性別がわからなかった。

 男なのか女なのか、いや、そもそも人間なのか。

 人の形はしているが、それだけだ。それだけで、何だかよくわからない。


     ✕✕✕✕✕


「『わからない』? 何が……何で……?」

 開いた頁とこちらを交互に見やりながら、佐伯先生は戸惑ったように声を荒げる。

「私は、間違えたの……?」

 照明のーー蛍光灯の明滅はストロボのように間隔が短くなり、やがてその残像の中に彼ら彼女らは現れた。

 瀬野義隆。

 柘植野笙子。

 嘉川夏音。


     ✕✕✕✕✕


 三人は、かごめかごめの唄のように結子を取り囲んだ。彼女は失敗したのだ。最後の一人を、用意できなかったから。


     ✕✕✕✕✕


「  おまえ  」

「まってた   」

「 もどってきた」

「  まちがえた」

「 にんげんじゃないやつつれてきた」

 四方の隅から無数の赤目が迫る。佐伯先生は「ああ、あぁ」と呻きながら、縋るようにこちらを見た。でも、今更どうすることもできない。彼女が行ったことは一つでも間違えれば自身に返ってくる。禁忌に身を染めるとはそういうものだ。

「私は、ただ……!」

 先生が言い終えるより先に頭上で硝子の割れる音がした。蛍光灯が砕けたのか、ふつりと視界は真っ暗になる。次につんざくような耳鳴りがして、思わずかがんで耳をふさいだ。

「         !」

 叫び声が耳を塞ぐ指の隙間から聞こえる。

 一気に薄まる意識の中で、それが自分の声か先生の声かは判別がつかなかった。

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