ジャスティスガールvs無職のオジサン

鶴木場ウサギ

ジャスティスガールvs無職のオジサン

 朝起きて、なにもすることがない。仕方なく稽古する。

 飯を食って、なにもすることがない。仕方なく稽古する。

 トイレをして、なにもすることがない。仕方なく稽古する。

 テレビをみて、なにもすることがない。仕方なく稽古する。

 なにもすることがなく、なにもすることがない。仕方なく稽古する。


 俺はこんな生活を何年続けてきただろうか。数えても意味がないから数えないが、ワインだったら割と値段が付く位の年月は続けてきたのだろう。

 夜中の10時から走り出す片道2㎞のこのランニングコース、もう駐輪禁止の看板に刻まれた落書きからコンクリートの塀にできた亀裂の形まで覚えてしまった。

 恋愛も就職活動もしてこずもう今年で27歳。最終学歴中学卒業の資格一切なし無職童貞、あーだめだめ、これ以上考えるとこのまま道の真ん中に倒れちまいそうだ。


「…彼女、か…」


 思わず口から声が漏れる。

 わかっている、俺はまだそんなレベルには達していない。そんなものを求めるよりも前にずっとしなくてはいけないことがたくさんある。

 だが俺も人間なんだ、三大欲求を満たさず放置しておけばいつか限界が来る。すなわちそれは性欲、このままでは近いうちに頭が爆発しちゃうかもしれない。もう最近では飛び出し注意の看板に描かれている女の子さえ可愛く思えてきている。ポップコーンのように脳みそが弾ける日も近いようだ。


「…」


 しかしそうは言っても俺のような男を好きになってくれる女性などいるはずもない。というか女性と会話する機会があまりにも少ない。仮にコンビニの店員を含めたとしても週に数度あるかどうか位のペースだ。

 物凄く都合よく俺に惚れてくれそうな女性がどこかに転がってはいないものだろうか。できれば清楚な感じがいい、高校を中退する前、隣の席で唯一快く俺に声をかけてくれた水島さんみたいな感じがいい。


「…あの、急いでるんで…」

「!!」


 その時、か細い声が聞こえた。視線を声のした方へと移せばそこは薄暗い路地裏で、3人ほどの体格のいいチンピラに女の子が絡まれているのが見える。


「ちょっとだけだよ、ね、30分だけだからさ」

「俺達暇なのよ、付き合ってくれてもいいじゃん」

「その、…予定があるので…」 

「…ッ!!!」


 これだ、そう思った。いやもうこれしかない、とも思った。

 俺の唯一と言っても過言ではない長所をここで利用しないでいつ利用する。3人を倒して彼女を助け連絡先を交換、これは確実にイケるでしょう。いや、イケなきゃ困る。寧ろこんな状況と二度も遭遇する可能性は極めて低い、このチャンスをものにしなければ俺は一生彼女ができない。

 俺はふんふんと鼻を鳴らしながら路地裏の入口へと足を踏み入れた。


「やめなよ」


 非常に残念なことに今響いた声は俺のものじゃない、いつの間にか俺の隣にいたフードを被った女の声だ。俺は開きかけた口を再度閉じると半歩左へと動いた。

 フードの女はチンピラを掻き分けてつかつかと路地裏へと入っていくと「ほら、帰りな」と中にいる女の子に声をかけた。彼女はフードの女に小さく頭を下げると小走りで帰っていく。俺の世紀のチャンスはたった数秒で夜の闇の中へと溶けて消えた。

 3匹のチンピラの表情が明らかに怒気を孕む。今にもフードの女に飛び掛かっていきそうな雰囲気だ。


「…あのさぁ…」

「1、私はお前たちが不快だから邪魔をした。2、お前らの都合なんて知ったこっちゃない。3、文句があるならさっさとかかってこい」


 顔を覗き込もうとする男の言葉を遮る。端的で実にわかりやすい文言だった。


「…ッ!!」


 自分たちが舐められているとわかった彼らの行動は実に単純である。例えそれが女であってもここまでハッキリと言われて引き下がることはできない。チンピラの一人が女のフードを掴もうと手を伸ばす。

 しかし自分に向けて伸びてきた手を素早くキャッチした女はなんの躊躇もなく、人差し指と中指を反対側に折り曲げた。


「ぅぐ、あがあぁッ!!??」

「「ッ!!??」」


 慣れている。明らかに初めてじゃない動きだ。

 事態の異常に気付いた隣の男が数秒迷うように周りを見た後、拳を振りかぶりパンチを突き出そうとする。


「ぃぎッ!?」


 しかし女は接触する寸前で半歩前に踏み出し、自らの額で迫ってくる拳を砕いた。俺は男の拳が圧力に負けてゆっくりと粉砕されていく様をまるでスローモーション映像の様にハッキリと確認していた。

 

「このクソガキが…ッ!!」


 骨を砕かれた二人はたまらずその場で蹲る。

 自分よりも一回りも二回りも体格の小さい女にいとも容易く倒れた仲間を見て、最後の一人は懐からナイフを取り出したようだが、おそらくは脅しのつもりだろう。あの男に人を殺せる勇気があるとはとても思えない。

 その証拠に女に向けられたナイフの切っ先はぷるぷると小さく震えていた。


「あのね、あんま無理しない方がいいよ」

「あぁんッ!?」

「例え強がりでもそういうもん見せられるとこっちも殺す気でやんなくちゃいけなくなるからさ」


 女は軽く手を伸ばすと向けられたナイフの切っ先へとデコピンした。

 パキン、と軽い音がした。ナイフの刃が真ん中から折れて半分が空中を舞っていた。空中で半回転した刃は男の首元へと突き刺さり、男は叫び声をあげながら脱兎のごとくその場から逃げ出した。


「…ふぅ…」


 一連の動作全てに無駄がなく、加えて人の指を容赦なくめちゃくちゃにできる胆力とナイフの刃をデコピンで割ることのできる筋力を備えている。例えチンピラが10人いたとしても結果は変わらなかっただろう。

 女はその場で軽く背中を伸ばすと首をコキコキと左右に動かして骨を鳴らした。そしてその場でくるりと振り向き、俺の方を見た。


「それじゃ最後はアンタだね」

「…ほぇ?」


 思わず変な声が出た。


「あのぉ…俺関係ねえっスけど…」

「仲間がやられたのにいざとなったら白を切るのは男としてどうなんだよ、コイツらがあの女の子を囲って、お前が入り口を塞ぐって役割だろ?」

「どうもこうも俺マジで無関係なんスけどぉ~!ってかその役割だと俺女の子になんにもできねえじゃ~ん!!」


 フードの女は小さく溜息を吐く。年下の女の子に目の前で溜息吐かれるって想像以上のダメージだぞ。


「…今まではお互いにお互いの甘い汁啜ってきたのに不都合になると突然関係ないですってか、だからお前らみたいのは嫌いなんだよ」


 だめだ、結構会話が成立しないタイプの奴だ。

 俺の夢を奪って尚これ以上なにを奪うというのか、俺の尊厳まで奪うというのか。服装とか見ればわかるでしょ、明らかに俺だけ仲間はずれじゃん。全身黒ジャージじゃん。どう見てもただのランニングしてるオッサンでしょ。


「おい、コイツお前らの仲間だよな?」

「ぅ、ぐ、ぁああ…」


 地面に膝をついて蹲ってるチンピラに向かって問いかける女。チンピラは俺の方を一瞥するとほんの少し悩んだ後にうんうんと小さく頭を動かして頷いた。

 いやお前適当なこと言ってんじゃね~~~~~!!!!!


「ほらな」

「お前マジで覚えてろよ、もう片方の拳もぐしゃぐしゃにして一生先割れスプーンでしか飯食えないようにしてやるからな」


 できるだけ不幸な人間を増やしたいって訳か。くそ、俺は彼女が欲しかっただけなのに、本当なら今頃あの女の子と連絡先交換してほくほくした気分で帰路を辿っているはずだったのに。なんたってこんな怪力女から責められなきゃならんのだ。

 仕方がない、非常に情けないが後を向いてダッシュで逃げればコイツだって追ってきたりせんだろう。

 



「おい待てよ、勝負から逃げんのか?」




 後退りしかけていた足がぴたりと止まる。俺はその言葉に弱いんだよ。


「はぁ…勘弁してくれよ、もうちょっとで見たい番組が始まるってのにさぁ…」


 俺はゆっくりとフードの女の方へと近づいていく。

 お互いの距離が2mを切ったところで、女の背後へと視線を向け、片手を伸ばしてしっしっ、と払うように手関節を動かした。


「そこの、危ないからあっちいってなよ」


 俺の言葉に反応して女の背後にあった影が動いた。そして足元に会ったゴミ袋が蹴っ飛ばされる音がその場に小さく響く。おそらく先程ナイフの刃が刺さった奴が仲間の様子を見に帰ってきていたのだろう。

 相手は慣れてる奴だ、ただの言葉じゃ敵の眼前で後ろを向くようなバカな真似はしない。だがゴミ袋が動いた音が重なったことと、という言葉のチョイスに、コイツの脳内にほんの一瞬さっきの女の子がよぎったはずだ。

 その証拠に女の視線がほんの数ミリ右に揺らいだ。


「っ!!!」


 思い切り駆け出して距離を詰める。繰り出したのは左ジャブ、ボクシングにおける最速の突きだ。不意をついたことにより先程のような頭突きによる相殺を防いだ。

 しかし女はその場で咄嗟に上半身をのけ反らせつつなんとか俺の拳を片手で受け止めた。流石、と言いたいところだが俺の攻撃はまだ終わっていない。



 合わせるようにその場で前方へとステップを踏み再度距離を詰める。

 左手のジャブを眼前で受け止めたことにより空いた顎から鎖骨へのガード、そこへと右手の拳を当てて振動を流すように揺らす。


「ぅ、ぶ」


 女は数歩後ろにふらふらと下がると口元を抑えだした。その額には多量の汗がにじみ出ているのが分かる。


「気持ち悪いだろ、内臓を揺らしておいたからな」

「てめ、ぉえ…ッ…ふざけ、ぅぷ…ッ…!!」

「それ以上喋ると抑えらんなくなるぞ」


 しかし俺の忠告が彼女の耳に届いた頃にはもう既に限界が訪れていたらしく、彼女は両膝に手をつくとその場に吐瀉物を吐き散らかした。

 波打ちは衝撃を相手の体内で反響させることによって消化器系の動きを遅らせる技だ。喰らった相手は激しい吐き気に襲われることになる。

 拳を皮膚の薄い部分(今回の場合は鎖骨)へと当て、揺らし終えるまでの2、3秒固定し続けなくてはいけない難易度の高い技ではあるがその効果は絶大だ。

 

「悪いな、雄情流は世界最強だからどんな形であろうと一度勝負を始めれば必ず勝利しなくちゃならんのよ」

「はぁ…ッ…まて、まだぉぶ…!!」

「じゃーな、次のパーキングエリアまで頑張って耐えろよ」


 壁に手をついてなんとか倒れないようにしているようだが、もうこれ以上は戦うことはできないだろう。

 というか俺の方もこれから夕飯だってのにゲロまみれの奴をこれ以上見たくはない。


「ったくよぉ殴りたくないもん殴らせやがってこのやろぉ、テメーが責任とればかやろぉ」


 先程無関係の俺のことを巻き込んだチンピラが逃げようとしていたので、首根っこを掴んで引き寄せもう片方の指の骨を反対側に折り曲げておく。


「ま、まてまてぐぎぁああッ!!あがぁああッ!!!」


 俺はそのまま女へと背を向けると再びランニングコースを走りだした。

 一世一代のチャンスを俺は逃した。おそらく俺は今後も彼女ができることはないだろう、俺は株を守りて兎を待つようなバカじゃない。彼女はもうきっぱり諦めて、今はせめてニートからフリーターには昇華できるようにしよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る