4 因習村をレビューしよう

 ぼくは人殺しじゃない。ぼくはついさっきまで殺されるところだった。

 来馬は死んでしまった。来馬はついさっきまでぼくを殺そうとしていた。

 生きているのはぼくだ。斧をもって、人殺しだと非難されている。ぼくが来馬を代わりに殺してしまったのか? 振り下ろされる斧を躱し、逆に斧を奪い取って首をはねたのか? 指先ひとつ満足に動かせない状態から? それはありえないし、村人たちが黙ってみているのもおかしい。村人たちは平然と儀式を遂行していた。ぼくが変な行動を起こすまでは、儀式は滞りなく行われていたのだ。

 なら、なにが起きたというのだ。

 考えられる原因はひとつしかない。換魂の儀だ。あれでぼくの頭がおかしくなってしまったのだ。

 あの儀式は薬物を使った洗脳に近いもので、確かな効果を及ぼしていたと考えるほかない。頤は魂を入れ替えるだのと言っていたが、彼のいう通りに解釈すると、赤の他人だと思いこませるような洗脳を施されたということになる。ぼくは自分自身のことを来馬正巳だと思いこみ、来馬は自身を雪原岳人だと思いこんで行動していたし、周りもそう認識して行動していた。

 いや、それだと説明がつかない。

 ぼくは死の間際まであちら側、死んでしまう来馬正巳の体の方に雪原岳人として意識があったのだから。そして、彼の死後こちらの雪原岳人の体に戻ってきた。これじゃあまるで、本当に魂が移動したみたいじゃないか。

 しかし、そうだとすると、なぜあちらの体から戻ってきたのだ? 一度向こうに移動したなら、向こうで体とともに死んでいてもおかしくないはずだ。本人の魂と本人の体は繋がっていて、魂と体の消滅が同期しているのだろうか。来馬は肉体が死を迎えたから魂も死に、肉体が死んでいないぼくの魂は本来の体に戻ってきた。眉唾ものな、スピリチュアル理論での説明しかできない自分に頭がかゆくなる。だって、そんなことありえないだろう。

 洗脳からの思いこみにせよ、魂の入れ替えにせよ、ぼくの体が来馬を殺してしまったことは、事実として動かしようがない。なら、ぼくは人殺しか?

 急に手が震えてくる。この手が血に染まってしまった。人を殺してしまった。

 人殺しはいつか必ず露見する。村人たちが告げ口すれば終わりだ。死体が見つかったらおしまいだ。

 村人が逃げてしまい中途半端に放り出されたままの死体をみる。まだ半分ほどが地面と混ざりきっておらず、人間の原型を留めている。このままじゃ見つかってしまう。死体は隠さなきゃいけない。ぼくのせいじゃないのに。ぼくは悪くないのに。このままだと人生を台無しにされてしまう。

 頭のおかしな奴らに騙されて人を殺してしまいました。でも、本当はぼくが殺されるところだったんです。ぼくの意識が殺したわけじゃありません。別の人格に体を操られていて、乗っ取りにあっていたんです。だから、ぼくは無罪で、人殺しなんかしていません。

 そんな言い訳が警察で通用するはずがない。

 必死で鍬を振るった。肉片の形がわからなくなるまで、ぐずぐずに土と混ざりきってしまうまで。骨も、肉も、内臓も、丁寧に念入りに鍬を入れた。

「おれじゃない。おれじゃない。おれじゃない。殺してない。殺してなんかいないッ」

 日が暮れるまで鍬を振るい続け、日が昇るまで土を掻きまわし続けた。

 もはや匂いもしないほど細かく裁断され、広範囲の土と深く混ぜ合わされた死体。眼で見ただけでは死体があったことなどわかりもしない。皮肉なことに、村人が耕すまでもなく、そこにあった固い地面は、耕され空気を取り込んだ柔らかい畑の土へと変わっていた。

 手の皮はずるりと剥け、ぼくの血が染みこんだ鍬の柄は黒ずんで光るほどだった。それほど執念を燃やして死体を隠したにも関わらず、ぼくは少しも安心できなかった。隠したという事実が、掘り起こされる恐怖を新たに植え付けていた。ぼくは殺人の露見をなにより恐れていた。

 眠れない頭痛を抱えて村を彷徨う。村人たちはぼくの存在を完全に無視し、話しかけようが触れようが、目線さえ合わせることもない。そう、初日に海砂利を殺した老人のように。殺人者は村では無視されるのだ。罪を犯したから村八分にでもされているのだろうか。村にとってテーマパークの客は、儀式の遂行と殺人のリスクの回避で一石二鳥だったのだ。都合よく利用されただけ。いつでも切り捨てられる。

 こんなこと誰に言えるだろうか。外の人間には口が裂けても言えない。それは自分の罪を告白することと同義だからだ。濡れ衣だったとしても、この手が殺してしまったのだから。自首する勇気なんてない。もう死体も隠してしまった。殺人のうえに死体遺棄だ。

 誰にも助けを求めることはできない。ばれないようにと怯えながら、こそこそと生きていくしかない。

「もう、帰ろう」

 何もかも疲れた。

 たった三日だ。ほんの三日間この村に滞在したせいで、ぼくの人生は壊れてしまった。最高にたちが悪いことに、ぼくは生きている。血と犠牲が飛び交ったなかで、ぼくは生き残ってしまった。もう終わってしまった人生をこれから死ぬまで生き続けなければならないなんて地獄だ。これほど死ねば良かったと後悔したことはない。いいや、その選択肢ははじめから用意されていなかった。ぼくがあの村に呼ばれたのは、死なずに生還する為だ。村の穢れを一手に引き受けて、村から出て行く存在。体のいいゴミ箱として選ばれてしまったのだから。

 できるだけはやく忘れる事だ。忘れて、記憶から消して、何事もなかったかのように。

 そうするほかに選択肢はない。

 傷だらけの体でレンタカーを運転して帰路につく。運転に集中した振りをして何も考えないようにした。疲れたら車内で泥のように眠った。往路を逆になぞって家へと帰り着く。風呂に入り汚れを洗い流してすぐに眠った。ケータイの電源を切り、外部との接触を一切遮断して、数日間はひたすら浅い眠りを繰り返した。

 どのぐらいそうしていたかわからない。

 警察はまだぼくを捕まえにはこないようだ。

 さすがに空腹が限界に達し、外に出るか、ケータイの電源を入れるか選ばなければならなくなる。

 数十分悩んだあげく、意を決して充電を開始する。出前を置き配にすれば人に出会わなくて済むと思ったのだ。電源が復活してすぐに、何十件もの通知がきていることに驚く。ぼくに連絡を取ろうとする人間は限られている。大学と家族のほかに、よく連絡を取り合う友人はふたりだけ。そのどちらも、もう死人となったのだ。連絡などできるはずもない。

 通知画面に表示された名前をみて、空腹を忘れた。

『上郷美折』

 最新の通知は今日未明。美折がとっくに死んでしまったあとに送られたものだ。

 昭和の時代には霊界に繋がる黒電話なる怪談があったらしいが、昨今のスマートフォンもどこか違う時空に繋がっているのかとも疑った。

 しかし、冷静になって考えてみると、そんなはずはないのだ。瑞尾村の誰かが美折のケータイを拾って悪用しているだけだ。いたずら目的か、ぼくへの脅迫かはわからないけれど。メッセージの内容を開いてみると、やはりいたずらのように思えた。

『最近連絡取れないけど大丈夫? 音信不通で心配』

 美折になりきりぼくを心配する内容のメッセージ。どうにも嫌な予感がした。

 握りしめたケータイが震えた。新しいメッセージが届いたことを知らせる。

『いま、家にいる?』

 つい今しがた送られたメッセージの内容に肌が泡立った。だって、そんなはずない。美折は死んだ。ぼくたちが食べた。

 コン、コン、コン。

 インターホンを無視して、アパートの扉が叩かれる。値段に拘った賃貸だから、ボロくてインターホンが機能しないのだ。そのことを知っているのは頻繁に部屋を訪れる美折ぐらい。間違っても、見ず知らずの他人が知っているような情報じゃない。

「いるでしょ」

 誰だ。美折じゃないなら、お前は誰だ。

 慌てて鍵を確認する。錠は卸しているが、ドアチェーンはかけていない。

 鍵が差し込まれた音がする。そういえば、美折は合鍵をもっていた。ゆっくりと鍵が回っていく。布団から跳ね起きて身を固くする。何かあってもすぐに逃げ出せるよう窓の鍵を外した。

「なぁんだ、やっぱりいるじゃん」

 開いたドアの向こうに立っていたのは、あの村で出会った女子高生だった。超能力を操り、巫女であり、探偵を名乗った、戯言虚有子とかいう少女。彼女は美折と同じ服を着て、美折の髪型真似し、美折のピアスをしていた。

「なにやってんだ、お前」

「なにって、心配してきたんじゃない。やっぱりホラーは刺激が強すぎたか」

「美折のフリなんかしてどういうつもりだよ。俺を馬鹿にしてるのか、それともまだなにかやらせようっていうのか」

 興奮して自然と怒鳴り声になる。近づいて来るなと怖がって吠える小型犬のそれだ。

「なぁにその言い方。ひょっとして、まだアトラクションに影響されちゃってるカンジ? 思ったより重症かも」

「それはアンタの方だろ! ここは因習なんてない、現実社会なんだ。殺人の罪を着せて俺をゆすろうって魂胆なのか? それとも人間を喰ったことを責めるつもりか? もしそうなら、こっちにも考えがあるぞ。あんたら村の連中が俺をはめようとするなら、全部ばらして村ごと道連れにしてやるからな。テーマパークなんてやってられるのも今のうちだッ」

 勢いに任せて目についた棚を引き倒す。何としてでも、暴力に頼ってでも、この女をどこかへやらなければ。悪夢から解放されるには、この女から逃げなくては。また知らないうちに流されて、手を汚すなんてごめんだ。

「俺は美折や来馬のように殺されたりはしないぞ」

「なにいってんの?」

 少女は呆れた仕草で大袈裟に溜息を吐いてみせる。

「来馬正巳は君でしょ」

「は?」

「雪原岳人という名前で民俗調査にやってきた大学生。そういう設定だったじゃない。役に入り込み過ぎて、自分のことも忘れちゃったの? 来場者と職員の匿名性を保つために、因習村テーマパークでは一切の身分と素性を偽ってアトラクションに参加してもらいます、ってね。村のなかでは本人以外の役を演じる必要があったから」

「そんなこと俺は知らない……来馬正巳は死んだ」

 いや、俺が本物の来馬正巳だったなら、あいつは、死んだ彼は誰だったんだ。

「死んだ彼は来馬正巳役をやっていたテーマパークの客だよ。名前は雪原岳人。今回は村人側として参加していた。君がテーマパークに誘ったんでしょ? 職員の招待枠を使って。テーマパークには匿名ルールがあったから、ふたりは名前と立場を交換して入場した。来馬君はお客役をやる職員として参加した。そういうロールプレイングだよ。どう、思い出してきた?」

「でも、俺には雪原岳人としての記憶がある」

「事前に彼のことを念入りに調べたからでしょ。親友として近づいて色々聞いて、生い立ちや経歴を事細かに調べて頭に情報としていれた。いやぁ、こんなに役作りに熱心だなんて、演者の鏡だよねぇ。こういうの憑依型っていうんだっけ。駄目だよ、ちゃんと現実に帰って来なきゃ」

 揺さぶられる。自分自身の根拠に自信がなくなる。自分が誰であるかの確信は、このちっぽけな記憶ひとつしか頼る物がないだなんて。

「今さら被害者面するために、雪原岳人の人格を装っても無駄よ。来馬正巳、あなたは村と儀式のために果たすべき役割がある。忘れてしまっては困るわ」

「役割?」

「そう……あなたは大事な不死会の一員なのだから。村のために、儀式のために、現人神である私のために。果たすべき大事な役割があるでしょう?」

 上郷美折を名乗る少女は告げた。

 その手にのせた鍵は浮遊してた。

 彼女は死んでいなんかいなかった。神の真贋は、死んだのちに復活してこそ確かめられる。彼女は他人の体を乗り継いでなお、その神性を保ち続けている。

 俺は彼女を崇めている。

 彼女の肉の恵みを受けて、その御恩に報いるために。あの味の対価を働きで返すのだ。

 また味わうために儀式は続けなければならない。そのために俺の役割があるのだから。

 彼女は命令する。俺は全身全霊で従う。

「新たな贄を探しておいで」

 美折は命令を下したあと、艶のある唇をぼくの耳元に寄せる。周りは誰もいない。ふたりきりなのに、壁や天井に耳があるとでもいうように、ぼくだけにこっそりと耳打ちをした。

「聞いてくれなかったら、私たちの秘密、ばらしちゃうかも」

 彼女は小さな子みたいに、悪戯っぽく笑ってみせた。

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