3 本祭をもりあげよう(5)

「宴もたけなわでございますが、みなさま、ここらで一旦ご馳走様といたしましょう」

 フルコースが行き渡り、美折のステーキに舌鼓を打ち終えた頃。頤村長が音頭を取って、みんなで手を合わせてご馳走様の大合唱をする。

「手を合わせてぇ」

 ごぉちそうさまでした!

 ひとりをみんなで分け合って、なんだかぼくも村の一部になってしまったように感じていた。自然と息もあって、この村のおかしな調子に合わせることも苦ではなくなる。これがもやい。これが村社会。共生を体で覚えた気がしていた。

「ウケ様の恵みに感謝して、我々は大地にお返しをしましょう」

 頤の一声で舞台の転換が始まる。あわただしく調理を行っていた村人たちが、調理場の火を落とし、鉄板を片付けて祭壇の模様替えをする。舞台上の大道具のように、数人がかりで運ばれてきたのは、ふたつの巨大な三方だった。登るための階段が付いており一見するとお立ち台のようだが、正方形の盆の下に台がつき、三面に穴が開いている形状は紛れもなく三方だといえた。

 注連縄で囲った空間に高さ三メートルはあろうかという巨大な三方がふたつ。ふたつの三方に挟まれて背景にみえるのは、隠し沢のあった聖地の山ではないだろうか。

「恵みに感謝を! 畑に肥やしを! 神に贄を!」

 ありがとぉ。ありがとねぇ。

 一斉に立ち上がった村人たち、ぼくも遅れて立とうとするがどうにもおぼつかない。食事で出されたアルコールが足にきているのだろうか。体が異様に重たい。

「恵みへの返礼品として、男女、雌雄一対のひとを捧げましょう」

 首を巡らしてみると、ぼくと同じく立つことのできないひとがもうひとり。あれはシェリさんとかいう、弐座の愛人だったはず。昨晩は妙な儀式に巻き込まれて辟易としている風だったが、今日は自ら進んで美折の肉を口にし、喜びに咽ていた。

 おかしいな。雌雄一対の人間。女と男がひとりずつ。まるでぼくたちのことを指しているみたいじゃないか。

 美折さんが言っていた。因習村の定番は人柱なんだって。観光客を呼び込むのは、村のなかから犠牲を出さないようにするためかもよ? って具合に。自分たちが損失を被らないように、無関係な人らを巻き込んで儀式に参加させる。因習村テーマパークという設定は、外から人柱を呼び込むにはうってつけなんだよ、って。

「さぁ、舞台へあがろう」

 にこやかな表情の来馬と白井が、ぼくの脇を固めて立ち上がらせる。これじゃあまるで、これからぼくが生贄にされるみたいじゃないか。

 ありがとぅ、ごめんねぇ。

 通り過ぎる村人たちが口々に感謝と謝罪を述べ、無遠慮に頭をひと撫でして手を合わせる。みな、その表情は朗らかで、罪悪感など微塵もないのだ。

 両脇を抱えられた宇宙人の構図で、抵抗もできずに引きずられていくぼくの体。三方の舞台脇には薪割斧をもった老人がいて、みぃつけたぁ! みぃつけたぁ! と耳障りな声量で繰り返し叫んでいる。ちらとシェリの方を伺うと、彼女もおよそ似たり寄ったりの状態だった。彼女は意識が朦朧としているらしく、焦点の定まらない眼で宙を見つめている。おそらくこれから自分の身に起こることの見当もついていないのだろう。

 階段を一段ずつひっぱりあげられる。何とか抵抗しようとするが、体の芯に力が入らない。鈍く痺れた体がもどかしく、やっと動いても指先が震えただけ。今さらになって、ぼくは食事に神経毒を盛られたのだと思い至った。一段ずつ、檜舞台へと引き上げられる。

 三方の盆にあがってみると、その工夫に気が付いた。村人たちが集まる正面の縁には、とある特別な仕様が施してあった。縁に半円形の窪みが付けられていたのだ。なにかを受けるために造られた凹みは、滑らかで丁寧にやすりがけまでされていた。なにか、とは、言うまでもなく首だ。生贄の首。これから切り落とされるぼくの首。

「な、なんで、ぼくが……」

「大丈夫、大丈夫。そんなに怯えるなって。最後まで楽しんでくれよなぁ、アトラクションのいっちばん盛り上がる所なんだからさ」

 来馬はぼくを跪かせ、首を窪みに押し当てた。首は固定されるまでもなく、窮屈な姿勢から抜け出す力もない。できることといえば、わずかに首を上下させることだけ。席に座ってぼくらへ視線を投げる村人たちが見えるだけ。彼らはぼくとシェリが位置に収まると、拍手で迎えた。

 さぁ、さぁ、さあ。

 異様な興奮に包まれた村人たちの、静かなお囃子がはじまる。けして声を張り上げず、低い唸りのように合唱する。仰々しい仕草も、難解な呪文もない。待ちわびる視線だけが連なっている。殺せ、殺せといっている。血を流せと目が語っている。

 さぁ、さぁ、さあ。

 薪割斧が地面に擦れる、ざりざりという音が迫る。階段を登ってくる、こっちじゃない。シェリの側だ。

 首を回すと隣の様子が伺えた。シェリの白く、長い首に清めの水がかけられる。よく冷えた水だったのだろう。彼女の体が震え、意識がはっきりと引き戻されたようだ。状況が呑み込めず起き上がろうとするが体は動かない。眼玉だけを必死で回して状況を探ろうとしている。

「あぁ……いッ、ぁ……」

 喉が痙攣して声が出せない彼女。小さなうめき声だけがこぼれる。

 薪割斧が偽弐座の手に渡る。彼はわざとらしく彼女の目の前に斧をかざしてみせ、これから起こる事を予感させた。

「安心して、何の心配もいりません。例え肉体が滅びようとも、魂は滅びない。換魂の儀を受けたあなたがたならば、魂が体を乗り換えて生きることができるのです。痛みは一瞬。愛着のある体を切り別れるひとときの切なさでしかありません。再び意識の覚醒を迎えたならば、生の喜びを思い出すでしょう」

 頤がぼくらへと説明をするが、そんなものは設定に過ぎない。この村の空想上の設定だ。ウケ様の儀式も、換魂の儀による乗り移りも、なにもかもが嘘でしかない。首を切られたら死ぬ。肉体が死ねば魂だって消えてなくなる。生命は設定じゃないんだ。

「怖がらないで。意識することは、切られる前に体を飛び出ようとすること。飛び込みの意識です。高い所から水面にむかって、思い切りよく飛ぶこと。中途半端にためらってしまうと危ないですからね。肉体の死に魂が巻き込まれてしまう。大切なのは思い切り、それだけだ」

 空虚に響く設定の説明。

「やめろ、やめろ……それは人殺しだ」

 現代社会最大の禁忌。人が人を殺してしまうこと。それすらも思い切りで乗り越えようとしている。

 いいや、ここは因習村だ。因習村の時空に呑まれている。だから殺人は禁忌ではないし、食人も禁じられてはいない。殺す側に抵抗や罪悪感は小さく、仕来りによる言い訳が担保されている。ここでは当たり前のことになってしまっているんだ。彼らは、村人たちは、思い出さなければならない。現在は二十一世紀で、日本の倫理観では殺人も食人も認められてはいない。人柱なんて因習はもってのほかだということ。祭礼の重さのためだけに、血を流すなんて愚かなことだ。

「やめろッ」

 ぼくの声は届かない。斧を振り上げた処刑人にも、設定に酔った村人たちにも。いつの間にか現実と演技が入れ替わってしまったんだ。魂を乗せ換えるように、現実世界の自分と因習村の登場人物とが裏返ってしまった。

 さぁ、さぁ、さあ。

 見ていられなくて目を瞑った。

 コーンッ。

 斧が三方の床板に打ち付けられた小気味いい響き。その直前に、ザラリとした水気のある雑音が混じったことを、ぼくの耳は聞きのがさなかった。

 観衆から感嘆のため息が漏れる。視なければいいのに、首を向けなければいいのに。ぼくは恐る恐る瞼をこじ開け、隣を伺ってしまう。

 血が。蛇口を閉め忘れた水道から、赤錆びた水が勢いよく噴き出している。ぼとぼと、濃度の濃さが音越しに伝わる。その赤い水溜りを辿ると、溺れるように沈んだ首があった。張り付いた髪で顔はうかがえない。

「ありがとう!」

 ありがとぉ。

 村人たちが叫ぶ。私たちのために死んでくれてありがとう、と。

「彼女の命はウケ様のもとへ捧げられました。豊かさのための礎になりました。彼女の肉は大地に還り、土を豊かに、畑を肥やして、我々を潤してくれることでしょう」

 ありがとぅ。

「さぁ、耕せぇえ」

 無造作に彼女の死体が三方のうえから投げ捨てられる。砂袋のような重たさが地球に引かれて落っこちる。鍬をもった村の青年団が死体の元へ集まってくる。おもむろに担いだ鍬を振り上げ、死体に振り下ろした。

 そぉーれっ、ジャクッ、そぉーれっ、ジャクッ――。

 男たちは掛け声とともに、土を耕していく。死体とともに。

「今年はここを新しい畑として拓こう。良い土になるよう、願いを込めて鍬を振るってくれ」

 肉が錆びた鍬で細切れになって、押し固まっていた土と混ざっていく。骨も、肉も、内臓も。原型がなくなるまで、何度も何度も鍬が振るわれる。地面の一角が赤黒く染まったころ、ようやく彼らは満足して列に戻る。すっかり耕された地面にはもう死体はない。人間だったものが小さくなって混ざっているだけだ。

 どん、と気が付けばぼくの顔の隣に斧がやってくる。来馬が斧を握って、スイングの練習をするように狙いを定めて斧を上下させる。

「ぼくのことも殺すのか」

「なにいってんだ、本当に殺すわけないだろ? トリックだよ、トリック。そんなに怯えるなって。この三方には仕掛けがあって、作り物の死体と入れ替わるようになってるんだ。ビビり過ぎて失神するなよ、あとの介抱が面倒になるから」

 さぁ、さぁ、さあ。

「それでは彼にも感謝を。ありがとぅ!」

 ありがとう、ありがとぉ。

 村人たちが唱和する。お前も死ねと。

「大丈夫だ。すぐに終わる。ちょっと痛いかもしれないけどな。いくぞぉ」

 来馬が斧を振り上げる。外すことはないだろう。ぼくは抵抗することもできずに項垂れた。

 大丈夫、これは催しだ。設定だ。アトラクションだ。作り物だ。なにもかも終わったら、ドッキリ成功のプレートでも掲げた美折がひょっこり姿を現すに違いない。茶番なんだ、茶番なんだから。

「ありがとぉ」

 来馬の掛け声とともに、振り下ろされる気配があった。



「さぁ、耕せぇえ」

 ふと気が付けば、ぼくは三方のうえから死体が耕される様子を見下ろしていた。一瞬気を失っていたような、奇妙な空白がある。嫌な感じがして首を撫でるが、ちゃんと繋がっているし傷もない。よかった、やっぱりトリックだったじゃないか。アトラクションなのに、必要以上に怖がり過ぎた。あとになって来馬には揶揄われるだろうな。恥ずかしい所をみられた。

 ぼんやり儀式の畑作業を眺めていると、違和感を覚えた。耕されているのは二か所あり、ひとつはシェリの分で、もうひとつはぼくの分。もちろん死体は偽物だったわけだけど。しかし、鍬を振り下ろされるぼくの死体をみているとおかしなところがある。もちろん偽物だからおかしくて当然なんだけど。どこか見覚えがある気がするのだ。背格好やまだ鍬の入れられていない頭部に既視感を覚える。

 そぉーれっ、ジャクッ、そぉーれっ、ジャクッ――。

 地面が揺れて頭部が転がる。後頭部を向けていた頭がその表情をみせる。

 そいつは雪原岳人じゃなかった。

 いや、ぼくじゃないのはアトラクションなんだから当たり前だ。問題なのは、そいつがぼくの知り合いだったことだ。

 死体の頭部は、来馬正巳のものだった。

 ぼくの首に斧を振り下ろしたはずの来馬正巳の首が、なぜか転がっていた。

 よろよろと、おぼつかない足取りで頭の元へと歩み寄る。畑仕事の鍬を押しのけ、来馬の頭を間近で見下ろす。首の断面は荒く、骨が潰れている。斧の切れ味がよくなかったのだろう。首を切るまでに何度も何度も振り下ろされたことが伺える。あるいは首切り役が下手だったのか。首は樹脂などの作り物には思えない。蒸発する血の生臭さや細かな肌髪の質感。人間としての質量が宿っている確信があった。

「来馬?」

 この首はどうにも本物臭い。

 儀式の邪魔をしたことで、困惑した青年たちが一歩二歩と距離を開ける。

「あぁ、人殺しだぁ。人殺しがいるぞぉ」

 突如、叫び声があがった。おどけたような、悲鳴のような、狂気を孕んだ奇声だった。

 人殺し? 人殺しってなんだ? これはテーマパークで、トリックのある演技なんだろ? それにこれはお前たちが始めた儀式じゃないか。

「人殺しだぁ、逃げろお、殺されるぞぉ」

 村人たちが指を突きつけ、蜘蛛の子を散らすように走り去る。

 その輪の中心にいたのは、指をさされていたのは、ぼくだった。

「これって、一体なんの冗談だよ」

 ぼくの右手に固く握られていたのは、血のついた斧。今しがた首を切り落としたばかりかのように、血しぶきと肉片とが張りついた、来馬が構えていたはずの薪割斧だった。

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