2 宵宮祭をたのしもう(2)

 今や時計程度にしか役立たないケータイの画面を見ると七時過ぎ。美折の後を追うべく、公民館の方へ足を向ける。神社のある北側の山へ上る方とは真逆の、村の中心部へと下って行く。日が沈むのも早ければ、朝日が昇るのも遅い瑞尾村は、未だに大部分が山陰に覆われて薄暗い。すれ違ったトンボの羽ばたきが聞こえるほど静まり返っている。家屋に近づくと、朝餉の支度が聞こえてくることも。辺りを見回すも、人影らしいものは見当たらない。

 公民館まではあっさり着くと思っていたけれど、思いのほか遠く、水路に沿って既に二十分は歩いている。コンクリートの一本道のほかは、畦道だから間違ったり迷ったりはしないはずだ。どこで何をしているのか、美折の気配もない。車を動かすという話だったが、そもそもキーはぼくが持っている。昨日はちゃんと鍵をかけた記憶がある。着替えを取り出そうにも、運転はおろかドアを開けることもできないはずだ。

 ようやく公民館がみえてくるも、美折はいない。車も確かめるが、鍵はしっかりと閉まっており、開けられた様子はない。

 道端ではたと立ち止まる。彼女の身に何かあったのではないだろうか。嫌な妄想が頭をかすめる。昨日の老人のような不審者が村内を徘徊していて、背後から薪割斧で襲われたら。妄想が昨晩の記憶に結びつき、フラッシュバックが頭痛となって襲いくる。

 頭が痛い。眼の奥にガラスの欠片が埋め込まれている気がする。

 鋭い痛みが鼓動に合わせて疼く。

 鼻の奥に匂いが。濃い、生の、血と、興奮の――。

「君、大丈夫か?」

 背後から肩を掴まれる。

 押し込んでいたイヤホンを剥ぎ取られたように、急激に外の世界が取り戻されていく。

 体ごと跳ねさせて振り向くと、スーツを着込んだ男性がいる。確か弐座とかいう来訪者のひとりだ。

 まだ朝も早い時間だというのに、髪はきっちりジェルで固められ、皺のないスーツは隙の無さを表しているようだ。天王寺の話ではなにかの研究職という話だったか。ダークスーツに黒いシャツ、赤いネクタイに黒い手袋とみると、どことなくマッドな上にコスプレ臭が漂う。

「体調でも悪いのかね?」

 再び尋ねられ、ぼくは何とか折り曲げていた体を引き起こす。

「平気です。ちょっと思い出しただけですから」

「確かに! 昨日のアレは刺激的な催しだったね。ハハハ」

 ぼくの顔色と公民館の場所から、惨劇に思い至ったのだろう。彼は山の静謐な朝を掻き消すようにわざとらしい笑い声をあげる。海砂利の頭が割られたことなど、毛ほども気にしてない様子だ。

「弐座さん……は、なんともないんですか?」

「おや、自己紹介をしていたかな」

「天王寺さんに聞きました」

「そういうことだったか。私は弐座武秀にざたけひでという。私も君の名を知っているよ、雪原岳人君。君が気にしているのは海砂利君が殺されたことを言っているのだろう。結論から述べてしまうと、君の懸念はまるで的外れだ」

 弐座は大仰な身振りで話をする。人差し指を立て、劇っぽい仕草の先生らしさで以て間違いを指摘する。胡散臭さが服を着ているような男だ。天王寺から感じたものとは、またベクトル違う怪しさを感じる。

「どういうことです?」

「見分けがつかなくとも無理はない。彼の人頭はほとんど本物なのだから。技術の進歩とは恐ろしいものだね。あるいは騙しのテクニックだろうか。脳髄や肉、頭蓋骨は3Dプリント、あるいは動物のものを加工すればそれらしくできるだろう。なにしろ顔面は真っ二つに割られて、おまけに血まみれだ。きちんと顔を判別できた人間はおそらくいない。それにあの、あからさまなミスディレクションだよ。老人に玄関で暴れさせ、注意を引きつけている間、海砂利君に意識を割いていたものはいるか? いないだろう。彼の頭が偽物とすり替えられていたところで、我々は気付けなかっただろう。考えてもみたまえ。村人たちは皆、仕掛け人なのだよ?」

「偽物……偽物ですか。言われてみれば、そう、かもしれません」

 弐座の言葉を全面的に信じたわけではないが、ぼくもあれが本当に海砂利だったのか確認をしたわけじゃない。ミスディレクションのことも、村人が仕掛け人だという話も、言われてみれば腑に落ちる。どうにもテーマパークという前提が呑み込めていないらしい。

「もっとも、それ以外にも理由はあるがね。君は昨日到着したばかりなのだから、私のいう意味がわからないだろう。その上であえて言うが、あの場で酔いつぶれていたのは、海砂利君ではないのだよ」

「偽物の死体と入れ替えられた、という話ではないですよね」

「もちろん違う。彼は死ぬ前から、宴会が始まる前から彼じゃなかった。海砂利君は昨日殺されたことになっているが、彼は死んでいないし、殺されてもいない」

「それはそうでしょう。割られた頭は造り物だったのですから」

「ハハハ、いずれわかるよ。それより君はこんな所でなにをしていたんだい? 昨日の今日で、逃げ出そうというには十分に楽しめていないんじゃないか?」

「連れを探していたんです。上郷美折という、ぼくと一緒に来た女子大生なのですが」

 ぼくは美折の外見的な特徴を伝えた。昨日から着ていたインディーズ・バンドのロングTシャツと、山を舐めた丈の短いショートパンツ。ピアスを開けまくり、不健康な肌色の大柄な美人。この辺りを歩いていれば嫌でも目に付くはずだ。

 弐座はその面長な顔に手を伸ばし、思案する振りで髭のない顎をなでる。

「彼女を見かけたかもしれない。私は村長の家に厄介になっているのだが、家の窓からそれらしき人影があちらへ」

 弐座が示した方向は、白井の家から公民館へ向かう方向とは直角にずれていた。

「あっちには何かあるんですか?」

「なにがあるかといわれると困ってしまうな。私の知る限りは何もない、と答えよう。強いてあげるならば、村の境界があるだろうね」

「村境……」

 ぼくが白井から忠告されたように、美折も釘を刺されたのかもしれない。村境には行くな、と。ホラー好きな彼女のことだ。タブーは踏み越えるためにあるとすら思っている。入るな、触るな、出歩くな。これらのタブーを侵した登場人物たちがどういう末路を辿るか、知らぬわけではないだろうに。ホラー作品に慣れ親しみ過ぎたせいで、禁忌を単なる舞台装置のひとつとしか考えられなくなっているのかも。

 ありえる話だ。アトラクションの乗車券を得るために。テーマパークの大掛かりな舞台装置を動かすために。彼女自ら侵し破るつもりなのだ。ただ単に、子供っぽい好奇心に駆られてしまったせいではないと思いたい。

「なにやら心当たりがありそうだねぇ。村境から出るな、とでも言われたかな?」

「弐座さんも忠告を受けたのですね」

「村長から直々に。村のなかでは好きにしていいが、外にはでるな、とね。理由は濁されてしまったが。雪原君、君はどう思うかね。あからさま過ぎると思わないか?」

「ホラー的に考えると禁忌はお約束ではありますけど。遭難や野生動物だとかも、あながち嘘でもないと思います。でも……」

「彼女のあとを追いかけるかね」

 弐座の問い掛けに、はっきりと頷いた。どうあれ、彼女を追わない選択肢はない。

「よろしい。では、共に行こう。今日の助手は雪原君に決定だ」

 言うが早いか、弐座はレンタカーの助手席に乗り込んだ。わざわざ車を運転して移動しろ、ということらしい。動かさねばならなかったから、ついでではあるのだけど、どうにも図々しいひとだ。

「助手って、一体なんの助手ですか?」

「無論、私の研究の助手に決まっているだろう」

 設定かも知れないが、弐座は研究職という話だったか。演技らしさを感じないというより、胡散臭過ぎて、逆に様になっている。フィクションの影響だろうけど、こういうマッドな方向性のドクター的キャラクターに違和感はない。

「弐座――先生? の専門分野はなにをなさっていらっしゃるので?」

 渋々運転席に座りながら、彼の会話に調子を合わせる。他人と会話していると、ついつい雰囲気に呑まれがちになる。ぼくのどうしようもない性だ。

 弐座はにやりと、意味深に笑みをつくる。

 ここだけの話だ、と声を潜めて内緒の話。

「超能力だよ」

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