神の贋作は目を向ける -3

 ミサは、教会という場所において重要な儀式の一つである。ヘロンベル教会のお膝元であるヴィカーノ皇国ではなおさらの話で、こうして祭司の手伝いで借り出されるのも侍従役の務めだった。

 それはもちろん侍従役になった時からわかっている話であり、エヴァ自身が不満に思っているなどではない。

 ただ、問題は。

『あれがなんでいるの』

『本当、役立たずのくせに』

『もっとましなのはいなかったの?』

 かなり鋭い言葉が、エヴァに刺さっていく。もしエヴァは今のすべてを聞いていたと知ったら、目の前のシスター達はどんな反応をするだろうか。

(まぁ、私がこの声をすべて聞いているなんて夢にも思わないでしょうから……)

 わざとではなく、またこのマーレット教会の分所という場所である以上仕方ないと言ってしまえばそれまでだ。前院長と現院長の派閥でシスターが対立しているからこそ致し方ない事で、だからエヴァは反応をしなかった。

(それに、元々いつもの事だった)

 マーレット教会の中で、むしろこういった言葉がエヴァにとっての普通だ。そのはずなのに、あのシスター達の言葉はエヴァを突き刺していくようなそんな感覚があった。

(心当たりは、ある)

 こうなった、理由について。

 エヴァにとって、今まではこういった刺さるような言葉達が普通だった。しかしそれは、あの偽者祭司であるリベリオが現れた事ですべて変わった。人の心に対する感じ方も、聞こえ方も。だからこそ久々の感覚に、少しびっくりしたというのが今のエヴァを表すのに正しい状態だった。

(――あぁ、なるほど)

 もしかすると、こういった事に対して変わっているという言葉を使うのだろうか。

 リベリオがいない以上答えはもちろんわからなかったが、多分この考えが正解にもっとも近い事だろう。

「先生……私も、ずいぶんと変わったようです」

 言葉にしてみると、それはいっそう自覚できるものだった。神の真似事であり贋作に過ぎない自分がこんな感情を持っていいのかという後ろめたさはあったが、同時に正体のわからないむず痒さもある。なんだか、それがエヴァには珍しく心地よくも思えてしまった。本当におかしな話だと、また考えてしまう。

「エヴァ、こっちのゴミがまだなんだけど」

 他のシスターが態度の大きい辺りは、どうにかなってほしいと思っているが。

 マーレット教会に早く戻りたいと考えながら、肩を落とす。

「ちょっとそこ、なにエヴァを仲間外れにしてんのさ」

「えっ……」

 そんな時だ。予想外の声に、エヴァの手がつい止まってしまった。

 エヴァの前に立つように現れたその人物は、呆れたように肩を落としながらシスター達を睨みつけている。シスターコーラル、その人物の存在や発言力は分所であるこの場所でも健在で、コーラルの姿を見ただけでその場にいたシスター達は口を噤んでしまった。

「そもそもここの掃除、あんた達の……今日は確かサリの持ち場でしょ。エヴァは私と同じでミサの手伝いにきているの、掃除させるためじゃないよ」

「こ、コーラル……」

「っ、行こ」

 なにも、言い返す事はできないらしい。

 その場のシスターは全員悔しそうな表情を浮かべると、逃げるように立ち去ってしまう。他よりも身長の小さいサリと呼ばれた彼女は歩幅が小さい事もあり置いていかれていたが、去り際にシスターらしからぬ悔しそうな顔を向けていたため、エヴァもそれにはつい肩を揺らした。

 そんなシスター達が角を曲がり姿が見えなくなると、申し訳なさそうにコーラルはエヴァの方へ目線を移す。

「悪いねエヴァ、ここはどうも面倒なのが多いみたいで」

「いえ、慣れているから大丈夫」

「いや、慣れちゃだめだろ……」

 心配そうな視線と声を向けられたが、どこがだめなのかいまいちわからなかった。

(やはり、コーラルは悪い気がしない……心の声からも、やましいものは今のところ聞こえないし)

 口にはせずとも、そんな事を考える。

 しかし同時に脳裏を過ったのは少し違う事だ。

「あの、コーラル」

「んー?」

「なぜコーラルは、私にも平等に接してくれるの?」

「なぜって……」

 一瞬、鉄砲玉をくらったように目を丸くする。

 だがすぐに、楽しそうにコーラルは目を細めていた。

「理由なんて必要ないだろ」

「それ、は……」

 どこかで、聞いた言葉だった。

「もちろん、私だってエヴァの言われようとか立場は知っているさ。けどだからと言って、それをエヴァ個人の評価をするために使っていい理由になるか?」

「ならない、けど」

「でしょ、だから簡単な話だし、私はそれだけの理由でエヴァに強く当たったりしないよ」

『そもそも、それだけで人に当たるなんて心の小さい奴だろ』

「っ……」

 コーラルの言う通りだった。けど、そんな言葉をかけられ慣れていないエヴァには、どう返すのが正解なのかわからなかった。

(その、心が小さい方々の言葉しかむしろ聞いた事がない……)

 そう思ってしまう自分も、なんだか心が小さいように思えてきて目を伏せたが、コーラルは構わず言葉を続ける。

「けどこれさ、祭司様も同じだと思うんだよね」

「リベリオ様、も……?」

 突然出てきた名前はエヴァも少し想定外で、上ずった声が出てしまった。

「だってエヴァ、祭司様と仲いいじゃん?」

「そんな、仲がいいなんておこがましい」

 共犯関係である事は、もちろん黙っている。

「祭司様にそんな言葉を言われた事ないでしょ、二人がどんな経緯で仲良くなったかなんて私は知らないけど……元々人と人が普通に接する事に、理由なんていらないんだよ」

(コーラルの言っている事はほとんど理想論……あぁけど、確かにリベリオ様は)

 思い出したのは、リベリオが教会にきて間もない頃。侍従役を与えられた時に、なぜ目をかけるのかと聞いたエヴァに対し投げられた言葉。


――誰かに対し目をかける事に、理由は必要か?


(……リベリオ様も、コーラルと同じなのでしょうか)

 エヴァには、なにもわからなかった。

 人の心の声が聞こえるはずなのに、それなのにエヴァにはなにもわからない。改めて、この能力の無力さを実感する。

「……コーラル、ありがとうございます」

「お礼を言われる事はしていないけどな……まぁ、エヴァのなにかになったなら、よかったよ」

 お上品とは程遠いが、それでも等身大のコーラルらしい笑い方だった。

 久しぶりに見た同僚の表情を見ていると、ふと遠くから慌てた様子の足音が近づいてくる。

「コーラル!」

「ねぇコーラル助けて!」

「……お?」

 エヴァとの話を遮るように、コーラルを呼ぶ声が聞こえた。

 それに反応するように声の方へ二人顔を向けると、数人のシスターが今にも泣きそうな顔で近づいてきていた。どうやらエヴァを気にするほどの余裕もないらしく、必死に言葉を選んでいる様子だった。

「なんだ、どうした」

「あの、あのねコーラル」

「だか、落ち着けって」

 気が動転しているようで、言いたい事は伝わってこない。しかしエヴァの耳にははっきり、心の声が届いていた。


『サリが、シスターサリがさっきまでいたのに突然いなくなっちゃったよ!』


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