神の贋作は目を向ける

神の贋作は目を向ける -1

「神よ、どうか私の赦しも聞いてはいただけないでしょうか……」

 深い溜息と共に、エヴァは誰もいない昼間の告解部屋でそんな言葉を落とした。

 今のエヴァは、傷心なんて簡単な言葉で済む状態ではない。それは、なにより数日前の事が原因で。

(仮にも、リベリオ様は上司……)

 そんな上司に頭突きをしたのだ、懺悔以外のなにものでもない。

 項垂れながら、また深く溜息を落とす。誰が聞いているわけでもないそれだったが、元より告解部屋は神が話を聞く場所。そう思えば、今こうしてエヴァの話している声も神にしか届いていないはずだ。

(まぁ、贋作である私の声が神に届くものなのかはわかりませんが)

 自虐的に、ついそんな事を考えてしまう。

「……戻りましょう」

 ずっとこの場所に閉じこもっていたい気持ちも大きかったが、それをしてはただのサボりになってしまう。

 それはそれで侍従役という役割を与えられた以上避けたく、しぶしぶではあるが重い腰を上げながらゆっくりとドアを開けた。外の廊下に他のシスターがいないのを確認して、ひと安心。人がいたら告解部屋から出てきた理由を聞かれ、厄介な事になるから。

(それに、今一番会いたくないあの方がいたら)

 頭突きを受けた被害社であるリベリオとは、この数日避けていたわけではなくお互い忙しく会っていなかった。

 しかしどれだけ忙しくともエヴァにちょっかいを出しにきていたリベリオがこないとなると、やはりあの頭突きの事を思い出してしまいまたエヴァは肩を落とす。

「あぁいた」

 考えすぎて、幻聴すら聞こえてしまう。

「おい、シスター」

「えっ」

 明らかに呼ばれて、今のが幻聴ではないとわかる。

 すっ頓狂な声を出しながら顔を上げると、そこには見慣れた顔があった。

「やはりここだったか」

 問題の相手、偽者であっても肩書き上で上司になるリベリオが腕を組みながらこちらを見ていた。やはり、という言葉からエヴァを待っていたのは容易に想像ができてしまう。

「……ごきげんよう、リベリオ様」

「いまさら挨拶しなくてもいいだろ、早く行くぞ」

「行く、と言いますと?」

 今日はなにか約束をしていたわけでも、外に行く用事があったわけでもない。だからこそどこに行くのかわからずにいると、そうか、とリベリオの方から言葉を続けてくる。

「まだ話を聞いていなかったか……近くの分所で祭司の怪我や体調不良が重なったらしくてな……今日ミサの予定だったのだが、人手が足りないという事で手伝いに呼ばれた」

「なるほど、ですね」

 よくある話だと、思った。

 そもそも祭司の数は、年々減り続けていると聞く。そこになにかしらで休みが重なってしまうとミサや布教活動にも大きく影響が出てくる。そういった時に他の教会から人を借りるのはよくある事で、分所という小さい教会ならそれはなおさらの話だった。

「ご一緒すればいい、という事ですね」

「あぁ、頼む」

 そんな簡単な会話を交わして歩いて行くと、他のシスターとすれ違う度にリベリオは祭司の仮面を貼り付ける。コロコロ変わって器用だなと言うのがエヴァの感想だったが、今はそんな事も言えないからと目的地の分所について考えていた。

(マーレット教会の分所という事は、旧市街のあそこですね)

 少し離れた場所にある旧市街の教会は、スラムより遠い事もあり街の教会へ足を運ぶのが難しい信者に向けて作られた場所だ。

 若干小高くなった場所に位置するその場所はシスターの数もマーレット教会の半分ほどで、集会をするにもひと苦労。よく教会のシスターも、この場所に手伝いに行っているのは聞いている。

(役立たずの私には無縁の場所とばかり思っていたけど……)

 歩くとそこまで距離があるわけでもなく、それでもかなり近いかと言われるとそこまでではない。微妙な場所に位置するそこまで行くのは、体力のないエヴァでも難しい話ではなかった。

 しかし、問題は。

「……」

「……」

 これ以上、今のエヴァとリベリオが話を広げる事ができないという点だった。

 エヴァもあえて顔を向けないが、この状況からしてリベリオも気まずそうな表情をしているのは想像ができてしまう。お互いに、あの数日前の話を引きずっていたのだ。門の外に出た瞬間、二人とも黙ってしまう。

(どうしたものでしょうか……)

 エヴァには会話の引き出しがあるわけでも、愛想があるわけでもない。ましてや人との関わりが薄いエヴァにとって、気まずい空気を和ませるようなスキルは皆無だった。

 そもそもの話、リベリオに話を振るにもエヴァはリベリオの事をなにも知らない。なにが好きで、なにが嫌いか。音楽は聴くのか。あくまでも共犯である自分達がそういった友のような会話をする事は今までになく、だからこそ困ってしまう。もう少し、彼に話を聞くべきだったのだろうかと。

(いえ、あくまでも彼は潜入できた偽者祭司……どうせ、すぐいなくなる……いなくなるのに)

 それを考えると、どうしてだか胸が苦しくなる。この感情の名前が、エヴァにはわからない。どこからきているのか、どうしてこんな風に自分は思っているのか。

 それがわからず、だからこそエヴァはそっとリベリオの方を盗み見る。反則だと、だめな事だとはわかっているけど、この状況で話の口実を見つけたかったから。

 しかし聞こえてきたのは、どうしてだか困っているような声音で。

『シスターとの距離感がわからなくなった……』

(え……?)

 なぜ今、距離感の事を考えているのだろう。

 突然の事で、聞いておいた本人であるエヴァが驚いてしまう。しかし今のリベリオにはエヴァに聞かれているかもしれないという考えがないようで、口元をもごもごと動かしている。

『いや確かに、あれは俺が悪かったが……なんであんな態度を取ったんだ、なにやってんだよ俺』

 態度と心の声は完全に一致していて、その上普段より弱気にも感じた。声が聞こえてしまうのを忘れているのか筒抜けで、それがエヴァには面白く思えてしまう。だから、気づくと口元を手で隠していて。

「ふふ、ふふふ……!」

 つい、本当に自分でも驚くくらい笑っていた。

 自然と出たそれは愛想笑いと違い、表情を貼り付けたわけでもない。心の底から零れ落ちた笑いに、最初リベリオは驚いたように目を丸くしていたがすぐ楽しそうに頬を緩める。

「……シスターも、そういう風に笑うんだな」

「失礼ですよ、リベリオ様」

 本当に、失礼極まりない。

 顔をしかめているとリベリオは悪い、と心にも思ってない事を言いながら笑っていた。本当に悪いと思っているのかと聞かれるともちろん答えはノーで、つい目線を逸らした。

 そんなエヴァを見て、なにを思ったのか。

 さっきまで貼り付けていた人の良さそうな表情を剥がしたリベリオは、そのままエヴァをじっと見つめてくる。

「……シスターエヴァ」

「はい……?」

 名前まで呼ばれて、エヴァも目だけを向ける。

「あまり、気に病むな」

「それは――頭突きをしてしまった事に対してでしょうか?」

「いやちがっ、いやそれもだが、違う!」

 冗談です、と笑ったがどうやら冗談には聞こえなかったらしい。

「どうせシスターの事だから、あの子どもの母親の声を聞いた事で沈んでないかと思っただけだ、俺の早とちりだったがな……」

「っ……」

 なるほど、と純粋に思ってしまう。

 リベリオがエヴァを気にかけているなど、想像すらしてなかった。だからこそエヴァも少し気恥ずかしくなり、そっと溜息を一つ。

「少しだけ……いいえ、実はかなり気にしておりました」

 言葉を選びながら、目線をそっと落とす。

「私は彼女の声を聞いていたのに、それを救う事ができなかった。神の真似事や贋作でしかない私にとっては、聞く事しかできませんから」

 それは、ずっと前からわかっていた事だ。

「今まではこんな事を思わなかったのに、不思議な気持ちです」

「それは――シスターが変わった証拠だ」

 また、同じ事を言ってきた。

 自分で自分がどのように変わっているかは案外わからないもなで、つい首を傾げる。変わったとは、どういう事か。

(……いえ、それを自分で見つけないと、意味がないから)

 聞こうとした言葉を、そっと飲み込んだ。

 普段通りに戻った二人の歩幅だけでいいと思えるエヴァは、そう思える事にも不思議な気持ちになっていたが、それよりも今の彼女は迷子にならないよう道を見るので精一杯だった。

 きた事のない道は、迷いやすい。

 それはスラムや旧市街と縁のなさそうなリベリオも同じはずなのに、エヴァよりも迷う様子を見せずすたすたと歩いて行く。

「ここからが、旧市街だな」

 建ち並んでいた建物もずいぶん褪せたそこは、リベリオの言う旧市街への入口だろう。

「そういえばシスター、今日行く分所だが……シスターには少し居心地が悪いかもしれない」

 足を止めず、突然そんな話を切り出される。

「悪いと、申しますと?」

 行ったこともないはずなのに、なぜその事がわかるのか。

「あそこは、ほとんどが現院長派だ」

「……なるほど」

 無駄に説明をされるより、わかりやすい内容だった。

 リベリオの心配はその通りであり、ほとんどが現院長派となってしまうと確かに肩身が狭い。しかしエヴァはリベリオの思っているほど弱い性格ではなく、最近は少なくなったがマーレット教会でもそういった扱いを受けていた。本人としては、そこまで心配されるような事ではない。

(リベリオ様と出会ってから、私も立場が変わりましたので)

 そんな事は、口が裂けても言わなかったが。

「なにがおかしい」

「いえ、なにも」

 表情には出していないのに、またリベリオには考えている事がバレたような感覚だった。

「ところでリベリオ様、その分所はどちらにあるのでしょうか?」

「それはもうすぐ……あぁ、あった」

 角を曲がった、開けた道。

 そこにあったのはマーレット教会ほどの大きさではないにしても、それなりにしっかりした造りの教会だった。ご丁寧に門にはマーレット教会分所の文字があり、間違いではないらしい。

(もしかしてリベリオ様、一度きた事がある?)

 偽者なのに、とは言えなかった。

「俺は少し分所長に挨拶をしてくる、シスターは準備を」

「はい、承知しまし――」


「あれ、エヴァじゃん」

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