神の贋作は無垢に触れる -5

 マーレット教会周辺のスラムは、ここ数年皇国内でも治安の悪化が懸念されている地域の一つでもある。

 移民でも街に住む事ができるのは一握り、教皇の救いの手を求めてやってきた貧困層の大半は、このスラムに流れ着いてしまう。神に救われたいと集まった人々は、信者問わず結局は救われない人ばかりなのだ。それでも神や教皇に救いを求め、今日もスラムの人々は増え続けている。

「けど、それにしてはかなり人数が増えている……」

 最後にスラムにきたのは、エヴァも前院長の付き添いでかなり前の話だ。

 その当時も人は多かった印象だが今はその倍はいるため、驚いてしまうばかりだった。

 そんな場所で人探しなど、かなり無理があるなと後悔をしている自分もいる。

「ところでシスター、その子ども達が誰かは知っているのか」

「いえ、存じ上げません」

 あまりにもあっけらかんと言い放ったエヴァに、リベリオは一瞬驚いた様子で目を丸くしている。

(役持ちではないシスターは、子どもと接する機会も少ないですからね)

 そんな様子を横目で見ながらも、エヴァはすいすいと前を進んでしまった。服が汚れる心配もあったが、そんな事を心配する時間はない。近くにいた子どもの顔を手当たり次第に覗き込みながら、小さく肩を落とす。

「今私ができる事は、こうしてそれぞれの顔を見ながら声が聞こえるか確認をするだけです……顔は覚えてなくとも一回でも見た事があれば声が聞こえますので、それを頼りに探すしかありません」

「そうなのか……」

「えぇ――ほら、そこまで万能ではないですよ」

 興味津々でエヴァの行動を見ているリベリオに、エヴァは少しだけ頬を緩める。普段固い表情も自虐的に笑うと案外動くもので、それは本人が一番驚いた。

 この能力が、顔を一度見ずとも使えたらどれだけ楽だろうか。そんな事を考える反面、それはそれとしてエヴァに無差別で心の声が聞こえる事になってしまうため、かなり無理がある。やはりこれが一番かもしれない、というのが今のエヴァが行きついた結果だった。

「けど、やっぱり見つかりませんね……」

 子どもなら、少し歩けばたくさんいた。

 しかしそれが問題の子どもである確証はなく、実際にどの子どもも聞こえてくるのはまったく別の声ばかり。あといるとすれば、それは乞食やひったくりを隙あらばしようとする子どもだけだ。

「……」

『しかし、なんて状態だ……』

 スラムの現状を見てなのか、リベリオは顔をしかめている。確かにリベリオの言う通り、今のスラムは目を当てられないものであったから。

 リベリオの目線の先には親を亡くしたのであろう子どもで、布切れ同然の服をまといながらゴミ箱を漁っている。

(……乞食、窃盗、殺人や強姦……どれも、この街の深刻な問題ですが)

 心の声も表情の通り悲観的なもので、エヴァは目線を逸らした。リベリオの心の声はかなりはっきり聞こえてしまうからこそ、その声はのしかかるような重さがある。

 リベリオの心の声とは違い現状に心を痛めないエヴァは、神から見てどう思われるのだろう。

 神はいつだって見ている、エヴァの心もリベリオの心も。

 そんな我ながら情けない気持ちに蓋をすると、そのまま力なく首を振り次の場所へ目を向ける。

「後は、こっちですね」

 目の前にある布で気休め程度の屋根が作られた小屋で足を止めたエヴァは、すうと目を細める。スラムの中で見ると比較的マシではあったが、それでもやはりこれが屋根だと言われると心もとない。せいぜい、しのげるのは少しの風くらいだ。

「すみません、お邪魔します……」

 おそるおそる、布をめくる。

 がらんとした中は意外に暖かく、これにはついエヴァも驚いた。教会のような屋根がなくとも、まだこれなら生活ができるだろう。

「シスター、そんな無防備に中に入るのは危険だ」

「大丈夫です、誰もいないようです」

「誰もいないならなおさら不法侵入で……ん?」

 リベリオが、ふと顔を上げる。

 なにかに気づいたように一点を見ると、すうと息を吸い込みながら呼吸を整えて。

「誰だ」

「ひっ!」

 リベリオの声に驚いたその影は、少しわざとらしく肩を揺らしながら部屋の隅で丸くなっている。

「さ、祭司のくせに態度がでかいぞ!」

「なんだと」

「リベリオ様、素が出ています」

 隠す様子のないリベリオをなだめながら、肩を落とす。

 よく今日まで偽物祭司である事が隠せていると思ったが、おそらくスイッチの切り替えが上手いのだろうとエヴァの中で整理をした。実際、ミサの時に見せるリベリオの表情は祭司そのものであった。

「リベリオ様、前を失礼します」

 そんな睨み合っている二人の間に入るように、顔を向けた。一瞬怯えた様子を見せる少年もエヴァを見て安心したのか、首を傾げている。その様子にエヴァも、つい躊躇をしてしまった。

(勝手に聞こえてくるのではなく、故意に聞こうとするのはやはり罪悪感が……ん?)

 少年の顔を見ようとした時に、エヴァはふとある事に気づいた。

「……これは」

 それは、不格好な字で書かれた手紙のようなものだった。

 便箋のように綺麗なものでも、特別な紙でもない。ただ少しくしゃくしゃになった紙にはっきりリリア先生、と文字が書かれている。

 エヴァが紙に意識を集中させていると、どこからか抜けるような声が聞こえてくる。少し力ないそれがする方へ顔を向けると、さっきの少年がエヴァの顔をじっと見ている。

「あ、お姉ちゃんその服……」

 なにやら慌てているのは、表情から読み取れた。

 動揺の理由はエヴァの服装だったようで、それは心の声からも伝わってくる。

『リリア先生と同じ服、この人もシスターだ……!』

 シスターである事に、なにか問題があるのか。

 いまいち理解できずエヴァはなにも言わずにいると、その事を知らない少年から次々に声が聞こえる。

『どうしよう、せっかくのサプライズ先生にバレたかもしれない』

(サプライズ……?)

『先生がもうすぐお誕生日だって、お庭の先生が言ってた。だからみんなでお祝いするために準備をしていたのに、バレちゃうよ!』

「っ……」

 純粋で、子どもらしい言葉だった。

 元々エヴァは、役のないシスターだった。だからこそ教会の関係者以外と関わるのはミサと告解部屋くらいだったのもあり、子どもの声を聞く事もあまりなかった。だからここまで純粋な声を聞く事はなく、一瞬言葉に悩んでしまう。

(告解部屋に、こんな純粋な子どもはくるわけもないし)

 ピクシー様の時のように、なにか言葉をかけるべきか。

 それともそのまま、そっとしておくべきか。

 しばらく考えていたエヴァだったが答えは見つからず、気づくと少年の頭を優しく撫でていた。

「……安心してください、リリアには言いませんので」

 ついそんな事を言ってしまい、ハッとする。

(あ、私、なにを言って……!)

 少年はバレてしまうかもしれない事を、言葉で言ったわけではない。あくまでも心の声として聞こえてきたものなのに、エヴァはそれに対し言葉をかけてしまったのだ。

 頭の中は状況に対する混乱と、どうごまかそうかという事で支配されている。

 下手にこれ以上言えばそれはそれで面倒な事になるが、なにも言わないのはもっと怪しい。ぐるぐると頭の中を駆け巡るそれは完全に焦りで、どうにかなってしまいそうだった。これは、なにかしら怪しまれてしまう。そう思ったが、返ってきた言葉はエヴァが想像していたものと少し違い。

「ありがとう、お姉ちゃん!」

「っ……」

 ありがとうなんて、そんな優しい言葉をかけられるとは思ってもいなかった。

(むしろ、私は隠し事をするのに……)

 そんな罪悪感もシスターとしてもちろんあったが、エヴァの脳裏にはいつの日かの記憶がある。

 それはまだエヴァが、告解部屋を使用するようになって少ししか経っていない頃。前院長がエヴァに向かって話した内容だった。

(あの時も、そういえば……)

 神は声を聞き、心を見る。

 そう言われている事もあり、告解部屋にくる大半の赦しは嘘をついている事に対してだ。

 そんな中でもある日きた青年が口にした言葉は、大切な友人に対してある隠し事をしているという点だった。命に関わるほどではないが病気を抱えていた彼は、少し運動を控えていたのだと言う。元々運動する事が好きだった青年が突然大人しくなったのだ。友人もなにかに気づいたのだろう、しかし青年はそれを隠し続けてきた。心配させたくないと、それだけのために。

「っ……」

 人には素直に言わないといけませんよね、と話したエヴァに、前院長は優しく笑っていた。


 ――そうだね。けどねエヴァ、時に神が許す隠し事もあるんだよ


(あの言葉の意味が、今まではわからなかったけど)

 今なら、なんとなくではあるがわかる気がした。

 心配させたくない、悲しませたくない。それから、喜ばせたい。

 エヴァにはわからない話だったが、これが神の許す隠し事なのかもしれない。

「……先生が言いたい、美しい心とはこの事なのでしょうか」

 エヴァには、それすらもまだわからない。

 ただ今はスラムの片隅で頬を緩め、静かに少年の姿を見守っていた。

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