第33話

 マリンソフィアはクスッと笑ってアルフレッドに絶対零度の冷たい目を向ける。


「わたくしのことを知ってどうするつもり?アル」

「………僕には言うつもりはない、と」

「ふふふっ、さあ?どうかしらね?」


 マリンソフィアは、緊張感を高めたアルフレッドを見た後にくすくすと笑った。そして固く緊張した空気を霧散させるように淡く頬笑んだ。


「ふふふっ、あらあら冗談よ。それにしても、だいぶ怖がらせてしまったようね。大丈夫よ。わたくし、あなたになら教えてもいいかな~って思っているから」

「ーーー………………」


 無言で一気に息を飲んで緊張を高めたアルフレッドに、マリンソフィアは困ったように笑ったが、次の瞬間には、形容し難いくらいに綺麗で美しいの笑みを浮かべた。社交界の『賢姫』とまで呼ばれたマリンソフィアは、隠居してなお絶対女王としての風格があった。


「わたくし、本名は『マリンソフィア』って言うの」

「え………」

「マリンソフィア・グランハイム。この国の王太子の婚約者にしてグランハイム侯爵家の1人娘かしら」


 マリンソフィアの優雅で周りに大輪の青薔薇が咲き誇るような笑みに、アルフレッドは息を飲んだ。


「………そう、だったんだ………………」


 呆然としたアルフレッドに、マリンソフィアは満足気に頷き、そして探るような視線をアルフレッドに向けた。


「ふふふっ、流石のあなたも驚いたかしら?戸籍もない

「っ、」

「侯爵令嬢たるわたくしが、周辺の人間のことを調べないとでも思っていたの?わたくし、これでも用心深いのよ?従業員もクラリッサ以外は、身元と経歴をしっかりと調べ上げているわ」


 ぱらりと扇子のように書類を広げたマリンソフィアに、アルフレッドは若干引いて顔を引き攣らせる。


「………つまり、僕とクラリッサ以外は身元を調べ上げているっとことかい?」

「えぇ、そうなるわね」


 にこっと自信満々に答えたマリンソフィアに、アルフレッドはほうっと息を吐いた。


「………僕の素性は、………もう少ししたら絶対に明かす。だから、ーーー僕と結婚してくれないかな?」

「………へ?」


 マリンソフィアは、アルフレッドの人生最高の緊張を孕んだ求婚を、呆けた声と表情で一蹴した。


「うっ、だめ、かな?」


 不安げで泣きそうなアルフレッドに、マリンソフィアは一気に顔を赤くする。


(か、可愛い)


 心の中で思わず呟きながらも、マリンソフィアは表情をいつもの微笑みに戻していた。


「い、いいわよ」

「本当に!?」


 絆された感が歪めない返事ながらも、アルフレッドは舞い上がっていた。そんな彼を見ながら、マリンソフィアは申し訳なさでいっぱいになってしまう。


「でも、わたくしを娶ると面倒なことになると思うわよ。わたくし、王太子と国王夫妻、それに貴族と有力商人に喧嘩を売ったばっかりだし、それに、わたくし、………人の中にある、『恋』という感情が分からないのよ」

「え………」


 困ったように笑ったマリンソフィアは、空虚な瞳で宙を見上げて呆然と呟く。


「わたくし、物心つく頃から周りには『恋』というものがなかったのよ。両親は政略結婚で結婚当時から関係が冷めきっていて、5歳の頃にはお父さまは愛人さまをお屋敷に連れ込んで、お母さまは離婚のために奔走していて、侍女やメイドは玉の輿を狙って、日々お客さまに必死に媚びを売って気に入られようと必死で、従者や下僕も似たようなもの。年老いている庭師や料理長も政略結婚で、仲が悪いわけではなくて、関係は良好だったけれど、『恋』とは全く言えないような夫婦関係だったわ。だからね、わたくし、『恋』やら『愛』やら言われても、分からないの」

「………ソフィー」


 マリンソフィアは空虚な瞳をアルフレッドに向けて、泣きそうな顔で無理矢理微笑む。


「仲の良かったご婦人やご令嬢に、『あら、また恋のお誘いを受けたようですわね』とか、『あら、あのお方はマリンソフィアさまに恋をしているようだわ』、『熱烈な愛の告白って素敵ですわね!!お返事はどうするのですか?』と聞かれても、殆どの場合、わたくしは告白にすら気がついてすらいなかったわ。本当に分かりやすいものや直接的なものは分かっても、わたくしにはそれ以外で告白や雰囲気には自分のことになると、途端に気がつけないの。『甘い雰囲気になっていましたわね』とか、『ロマンチックな雰囲気で、わたし、飲まれてしまいました!!』って、言われても、分かんないの」


 だから、マリンソフィアはぎゅーっと痛む心臓を抑えて、彼に初めから謝っておく。


「わたくし、多分、あなたのこと、好きになれないわ」


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