川の主が死んだ~川の年末編~

武田武蔵

川の主が死んだ~川の年末編〜

 節の統べる川にも、やがて冬がやって来た。

 林の向こうの外界の者達は、皆年末の掃除に勤しみ、川の住民達もまた、何やら己で出来るかぎりの掃除に精を出していた。

「去年は良く判らなくて出来なかったけれど、今年こそはやるわよ」

 ヒトの姿になった川の主、節は腕捲くりをしつつ、言った。

「漣、手伝ってね」

「はい」

 節が言ったのは、川にずっと放置されている自転車の撤去である。以前の主が大蛙であった事もあってか、漣——川風の鬼神一人では持ち上げられない程の川底の石に埋もれた自転車の撤去はしてこなかった。

 だが、今年は漣一人ではないのである。

 去年はまだ、節も名前を承ったばかりの新米の神であった。なので、漣の方からの提案で、来年、詰まる所、今年の年末の大掃除の際に取り除こうと提案したのである。

「私も手伝いますぞ」

 山女魚がそう言って、沈んだ車輪の上に覆い被さった石を、吸い込んでは逆方向に吐き出す。何故今迄そうしてくれなかった。漣は少し疑問を抱いたが、それは口の中に飲み込まれた。

「行くわよ、私は後輪を持つわ」

 節は言って、パンクした車輪に手をかけた。

 漣は頷き、ハンドルを持つ。ずっしりとした重さが、その腕にかかった。普段重いものは殆ど持たないので、中々の重労働である。その時、彼は気が付いた。

 節も持つ事は持っているが、持ち上げてはいない。やはり、小さな少女には、些か身長が足りないのであろう。

「主殿」

 思わず、声をかけていた。

「な、何」

 川の主は苦しげに声を発する。

「全く持ってーーいえ、何でも有りませぬ」

 節は、節なりに持ち上げているつもりなのだ。漣はそう悟って、己一人で自転車を持ち上げる事にした。

 そんなことならば、以前にやっておけば良かった。軽く後悔をしつつ、彼は古びた自転車のハンドルを取った。

 やっとの事で自転車は持ち上がり、漣はそれを担いだ。まだ己を祀る社があった頃に、人間がそんな事をしていたのである。

「漣、格好いいわ……」

 シャツを汚し、自転車を持つ漣に向かって、節はうっとりと言った。既にその手は後輪を離している。

「このまま、山の廃棄所に持っていきます。主殿、共に着いてきて頂きます。やる事がありますでしょう」

「やる事、」

 川の主は首を傾げた。

「ゴミにされた食器等に憑いた付喪神を天に送るのです。山の神の役割でしたが、先の大戦ですっかり力が弱ってしまい、上手く昇天させる事が出来なくなりました。その為、川の主である大蛙殿がゴミの廃棄所迄出向いて、付喪神の世話を焼いていたのです」

「……やった事が無いわ……」

 節は不安げである。そう言えば、去年は節はまだ川の主としての名を頂いたばかりでその力も弱く、行っていなかった。その時は山の主がひ弱ながらも付喪神達を天に昇らせたと、小鳥たちの囀りで聞いたのである。

「兎も角、行きましょう。主殿は、元の姿に戻られても宜しいですよ」

「どうしようかしら……」

 節は暫し悩んでいたが、やがて顔を上げると、

「天女の姿で行くわ。誰にも見付かりたくはないもの」

 そう言って、頭に垂らした札を取った。途端に、首程までであった髪は長く伸び、二つに結ばれる。服も、着物と衣を纏うものに変わっていた。

「行きましょう、漣」

 川の主は、己の役目を果たす為、山のゴミ処理場へと川風の鬼神と共に向かった。


 川は山を背負っている。節の褥から、獣道を踏みしめ、山の中へと入っていった。

「遠いの、漣」

 宙に浮いたまま、節は自転車を担ぐ漣へと話しかける。

「そんなに遠くはありません。ついでに、山の主にも挨拶をしていきましょう」

「判ったわ」

「先ずは、付喪神の処理を」

 重い自転車を抱え、漣は言った。後ろに結んだ髪が、冷たい川の水に濡れている。ヒトの姿をしていても、所詮は依代である。感覚は、全く感じないのである。

 軈て、林の末に、開けた場所に至る。大きく開いた谷には、沢山のゴミが溢れていた。車から、細やかな食器類迄。節は、思わず呆然としてしまった。

「未だ、使えるものも有るのに……」

「全く遺憾なものだ。人間ども」

 自転車を谷の底目掛けて投げ込み、漣は言葉を吐き出した。

「初めて、ヒトの愚かさを知ったわ」

 譫言のように、節は呟く。

「どうやって、付喪神さん達を昇天させるの、」

 漣は谷の淵を指差し、

「そこに立って、手を掲げて下さい。自然と、付喪神達が集まってきます。そうしたら、彼等を抱くように腕を胸元に持っていって頂きたい」

 と、言った。

「判ったわ」

 節は頷いて、その淵に立った。

 言われた通りに、手を掲げる。ゴミから、か細い線を描きながら、魂のような光が浮かび上がってきた。それらは皆、言葉を忘れてしまったかのように無言で、節の周りに集まってくる。

 節は手を広げ、彼等を迎え入れた。

「長い間、お疲れ様。また、生まれ変われるように……」

 一つ一つに言葉をかけるように、彼女は魂達を、抱き締める。

 満足したかのように、付喪神達はゆっくりと天へと昇っていった。

 そうして、最後の一つが去ると、節は漣へと振り返った。

「これで、良かったのかしら」

「十分です」

 彼は広角を引き上げた。正直、初めての事であるのに、此処迄上手く付喪神の処理を行ったものは初めて見る。己でさえ、社がある頃毎年の恒例であったが、未練を残した取り残しが有る事があった。しかし、今このゴミ処理場には、未練の欠片の一つもない。

 節は、なるべくして川の主になったのかもしれない。漣は心の中で顔を上下させた。

 その時であった。

「そなたが、新しき川の主か」

 か細い声が、足元から聞こえてきた。

「誰、」

 節が見下ろすと、形をなさない程の朧気な光が、足元で光っていた。

「まさか、山の主殿か」

 漣は思わず口に出していた。

「如何にも。感が良いな。川風の鬼神」

「どうして、そのようなお姿に」

 光を憐れむように、漣は呟く。

「なに、もう、俺は形を保てる程の力もないと言う事だ。そこで、川の主。そなたに頼みがある」

「頼み、」

 節が山の主の魂を手で救うと、囁いた。

「俺を、昇天させて欲しい。新たな山の主は決まっている。本当は彼の役目だが、奴は未だ出雲で名を貰ってはいない」

「判ったわ」

 川の主はそう言って、山の主の魂を抱き締めた。

「今迄、お疲れ様。生まれ変わって、幸せになって」

 その言葉に、山の主は小さく声を上げ、節の腕の中から空へと旅立った。

 ふと、草を踏む音がして、二人が目を遣る。そこには、狩衣姿の青年が立っていた。

「すみません、川の主殿」

 彼は、節に近付くと跪いた。

「貴方が、新たな山の主、」

 見かけの歳は、節より少し年上であろうか。しかし、見目麗しい青年である。黒曜石のような瞳に、仄かに赤い唇。そうして、少し赤らんだ頬。思わず、節は魅入ってしまった。

「はい、そうと申します。これは未だ、ヒトであった頃の名前ですが……宜しくお願いします」

「宜しく、颯。私は霧切川節女神むきりがわせつにょしん。節で良いわ。仲良くしましょう」

「……有難うございます」

 節の言葉に、颯と名乗った青年は、声を弾ませた。

「来年の出雲には、一緒に行きましょうね」

「はい」

 颯は幾度も頷いた。それを見ていて、漣は少し眉を寄せていた。己の役目が終わったという事であろうか。

 少し、寂しい気持ちである。

「漣、どうしたの、」

 その気持ちを掬い取ったかのように、節は尋ねた。

「出雲へは貴方も一緒に行くのよ」

「は、はぁ」

 節から発せられた言葉に、彼は何処か複雑な気持ちになった。それは、颯と言う新たな山の主の誕生に、嫉妬している己がいるという事である。

「それじゃ、川に帰りましょう」

 節は踵を返す。漣が、その後に続いた。

「また、遊びにでも来て下さい。主としての心得を教えて頂きたい」

「そんな、私だって手探りだわ」

 節はかぶりを振った。

「じゃあね、颯。その時は、貴方がどうやって山の主になったのか、聞いてみたいわ」

「是非とも。お話させて頂きます。良いお年を。川の主殿」

「え、えぇ」

 節は振り返り、少し困惑したように答えると、もと来た道を辿っていった。

「……ねぇ、漣」

 川迄あと少しとなった頃、節は漣の袖を引いた。

「なんの御用ですか」

「“良いお年を”って、何、」

 この娘は、世間を知らずに育った。白い襖に遮られた外の世界は、彼女にとって、未知のものなのである。漣は幾許か節の育ちが憐れに見えた。

「主殿に新しい出逢いが来るように、と言う事でございますよ」

 人形から川風の鬼神の姿に戻った漣は、そう言って節の肩を抱いた。

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