第15話 準備は進んで


「これはどういうことよ!」

 テーブルが壊れんばかりに拳を叩きつける。怒りに顔を歪めており、ぐちゃぐちゃに潰れた紙を握っていた。

「一体どうしたらこんなにお金を使えるの。ねぇ馬鹿なの。常識とかないの」

 頭を抱えるアルコとは裏腹に小次郎は呑気に食事をしている。

「仕方ないだろ。団体の設立には金が掛かるんだ。後は興行で儲ければいい」

「試合前にこっちが破産するわ!」

 アルコが怒るのも無理はない。小次郎が来てからというもの出費が凄まじいことになっているからだ。当初予定していた資金など使いきっている上に借金を重ねていた。しかもこれは表の帳簿である。ジャックに頼んだ裏金は報告していない。

「ガタガタ言うな。金がないならお前が降らせればいいんだよ。レインメーカーというにはまだまだ力不足だがな」

 笑いながらテーブルに並んだコップを手に取る。


「超不味い。もうちょっとおいしくできないの、これ」

 眉をしかめながら舌を出す。深い皺が顔に刻まれ、中々取ることができない。

「無茶言うな。あの調合で作るのは大変なんだぞ」

「そこを頼むよ。味は我慢するからせめて飲めるものにしてくれ」

 違うコップを手にして口をつけると、小麦粉を水に溶かしたような風味が口内に広がる。パサパサで甘みと苦みが絶妙にマッチしていない。

 飲んでいるのはいわゆるプロテインだ。肉体を作るのにたんぱく質は必須である。この世界にも肉はあるが、練習後にいちいち肉を食べるのは金も掛かるし、胃に負担もくる。そのため気軽に摂取できるようプロテインを開発しているのだ。

 ダンやビルタニアスなど体格が良い種族に何を食べているのかを聞き、片っ端から食材を集めて調合したのだ。どれも味は最悪で飲むのが辛い。まだまだ改良が必要である。


「ちょ、まだ話は」

 喋りかけたアルコの顎を掴んで顔を覗き込む。

「な、な、何を」

 いきなりの行動に頬を真っ赤に染め上げた。頭に生えた両耳もしな垂れている。

「お前は無理するな。試合の前に倒れたら元も子もない。体調を整えるのも仕事だぞ」

 目の下に隈ができている。アルコが宣伝のために町中を走り回っているのを何度も見た。成功させる思いが誰よりも強いからこその行動だが、試合に響いたら意味がない。

「だ、大丈夫に決まってるでしょ」

「顔が赤いが熱でもあるんじゃないか。まさか腹を出して寝てないだろうな。俺たちの世界に腹巻といういいものがある。ダンに作ってもらって」

「必要ないわよ!」

 腕を振り払い、そっぽを向く。まだ表情が赤いがとりあえず心配はなさそうだ。

「というか体調を整えろなんて、あんたには言われたくないんだけど」

「見りゃわかるだろ。健康そのものだよ。脳内でヤバい物質が出ているかもな」

 やるべきことが多すぎて頭も心もパンク寸前である。それでも不思議と疲労は感じない。

「まさか変なクスリとかやってないわよね」

「俺は素面でこうなれるんだよ。どんな強い酒にも負けないかもな」

 この世界でプロレスをやると決めてからは常に酔っているような状態である。酔いが醒める日などこないかもしれない。



 

「できましたよ、小次郎さん。こんな感じでどうですか?」

 遅れて店に入ってきたダンが背負っている袋をテーブルに広げる。中身はリングコスチュームだった。タイツやパンツ、水着からガウンまで一通り作ってくれたのだ。

「最高だよ。良い仕事するねぇ」

 口頭や絵に描いたりして必死に説明したが、想像以上の出来栄えである。

「店の皆や知り合いにも手伝ってもらいましたから。大変だったけど興味津々でしたよ」

 とにかく派手で映えるようなデザインにしてもらった。手作業でここまでやってくれたのは感謝しかない。

「報酬は必ず払うと言ってくれ。試合が終わったら打ち上げにも来てもらうか」

「さっきまでの話を覚えてる?」

「ケチケチするな。協力者にはばらまけ、ばらまけ。良い商売相手になるからな」

 シャツやタオルなどグッズ販売も当然考えていた。これらは団体を支える重要な資金源になる。機械などで大量に生産できないからこそ、今の内に業者と契約しておきたい。


「コジ、ちょっと」

 振り向いたところへいきなり何かの液体を塗られる。目を瞑っていると細い指が肌を滑っていった。

「うん、いい感じ。どうよ?」

 手鏡を渡され、己の顔を確認する。悪魔のように物々しいメイクをした男がいた。

「完璧。惚れちゃいそうだぜ。抱きしめてやろうか」

「いらない、いらない。もらっても一銭にならないし、蕁麻疹が出そう」

 基本的に人間のレスラーは覆面をするか、メイクをしてもらう。正体を周囲に知られないためだ。

「ちょっとやそっとの水じゃ流れないから安心してね。いや~自分を褒めたくなっちゃうよ」

 調合してくれたドリトスにも特別報酬を払うことにする。これも売ろうと思えば売れるからだ。


「これであいつらも大丈夫だな。堂々とリングに上げられる」

「こ、こっちは死にかけてますけどね」

 選手の名簿や資料、いわゆるプロフィール表はマリアに作ってもらっている。なし崩し的に巻き込んだがよく働いてくれるのだ。もう少し時間に余裕ができたら、パンフレットを作ってもいいかもしれない。

 こうやって皆で作り上げていくのは正直大変だが、とてつもなく思い入れが深くなる。一つ間違えれば破滅する綱渡りであることに変わりないが、この時間は愛おしかった。抑えられない好奇心。現代でいくつもの団体が生まれた理由がわかる気がした。


「そういえば、どうしてあんなに人間のレスラーを集めたの。私たちだけじゃ不満なの?」

 説明をしていたら断れる可能性もあったので、勝手に増やしたのだ。専用の稽古場はおろか契約金も使った。これらは確実に帳簿を圧迫しているがそれに見合うだけの成果を出せる。

「彼らは滅茶苦茶重要だよ。アングルを作るためにな」

 聞き慣れない言葉に首を傾げている。どれだけ大事かわかっていないのだ。


「アングルっていうのは魅力的なストーリー展開のことだよ。プロレスには絶対に必要だ」

 いかにファンの興味を惹く筋書きを作れるか、客を呼ぶ仕掛けを打てるかがプロレスの醍醐味の一つでもあり、腕の見せ所でもある。団体やマッチメイカーが仕掛けることもあれば、レスラーから生まれるものもある。

 誰と誰に因縁があるのか、どの勢力が抗争しているのか。わかりやすい対立構造をファンに伝え、試合に反映させていく。別に本当に対立していなくてもいい。リングの上でそう見えればいいのだ。因縁がないなら無理矢理作り上げてもいい。

 これらのことも小次郎がやらなければいけない。頭を使うので本当に大変だ。


「この団体はお前らがベビーフェイス。ようは善玉だ。たいして人間はヒール、つまり悪役だな。力を持った人間が調子に乗って暴れる。これが基本的なあらすじだな」

 幸か不幸か人間最強主義という最高の流れがある。鬱屈したものを抱えた種族は多い。そこをとことん強調させる。他の種族を見下し、傲慢さを出していく。

「俺たちヒールが悪事の限りを尽くして徹底的に痛めつけるから、お前たちはそれをはねのける。わかりやすいだろ」

 どうせなら団体の命運を賭けた対立構造にしたかった。こればかりは流石に一人では無理がある。嫌でも軍団を作る必要があったのだ。

「いいんじゃない。お互いに鎬を削って高め合う。面白い試合ができそうよ」

 熱い炎を宿している。この場所なら自分の力をとことん試せると思っているからだ。そんなアルコに思いきり水を掛ける。


「勝敗なんて気にする必要はない。初めから決まってるからな」

 告げられた真実にアルコの眉根が上がるが、気にせずに続ける。


「展開によっては俺たちが勝つこともあるが、基本的に勝つのはお前らだよ。初試合の勝敗表もだいたい出来上がってる」

「ちょ、ちょっと待ってよ。どうして戦う前から結果を決めなきゃいけないの」

 石のように固い声を漏らす。真っ直ぐなアルコの性格上、納得がいっていない。

「そういうもんだからだよ。大切なのは勝敗よりも観客を盛り上げること。クラフトアーツとは違うショーマッチ。これはそういうものだ」

 今更ガチの格闘技を作り上げても二番煎じになるだけだ。それなら客はクラフトアーツを観に行くはずだ。だったら徹底的にショーマッチに徹する。


「コジはどうするの? 一応こっち側じゃん」

「当然ヒールをやるに決まってるだろ。徹底的にやるから覚悟しておけよ」

 ヒールほどやり甲斐のあるものはない。師匠も最高の悪役としてプロレス界を盛り上げてきた。弟子である自分もできるはずだ。

「嫌われてもいいんですか。僕たちを目立たせるために」

 ダンが微妙な表情を浮かべる。小次郎のことを思いやっているのだ。

「余計な心配するなよ。これは俺が楽しむためでもあるのさ。リングで生の憎悪や怒りをぶつけられてみな。最高すぎて頭の中が蕩けるぞ」

「えっと……とりあえず医者を呼んでくる」

 皆が心配そうに見つめている。発言だけ聞くとかなり危ない。


「こればかりは実感しないとわからねぇよ。悪が巨大であればあるほどカタルシスが生まれるもんだ。数十年前の戦争もそうだろう。魔王が強大だったからこそ怖れ、打倒した勇者は神よりも崇められた」

 勇者と魔王の物語は永遠に刻まれる。世界の命運を賭けたのだから。

「本当に上手くやったもんさ。二人はさぞ幸福だったろうな」

「小次郎さんは何かわかったんですか?」

 マリアが興奮した口調で訊ねてくる。彼女には教科書や専門書を何冊も貸してもらった。尤も机にかじりついて難しい研究をしたわけじゃない。自分の中に芽生えた違和感を探るための作業だった。

 片や世界を救った絶対善、片や世界を破滅させかけた絶対悪。二人の名前は永遠に語り継がれる。元から存在していた神の名前すら忘れさせるほどのインパクト。神を超えたといってもいい。


「まぁな。答えなんて目の前にあったんだ」


 あるとき本当に何気なく頭の中でがっちりとピースがはまった。欠けた部分が埋まり、歯車が動き出す。思考が次々と進み、一つの答えへ辿り着いたのだ。

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