第12話

 誰かのためにあれるような、父さんみたいな優しい人になりたい。


 デイビーがそう思ったのは、山羊の話を終え、父が家の中へと入っていったあとの事だった。ずいぶんと落ちつきを取り戻していた彼は、すぐに腹を立てる事からやめようと決心し、父と母が家の中にいる事を確認してそのまま家を出た。


 成人の儀の準備で村は活気付き、通りには荷物を持って行き交う人々や、何かを作っている男達で溢れ返っていた。


「やぁ、デイビー。とうとう明日だな」

「来年は、お前さん達もこうやって準備しなくちゃいけないぞ」

「明日は、新成人のお前達が主役だ! ぞんぶんに楽しめ!」


 父の友達の脇を挨拶しながら通り過ぎ、デイビーは成人の儀の場となる広場へと向かった。舞台となる場所には、多くの男達が集まって大工道具を持ち忙しそうに動いていた。


 舞台を組み立てている男達の顔は、真剣そのものだった。明日、主役となる十六歳の少年少女達は、待ちきれないという顔でその様子を見守っていて、当日食べられるお菓子が楽しみな子供達が、時々そんな彼らの様子を覗き込みに来ていた。


「『十六歳ノ君タチヘ、セイジン、オメデトウ』、か」


 広間の外側に掲げられ、取りつけ作業が進められている看板を見上げて呟き、デイビーはくすぐったいような笑みを浮かべた。蛇が走ったような癖のある字は、最近力が弱くなった村長のものだった。その大きな看板を、たくましい身体をした男達が、声を上げながら取りつけている。


「右! もっと持ち上げろ!」

「固定する時はしっかりやれ!」

「ロープ、もう二本必要だ!」


 僕は今日から、少しずつ変わっていって、お父さんみたいな素敵な大人になるのだ。


 そう決意していたデイビーは、成人を祝う看板をもう少し近くで見たいと考えて、広場の横に組み立てられていた表彰台の後ろへと回ってみた。それは四組の柱によって支えられていて、台の上には更に三つの壇上があった。


 そんな立派な表彰台には、男達の大工道具や材料が置かれていた。デイビーは、去年見た表彰台を思い出して、それがまだ完成していない事に気付いてはいた。あの色鮮やかな布も、花飾りの一つだって見られなかったからである。


 デイビーは表彰台を支える、少し太めの柱に隠れるようにして広場を見やった。広場の中にいたオーティス達の姿が目に留まり、思わず柱に身を引っ込めたところで「あれ?」と小首を傾げた。


「なぜ僕は隠れたんだ。オーティス達のお父さんは、今回の成人の儀で指示する立場にあるんだから、そこに息子の彼らがいても全然おかしくはないだろう」


 それに、今日からでも少しずつ変わろうとしているのに、臆病になってはいけない。


 デイビーはそろりと顔を覗かせた。興奮して楽しみが堪え切れない少年達の表情とは違い、準備する大人達の様子を眺めるオーティスの顔は、真剣そのものだった。デイビーは何故か少し怖くなり、柱に隠れた肩を縮こまらせた。


「最近、オーティスが何を考えているのか分からないなぁ」


 口の中でもごもご言っていると、少年達の一人がデイビーに気付いた。デイビーが「あっ」と思った時には、その存在は一番声の大きな少年によって皆に知られてしまっていた。


「デイビーが来ているよ!」


 少年達の目が、一斉にデイビーへと向いた。デイビーは恥ずかしくなったが、このまま逃げ出す事も出来ずに顔だけを柱から覗かせていた。


 オーティスがじっと見つめる前で、歯が出た少年が「お前も来いよ」と茶化すような声を上げた。同じく気付いた大人達が「おう、登り名人のデイビーじゃないか」「こっちに来て見たらどうだ」と優しく言葉を掛けてきたが、デイビーはそこから一歩も動けなかった。


「ぼ、僕は、そろそろ帰ろうかなと思っていて……」

「おいおい、デイビー。明日は俺らが主役なんだぞ?」


 ひょろりとした長身の少年を通り過ぎ、少し歯が出た少年が、デイビーのいる表彰台へとやって来た。


 その時、広間に何かが切れるような音と「こりゃあいかん!」と大人の警戒する声が上がった。


 一瞬だけ、ピン、と空気が張り詰めて辺りが静まり返った。


 振り返った一同が見たものは、結び目を見失った紐が、弾けるようにして宙を泳ぐ光景だった。男達が持ち上げていた看板が「あ!」という言葉と共に、下へとずれて落ちて行く。


 皆、目を見開いてその光景を眺めていた。


 道具ばかりが置かれた地面に、木で出来た看板が落ちて大きな音を上げた。


 誰もいない場所だ。それを見届けたところで、ようやく誰かが「気を付けろよな」と言って場の緊張が解けた。着地した看板は、筒状の台に寄りかかるようにして立っていた。


 それを見て、誰もが安堵の息を漏らして笑みを浮かべた。それでも、どこか嫌な予感は残されたままあった。嗤ったはずの大人の表情は硬くて、その目は真っ直ぐ看板を見つめ続けている。少年少女、子供達は大きな音に驚いて振り返った状態で、誰も口を開かないでいた。


「危ないなぁ。ほら、まずはそっちを支えろ」

「おう。じゃあまずは、ここに固定しよう」


 支え台の上にいた男達が、寄りかかっている看板の上端の空いた穴を覗き込んだ。彼らが「切れていない丈夫な紐をくれ」と下にいた男達に告げると、数人の男達が「お、おう」と少し慌てたような声を上げて動き出す。


 看板と支え台の間から、かすかに擦れるような音が上がった。


 その異変に気付いた少年達が目を細め、次に少女達が顔を顰める。「まさかな」と余裕ぶっていた大人達の顔が強張ったのは、広場に重々しい音が響き上がり出した時だった。


 ずるずる、と滑り出した看板の上部が、支え台の上にいた男達の手を振り払うように傾き出した。途中、速度が止まったと思った直後、一気に加速して地面へと崩れ落ちていく。


「ま、まずい!」


 そんな声が上がったが、滑り出した看板の勢いは止まらなかった。それは横に崩れ落ちると同時に、そこに張られていたロープを踏み潰した。


 歪んだロープに引っ張られるようにして、隣に支えられていた柱が歪んだ。そこから更に伸びていたロープがぴんっと張り、軋むような嫌な音を立てる。誰もが追ったそのロープの先には、デイビーとお喋りな少年がいる表彰台があった。


「くそっ、予備のロープを繋いでいなかったのか!」


 オーティスの父親の鋭い怒声が上がり、大人達の間に緊張が走った。わぁっと動き出した彼らにも気付かず、デイビーと彼は、危険だという事が瞬時に呑み込めないまま、ぎしぎしと音をたてる表彰台を青い顔で見つめていた。


 引っ張られたロープの先は、台の床に打ちつけられてあった。滑り落ちた看板の重みに耐えきれなくなったロープが、一気に引き寄せられて、その反動で表彰台に固定されていた先っぽが弾け飛ぶのをデイビーは見た。


 ロープは、置かれていた荷物を巻き込んで床の上を滑り、デイビーと少年が見上げている柵へ荷物を打ちつけた。引き寄せられる強い力に木の柵が耐えきれず、ばきっと嫌な音を立て軋む。


 そこまで見てようやく、危機感が全身を走り抜けて、二人の顔からさーっと血の気が引いた。口々に「逃げろ!」と叫ぶ声がしたが、二人はそれに応える余裕はなかった。


 デイビーと少年は、二人の間にあった柱が斜めにずれるのを見て、ひどく動揺していた。少年が少し突き出た歯を見せながら「わぁ!」と叫んだ瞬間、デイビーは表彰台の下に、自ら突っ込むようにして飛び出していた。


 倒れる柱の真下にいる彼を、助けなければ。


 デイビーの頭には、それしかなかった。危険な状況に自分がいるという事よりも、目の前にいる少年に迫ろうとしている危機に身体が反応した。


 地面を蹴って両手を突き出した。とにかく必死に声を出して「逃げるんだ!」と叫びながら、デイビーは彼の薄い身体を、全身の力で表彰台の外へと押し出した。


 続く衝撃音と共に、たくさんの悲鳴が上がるのを聞いた。全身に痛みが走るのを感じた時、デイビーの小さな身体は、地面に潰されるようにして叩きつけられていた。

 

 崩壊が連鎖したかのように、次々に何かが降ってくるような地響きと衝撃。台の上にあった荷物も滑り落ちて、次々にデイビーの身体を埋めて行く。


「デイビー!」


 オーティスの叫びが聞こえた。デイビーは、薄れる意識の中で重たい瞼を上げた。霞む視界に、埃が舞う地面と自分の伸びた腕。その先に、大人達と共に駆け寄って来るオーティスの姿が、視界を覆いかぶす何かの隙間から見えた。


 デイビーが突き飛ばした少年が、地面に尻をつけたまま「ああ」と悲痛な声を上げた。彼はどうにか立ち上がったが、力が抜けて行くようにして膝から崩れ落ちると「血が……」「ああ、神様」と涙を浮かべて言った。


 すると、オーティスをどかすようにして、大人達が先に駆け寄ってきた。「大丈夫か!」「今助けるからな!」と口々に喚く向こうで、引き留められたオーティスの「離せ! デイビーが!」と叫びが上がるのを、デイビーはぼんやりと見つめていた。


 ああ、全身がひどく痛い。


 デイビーは、上から押し潰されるような重みに、短い呼吸ばかりを繰り返してその光景を眺めていた。「僕はこれからどうなるのだろう」とぼんやりと思ったが、不意に脳裏に起こったのは、明日の成人の儀に、あの少年が無事に出られる事への安堵だった。


 良かった、彼は怪我をしていない。うん、良かった、良かった……



 安堵の息をついたデイビーの記憶は、そこでぷつりと途切れた。あとは暗闇ばかりが続いた後、突然景色が開けて――そして、あの現実世界ではないような、美しくて静かな夜の草原へと続いていくのだ。



 それをようやく、デイビーは思い出した。

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