第37話


「ふむ、予定にない展開だ」


 アデルは、変わらず無表情でイコを見ると、だらりと右手を下げた。もともとあるかも解らない敵意は、彼の表情の裏側の深層心理に隠れてしまっている。


「…簡単に人を殺すんだな」

「大義の為なんだ。イコにもいずれ解る時が来る」

「…変わっちまったな、父さん」

「変えられてしまったんだよ。この世界にね」


 会場に備え付けられた時計を見ると、アデルは首を左右に振るう。


「どれだけ魔素があろうとも、時を操ることはできない。君と話すこの瞬間を永遠に出来れば、どれほど私の精神は穏やかだったか。だが、時には限りがある。必ず来る終わりの前に、成し遂げなければならないんだ」

「人の時を奪ってまでもか?」

「…禅問答は止めよう、回答を与えるのが父ではない。私は、これから圧倒的な武力により、バヘイラを制圧する。これが最後のチャンスだ。この国を取った暁には、イコに相応の地位を用意しよう。選べ、合流か決別か、生か死か、究極の二択だ」


 イコは、無言でアデルを見つめていた。動き続ける時から逃げるように、言葉を発するまでに時間を必要としていたからだ。しかし、人は摂理の前に平等である。


「俺は、そのどちらも選ばない。だからここに立っている」

「…そうか、残念だ。死を与えるには、余りに惜しい人材だというのに。君が戦略級魔導を作り、私が無限の魔素を持ってそれを実行する。創造は、常に破壊との繰り返しだ。この世界最強の魔導国家バヘイラが完成するまでにも、大量の命が犠牲になっている。大局を見れば、今は連鎖の一部分でしかないというのに。だが、中途半端な者では、連鎖の鎖の一部になって、いつかは砕けるだけだ。決別は、私から与えよう」


 だらりと下げられていたアデルの右腕がピクリと動いた。


「覇道とは、命を削る作業だ。建国とは、必要最低限を見積もる作業だ。大きな流れの中で、君の命は必要最低限から露出した」


 アデルの右腕が、遂にイコへと向けられた。漆黒の口内を見せる銃口のように、そのものが持つ意味合いよりも大きな感情の蠢きが、イコの胸の奥をざわつかせていた。


「前時代的な考え方だ。その流れを断ち切った先にあるのが平和だろ」


 イコは、マイクロスクロールを起動した。たった一つしか魔導の入っていない魔導記憶機構は、一つの目的のために作られた刀と酷似していた。


「魔喰増倍廻華(マバミゾウバイカイカ)」


 不可視の魔導が、マイクロスクロールから浮かび上がった球体から放出される。


「終わらせよう」


 逆に、物静かにアデルが起動したのは、魔導ではなく魔術だった。


「虚ろの樹林を照らす黄金の盃らよ、世界を分解し、再構築せよ「天地開闢の宴(リビルディング・ザ・ワールド)」」


 …省略詠唱の神級魔術の起動?もはや魔導を捨てたのか、とイコは歯を食いしばった。平和な世の中において、イコがアデルと魔導を交わらせることはなかった。魔導書の中でのみ、父の魔導を知りえることが出来たが、イコの対策としてなのか、蔵書から魔導が起動されることなく、まるで初見の魔術が起動されてしまった。心のどこかで、父の魔導に期待感を膨らませていたイコの眼前で、アデルの背後に、上半身だけの背丈10メートルほどの、純白の女神が降臨した。彼女の携える純白の翼や肉体は、この世界の全てから断絶された格上の存在が、不意に地上の猿を眺めに来たかのような、感覚的な上下関係を提示していた。そこに慈愛はない。女神が天へ右腕を掲げると、黄金の盃が握られた。


「振り下ろせ、再構築の女神エルディアよ」


 純白の女神は、握りしめた盃を剣を扱うように振り下ろした。イコの細菌が黄金の盃を捕食し、着弾するまでに半ば半壊してしまったが、それでも残った風圧がアデルに立ち向かう者達へ届く。イコは地面から離れぬように、踏ん張る為に腰を深く落とし、その場から数センチ後退するだけに事態を修めた。しかし、背後に構える警備員たちは、咄嗟の事態に反応が遅れ、その大半が風圧に耐え切れず倒れてしまった。あるいは、人間に息を吹きかけられた蟻のような、根本的な格の違いを見せつける結果となり、彼らの恐怖を大きく育ててしまった。背後からまったく魔導が発動されないことから、彼らの戦意が折れてしまっていることを、イコは悟っていた。…まずいな、このままじゃじり貧だ。父さんの魔術をいくら無力化しても、俺には有効な攻撃手段がない。


「流石に、これは有効ではないか」


 アデルがぶつぶつと分析を続ける際にも、女神の盃はダンジョンコアから引き上げられる無限の魔素により、修復されてしまう。通常であれば、アデルでも長時間の運用は困難な、膨大な魔素を伴う魔術であるはずだが、これでは時間稼ぎによる魔素の枯渇を待つのは、悪手でしかないようだった。既にイコの細菌魔導は、アデルの周囲に漂う魔素すらも喰らい、莫大な数に増殖している。増殖は、処理速度に直結するはずだが、今は女神の髪先を少し削る程度の効果しか持たなかった。魔素間の密度が非常に高く、イコの極小の魔素をもってしても、隙間に入れない状況なのだろうと、イコは推測していた。


「チッ、内側からの抹消は無理か。…対策済みかよ」

「当然、ある程度はね。どう崩せるかまでは思考中さ」


 アデルは、小さく振り返るとお手製の女神を見た。盲目のアデルでも、魔素により成形された彼女の姿は、とても鮮明に見ることができた。


「実に美しい…が――…」


髪を結う紐を解くように、イコの細菌によって、女神の髪先が削られていくのが見えていた。ダンジョンコアにより強化された圧倒的な魔素量で、魔術そのものの密度を向上させているものの、イコの魔素は更に極小の世界に存在するらしく、アデルは鬱陶しくも美しいイコの才能に苦笑するしかなかった。


「紅玉の星を待ち、浮沈の聖夜を永遠とし、天空を覆う終幕を抹消せよ「無始無終の宿命(エターナル・リ・フェイト)」」


 アデルの追加詠唱による強化魔術が、女神へと施された。地面から黄金色のオーラが巻き上がると、一瞬にして彼女を包み込み、それから天井を貫いてしまった。まだ陽が出ているようで、夕方特有の赤い光が、会場全体の色合いを幻想的に仕立てていた。数秒程の時間を獲て、オーラは消えるのではなく、全て女神へと吸収されてしまった。彼女は、いつの間にか黄金の鎧を見に纏っている。その神々しさは、疑似的な神を本質的な神にまで向上させているかのような趣があった。イコが見惚れていると、女神は再び盃を振りかざし、イコへと振り下ろした。既に人類の総人口を越える程に増殖した細菌たちは、女神の盃を先程までよりも削り取ることによって、イコから遠ざけてくれた。それでも、風圧が消えるわけではない。今度ばかりはイコも風圧に負け、後方へと吹き飛んでしまった。5メートル程も転がると、ようやく回転が止まる。関節の節々に走る痛みが、この戦いに終わりが近づいていることを表していた。やはり魔素の有無は、この魔導社会に置いて、戦闘能力に直結しているのか、という諦めの囁きがイコの脳裏に聞こえ始めていた。


「なるほど。直接攻撃は困難だが、間接的に派生した風などによる攻撃は、とても有効なようだね。ゆっくりとダメージを蓄積すれば、どうにかなりそうだな」


 アデルは、ようやくイコの御し方を見つけたことで、目を細めた。


「イコ、やはり君を殺したくはない。私と共にきたまえ。君のように、魔素の有無で不自由する子供たちの為に、世界を変えるべきなんだ」


 床に接する頬は、まるで冬のように冷たかった。どれだけ工夫をしようとも、いつかは越えられぬ壁にぶつかる。冷ややかな現実は、ずっと昔から理解しているつもりだった。それでもイコは、立ち上がるしかないことを知っている。そこに先などなくとも、それが人生であることを、イコは十二分に理解していた。


「父さん、とっくに世界は変わり始めてんだよ。子供みたいに喚きやがって、変わるべきは世界じゃない、あんたの方だ!」

「だが現実はどうだ?実力主義社会は、固着した前時代的な評価基準で、イコを振るい落とした。無論、そうした社会性に隠された子供は、大勢いるはずだ」

「馬鹿言うな。バヘイラ魔導学院は、確かに俺を落とした。だがな、今の俺を見ろ。あれからずいぶん経って、俺は天下のマイクロスクロール社員、デバック課の業績TOPの第零部隊、他部隊からも上司からも評価されてる。世界1の企業でだぞ?それのどこが評価されてないんだ?俺の部隊でバヘイラ魔導学院卒の奴は、部隊長だけだ。今でも企業は、正しい評価基準で採用している!」


 イコは、オカッパヘアをかき上げながら、アデルを睨んだ。


「窓際部署で、生涯を終える気かい?」

「確かに、所謂エリートコースは存在するさ。バヘイラ魔導学院卒の奴が、花形部署

で活躍してる話もよく聞く。だがな、俺の収入はそいつらの遥か上だ!ラナさんに言うまでもないから隠してるが、今じゃ花形部署からも誘いが来てる!」

「…それが君に対する過少評価だと言っているんだよ。君は、もっと国宝級の存在であるべきだ。君すらも、それを理解していない。君が開発した魔導の一つでも、外国に漏れ出せば、バヘイラは国家規模の危機に陥るだろう。そういう領域の存在なんだ」

「…くッ話の分からんモンスターペアレンツが!あんたのそういうところだけは、昔から嫌いだった。盲目に俺を評価しすぎだ!生き辛いんだよ!」

「盲目なのだから、仕方あるまい」

「もういい。親子喧嘩すっぞ」


 圧倒的不利だというのに、イコは前進を選択した。絶対的強者であるアデルにひるむことなく。常にそういう人生だった。この世界で、生まれながらにほぼ魔素が無いのが、どういうことなのか、アデルですら理解していない。諦めた瞬間に、終焉だけが微笑む。産まれてから、もうずっとそうしてきたのだ。ただ止まることなく、前進し続けてきた。

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