第28話


 アデルとイコの囲む机の上に、一枚の紙が置かれている。そこに鎮座する事実に、アデルの心は振り回されていた。


「…ありえない。君ほどの才能があって…何故だ」


 アデルは冒涜されている気分だった。

 

 バヘイラ魔導学院ともなると、文字には強い魔素が込められており、盲目なアデルにも問題なく読むことができた。しかし、不合格通知という紙面の上部にある一文に、彼は納得することができなかった。彼の知っているイコの実力であれば、何も問題なくテストを通過するはずだというのに、根本的に何が起きているのか理解できなかった。事実、不合格通知には、試験の点数が記載されており、イコの筆記試験は満点だった。


 魔導学院へ入学する最低基準として、筆記試験と実技試験の点数の合計が、140点を超えていなければならない。イコの筆記は100点、しかし、実技は0点だった。一般的なFBの起動さえできない彼にとって、それは当然の結果だった。


「…馬鹿がけている」


 最後にそう言い残すと、アデルは家から出て行ってしまった。彼が出ていく寸前、イコは対面に座る彼の表情を覗いていた。あくる日も同じ顔を見せていた太陽に、不意に月が覆いかぶさるかのような、闇と光の境界線を跨いだ向こう側の表情をしていたように思えた。それはイコにとって、何よりも辛いことだった。自分さえこの場所に来なければ、アデルにあのような表情をさせることはなかったのではないかと、不意に心に黒い帳が下りる。幸運にも、イコはアデルに救われた。しかし、時折アデルの見せる少しだけ困ったかのような表情が、自分はここにいるべきなのかと、何度もイコを自問自答に導いていた。


「そうか、また僕は失敗したんだ」


 両親の顔は、イコの中で朧げになり、その輪郭を溶かしていた。大きな期待を背負い、その期待を応えるべく努力したものの、イコは自分が両親を裏切ってしまったのだと認識していた。苦しみの大部分は、自分の不甲斐なさに起因していたのだ。何度同じことを繰り返せば、自分は学習するのだと、過度に自分へ期待してしまった自らを悔やんだ。暗い感情がイコの中に芽吹き、彼もまた外へ出た。締め切られた部屋は、自分を負の連鎖に閉じ込めているようで、耐えきれなかったのだ。

 


 その日の夜、アデルは帰宅した。しかし、家に入ろうとしたところ、暗い中で何かをするとても小さな魔素の反応が見えた。この森の中でも特に虚弱な魔素の反応に、すぐにアデルは正体を見抜いて慎重に近寄った。イコほどの希薄な魔素の持ち主となると、距離感を誤ってぶつかってしまう可能性があるからだ。そのまま隣に座ると、何かを尻で踏んづけてしまったことに気づく。手でまさぐると、それが中身のないノートであることを知った。自宅にあるノートの心当たりは一つしかなく、イコが魔導開発に用いる彼にとっては宝物のようなノートであったはず。すると、アデルの膝にコツンと何かがぶつかるような感覚があった。膝の先を手で探ると、正体は紙飛行機だった。いやな予感とともに紙飛行機を開くと、魔素を含むインクにより描かれた輝く魔導陣が見えてしまった。ページのなくなったノートは、沢山の紙飛行機が周囲に墜落している証拠へと昇華した。イコの心の中に起きた残酷な変化を、アデルは静かに感じ取っていた。


「再選考を申し入れに行ったが、却下されてしまったよ」


 アデルは、解体した紙飛行機を折り直しながらイコに報告を続けた。


「慰めにはならないかもしれないけれど、今年の筆記試験で満点を取ったのは、どうやら君だけだったみたいだ。…皮肉みたいになっちゃうかな」


 紙飛行機の折り目を指先でなぞり、アデルはさらに角を尖らせる。


「愚かだよ。魔導とは、実技よりも知識を重要視すべき学問だ。それなのに…今のバヘイラは武力に溺れてしまっている」


 暗闇の中で、盲目のアデルは、さらに深い闇を見つめていた。学問としての魔導を愛する彼からすれば、バヘイラ魔導学院の評価基準は蛮行でしかなかった。悔しさに身を任せて、さらに紙飛行機の折り目を強めると、アデルの力に耐えきれず、少しだけ紙飛行機は歪んでしまい、その様はアデルの心情を代弁しているかのようだった。


「イコは、まだ魔導が好きかい?」


 不意に出た言葉は、ただの疑問ではなく、外国を訪ねる旅人が、見失った道を尋ねるのに近かった。しかし、数十秒ほどの時が流れるも、イコから答えが返ってくることはなかった。酷な質問をしてしまったな、とアデルは投げやりに紙飛行機を飛ばした。


「君は何も悪くない。悪いのは、この世界の方だ」


 そう言って、アデルは立ち上がった。


「魔導とは…いや学問とは、自由の象徴であるべきなのに…私も残念に思う」


 アデルは、イコにかけるべき言葉が見つからず、最後に自分の思いを吐露して、自宅に戻っていった。今のイコには、一人で考える時間が必要になる思ったからだ。


 不意に、イコの頭に紙飛行機がコツンとぶつかった。偶然にも、それはアデルが最後に飛ばした機体だった。手元に落ちた紙飛行機を拾うと、イコもまた無言で開く。そこには乱雑に並べられたパズルのような子供の字で「視力を回復する魔導」と書かれていた。開発中の魔導陣は、目標からは程遠い完成度だった。何度も修正したからか、紙には不自然な折り目がいくつも付き、文字や線はぼやけてしまっている。同様に、いつの間にかイコの視界もぼやけ始めていた。空の月を写すように、紙の色が小さく濃くなるにつれて、水玉模様がさらに字や線を、熟練の画家が手掛けた水彩画のように曖昧にする。いつの間にか紙を掴む手にも力が入り、さらに折り目を深めた。


「そうだよね、父さん。魔導は自由の象徴、場所なんかどうでもよくて…本当に重要なのは、好きか嫌いかだけだ」


 そのままイコは、しばらく衝動に身を任せて、瞳から水をこぼし続けた。


 翌朝、アデルが食卓に着くと、焼き魚の香りが鼻をくぐった。そのまま定位置に手を伸ばすと、ナイフとフォークが用意されており、間には匂いのもとが並んでいる。更に感覚を研ぎ澄ませると、何かを擦るような音がアデルの耳に届く。机の位置にある小さな魔素の反応に気づくと、ペンが音を奏でていることを知った。アデルは、何かを考える素振りをした後で、口角を少しだけ持ち上げてから、魚を口に運んだ。


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