第五章:飲み会

第27話


 イコとミームが戻った翌日、第零部隊は他社からの大口発注を終えた。特にイコにおいては、ハードワークを越えた後にも関わらず「仮想空間建築魔導」という特殊な案件に興奮して、全力でチェリアの作業を手伝った。ただ残念ながら、チェリアは既に大半のデバック作業を終えており、彼がやったのはプレゼントを最後に包む程度の作業だった。


「終わったわぁぁぁ!!!」


 ラナが、天井を見上げて叫んだ。他部署の視線が集まるも、カーテンが仕切りとなり視線のレーザービームを阻む。仕事に明け暮れた影響から、彼女はスーツの数か所をはだけさせていた。特に胸元やお手製スリットの入ったスーツは、男性の視線を大量に集めていたはずだった。第零部隊唯一の男性であるイコも、そうした理由から直接ラナへは視線を向けないようにしていた。


「飲み行きましょッ!!!」


 数秒後、ラナはもう一度叫んだ。それに呼応するように、既に瀕死状態のミームとチェリアも右腕をプルプルと上げた。余談だが、明日からミームは三連休に入る。有給届を提出すると、ラナも「ここ最近は大変だったからねぇ、うふふ」と彼女らしく笑い、チェリアの有給を快諾した。チェリアもミームと同程度か、それ以上の疲労を抱えていたが、彼女の場合、歩合制のこの部署で少しでも多く金を稼ぐのが目的であり、積極的に有給届を使おうとはしない。表向きには、有給は歩合制度の外側にある、とされるが、デバック課に所属する全ての社員が、それが風体用の方便であることを理解していた。


――◇◇◇――


 花の金曜日、珍しくラナがやる気を出し、高級な個室を予約して部隊を招いた。大口発注や新計画の仕事料がよほどいいのか、ラナにしては太っ腹だった。イコと強引に肩を組むと、ラナは愉快そうに大口を開けて「飲め飲め~~」と、イコに酒を催促する。典型的な面倒くさいパワハラ上司かよ、と思いつつも、イコはラナの酒癖の悪さに付き合っていた。彼女が酒を勧めてくる度に、一杯ずつ適当に弱い酒を煽る。酒の度数に関しては目を瞑ってくれるらしく、程よい手加減がされているようだった。それでも永遠に勧められれば、どれほど弱い酒でも酔いが回り始める。酩酊状態に突入して、やや視界が不安定になり始めていた。隣に座るラナは、そんなイコの様子を見るとニンマリと笑った。


「普段から頑張り過ぎなイコには、それくらいの酔っ払い状態が丁度いいわよ」


 とだけ残し、次の目的地をチェリアに変え、飲め飲め攻撃を始めてしまった。ようやく解放されたものの状況は芳しくない。視界は狭まり、洞窟を歩いているようで、少し先の景色はぼやけていた。口が物寂しくなり、イコは枝豆に手を伸ばした。皮ごと咥えると少しの塩味が舌に染み込み、歯で上手に豆を取り出すと、口内をマイルドにバランス調整してくれた。塩味のおかげもあり、意識がやや整うような感覚があった。隣では、今もラナがチェリアに酒を飲ませ続けている。自分の番が回ってくれば、今度こそ急性アルコール中毒により毒殺されるのではないかと、イコは静かに彼女から距離を取るために動いた。音を立てずに移動する為に、地面と離れずナメクジのように膝を使って徐々に体をずらして、ようやく危険地帯から逃れた。しかし、ラナから離れるということは、同時にほかの何かに近づくに等しかった。そして、イコはミームに肩をぶつけてしまった。


「いッ!?」ミームは、驚いて少しだけ酒を零した。

「わ、悪い」

「い、いいえ」


 と、彼女は遠慮がちに笑った。イコは、今日ばかりはハンカチを持たない自分の愚かさを後悔した。ミームに差し出せるのは、机上のお手拭きくらいしかない。彼が何か行動を起こす前に、ミームはポケットからハンカチを取り出してスカートを拭っていた。それが終わると、彼女はお酒を手に取り、グイっと多めに口に含んだ。更に頬を赤く染めると、気まずそうにするイコにやや暗い表情で話しかけた。


「…実は、相談したいことがあって」


 苦手分野だ。イコは、逃げ出したい衝動に駆られる。人との関りをなるべく避けて

生きてきたゆえに、こうした人間関係の恒例行事から常に遠くの場所にいたのだ。それでも酒を零した罪悪感から、その場に止まるしかなかった。


「毎年バヘイラ魔導学院が募集している魔導論文コンテストに参加してるんですけ

ど…その論文が上手くいってなくて…」


 得意分野だ。イコは、直ぐに前のめりになった。取り合えず、自分に足りない勢いを補うために、酒を一気に煽る。


「論文?見てやろか?」

「いや、それは…ずるなので」


 バヘイラ魔導学園がコンテストを運営していることは、既にイコも知っていた。毎年恒例の行事は、年々レベルを向上させ、現在では学生のみならず、外部の応募も増加傾向にある。しかし、応募者の多数を学生が占めており、彼らが教授からアドバイスを貰うことも罪ではない。そうした学生が多くいることも事実だった。ミームは、金銭的な事情によりバヘイラ魔導学院を諦めた背景がある。彼女の言う「ずる」とは、そうしたプライドも絡んでいるのだろう。彼女の一言から、イコはミームの悩みの本質に辿り着いた。論文のスランプは、心の奥底にある迷いが原因となっているように思えた。仮にバヘイラ魔導学院のコンテストで大賞を取ったとしても、得られるのは栄誉だけ。時を戻すことなど誰にもできず、彼女が魔導学院に入学できなかった事実は消えない。何に認められたくて、論文を書いているのか解らなくなってしまったのだろう。


「論文、止めちゃおうかな。出したって何にもならないだろうし…」


 ミームは、カラカラと空のグラスに入った氷を回した。ひんやりと冷えていく指先は、現実と理想との間にある熱が冷めていく様に酷似していた。同時に、指の熱で徐々に溶けていく氷は、自分の想いが摩耗していくようで、彼女の人生の一部を氷が代替えしているかのようでもあった。


「…イコさんは、挫折とかありました?」


 魔導においては、イコが先を行く賢人であることを既にミームは知っている。彼の言葉が道標になるのではないかと、何となく期待してしまっていた。


「…俺は出したよ。金賞を取った」

「…え?」

「昔の話だ。少し長くなるが、聞いておいて損はない」


 酒で口を湿らせると、イコは懐かしそうに目を細めてから口を開いた。


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