第22話


 イコとミームは、黒い鳥居の前に立っていた。ここは、バヘイラ迷宮寺院である。既にイコにとっては思い出深い場所だ。ちなみに、彼ら以外の二人は、今も社内で大口発注と戦っている。ラナが相性の良い二人組に部隊を分けたところ、いざとなれば自分の魔導により傀儡にできるチェリアを手元に置きたがった。そして未知の魔導に対抗するなら、研究者肌の強いイコとミームの方が、相性良好であるとも彼女は考えていた。


「イコさん、抱かせてください」

「…は?」


 唐突な爆弾発言をするミームを、イコはドン引きしつつ見返した。


「ちちちち違いますよッ!?スライムちゃんです!」


 自ら際どい発言をしたというのに、頬を赤く染めたミームは、何故か被害者面をしており、イコがセクハラをしたかのようだった。


「スライム?何の話だ?」

「その頭の上に乗せてる子ですよ!」

「…あぁ、こいつね」


 イコにとってスタークはスライムではない。但し、外見だけを見れば、間違いなく今のスタークはスライムである。彼がウィッチだと知っているのは、今のところイコだけだ。会社への申請もスライムとして通している以上、彼の正体を隠す必要があるというのに、自分のずさんな演技力に、イコは未来への不安を一つ増やした。


「ほれっ」


 頭上のスタークを、右手で鷲掴みにしてミームへ投げた。彼が空中に浮いている間に、イコはスタークの前世が人間であったことを思い出し、愛玩動物のように扱っていいのかと、時すでに遅い疑問を抱いた。しかし、こちらを向きながら飛んでいくスタークの表情は、多分にいやらしさを含んでおり、イコは自身の考えが杞憂であったことを知った。元人間の嵯峨が、美少女を前に前世を曖昧にしたのだろうと気づいた。そんなスタークの心情などつゆ知らず、ミームは嬉しそうにスタークを受け取ると、ポヨポヨと両手で弄び始めた。イコから見えるスタークの表情は、キャバクラ通いの中年のように歪んでおり、彼の性欲旺盛な前世が垣間見えた気がした。


「か、可愛いぃ…この子の名前ってあるんですかぁ?」

「スタークだ」一応、イコはスタークをジロリと睨んでおいた。

「スタークちゃんですかぁ。可愛いでちゅねぇ~スタークちゃん」


 恐らく、ミームの人生を何周もできるほどに生きているスタークが、赤ちゃん言葉で話しかけられている様子を見ていると、何となく居心地が悪くなりはじめ、次第にイコは出発を催促していた。


「さっさと向かうとするか」

「…ダンジョンなんて初めてで緊張します」

「気持ちはわかるが、あまり緊張し過ぎてもよくないぞ。既に内部は清掃済みらしいし、俺達はダンジョンコアにだけ集中していればいいさ」


 どうにも、ここ最近は円滑な研究の為に、マイクロスクロール社が冒険者達に依頼を出して、頻繁にバヘイラ迷宮寺院内を清掃しているらしい。以前にイコたちが訪れた際に魔物が不在だったのも、そうした理由が起因しているらしかった。


 新計画の為に行われたバヘイラ迷宮寺院に関する事前調査では、他の迷宮と比較すると約8割ほども魔物が少ないことが発覚しており、計画の主軸としてこの場所が選ばれるのは必然だった。とはいえ、まったく危険が無いとも言い切れず、優秀な魔導士としての側面も持ち合わせるミームが、いざとなればショックアブソーバーの役割を果たすことになる。実戦経験が乏しいだけで、彼女の実力はBランク冒険者に相当すると、ラナは見立てていた。


――◇◇◇――


 線路を進む列車のように、当たり前に二人と一匹は目的地にたどり着いた。未だにミームの腕の中にいるスタークは、どこか懐かしそうな顔で、入り口と同形状の黄金色の門を眺めていた。…バヘイラ迷宮寺院に住んでいたのだから、一度はこの場所に来る機会もあったのかもしれないな、とイコはその表情を見て考えていた。ここは最終階層、迷宮最後の扉の前で、一同はその迫力を静かに受け止めていた。


「あっ!?」


 というミームの小さな叫び声に、イコは彼女へ振り返った。どうやらスタークがミームの手から逃れたせいで、彼女が驚いてしまったようだった。思わず手を止めたイコの頭上に、スタークは再び戻ってきた。


『ここまで来たのは、久しぶりである』


 イコの脳内に、直接声が届いた。声はスタークのものであり、彼が念話魔導を起動したのだとイコは察した。とはいえ、普通のスライムは魔導を起動することなど出来ない。ミームから正体を隠蔽するためにイコの頭上を陣取り、お互いの間に魔導陣を表示させているようだった。スタークが被る頭蓋骨は、イコのアイデアでオーダーメイドのマイクロスクロールと交換されている。彼が頻繁に外界に同行するようになった昨今、コミュニケーション不全は、お互いにとって大きなストレスになると、それなりの資金を投じるに至った。


『やっぱり以前に来てたんだな』

『無論である』


 突然手を止めたイコを、背後から不審そうにミームが見つめていた。もちろん、彼女はスタークが魔導を起動しているとは思っていない。その為、今はイコが停止した理由を景色から探っているところだった。感覚的にミームの視線に気づいたイコは、これ以上彼女の抱いた違和感が育てば、いずれはスタークの正体に迫るはずだと、その最悪の瞬間に恐怖を抱いていた。今後も平穏を維持する為には、スタークとの念話に生じる行動の違和感を、少しでも削減する必要があると肝に銘じた。そうしてイコは、なるべく自然になるよう努めつつ重厚な門を押した。しかし、いくら力を込めようとも、地面に根が張っているのかと思えるほどに、門はビクリとも動かなかった。


「…よしミーム、お前がやってみろ」


 ここぞとばかりに先輩面をするも、イコは何となく自分のダサさに気付いていた。


「我々インドアには、この門は重過ぎるみたいですね。任せてください」


 ミームは、重いものを運ぶ時などに使用する筋力強化魔導を起動して、全力で扉を押し始めた。イコでは動かせなった扉が、大きな摩擦音を奏でながらゆっくりと動き始めてしまう。そんな光景に気圧されながらも、先ほどの照れくささもあって、イコはニヒルに笑みを浮かべながら、小さな拍手をミームに送った。無論、ダサさを重ね塗りしていることを、イコは十二分に気づいている。


「さぁ、入りましょうか」


 埃の付いた手をパンパンと払いながらミームは扉をくぐり、イコもその後に申し訳なさそうに続いた。迷宮の要を担うはずの部屋は、町の教会くらいの広さしかなく、これまでのバヘイラ迷宮寺院をなぞり、黒い木材が空間を支配していた。また、スタークの部屋のように木々は朽ちておらず、何らかの防腐魔導が施されているのは明らかだった。この場所がどれほど重要なのかは、中心部に佇む黄金色のダンジョンコアが懇切丁寧に説明してしており、その荘厳な球体は、屋根と床から生える二つの四角錐によって、接触なく支えられたいた。美しさに誘われるがままに、ダンジョンコアへ近づくと、実際は完璧な球体ではなく、ハチの巣状の細かい穴が空いた複雑な多角形であることに気付いた。


「初めて見たけど、結構綺麗なんだな」

「え?イコさんも初めてなんですね。慣れた様子だったので…意外です」

「何度かダンジョンには来たことがあるんだが、最終階層を目的にしたことはなかった」

「そういえば、魔導書収集の趣味がありましたね。それでダンジョンに?」

「正解。特に古代書は、そうそう表のマーケットに出回らないから、自分で探すのが

一番ってとり早いんだ。迷宮で入手したやつは、保存状態も良好な場合が多いしな」

「…古代書かぁ、現代の学術書で手いっぱいで、手を出したことないんですよね。よければ何冊かお借りしても?」

「ふむ、おすすめを見繕っておこう」


 同じ趣味を持つ同志を増やすチャンスだと、イコはほくそ笑んだ。彼の交友関係は焼け野原かつ不毛地帯となっているのが現状だった。同じ趣味を持つ仲間と語り合う日々を妄想して、口角が先走っている。

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