第21話


 バルの行き先は、地下二階の実験階層だった。階層転移門から出ると、イコの目に厳重に強化魔導の施された部厚い扉が映った。剝き出しの魔導陣が、この扉を破壊しようとする者の心をへし折らんと、神の眼のような威圧感と威厳を放っている。込められた魔素量も尋常ではないようで、うっすらとオーラを纏っているのがイコにですら見えた。


 そんな厳重な扉の前に、手のひらサイズの正八面体の魔石がクルクルと回転しながら浮いていた。バルが魔石に手をかざすと、八面体の回転速度が上昇し、それに連動して重厚な扉が鈍重に動き始めた。実験階層の扉には、どのような階級の研究員だろうと入室許可証への直筆サインが必要になり、二人以上の目視により入室者管理がなされている。バルが扉を開けている間に、イコとラナも扉近くにある受付でサインを書いた。入室前に、イコは目線を扉の軌道上に置き、床に薄い傷があるのを見つけた。


「とても頑強な扉だと思いますけど、床の硬度の方が若干低いですよね。もし同じ魔導によって強化しているのなら、魔素伝導効率による魔導作用差が発生しているのは明らかですよ。ほら、床に薄い傷がある」

「む?…あぁ、確かに。後で係の者に言っておくよ。優秀な社員が、硬度強化魔導のデバックに来るってな。もっとも、一度でもあの扉に付与された魔導に関与してしまえば、二度と我が社を辞めることは出来なくなるがね。それでもやってくれるかな?」


 世界NO1企業の、最重要機密情報の一つにアクセスするのだ。何の制約もなく退社して野放しにするのは、余りにリスキー過ぎるということだろう。


「絶対に嫌です。歩合制で稼ぎまくって、40までに隠居するのが目標です」

「はっはっは、君なら可能だろうが、私としては残念でならないな」


 個人用オフィスから出れば、バルの使用するイコの呼び名は「君」に変わる。面倒ごとを嫌うイコの為に、会社内では二人の関係性を隠しているのだ。それこそ関係性が明るみに出れば、そこらの不倫よりも面倒ごとになることだろう。


「…俺がどれだけ個人的な魔導開発を愛してるか…わかりますよね?」

「もちろん、君がプライベートを重視する人間なのは知ってるさ。でも君以外にやらせると、必要以上に時間を食うからね。…特に、今はエキスポで忙しいし、君の見つけたこの扉の脆弱性を狙って、産業スパイがやってくるかもしれないぞ?」


 バルは、右手を額に当てて、「まずいよ、これは」と小声で付け足していた。


「大手警備会社のエブソックに、警備体制を強化させているのは知ってますよ?忙しい時ほど警備を重点的に、そんな基本的なことを俺が知らないとでも?機密情報にアクセスさせて、マイクロスクロース社に縛り付けようとしてるでしょ?」

「…さて、こっちに来てくれ」


 バルは、スタスタと足を速めて扉をくぐり抜けた。彼女の後に続き、二人も室内に踏み入る。少なくとも、イコは実験室に入るのが初めてだった。無菌状態を維持する為に、入ってすぐに床の完全除菌魔導陣を踏みしめ、ようやく実験室の観察を始める。この空間を支配する純白は、内部の清潔さを示しているようでもあり、白衣の人々を空間にはめ込んでいるようにも見えた。中で実験を続ける研究員たちを含め、この部屋を構築する全てが純白であり、新たな何かを生み出す為の、子供が持つ自由帳のような、想像の種をイメージさせた。中心の大きなガラス部屋を囲むように、小さながガラス部屋が並んでいる。棚までもがガラスで造られており、モンシロチョウのような純白のファイルが、何もない宙に留まっているかのようだった。知性の森、そんな言葉がイコの頭に浮かんでいた。


「では君に、テストに協力して欲しいんだ」と、バルはイコを見た。

「あぁ…はい」


 ほとんど魔素のないイコは、自分が実験体としてベストだと理解していた。バルの指示と共に、研究員がイコの下に来る。彼はテストケースとなる魔導が入ったマイクロスクロールをイコに渡すと、中心の大きなガラスケース内にある金属の板に乗るように指示を出した。ガラス越しに内部の構造を観察すると、大部屋の床から一メートルほど高い位置に金属板は設置されていた。その板からは、タコの足のように管が生えており、床に向かって続いていた。不明瞭な迫力を感じつつも、靴を履いたままイコは板上に乗った。隣接する小部屋から、バルとラナが手を振ってきたので、彼も問題ないことを伝える為に振り返した。何となく、イコは動物園の動物たちの気持ちがわかる気がした。


「これから機構を起動します。あまり緊張せず、リラックスしていて下さい」


 ラナとバルの間には、操作端末を握る研究員がおり、彼の声は魔導によってイコのいる大きなガラスケースにまで届けられている。


「わかりました」

「では、魔素脈化機構「ツリー・ルート」起動!」


 イコからも、レバーを倒す押す研究員が見えた。


「………え?」


 豪快に期待は裏切られて、目に見えて解るような変化は何も起きず、静寂に包まれた空間を急かすように、金属板から「ブ~ン」という異音だけが鳴り続けていた。


「イコさん、テストケースを起動してみてください」


 イコは、苦い顔をしながら右手のマイクロスクロールを見た。保存されている魔導を聞かされておらず、どれを起動すればとメモリーを参照する。そんな中、興味深い魔導を見つけた。…飛行魔導かぁ、一度は空を飛んでみたかったんだよな、と思いをはせる。飛行魔導は、上級魔導に分類され、継続的に魔素を消費し続けるその仕様は、とても燃費が悪く、日常的に使用している消費者は一切いないほどにピーキーな魔導だ。


「こういう魔導も、魔素脈が地底に引かれれば、常用できるようになるのかもな」


 早速の起動を試みるも、マイクロスクロールは何の反応も示さなかった。しかし、イコ自身には魔素を消費した感覚がある。その微細な感覚は、イコに違和感を与えただけであり、いつも通り上級魔導を起動するには至らなかった。


「それが現状なんだ。感覚が鋭敏な者が見れば、間違いなく金属板に魔素が引かれているんだが、何故か魔導を起動できない」


 体内に保有している魔素以外から、魔導を起動する例はいくつもある。例えば、身体的負担を軽減する為に、老後は基本的に全ての家庭用魔具を魔石から取り入れた魔素により起動することになる。魔石から体内に魔素を引き入れて魔導を起動する時、人体は回路の役割を果たすだけで、身体的負担は飛躍的に軽減される。老後の魔石の供給は、国が定める年金制度の一部として適用されることになる。このように、国が定める年金制度の一部になる程度には、体外から魔素を取り入れる仕組みは日常的である。


「同様のテストケースは100件ほどあります。恐らく、問題は人間側ではなく――…」

「ダンジョンコア側…か」

「一説によると、ダンジョンコアは高度な魔導による産物らしい。その魔導を解明できれば、エラーの解決に繋がるはずなんだ。だから、我が社で最も魔導解析の得意なデバック課の、業績一位の第零部隊さんに白羽の矢が立ったってわけだ」

「なるほど、でもそれだけで俺達が選ばれますかね?窓際部署の業績一位ってだけで、新事業の要になるような仕事を任されるとも思えませんがね」

「…私が推薦したんだ」


 と、何故か照れくさそうにバルが言った。イコは、自分の会社での窓際的扱われ方に、バルが納得していないことを知っていた。だからこそ、不貞腐れることなく向上心に溢れる学友のラナに預けられたのだと。そんなバルの真意を知らぬラナは、横に立つ彼女を薄目で睨むと、ワンオクターブ声色を下げて話し始めた。


「私たちは、既に他社からの大口発注を抱えてるのよ、そんな時間はないわね」

「今は他社よりも我が社だし、これは直属の上司である私からの命令だ!」

「…わかったわよ、やればいいんでしょぅ、やれば!でも、取引先に口利きしてよ。第零部隊の信用に関わることなんだから。天下のマイクロスクロール社の魔導開発部門統括部長様の言葉なら、潔く時間をくれるはずでしょ?そうねぇ、元々の期限は二日だから…部隊を二つに割るとして…あと一日くらい延長しておいてくれないかしら?」


 余談だが、元々の大口発注の期限は一週間であった。ラナが評価向上の為に、二日で終わらせると取引先に伝書鳩を飛ばしたのだ。しかし、ハムサン社に一枚食わされて、既に一日を消費しており、状況はとても切迫していた。自分から大見えを切った手前、ラナから取引先に延長を申し入れることは、彼女のプライドも絡んで絶対にできない。補足情報として、以上の窮地は、部隊の部下たちに極秘である。


「了解、それくらいならお安い御用だ。…その分、期待してるぞ?」

「はぁ…ま、イコがいれば何とかなるかしらね」


 言葉と共に、ラナとバルの視線がイコへと向かう。バルに評価されている人物がよほど珍しいのか、研究員たちの視線までもがイコに集結していた。好奇心、敵対心、疑心などの心象が、視線に物理的な力を与えてチクチクとイコを刺していた。…また面倒なことになったな、とイコは肺の空気を少しだけ撒いた。


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