第10話

 

 シバシバとする目を袖で擦り、イコは何とか視界を確保した。


 周囲には、母性を描いたかのようなふっくらとした柱がいくつもあり、奥のステンドグラスに向かって、イコの左右に整列している。ステンドグラスには、一度でも魔法を齧ったことのある者なら誰でも知っている「マーリン」が描かれており、彼を包まんとする光を背負い、その神々しさと存在感を存分に表現していた。イコは、とある古代書の中に、マーリンを崇拝する魔法教団が描写されていたことを思い出していた。実在した人物を崇拝する教団は珍しく、イコの記憶の中に、壁に着いた泥のように乾燥して残っていた。もしかすると、この魔導書庫の主は、敬虔な教徒なのかもしれない。イコは、この場所が神殿であることに気付いた。


「…綺麗」


 緊急事態であるにも関わらず、いつの間にか柱に近づいていたチェリアは、感動に体の操作を奪われ、柱を優しくなぞっていた。


「美しかろう」


 そんな、囁きにも近いチェリアの小さな言葉に、どこかから返事があった。冒険者としての経験と直感がそうさせたのか、チェリアは一瞬にして声を視線によりなぞった。そうして声の主に顔を向けた途端、彼女は動きを完全に停止させる。そこに何かが沢山いて、情報過多になったわけではなく、圧倒的な一つの大きな情報に対して戦慄したのだ。


「トワイライト・エンシェント・フェアリー・ウィッチ」


 冒険者に配布される魔生物討伐指標において、最高位のSSSランクを格付けられ、人類とは一線を画す魔生物だとされている。当該魔物が人類と最後に会合したのは、およそ500年ほど前、その際に一つの大陸に存在する国家を全て支配下に置いた。その危険度は、全ての冒険者にギルドから直接共有されており、発見後の報告を義務とする。


 敬虔な教徒の祈りを全て集結させたかのような、ある種の畏怖を編み込む黒と紫のローブを羽織り、白亜の城のような、一切の淀みを拒絶する頭蓋骨が一同を観察している。どうにも、ローブが胴体の役割を果たしているようで、ふわりとチラつくその中には、何も入っておらず、布を含めてウィッチを完結させているようだった。頭蓋骨の額には、流線形の赤い魔石が埋め込まれており、その怪しい光は、黒い空白が支配する頭蓋骨の眼球に変わり、一同を睥睨しているようだった。


「では、消えよ――爆炎連弾(ファイア・バレット)」


 ウィッチは言葉と共に、右手を前に出した。すると、そこから三十センチ程度の魔導陣が現れ、約一メートルほどのFBが連続的に射出された。咄嗟にバイルゥとチェリアがイコの前に飛び出すと、対抗して魔導を起動した。


「二重防壁(デュアル・バリア)!!!」


 三人に爆炎連弾が着弾する寸前、半透明かつハニカム構造の薄い壁が、二重になって一同を囲んだ。強大な火球がバリアにぶつかると、爆炎が舞い上がり、神殿が痛みに震え、それが一同の足にまで伝わってきていた。一撃目でバリアが歪み、二撃目で亀裂が入り、三撃目で一枚目が破壊、更にもう三発が放たれた瞬間、バイルゥがチェリアの手を引き、自分の後ろに隠した。バリアが破壊され、無慈悲にも爆炎が彼の体を焼き付くす。そしてバイルゥと引き換えに、ようやく爆炎連弾が停止した。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 焚火のように灰色の煙を上げるバイルゥを見て、顔を青くしてチェリアが叫んだ。それでも元冒険者としての本能が、彼女の体を動かし、バイルゥに治癒魔導を施す。既に瀕死の状態だったが、彼女の魔導によって何とか命を繋いだ。それは、天井から一本の糸で子供をつるすようなもので、ひとたびチェリアが動けば、糸は切れてしまうはずだ。


 ウィッチは止めを刺す為に右手を向けた。しかし、人差し指をピクリと動かすと、魔導の発動を止めた。頭蓋骨の角度が、下から上へ傾き、何かを観察しているようだった。


「…イコさん」


 二人の前には、イコが立っている。チェリアは知っていた。イコには、魔素が無いことを、そして、そんな彼が二人の前に立とうと、現状を打破できないことを。しかし、先ほどの白い光により、三人は別空間に飛ばされてしまっている。つまり、もはやイコを逃がすことは出来ず、現状は死の順序を決めているに過ぎない。名もない店の行列に、イコが横入りをしただけだ。通常ならば、横暴でしかない横入りに、チェリアは涙を流しそうになっていた。


「…?お前、魔素が無いのか?なるほど、さては荷運びか。せめてもの日ごろの恩返しに二人よりも先に殺してくれと?どちらにせよ我が魔導書庫を荒らしたのだ。全員に死んでもらう必要があるが、望みを叶えてやってもよいぞ」

「…あれは、お前の魔導書庫なのか?」

「愚問である」

「なら期待外れもいいところだな。最初に放った魔導が何の工夫もない中級の爆炎連弾って、覚えたての学生かよ」

「ほぅ、決定した死の前に、口で抵抗するか。せめてもの悪あがきとは、可愛いものだ」


 ウィッチは、骨だけの口を震わせ、カチカチと奇妙な音を奏でている。


「…う~ん、にしてもお前、なんでわざわざ魔導を使ってるんだ?ウィッチなら、というか魔生物なら魔術を使えよ。その柱が魔導記憶機構なんだろ?一本につき一つずつ魔導が格納されてて、その一つが爆炎連弾って、子供用の図鑑みたいなラインナップだよな。かっこいい!これ使いたい!とか、ガキかよ!?お前のが可愛いわ」


 無言でウィッチがイコを見た。


 余談だが、魔生物、もとい魔物は、詠唱無しで魔術を扱うことができる。魔生物のメカニズムとして可能であり、そこに理論などなく、人間に真似ることはできない。詠唱無く魔術が扱えるのなら、魔導との均衡は完全に崩れており、使用しない手はない、というのがイコの言葉の真意である。


「魔素のない弱者の言葉など、虫の羽音に等しい」

「浅いなぁ。天下のウィッチ様が、魔素の大小で強弱の判断か、失望した」

「…魔導の深淵に至る…この私が浅い?では、その身に我が深みを刻め!」


 カタカタと頭蓋骨を揺らすと、ウィッチが右手を上げる。それと同時に、可視できるほどに膨大な魔素が、格上の生命体である事実を証明するように、天へと立ち上った。


「……終わった」


 チェリアの人生において、あれほどの魔素量を見るのは初めてだった。ご馳走を前にして口内に涎を貯めるように、彼女の額に汗が滴る。明確な死の予感と、美味の予感は、出る汁の位置が異なるだけで、人体から水分を吐き出させる。それぞれの溢れる液体は、圧倒的な美食へ少しでも近づこうとするのか、それとも圧倒的な恐怖から逃れようとするのか、どちらも動けぬ体の代わりを果たしているのかもしれなかった。

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