第二章:魔導書庫

第6話


 バヘイラ防壁門にて、イコは女性と待ち合わせをしていた。


 普段のドクターコートではなく、深緑と茶色の迷彩柄のTシャツに、短パンとグラサンというとてもラフな服装をして、防壁に寄りかかっている。イコの隣で、とても大きなミリタリー用のリュックサックも地面でくたびれていた。


 バヘイラ王国は、王都一つしか町を持たない変わった国で、周辺に潜む魔物の脅威から自衛する為に、王都を囲むように防壁を備えている。広大な範囲を囲む防壁も、魔導を用いれば建築不可能ではなくなる。高さ百メートルにも及ぶ防壁は、地を這う魔物の侵入を固く拒み続けており、対空策として、防御魔導が空すらもドーム状に囲んでいる。周辺国家と比較しても、バヘイラは最も安全な国の一つだと言えるだろう。


 イコは腕時計を見ると、溜息をついた。待ち合わせは、午前9時だったはず。既に時刻は10時を回り、一時間も防壁に寄りかかっていた。無機質な鉄筋コンクリートによる防壁は、バヘイラだけではなく、イコの背中をも平らに固めていた。


「い、イコさ~ん、ごめんさないで~す」


 コメ粒ほどに見える距離感で、遠くから女性が謝罪をしている。彼女が周囲の視線を集める理由は、とても美麗な容姿だからではなく、奇怪だからだろう。ようやくイコの側まで辿り着くと、彼女は膝に手をつき腰を曲げ、荒くなった息を整えようとしていた。


「…はぁ、一時間は遅れすぎだな、流石に」


 何とか怒りを鎮め、なるべく冷静に勤めつつ、イコは彼女を諭すように咎めた。


「でもでもでも、朝は寝心地が良かったんですよ!」


 ガバッと体を起こし、イコの顔面へ顔を近づけて、不成立の言い訳を叫ぶ。逆ギレもいいところだが、あり得ないタイミングでの勢いに、思わずイコは仰け反った。現役会社員にして、元冒険者という異色の経歴を持つチェリアは、いつ何時もハングリーで押しが強く、論理など蚊帳の外に追いやって言い訳をする悪癖がある。


「ふざけんな、馬鹿!」

「ふげっ!?」


 イコがポカンッと頭を優しくこずくと、チェリアは痛そうに頭を抱えて屈んだ。彼女は白の半そでTシャツの上に黒い皮鎧、下は茶色いミリタリーパンツという服装で来た。二人に共通して言えることだが、デートというには余りに武骨な服装をしている。


「でもでも……すみませんです」


 チェリアのしょんぼりと反省をするさまは、まさしく大きな子供であり、イコから追撃の意志を奪い去さってしまった。追撃の代わりに溜息を落とし、彼女を許した。


 強大かつ頑強な防壁を持つバヘイラは、国家単位で防衛意識がとても高く、安心感の上に大国を築いてきた保険企業のような国家である。そうした要因から、防壁門をくぐるのにも、面倒な申請をいくつも必要とする。しかし、そんな申請に融通を利かせることができる職業がたった一つだけ、それが「冒険者」である。冒険者は、職業柄頻繁に防壁門をくぐる。有用な魔石などを手に入れる為には、魔物の討伐が必要不可欠であり、討伐依頼を請け負う彼らをバヘイラに拘束すれば、魔導大国であるバヘイラにとってマイナスでしかないのだ。そして、そんな冒険者ライセンスを持つのが、このチェリアであり、イコがバヘイラ外へ出る為に、白羽の矢を脳天に突き刺した女性だった。


――◇◇◇――


 合流した二人は、防壁門を越え、背の高い木々が乱立する森へ来ていた。ここは「バヘイラ大森林」、名前通りバヘイラ最寄りの大きな森で、比較的に魔物が少ないポピュラーな森だ。ダンジョンを一つ抱える以外は、観光地としてもメジャーで、観光するには冒険者などの護衛が必須になる。


 森には、人々が踏み固めた獣道という矛盾が形成されており、人工獣道の複雑な迷路を大半の冒険者は把握している。チェリアもその一人だ。彼女は、背後に立つイコの為に、全力で周囲を警戒しながら進んでいる。彼女の冒険者ライセンスは「C」ランク、上から四つ目かつ下から三つ目で、丁度中盤にあたる。それなりに戦闘経験があり、問題なく基本をこなせて、ある程度安心して依頼を任せられるくらいの立ち位置だ。


 太い木の裏、草の揺れ、風の流れ、香り、あらゆる観点を用いて警戒していると、程よい緊張感がチェリアを包む。毎日のように書類やスクロールに囲まれるストレスが、森林浴により少しずつ溶けていくのを彼女は感じていた。


 ゆっくりと森を進むこと5分程度、前方から若い男が歩いてきた。黒髪黒目のスポーツ刈りで、背は190を越えているだろう。迷彩柄の長袖に、赤い皮鎧を重ね、膝の分厚い黒のミリタリーパンツをはいている。皮鎧のない腕部分は、風船のように膨らんでおり、彼の服の中身に天然の鎧が詰まっていることを強引に想像させる。男との距離がある程度縮まると、向こうから手を挙げて挨拶をしてきた。


「あ!バイルゥじゃん、久しぶり!」


 チェリアも手を挙げて、満面の笑みで答えた。

 彼の名前は「バイルゥ・ミラー」。冒険者時代のチェリアのパーティーメンバーだ。


「ん」


 という一文字をバイルゥは返した。彼らしいな、とチェリアは満足げに笑った。


「チェリア、お前はサラリーマンになったはずじゃ?」


 三歩進めばキスが出来そうな距離にまで近づくと、バイルゥが口を開いた。


「うん、その通りだけど、今日はちょっと事情があってね」

「ほぅ?チェリアのことだから、サラリーマンとしての責任に耐え切れず、逃げ出したんだろう?お前にサラリーマンは向いてないよ」


 バイルゥは、サムズアップしながらチェリアを嘲笑する。


「う、うるさいな!違うよ!今日は先輩の付き添いで来たの!」


 バイルゥの挑発に呼応して、チェリアの声も大きくなる。冒険者から離れて長いせいもあって、昔の仲間との再会により、警戒心の結び目は少しずつ解け始めていた。


「付き添い?先輩って恋人か?」

「それも違う!」

「あん?バヘイラ大森林だから、デートにでも来たのかと思ったぜ」

「ま、まぁ確かにデートに良い場所だけど、今日はダンジョンが目的なんだ」


 唇を尖らせて、チェリアは洋菓子を取り上げられた子供のようにしょげつつ答えた。昔と変わらず、解り易い彼女の様子に、観光以外の来訪が本意ではないのだとバイルゥは気付いていた。


「おいおい、ダンジョンが目的って、サラリーマンが久しぶりに行っていい場所じゃないぞ?あぁ…でも、確かマイクロクスロールに入社したんだっけ?超大手だし、実力派魔導士も沢山いて、そんな一人がチェリアが付き添う先輩…だとか?…いや、それはなさそうだな…」


 チェリアというよりも、その背後を見ながらバイルゥは勝手に結論を設ける。チェリアは、いくら何でも自分の先輩に対して失礼ではないか、と頬を膨らませ、なんと罵倒してやろうかと考える。しかし、その思考はバイルゥの次の言葉により遮られた。


「だって、あそこでゴブリンに土下座してるのが先輩だろ?」

「ほぇ?」


 バイルゥは、チェリアの背後を指さす。直ぐにチェリアは、彼の指の先を視線で追いかけた。するとそこには、こん棒で殴られながらも、ゴブリンへ必死に土下座をするイコの姿があった。冒険者には、ゴブリン相手に土下座をするような奴はいない。余りに非日常的な光景のせいで、逆にチェリアは冷静になってしまった。ふと、土下座って相手に背中を向けるから、割と優秀な防御姿勢なんだなぁ、と現実から目を逸らした。


「い、痛い痛い!!!み、見逃してくれ!話せば解り合える!俺達は同じ動物だ!」


 イコは、言葉の通じない相手に説得を試みていた。情けないイコの声を聴いて、ようやくエマージェンシーだと理解したチェリアは、慌てて腕時計のケースを回し、掌をゴブリンへ向けた。


「ファ、ファイアーボール!」


 だいたいバスケットボールくらいの火球が、ゴブリンへと飛翔する。イコをボコボコに殴っていたゴブリンは、自身の寸前に迫るまで火球に気付かなかったが、人外の反応速度を見せて、咄嗟に頭をかがめて躱してしまった。しかし、次いでチェリアの火球を追いかけるように放たれていた二球目に気付けず、屈んだ状態で顔面にクリーンヒット、被弾箇所を炭化させながら、仰け反るように体を「く」の字に曲げ、そのままゆっくりと仰向けに倒れた。チェリアは、二球目の存在をゴブリンの被弾によって気づき、目を見開いて驚いていた。軌道を巻き戻って隣を見れば、同じく右手を出したバイルゥの姿を見つけた。


「…あ、ありがとう」


 チェリアは、素直にぺこりとお辞儀をして、バイルゥにお礼を告げる。

 余談だが、魔導陣の起動に声など必要ない。必要な魔素量を投資すれば、自動的に魔導が発動する訳だが、見えずとも近くに人がいる可能性のある森などでの掛け声は、警告の意味合いもある。冒険者として活動する際のマナーだ。


「それ古いFB(エフビー(ファイアーボール))だな。最新のよりかなり遅いぞ。今時のゴブリンは、あれくらいドッジボールみたいに簡単に躱す。攻撃魔導は、常に最新のものを契約しとけよ。それくらい常識だったろ?…まさか、ケチったのか?」


 初級魔導に分類される、いくつかの基礎的な魔導は「FB」などの略称を持つ。また、魔導に知的財産権が設けられた昨今、月間・年間契約にもとづき、決められた料金を支払うことで魔導陣を契約する必要がある。学習能力が高い魔物を相手にすることも多くある冒険者は、常に魔導陣に変化を加えるのが当たり前で、多種類化したFBを使い分ける冒険者もいるほどだ。大多数の冒険者は、最新の魔導陣の契約を対策とするが。


「ケ、ケチっちゃったんだ」

「…はぁ、マジかよ。それでダンジョンって…死ぬぞ?」

「あ、やっぱりそう?怖くなってきちゃった」

「もういい、俺も付いてくよ。昔の仲間がくだらないことで死ぬのは目覚めが悪い」

「ほ、本当!?正直不安だったの!」

「…だろうな。それより、ほら、あいつを助けなくていいのか?まだ土下座してるぞ?」

「ほぇ?」


 チェリアがイコを確認すれば、


「た、頼む!金ならいくらでも払う!殺さないでくれ!」


 既に炭化したゴブリンへと、傲慢な貴族みたいな謝罪を繰り返していた。こっそりと溜息をついてから、チェリアはイコの肩を叩いた。


「終わりましたよ。イコさん、もう大丈夫ですから」


 見知った声を聴き、イコは頭を少しだけ持ち上げた。それから炭化したゴブリンを見つけると、ようやく立ち上がる。


「…おかしいな、交渉には自信があったのに」


 調子の悪い笑顔を浮かべた後で、イコは服に着いた砂をパンパンと叩き落とした。


「言語的に無茶ですよ。先輩は魔素が無いんだから、あんまり私から離れないで下さいって言ったじゃないですか!」


 チェリアはイコに近づくと、彼の肩を激しく揺さぶりながら説教をする。さながらケルベロスのように、素早く揺れるイコの顔は三つに見えた。


「ウプッ…まぁまぁ、落ち着けよ。このままじゃ朝食が溢れちまう」

「王都から出れば、どこでも命の危険があるんです!しっかりして下さい!」

「解ったから…もう…止め…ろ」

「ところで、バイルゥが同行してくれることになりましたから、彼にも私と同じ分だけの報酬をお願いします!」

「え?バイルゥ?…誰?…ゥわ…もう出るわ、これ。もう何でも払うから離して下さい」


 力技でうやむやにしつつ、バイルゥの同行を報酬付きで取り付けるチェリア。彼女の美点である強引なところが、ヤンキーのカツアゲのように功を制した。


「オロロロロロロォォォォ」


 チェリアから解放されると、早速イコは獣道の隅に濁った水たまりを作った。


「おいおい、職場の先輩にそんなことしていいのか?俺は報酬が貰えるなら嬉しいけど、これじゃいじめだろ。四捨五入したら法に触れそうだ」

「いいの!今日は休日だったのに、お小遣いが貰えないなんて可哀そう!」

「…めちゃくちゃお前の事情じゃん。冒険者に休日なんてないが?」

「うるさい!先輩は女っ気もないし!あんな性格で彼女なんて居る訳もないし!趣味は魔導開発だし!たまに泊まり込みで仕事してて臭いし!絶対貯金だけは沢山あるから!だから気にする必要なんてないの!」


 右手をギュッと握りしめ、胸の前に持ってきて叫ぶチェリア。絶望的に強引な論理に、付き合いの長いバイルゥですら、吐き続けるイコの背中をさすった。こんな馬鹿を後輩に持つ不幸な男を、少しだけも助けたい、バイルゥは心からそう思った。


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