でばっくバッカ

木兎太郎

でばっくバッカ

序章:法律

第1話


「魔法に知的財産権を設ける」

 バヘイラ王国を有するガリレオ・バヘイラ国王の言葉は、快晴に雷を轟かせるが如く、脅威的かつ驚愕的に、民衆へ新たな世界の在り方を示した。

 1:魔法とは、魔術と魔導に二分される技術である。

 2:魔術とは、口頭による術式の詠唱を用い、精霊の奇跡を人類へ齎す技術である。

 3:魔導とは、魔導陣と呼ばれる術式を用い、精霊の奇跡を人類へ齎す技術である。

 4:知的財産権を魔法に設けるに辺り、口頭による術式使用が可能な魔術は、政府  による制御が困難である為、「禁止技術」とする。


――◇◇◇――


 ここは、バヘイラが有する魔導企業が一つ、その地上5階。既に窓から見える景色は暗いなか、灰色が支配する無機質なオフィスにて、女性が一人業務を続けていた。


 デスクに座る女性は、ふと背後を見る。先ほどまで女性が作業していたデスクだ。そこには、一本のペンがある。どうやらあれは、彼女のペンで間違いない。女性は、ふとペンへ手を伸ばした。彼女とペンの距離は、目測5メートル程。とても手を伸ばして届く距離ではない。しかし、突然ペンが浮き上がった。まるで天井から紐で釣るされているかのように、ふわふわと揺れ動くペンは、そのままスーッと線を引くように、真っ直ぐに彼女の伸ばされた掌へと飛んでいく。長年連れ添う愛犬が、人ごみの中から顔のない飼い主を見つけるように、ペンに迷うそぶりはない。


 この光景は、あくまでも日常である。

 彼女は、ただ「魔導」を使っただけだ。


 女性は、ペンを取り戻すと、そそくさとペンケースへ、更にペンケースをカバンへしまう。デスクに置かれた紙コップの最後の一口を飲み干し、室内を室内足らしめんとする扉まで向かい、その横にあるゴミ箱へ、クシャッと紙コップを握りつぶして捨てた。


 扉から出て廊下を歩き、一つ角を曲がり、行き止まりの通路にて立ち止る。彼女を囲む両側の壁面には、片側四つずつ、計八つの扉がある。無作為に最も近い扉を選び、ダイヤルでもあるドアノブを、目的の階層を示す数字へ回し、それから開く。扉の向こう側は、さながら一枚の風景画のように、同じ通路を描いた。


 しかし、階層が異なる。扉と扉を繋げる魔導が、扉へ込められているのだ。地上五階から一階へ向かうには、階段を利用するのがセオリーだが、魔導の前に常識など儚い。


 女性は、飲みかけの水をシンクに捨てるみたいに、溜息を一つ会社へ落とすと、自動ドアをくぐる。それから首を左右に振ると、今日も関節がコキコキと愚痴を言った。


「やっと帰れる…」


 なんて囁きが、彼女を先導する。すると、視界の隅で黒い影が蠢いた。女性の夜道、想定される危険の数は、一つや二つではない。咄嗟の出来事にも冷静に反応した女性は、サッとバックステップを一つ刻み、右手を前に向けた。魔導世界において、これは銃口を向けるのに類する行為だ。


 そんな黒い影は、キョトンと女性を見た。


「あや、驚かせちゃったね」


 青い帽子に青い作業着、見覚えのある姿に、女性は直ぐに彼の正体に気付いた。自社が雇う清掃員の方ではないか…と。この広いオフィスと自社手前の通りまで掃除してくれている縁の下の力持ち。そんな彼の重要性に気付くと、女性はぺこりと深く頭を下げ、逃げるように走り去ってしまった。


 ポツリと置いて行かれてしまった清掃員は、せっかちな会社員に笑みを零すと、自分の業務へ戻った。隣接するビルとの間の細い裏路地に入り、風が誘導したゴミをひらいながらも更に奥へ奥へと進む。裏路地まで清掃するのは、彼のプロ意識でしかない。清掃員は裏路地に落ちるゴミを、美女の歯の青のりだと例え、よく同僚の笑いを誘う。そんな青のりを爪楊枝――基トングにより回収していると、壁面の違和感に肩を叩かれた。ふと視線を上げ、「チッ」と舌打ちを一つ。何度も何度も回収しても、張り紙は定期的に戻ってくるのだ。苛立ちを覚えるのは当然のことだった。清掃員にとって、そのポスターは愛する美女の歯に毎日のように青のりがついているのに等しい。


(…懲りない奴らだなぁ。何の羽だよ…)


 クシャッと丸めつつ、清掃員は苛立ちながらも張り紙を剥がした。


――◇◇◇――


 ネロ・イコ・ラスは、三歳の頃には、魔導書を読み漁る天才であった。まるで無垢なスポンジのように知識を吸収し、スポンジという不安定な地から花を咲かせてしまう。良家の長男として、申し分のないほどの才能を有した。ラス家の発展の為、周囲の期待を一身に背負っていた。


 ――が、丁度四歳の誕生日、彼の下に転機が訪れる。


 魔素保有量量測定装置による計測で、彼の明るい未来は大きく崩れ去った。

 人体は、魔法を使用する為の「魔素」というエネルギー体を保有している。端的に言えば、魔素が多ければ多いほど、魔法に適性がある。ラス家が目を何度擦ろうとも、測定値の表示が変わることはなかった。

 

 ――「1」という数字は、ラス家にとって数字以上の大きな意味を持つ。

 

 測定の翌日、ネロはいつも通り日課の散歩をしようとする。散歩と言えど、そこまで遠出はせずに、家の周りの街道を少し歩くだけ。巨大な屋敷の周りを歩けば、それだけで十分な運動になる。そうして屋敷の扉を開ければ、そこは見覚えのない森だった。ネロの背中が誰かにトンッ…と押されてしまう。トテトテとたたらを踏みつつ前に数歩、それから背後でバタンッと扉が閉まる音がした。直ぐにネロが振り返るも、そこに扉はない。


 魔導の知識のみを育て続けたネロには、当然のように自然に挑む知識などなかった。


 何も解らないまま、家だけを目指してネロは歩き続けた。晴れの日も、雨の日も、曇りの日も、一生懸命に家を目指して歩き続ける。人類から断絶された森は、家族から断絶されたネロへ、孤独のみを蓄積させていった。命を懸けて家族を目指すネロは、ブチンという何かが千切れた音を聞き、その場に立ち止る。お気に入りの革靴が擦り切れ、もはや使い物にならなくなっていた。革靴との別れは、ネロに家族との断絶を連想させた。


 断絶から十日、ネロの瞳に涙が溢れた。両親を愛していた。何気ないことを笑い合う血の繋がりを求め、何もない虚空を手繰り寄せるように手を動かす。空気を撫でれば撫でるだけ、心には虚しさだけが溢れた。ネロは、木に寄りかかりつつ、地面へ座った。俯いて地面を見つめ、ゆっくりと目を閉じる。溢れる涙も止まると、終焉だけが彼の存在を受け入れようと忍び寄った。


 同日、湖のほとりにて。


 アデル・チャリティーは、高名な魔導士である。しかし、人との関りを嫌い、森の奥深くに一人で住んでいる変わり者だ。深く苔むしたこの森は、彼にとってエデンの園に等しいほど、居心地の良い場所だった。


 彼は生まれつき盲目だが、生活に不自由したことはない。「音波探索魔導」を開発し、その著作権を持つ彼は、自分の周囲に音波によるセンサーを常に漂わせている。  海が皮膚だとすれば、波打ち際にある小石の存在を、触覚により探知することができる。彼が音から得る情報と、人が物に触れて得る情報の間に、大きな差はない。


 森には、小さな湖が一つだけある。水分を得るためには、その湖を頼るしかない。さながら女神のお小水、神の恵みだとアデルは考えていた。杖代わりの探知魔導を周囲に放ちながら、アデルはバケツに水を汲んだ。彼ほどの魔導士ならば、今よりも素晴らしいインフラを整えることも可能だが、あえてそれはしなかった。この大魔導時代において、手間を好む奇異な人物である。


 ――ふと、探知魔導に妙な反応が一つ。トクトクと、一定の弱弱しい鼓動を放つ小さなものが、索敵範囲内にある。この森に生き物はいないはず、そう考えつつも、アデルは嫌な予感を頼りに、小さな反応を求めて進んだ。


 大きな木の根元で、宙を泳ぐように手を動かす。暗闇を歩む子供が、親の手を探すかのように、アデルの手は小さな温かさを見つけた。なぞるように触れれば、頬の柔らかさを見つけることができた。高級な絹のドレスのような肌触り、それに母性に溢れる母の乳房のようなクッション性。子供だ。…とても小さな子供。5歳にも満たないほどに幼い子供が、何故こんな森の奥深くにいるのだろうか。


(まずい、死にかけているじゃないか。…使うしかないな)


 そっとアデルは、輪郭をなぞり頭部に手を触れる。


「白き眼よ、その偉大なる杯をもって、我が望みに答え、この者に祝福を与えよ」


 省略詠唱による魔術の起動、倒れる少年の体に点在する傷の数々が、見る見る内に癒えていく。傷が治る光景は、水面に砂を鎮め、深部へと水が侵食する様に似ていた。しかし外傷とは、文字通り体表に点在する傷でしかない。弱り切った内臓や、栄養失調までをも改善することはできない。アデルは少年を抱え、直ぐに自宅へと戻った。

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