第19話 商人転生

 元となったゲームの世界に、商人のキャラはいただろうか。

 いたことはいた。武器や防具を買いに行けば、そこにはおっさんどもか綺麗なねーちゃんが販売していたからである。

 ただあのあたりはモブキャラであったし、若手の商人などはいなかったと思う。

 ひょっとしたら他のルートにはいたのかもしれないが。

(いや、ローデック家の御用商人だとしたら、クレインルートじゃないと出てこない可能性はあったかな)

 ラトリールートもクレインルートも、トリエラはクリアしていない。

 一番関係性の深いクレインルートをクリアしていないのに、よくもトリエラを転生先に選んだものだと、冷静になった今なら思う。

 ただあの時は、正直どうでも良かったのだ。

 死後の世界などあるとは思っていなかったし、転生先などどうでも良かったのだから。

 実際にまた人生を送ってみると、それなりに感じ方は変わってくるが。


 この世界には基本的に、貴族にしか名字はない。

 トリエラの場合、クローディクというのが名字であり、ローデックというのが公爵家の名前だ。

 ただし商人や職人の家系、また農民や特殊芸能の世界でも、代を重ねている場合は、普通に名字を名乗っている。

 どちらかというと屋号のようなものなのかもしれないが。

 なお庶民が名字を名乗っても問題はないが、大体は自分の出身地を名字代わりに使う。


 初代が一代で財を築いた場合など、その初代の名前が名字代わりになったりする。

 だいたいは出身地や成功地の名を名字にするらしいが、他の例もあるということだ。

 そういう場合は名前が二つ続くような、変な名乗りとなってしまう。

 もちろんゲームの中では、こんな面倒で意味のない設定はなかった。

 いや、あったのかもしれないが、少なくとも記憶にはない。

 ……前世のトリエラは、どちらかというと頭が悪かった。記憶力的な意味で。




 クローディスと並んで椅子に座り、その親子を見つめる。

 一定の距離に近づいた中年の男は、その場で膝をついた。

「姫様にはお初にお目にかかります。グイス・バランスと申します」

「公爵閣下と姫様にはお初にお目にかかります。息子のルイと申します」

 そういえば転生におけるキャラメイクで、ゲームの場合は名前もつけることが出来た。

 だが当然ながらこの世界では、親か親族の重鎮が名前を付ける。

 ルイというありきたりな名前は、さすがにメイキングを使ったものではないと思う。


 またトリエラは転生においてアドバンテージを持っている。

 これは考えれば当たり前のことなのだが、あの転生前の空間で、男は最初トリエラに示さなかった。

 どのルートでも敵役となりそうな、数人のキャラシートを。

 トリエラは45人目の転生者で、残りは二人という予定のはずであった。

 そして主なキャラは、既にほぼ選択されていた。

 クレインを選ぶ人間は、結局一人もいなかったようだが。


 つまりこの少年は、トリエラよりも先に選んでいたのなら、トリエラが転生者であることを知らない。

 またトリエラの後に転生した二人のうちどちらかだとしても、トリエラが転生出来るキャラであることは知らないのではないか。

 一方的に観察する手段を、トリエラは得たわけである。


 ゲームのキャラメイクと、この世界への転生のキャラメイクは、全く違うものだとトリエラは分かっていた。

 ほんの少しであるが、検討のためにシステムを見ていたからだ。

 ルイという少年は、特に美貌というわけでもないし、肉体的な素質に優れているのかも分からない。

 だがキャラメイクで作るなら、最初から戦闘職にしなければいいのだ。

 それでいてただ逃げ回るわけではない、他者からの庇護を得られる立場。

 商人の財産と商品を回す技術は、戦争において必要なものだ。


 また加えて、彼がゲームのシナリオ通りに世界が進むと考えていた場合。

 トリエラという悪役令嬢の内情を知った上で、ヒロインたちに寝返ることが出来る。

(そのためにも、近づいたほうがいいんだろうけど)

 トリエラは別に、悪役令嬢として生きてもいい。

 転生する前の時点では、そもそも自分の命に価値などを感じていなかった。

 ただひたすらに、殺伐とした転生でも良かったのだ。

 しかし実際は、トリエラはまだこの世界を知らない。

 前世に絶望していたトリエラは、皮肉にも絶望したまま、この世界での絶望を知らないでいる。




 ルイという少年は、流暢に挨拶はしたが、それでも緊張して見えた。

 トリエラは段々とそういった、人の意識に関心を持つようになっている。

 そもそも前世に比べると、そういうものにこの肉体は反応しやすい。

 他人の考えていることが、ある程度は分かる。

 それは前世のトリエラでは、持っていなかった技術の一つだ。


 この緊張感の先が、現役の公爵である父ではなく、自分に対して向いている。

 つまりクローディスよりも、トリエラを危険視しているわけだ。

(やっぱり転生者)

 どうにかして二人きりになりたいものだ。

「商人さんは、王都で商売をしているのかしら?」

「グイスとお呼びください、姫様。主に王都におりますが、主要な街には出かけることもありますし、国外に出ることもあります」

「たとえばヤマドゥとか、ライハンとか?」

「ライハンには何度か。ヤマドゥには行ったことはありませんが、話にはよく聞いております」

 質問の間にも、トリエラはルイの反応を視界の端で捉えていた。


 ヤマドゥとライハンはゲームの後半の戦争部分でも、数少ない国外の舞台である。

 どちらも王国であり独立国であるが、ミルディアの覇権を認めている国家でもある。

 ただやはりどちらも、王族が神器を継承している。

 それも最近の新たな聖戦士に授けられた物ではなく、1600年前の12聖戦士の神器である。


 そしてその二国の神器継承者は、一人はトリエラと同じ年で、もう一人は一つ下。

 主人公ヒロインと同じ年になる。

(あの男は主人公は、メイキングキャラから適当に選ぶと言ったけど)

 キャラメイクは、年齢にまで言及されていただろうか。

 そこの記憶があやふやである。ゲームの方は少なくとも、年齢の項目はなかったと思うが。


 まさかキャラメイクをしたとしても、主人公を男から女に変えた、とまではしていないと信じたい。

 その可能性があると、この目の前の少年も、主人公の可能性が出来てしまう。

 ただあの新たな神器は、女性を指定したものだし、ゲームの根幹に関わっていると思うのだ。

 最後には攻略キャラの男とくっついてハッピーエンド。

 あえて男を主人公にしたとして、確かに女性キャラも相当に多いゲームではあったのだが。


 


 脳内で色々と考えているが、思考力の速さも知力のうちなのか。

 トリエラはおそらく転生者であるルイに、声をかけた。

「ルイ、貴方も王都以外を見たことはあるの?」

 トリエラの問いに対して、ルイは一度父親の方を見る。

「姫様のご質問に答えなさい」

 ああ、直答を許すとかどうとか、そういうややこしいことなのかな、などとトリエラは感じた。

 ただローデック公爵家を見た限りでは、そこまで貴族と平民の間に、厳密な障壁はなかったと思うのだが。


 ルイは少し喉もとのあたりに触れてから言葉を発する。

「私はまだ、王都の近辺の村を回ったぐらいで、とても他の国までは」

「すると王都には詳しいのかしら?」

「父に従って、ある程度は」

 なるほど、これはいい。

「お父様、しばらく彼を話し相手にしていいかしら?」

 クローディスはトリエラの急な要望に、少し首を傾げる。

「平民の目から見た王都を知りたいの」

「私は構わないが……」

 いやそこは止めてやるべきだろう。グイスが冷や汗を流している。


 ルイにも動揺が見られるが、グイスがこれに反対するのは難しい。

「姫様、息子はまだとても貴族の皆様に、お聞かせするような教育は行き届いていません」

「心配いりませんよ。私は貴族の中でも、かなり寛大な方だと思います」

「まあ、それはそうだが」

 クローディスとしては、セリルの養育は、かなり貴族としては特殊だと分かっている。

 彼女は使用人であっても、それを家族のように扱うのだ。


 トリエラが寛大であるというのも、嘘ではない。

 少なくともクローディスの見た限りにおいては。

「グイス、良いか?」

「はい。ルイ、姫様に失礼のないようにな」

 そう言われたルイの顔は、さすがに少しは引きつっていたのであった。




 庭の東屋に出たトリエラは、エマに少し離れたところに行ってもらう。

 周囲に人がいないように、監視してもらうためだ。

 そして椅子に座ると、ルイにも座るように言った。

「遠慮なく座りなさい」

「はい、ありがとうございます」

 緊張は隠せないが、それも何が由来の緊張であるのか。

 普通にただの商人の息子が、公爵家の姫と一対一になるのは、かなり微妙な状況である。

 もちろん周囲から見られるように、わざとここを選んだトリエラだ。


「姫様は、やはり王都のことにご関心が?」

 こういう場合にどちらから話しかけるのかは、実は礼法にもあったりする。

 公式の場であれば、平民が貴族の問い以外に答えるのは、あまり良くない。

 ただ今回はトリエラが連れ出したのだ。ならば積極的に話題を出すべきだ。


 トリエラはその冷たい目をルイに向ける。

「王都のことももちろん興味はあるけど」

 その表情はとても子供のものでもなく、しかしただ大人びているというわけでもない。

「私が興味があるのは、人かな」

 これがもしもう少し年上の人間であれば、好意を示す言葉になったかもしれない。

 だがトリエラのその視線は、実験動物を見るかのような目。

 人を人とも思っていない。ルイがそう感じるのは、もちろん先入観もあったのだが。


 ルイもまた、さほどのこの知識などはなかった。

 むしろトリエラよりも、知識は少ないと言える。

 だがトリエラ自身のことは知っていたし、ローデック公爵家の嫡子がトリエラに決まったことは、父が重要なことだと捉えていた。

 贈り物をウーテルに送ったのは、ルイも知っているのだ。


 このゲームの物語で、最強の悪役令嬢。

 純粋にキャラクターのステータスパラメーターも高ければ、スキルやアイテムも充実したキャラ。

 乙女ゲームなどどうでもよく、純粋にユニットとして強かった。

 もちろんこれを、自分が攻略しようなどとは考えていない。

 それどころか実際には、どこで上手く距離を置くのか、それを決める必要があった。


 ただ明らかに、トリエラはルイに興味を持っている。

 そして感じるのは、少なくとも悪意ではない。

「私が探しているのは、47人」

 その数は、ルイも知っている特別な数だ。

「だけど既に、失われてしまった者もいる」

 そのたびにあの能天気な天使が、苛立つ声で告げてくるのだ。


 戦おうなどとは欠片も思わずに、生き残るためにこのキャラを作った。

 おかげで金がないことによって、乳幼児期にあっさりと死亡するなどということはなかったが。

 よりにもよってローデック家の御用商人というのは、あの神々の悪意を感じたものだが。

「私は45番目だった」

 ルイの中で、その席が埋まる。

「貴方は何番目?」

 悪役令嬢に、転生しているこの女。

 ルイはごくりと唾を飲み込んだ。




 トリエラの言葉に対して、ペナルティを告げる天使のアナウンスは届かない。

 これだけの情報であれば、他に庭にいる誰かに聞かれても、意味は分からないであろう。

 あるいはルイが転生者であるという証明にもなるのか。

 トリエラは返答を待つ。


 トリエラとは選べるキャラであったのか?

 ルイが最初に思ったのは、そのことであった。

 選べるキャラクターシートというのを、ルイもまた転生前に見ている。

 ほとんどの作中キャラクターは、既に選ばれていた。


 作中主人公の攻略対象の中では、クレインだけが選ばれていない。

 それは彼の姉であるトリエラが、ゲームでは最悪の悪役令嬢であるから。

 下手に選べば、死に一番近いかもしれない。

 おそらく他の転生者も、そう思ったのであろう。

 

 だが、トリエラが選べるキャラであったとは。

 そもそも年齢が違いすぎるキャラは、ゲームでは使えても、転生は出来ないと説明された。

 トリエラ以外にも敵のキャラは、多くが選択できなかったはずだ。

 ただルイにもそのあたりの知識が、完全に備わっていたわけではないのだが。


 いつまでもこうやって、トリエラを待たせるわけにはいかない。

「私は……いや『俺は』」

 途中から日本語で、ルイはトリエラに告げた。

『46番目だ』

 トリエラの直後の、メイキングキャラ。

 ルイはやはり、ゲーム本編には出てこないキャラだったのである。

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