第5話 動き出す時

「ソラノさん、結婚おめでとうございます!」

「あのソラノさんがお嫁に貰われるだなんて……うぅ、早く私も運命の人に出会いたいなぁ」

「うぐっ……ひっぐ……ソラノぉ。遠くにぃ、行っても、私のこと忘れないでねぇ。手紙、書くからぁ……! たまには帰ってくるんだよ……!」


 踊りの披露を終えたキノウたちは、花嫁に祝福の言葉を贈った。


 ひとしきり別れを惜しんで、その場を後にしようとしたところで、キノウ一人だけが立ち止まって花嫁の元へ戻っていった。


「ソラノさん、実は――――!」


 キノウは花嫁のソラノに、昨夜アラタとの間にあったことを話した。


 歳の離れた姉のようなソラノは良き相談相手だった。日々の困り事や心配事、悩み事など、キノウは多くのことを打ち明けてきた。


 話が聞かれない程度に人気ひとけから離れると、キノウは続ける。


「ずっと一緒に居たい、なんて。私、ああいうこと言われたの初めてで……あれって、一体何なんですか!?」

「告白ねー」

「や、やっぱりそうですよねっ…………でも私、なんて答えたらいいか。朝起きたら、アラタと目も合わせられなくなってるし、どうしたら……」

「答えなんて、ずっと前から決まってたように見えたけど?」


 焦りに駆られる少女を微笑ましく見つめるソラノ。彼女にしても、キノウとアラタの関係が決定的になる時は近いと考えているようだ。


 ソラノはふと懐かしむように顔を上げる。


「私の彼は気弱で、恋愛にも消極的でね。恋仲になった後も、こうして結婚まで漕ぎつけるのには苦労したのよ。お互い、なかなか踏ん切りがつかなかったのね」


 自らの経緯を振り返るソラノは、激動を乗り越え落ち着いた表情を浮かべている。しかしそれが一転、悪戯っぽい笑みでキノウに囁いた。


「ねえ、今はお祝い事で浮かれているし、キノウちゃんの踊りでアラタも気分が高まってる。その衣装もとっても可愛い! 踏み出すには絶好のタイミングだと思わない?」

「うぅ……踏み出すって、私はどうすれば……」

「自分に正直になりなさいな。あなたは彼と、どうなりたいのかしら?」

「どう、なりたい……?」


 キノウにはまだ答えが見つけられなかった。

 けれど、体の中には熱が宿っている。踊りの後に残った高揚が、今にも暴れ出しそうな欲となって、彼に会いたいと言っていた。

 首から提げた雪結晶のペンダントを見つめ、勇気を貰うように握り込む。


「私、行ってきます」

「うん。行ってらっしゃい!」


 励ましの言葉を白く小さな背に乗せて、キノウは歩き出す。気づかなかった自分の思いに突き動かされるように、その歩みは少しずつ大きく、速く。振り切れた思いが体を走らせる直前、一度だけ振り返って、


「結婚おめでとう! お幸せにね!」


 祭りの主役に祝福を贈ると、後は自分の気持ちに従うと決めた。


 脇目もふらずに走る彼女を追うように、誰も気付かないほどに微かな遠雷の気配が、その背中を照らしていた。




 広場の隅の方に座り込む老婆の姿があった。マクギリ家のナガミだ。

 いつも周囲に睨みを利かせるような険しい目つきが、今は何かに耐えるように閉じられている。その顔は若干血の気が引いて青白い。


 アラタは喉が渇くと言う祖母のため、水を入れた杯を差し出す。


「飲み過ぎだよ。もう歳なんだから、酒は控えた方がいいんじゃない?」

「ふん、説教かい……。自分の体のことは、自分がよく分かってんだよ。アンタはこんな年寄りに構ってないで、さっさと行きな」

「そんなわけにはいかないよ」


 さっきまで声をかけても空返事ばかりの有様だった。そんな状態になっても、目を離せばこの老婆は酒に口をつけかねない。


 けれど、祖母を介抱している間にも時間は過ぎていく。アラタには今すぐにでも向かわなければいけない約束があった。


「今日はこれ以上飲んだら駄目だからね。婚姻の儀で酒に呑まれて死んだなんて、冗談にもならないよ」

「……分かった。分かったから。それよりアンタ、あの性悪娘と会うんだろう?」


 ナガミが言う性悪娘とは、キノウのことだ。


 彼女の言う通り、舞踏の後、アラタは息を切らして駆け寄ってきたキノウに声をかけられていた。


『昨日の話の続き、しようよ』


 真っすぐにこちらを見つめ、桜色の唇を引き結ぶキノウ。余程急いで来たのだろう、頬は赤く上気して、はだけた衣装の端々から汗に濡れた白肌が見えた。

 そんな彼女にドキリとしながら、アラタも丁度話したかったのだと答えた。

 しかしその時、アラタは祖母の介抱のために水を運んでいる最中だった。


『それじゃあ、あの鐘の下で……待ってるね』


 アラタは祖母を落ち着かせたら、キノウは衣装を着替えたら、同じ場所に向かうと約束した。婚姻の儀が執り行われた、鐘楼の下へ。


 そんな二人の会話を持ち出したナガミは、「ケッ」とせせら笑った。


「――――聞こえてたのか、この地獄耳め……それでも、ばあちゃんを放って置くわけにはいかない」

「アンタが世話を焼く必要はないさ。他の奴に頼めばいい」

「みんな酔っぱらって頼りにならないじゃないか」

「しつこいねぇ。アタシは早死にするのは御免だけどねぇ、若い奴らの足を引っ張るつもりもないんだよ。分かったらさっさと消えな」


 ナガミは顔を背け、シッシッ、と追い払おうとする。そこまで拒絶されてしまうと、アラタには介抱のしようもない。


「じゃあ僕は行くけど、ちゃんと水だけを飲むんだよ。酒は駄目。水がなくなったり、少しでも体調が悪くなったら、すぐに他の人を呼ぶんだよ」

「はいよ」


 結局、口汚い祖母の気遣いに甘える形で、アラタは約束の場所へと向かうことにした。ナガミへの心配を一旦脇に置き、待ち合わせたキノウと何を話すかで頭を悩ませる。


 伝えるべきことは決まっている。けれど言葉には少し迷う。

 選んだ言葉に彼女はどんな表情を浮かべるか。緊張しつつも、楽しみでもある。そんな贅沢に浸りながら、逸る気持ちは足を急がせるのだった。




 鐘楼の下。少女は男を待っている。

 彼と会って、初めはどうやって声をかけようか。どんな言葉で話そうか。空想を思い描いては消し、また白紙の夢を広げる。そんなことで時間が過ぎて、彼と会う瞬間にまた少し近づく。


 これからするのは大事な話。未来の話と、過去の話。


 一緒に居たい、と。そんなありきたりで安易な言葉を真面目な表情で言い放った彼に、少女はそれまで想像もしなかった未来を見た。

 もう秘密は要らない。彼には全てを話して、そして決めよう。二人で歩いていく道を。


 募る思いの熱を胸に、その息苦しさと甘やかな情動を、大切に味わうように感じていた。


 やがて、待っていた足音が聞こえてくる。少女は耐えるようにスカートの裾を握りしめて、彼の到来を待つばかり。

 次第に見えてくる人の影。


 その人物は、違った。


「――――――――ああ……」


 凍てついた表情で彼女は呟く。

 その到来は待ちわびたものではなく、日々の終わりを知らせるものだった。


「約束の時だ。キノウ・ホワイト」


 訪れた人物の言葉にキノウは思い出す。自分の命運は、自分のものではないことを。


 ほんの一瞬垣間見えた未来に夢を見た。

 けれど、それも終わり。


「この身を捧げます。でも、せめてあと少し、この瞬間が遅ければよかったのに」


 決然と顔を上げたキノウは、そうして歩むべき方向へ身を委ねた。

 その道にただの少女としての幸せはなく、キノウが背負うべき孤独が待ち受ける。


 それは、死だ。


 彼女は静かに涙を流し、運命を受け入れる。

 安寧の中で留まっていた運命が動き出す時。

 訪れるのは、揺り籠の崩壊。

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