第4話 花が舞う

 堂の鐘が鳴り響く。よく晴れた中での式事だった。


 輿こしに乗せられて村中の家々を回り祝辞を受け取った花嫁は、花婿が待つ鐘楼で下ろされる。建設された壇上で、その日初めて二人が揃う。


 そうして一〇〇人以上いる村人全員から見守られながら、神父役の村長が誓いの言葉を述べる。


「――――汝ら、今日この時をもって夫婦の契りを交わし、共に生き、互いに助け合い、その愛と幸福を、この大地の主、レディネイトに捧げることを誓うか」


 新郎新婦は頷き、続く言葉の後に口づけを交わす。


 誓いの言葉に登場するレディネイトとは、アルトラン領域を守っているとされる神の名前だった。

 レディネイトが守る大地で生まれた二人は、育んだ愛を大地へ還す。そうすることで生まれる子にも祝福がもたらされるという、お決まりの文言だ。


 荘厳な空気の儀式が幕を閉じれば、次には盛大な披露宴が始まる。

 村人たちは待ってましたと言わんばかりに、さっさと会場を広場へ移し、食って飲んでを愉しむのだった。


 ――そういえば描きかけた花の絵。昨日のうちに最後まで仕上げようと思ったのに、結局また疲れて寝てしまったな。


 そんなちょっとした心残りが脳裏をよぎったのは、浮かれた空気に心を泳がせていた時だった。


「いつもそうだが、こうなると何を祝っているのか分からなくなるな。オヤジ共に関しては、やってることは昨晩の続きだ」


 隣に座るジュドが周囲の騒ぎを眺めながら呟く。彼の目の前には、数人がかりでも食べきれないであろう肉の山が盛られている。

 アラタも骨付きのモモ肉を掴んでは噛り付く。既に二桁を超える程度は食っていた。


「大いに働いて、大いに食う。この村の伝統的な祝福だ。まあ数日働いたご褒美ってことで、ちょっと羽目を外すくらいは許されてもいいんじゃないか?」

「褒美ならもう十分だろ。俺の家、この一週間はずっと焼いた肉の付け合わせに焼いた肉が出てくるメニューだったぞ。肉は好物だけど、体に余計な肉が付くほど食いたいわけじゃねえぞ……」

「こういう贅沢にも口実が必要なんだ。どうせ明日からは食事もいくらか質素になる。後で後悔しないよう、今のうちに腹いっぱい食っておくことだ」

「そうだな。羽目を外せるのも今のうち……」


 そう言ってジュドは杯の中の葡萄酒を呷る。飲酒にはまだ早い歳だというのに。

 何だかんだ、彼も贅沢を愉しんでいるようだ。


「そういえばキノウの姿が見えないけど、何やってんだ?」

「さあ……」

「さあ、って。お前ら一緒の家に住んでんだろ? 何か聞いてねえのかよ」


 聞いていない。

 というより、昨夜のことがあってからキノウとは何となく気まずくて、家の中で顔を合わせてもすれ違うばかり。会話すらあまりできていない。


「たぶん、出し物の準備をしているんじゃないか?」


 辺りを見回すジュドに言う。そんな時、彼は何かを見つけて目を眇めた。


「お~、ありゃアルトラン兵じゃないか」


 彼が見つめる先には、ネイビーブルーを基調とした制服に身を包む五人。端の方に立って、村人から渡された料理を遠慮がちに食べている。

 アルトラン全土で活動する兵士がタリエ村に来ること自体は、そう珍しいものでもなかった。


「今回は何しに来たんだろうな? ちょっくら訊いてみるか」

「おい、ジュド……」


 引き留めようとするも、ジュドは聞かない。とっくに酔っぱらっていた彼は、おぼつかない足取りで兵士たちに近づいた。


「ようこそタリエ村へ! 楽しんでますかぁ?」

「馬鹿……! すみません、こいつ酔っぱらっていて……」


 無遠慮なジュドの態度に目を丸くする兵士たちも、アラタの釈明に納得したようだ。


「ああ、ここの人には随分と良くしてもらっているよ。赴任して間もなくこのような祭典に参加させてもらえることになるとは、我々も運が良い」

「兵士さんたち、今回はどんな任務で来たんですかぁ?」

「それは……」


 ジュドから質問を受けた中肉中背の兵士が、一瞬言いづらそうに言葉を淀ませた。


「……〈揺籃ようらん〉の付近で狂獣きょうじゅうが増加しているとの報告があった。我々はしばらく村に滞在して、壁の周辺を調査することになったんだ」

「狂獣……」


 血に狂った獣。それは魔物が変容し、狂暴化した姿だと言われる。

 その破壊的な思考は、動くもの全てを殺戮しようとする。体は並の魔物を凌ぐほどに強靭。村が一匹の狂獣に滅ぼされた事例も少なくない。

 特徴として、血に染まるが如き二つの赫眼あかめを宿す。


 口にした言葉が目の前の村人に緊張を与えたのを見て取ったか、兵士は取り繕うように笑いかけた。


「何、すぐそこに危険が迫っているという話でもない。狂獣が観測された場所は、この村からずっと離れている。対処はそう難しくもない」

「……まあ万が一村に狂獣が来ても大丈夫っすよ。この村には強い戦士がいるんで。いざとなったら俺も戦えます。あ、俺実は兵士志望なんですよ!」

「ほう、それは頼もしいな」


 ジュドと兵士がやり取りをする間、アラタは兵士たちの中にとある人物の姿を探して、視線を巡らせていた。


「あの、カムルさんは来ていないんですか?」


 青年の問いに、中肉中背の兵士はきょとんとした表情になる。周囲の兵士も似た表情で、互いに顔を見合わせて首を振る。


「来ていないが……あの人のことを知っているのか?」

「はい。前に村に派遣されてきた時に助けてもらったことがあって」


 慢性の不調が体を襲い、動けなくなっていた時だ。自分が何者か分からなくなっていた時、声をかけてくれた兵士がいた。彼の名前が、カムル。

 カムルは毅然とした揺るぎのない声でアラタに居場所を示した。そのおかげで立ち直ることができたのだった。アラタにとっては恩人だ。

 精神を落ち着かせる瞑想も、彼の教えによるものだった。


 今回はカムルは来ていないようだと気を落とした、その時。


 広場の一角から異様なほどの歓声が沸き上がる。振り返って見れば、新郎新婦の目の前を囲むように人だかりができている。何かが始まるようだ。

 おい行こうぜ、とジュドが声をかける。兵士たちに別れを告げ、急いで人の輪に分け入った。


 徐々に高まる期待の声。その中心に佇むのは、色鮮やかな衣装に身を包んだ村の娘たち。


 そしてアラタの目を引いたのは、雪のような白銀。


 楽器が奏でる音を合図に、少女たちは一斉に舞い上がる。

 軽やかな足取りで、円を描くような立ち回り。笛の旋律、太鼓の響き、それらが織りなすリズムに流れるように、彼女たちは腕や肩を躍動させる。


 身に纏う衣装は、鮮やかな臙脂色の生地に、青々と茂るような緑色が縁どられている。少ない布地は大胆に体を見せながら、余裕を持たせた腕や腰部分は優雅にはためく。さらには腕や足に巻き付けた装飾品が打ち合って音を鳴らし、その人自身が華やかな楽器のよう。


 くるり。くるくる。


 懸命に体を回して情熱を滾らせながら、踊り手自身が微笑んでしまう。そんな目一杯の幸福。

 はためく袖は花びら。舞い踊る様は咲き誇る花。束ねて贈る、祝福のブーケ。


 その中のただ一輪が、アラタの胸に焼き付いた。

 特別な衣装を纏ったキノウが腕を上げる。足を鳴らす。顎を振る。花開くような躍動が、じんわりと熱さを体に伝えてくる。


 いつの間にか終わりの拍手が遠くに鳴って、自分が見蕩れていたことに初めて気づく。


 募る思いを、そのまま彼女に伝えてしまいたかった。

 好きだ、と。

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