終章 予言の精霊の祝福(4)

 今では自身で稼いでおり、少し高い買い物も容易に出来てしまう彼が、欲しいとする物については想像が付かなかった。ティーゼは、しばし考えたが何も浮かばず「なんだろう」と心底不思議でならないと表情に出した。


 すると、クリストファーが、言葉遊びを楽しむように目を細めた。


「欲しい物のためだけに、僕は旅に出て、こうして戻って来た」

「じゃあ、王様しか用意出来ないような高価な物なの?」


 ティーゼは、気になって尋ねてみた。彼は回答をはぐらかすように、ふわりと微笑んで、曲に合わせて大きくステップを踏んだ。



「僕にはね、夢があるんだよ。本当に好きな人と結婚する事。僕の帰りを待ってくれて、時間が許す限り二人はそばにいて、何でも話せる仲なんだ」



 彼の言葉に思い起こされたのは、仲睦まじかった両親の姿だった。ティーゼの父と母は、二人でハーブのクッキー店を経営し、時間が許す限り一緒にいた覚えがある。


 ティーゼは、それを考えながら「つまり」と推測を口にした。


「クリスの夢は、家庭を持つ事なの……?」

「そうだよ。――ねぇ、ティーゼ。結婚というのは、二人が愛し合って一つの家庭を作る事なんだと思わない? 身分にとらわれず、君の父と母のように、心から愛する人と一緒に過ごす事だと」


 三曲目が終わると同時に、ゆっくりと足が止まり、ティーゼとクリストファーは向かい合った。


「僕は、いつでもその人のそばにいたいよ。誰よりも愛して、一人になんてしない。妻がいて、子供がいて、そんな家庭に僕は帰りたい」


 語る彼の穏やかな微笑みは、すっかり大人の男性のもので、不思議と父と重なるような深い愛情さえ感じた。想像を促されて、ティーゼは、毎日が幸福そうだった両親の姿を思い起こし、将来彼の隣に立てる女性を羨ましく思った。


 ああ、何だかいいなぁ、と夢想した。


 彼に愛される人は、きっと世界で一番幸せになれるに違いない。こんなに愛情深い人を、ティーゼは他に知らなかった。そういう人に愛されたら、どんなに素敵だろうかと、羨ましさと同時に一抹の寂しさを覚えた。



 こんなに素敵な彼が想う相手が――その眼差しを向ける相手が、もし、私であったのなら――……



 想いに耽るティーゼの深緑の瞳が、淡く揺らいだ。外から流れ込んで来た涼しげな風が、意思を持ったように会場に集まり始めて、そよぐ彼女のくすんだ栗色の髪の先が明るく染まり出すのを見て、クリストファーが、彼女に悟られないよう満足げにそっと目を細めた。



 気付いた人々がダンスをやめ、それは波のように周囲に広がり演奏もピタリと止まった。そのタイミングを待って、クリストファーがティーゼの手を恭しく取り、片膝をついた。


「君が好きだよ、ティーゼ。どうか、僕と結婚して下さい」


 静まり返った空間で、ティーゼは、その言葉を聞いて我に返った。目を丸くして見つめれば、いつもより目線が下になったクリストファーが、蕩けるような笑みを浮かべた。


 本当に、好きで好きで堪らないのだと彼の眼差しは語っていて、――ティーゼは、疑いようもないその想いに気付いて、首まで真っ赤に染めた。



 瞬間、ティーゼの深緑の瞳が鮮やかなエメラルドに変わった。髪が蜂蜜色に染まり、彼女の足元を中心に発生した涼しげな風が、会場内に走り抜けて清浄な空気が満ち、視界が一際明るくなった。



 巻き起こった風がピタリと止むと同時に、頭上から、キラキラと細かな輝きが降り始めた。ほぅっとこぼされる溜息が場に広がり、「ああ、精霊の祝福だ」と、誰かがうっとりと口にした。


 自らの変化に気付く余裕もないティーゼは、目の前のクリストファーをすっかり意識してしまい、何と答えていいのか分からず、口を開いたり閉じたりしていた。


 こんなに好きだと全身で語られたら、もうただの幼馴染として見られるはずがない。


 クリストファーが誰よりも優しくて、格好いい事なんて、ティーゼが一番よく知っているのだ。乙女なんて自分には合わないと言い聞かせて距離を置かないと、彼の好意を勘違いして、好きになってしまったらどうすると、早い思春期の時代に封印したのだ。


 本当に? 本当に私でいいの? この傷のせいでもなくて……?


 訊きたい事は沢山あるのに、顔に集まった熱のせいで涙腺が緩み、ティーゼは声も出なかった。自覚した乙女心に頭は沸騰しそうだし、クリストファーと恋人同士になったら、という恥ずかしい妄想が次々と想像されて、余計に羞恥心も止まらない。



 どうしよう、クリスが世界で一番素敵な男性にしか見えない。この人のそばに、ずっと居ても良いなんて贅沢過ぎる。



 ティーゼは言葉が出て来なくて、それでも自分の気持ちをきちんと伝えなくてはと思い、彼のプロポーズに応えるべく、どうにか頷いて見せた。


「ああ、ティーゼ。なんて可愛いんだ。傷跡にキスをさせて欲しい」

「かッ、かわ……!?」


 反論する時間も与えられないまま、クリストファーの腕が腰に回って抱き上げられてしまった。


 ティーゼは、自分の胸の位置にある彼の顔を、茫然と見下ろした。


 その時、周りから祝福するような拍手が上がって、ティーゼはビクリとした。ここが舞踏会で、多くの人々がいるのだと遅れて思い出した途端、こちらに向けられる大勢の人々の視線へ目を向けて、これまで以上の羞恥に襲われて震えた。


 この中に、ルイやマーガリー嬢、ルチアーノもいると思うと、もう逃げ出したいぐらいに恥ずかしくて仕方がなかった。抱き上げている彼の腕の熱よりも、顔が熱い。



「ティーゼ、僕だけを見て」



 嫉妬してしまうよ――


 そう笑うような声が聞こえた時、傷跡にキスをされた。ちゅっと肌を吸われて、ティーゼは「ふぎゃっ」と彼の腕の中で飛び上がった。


「ああ、ティーゼ。そんな反応をされると、今すぐ全部欲しくなってしまうよ」

「ぜ、全部って……?」

 

 恐る恐る問い掛けると、クリストファーがそっと唇を寄せて、「今度教えてあげる」とはぐらかすように良い声で囁いた。そして、そのまま、何故かもう一度傷跡にキスをされたうえ、ペロリと舐められた。


 もはや理解が追い付かず、羞恥が限界を超えたティーゼは、クリストファーに抱えられたままふっと意識を失った。


              ※※※


 二人の様子を、壁際から見守っていたクラバートとベルドレイクが、涙を呑んで「本当に良かった」「これで平和が保たれる」と呟き、ようやく緊張が解けてその後に座りこんだ。


 その近くで控えていたルチアーノが、呆れたように二人の男達を見降ろした。ルチアーノは小さく息を吐くと、ティーゼ達へと視線を戻した。


「お似合いだとは思いますが、何だか惜しい気もしますね」


 魔王の友人であるのなら、宰相にとっても親しい友人であっておかしくはない。口にしたらティーゼが調子に乗りそうなので、まだ伝えてはいないが。


 そもそも、ルチアーノには友人がいた事はないので、よくは分からないでいた。


 主人も上手くマーガリー嬢にプロポーズを成功させ、どうやら承諾ももらえたようなので、ひとまずは、この平和的な結果を喜ぶべきだろう。


 さて両者の婚約祝いには何を贈ろうか、と思考を切り替えたルチアーノは、何故か主人ではなく真っ先にティーゼの笑顔を思い浮かべ、人間の少女が驚くような贈り物について考え始めたのだった。

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英雄の可愛い幼馴染は、彼の真っ黒な本性を知らない 百門一新 @momokado

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