五章 獅子令嬢と町の花娘(6)
こちらの良心をピンポイントで抉って来るルイの視線から逃れたティーゼは、困惑しつつも、唐突に現れた中年騎士の前に一歩進み出た。
すると、男が若干怯えるように肩を強張らせて、不自然なぐらい急に静かになった。
「あの、失礼ですが、どちら様で……?」
「え。ぁ、俺、いえ私はッ、国境騎士団第三師団長のクラバート・サガリと申しますッ」
「はぁ。それで、クラバートさんは一体どんなご用――」
「ひぃぃいいい!? 頼みますから名前で呼ばないで下さいッ、せめて『団長』でお願いします! オーブリーと同じ消し炭になるのは勘弁願いたいのです!」
……この人、さっきから何を言っているんだろうか。というか、オーブリーって、誰……?
何故名前で呼んではいけないのだろうかと疑問を覚えたが、今にも死にそうな顔で勢い良く懇願されしまい、ティーゼは「分かりました」と答えた。クラバートの顔に安堵の笑顔が広がった。目尻の薄い小皺が柔和な形を刻み、愛想の良さが窺えた。
「いやぁ、間近で拝見するのは初めてですが、男の恰好をされていても可愛らしいとは」
「何言ってんの? というか『英雄』ってクリス――クリストファーの事ですよね? ちゃんと話はして、さっき帰って行きましたよ?」
とりあえずそう教えると、途端にクラバートが「嘘だろッ」と目を剥いた。
「英雄が来てたの!? 彼、王宮騎士団の第一師団の騎士で、こっちには一度も来た事ないのに!?」
「なんか、剣で飛んで来た、とか…………?」
よくは分からないけれど、とティーゼが続けると、クラバートの顔に悟ったような乾いた笑みが浮かんだ。どこか心当たりのあるようなその表情を見て、ティーゼは彼が、クリストファーについては第三者以上には知っているらしいと察した。
恐らくクラバートは、王宮務めだった頃があるのかもしれない。クリストファーと同じ勤め先だという騎士を、ティーゼは、店先やギルドでかなり見掛けていたから、そう推測する事が出来た。
とはいえ、ティーゼとしては、クラバートの低姿勢な言葉遣いには違和感を覚えていた。
「あの、団長さん? 私はただの平民ですし、もう少し楽な口調でもいいですよ?」
「……すみません、古傷が疼くので出来ません」
クラバートはそう言い、ぎこちなく視線をそらし腹のあたりに手をやった。
彼の過去に一体何があったのか、ティーゼは猛烈に気になったが、その時、しばらく様子を見ていたルチアーノが前に割り込んで来て、クラバートと向き合った。
「団長さんが直接いらっしゃるとは、珍しいですね。何か急ぎの用事でも?」
「あぁ、宰相様ですか。いえね、うちの部下が気になる事をしれっと言い残してくれたものですから、こうして慌てて駆け付けた次第ですが……うん。平和が保たれているようで何よりです」
危うく崩れかけましたがね、とルチアーノは誰にも聞こえないよう口の中で呟くと、クラバートを見据えたまま、後ろに押しやったティーゼを指した。
「コレが言ったように、英雄なら急ぎ王都に戻られましたよ。私にとって面白そうな話であれば、あなたの過去に何があったのか是非とも聞いてみたいものですが」
「ははは、勘弁して下さい、宰相様。あなたの好奇心を楽しませるような不幸ネタは、王都を出る時に封印して来たんですよ」
困ったように眉尻を下げ、クラバートは、ティーゼの時よりも緊張を解いた様子で答えた。
ティーゼは、後方にいたルイを肩越しに見やり「知り合いなんですか?」とこっそり尋ねた。ルイが「そうだよ」と答えながら、笑顔で肯いた。
「町の治安を守ってくれているから自然と付き合いも増えるし、顔を会わせれば話すくらいには交流もあるよ。人間にしては、魔族並みにお酒も強くてね。数日に一回は、近くの居酒屋で一緒に飲んだりするよ」
「……それ、すごく仲が良いって言いませんか?」
ルイ達とは、一日と少しの付き合いしかないティーゼと比べると、クラバートは、圧倒的に友人の名に相応しい立場にあるような気がする。友達なのではないですか、と尋ねたい気もしたが、本人を前に「友人とは違うよ」と大人の付き合いを主張されたら困るので、黙っていた。
不安事がなくなったらしいクラバートが、ルチアーノに親しみのある苦笑を見せたところで、彼がふと疑問を覚えたような顔をティーゼへ向けた。
「ところで、なぜ魔王様達と一緒にいらっしゃるのですか?」
「えぇと、ルイさん達とは友達になりまして、マーガリーさんの件に協力していると言いますか……」
「ああ、魔王様は、うちのマーガリーにぞっこんですからね。俺も、酒のたびに相談を持ちかけられます」
露骨に知られているんだなぁ、とティーゼは心の中でぼやいた。
クラバートが、どこか真面目な顔で少し思案するように視線を彷徨わせた。彼は数秒ほど宙を見つめていたが、「……まぁマーガリーは女性だし、相手は魔王様と『氷の宰相』様だし……あいつも殺すような事はないだろう」と自身を納得させるような声色でそう呟いた。
え、誰か死んじゃうの?
それは凄く物騒だ。そうティーゼの顔色が変化した事に気付いて、クラバートが慌てて「違うんですよッ」と取り繕った。
「別に怖い事なんて何もありませんから、どうか落ち着いて下さい。可愛い子に青い顔されるのは苦手ですし、不安にさせたとあったら俺が殺され――ごほっ。とにかく、怖い事なんてなぁんにもありませんから!」
「私は可愛くもなんともないんですけど……物騒な事でも起こるのかと、びっくりしちゃって」
「そ、そんな訳ないじゃないですか。いやだなぁ、あははははは…………」
なんだ、ただの取り越し不安だったらしいと、ティーゼは安堵の息を吐いた。
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