四章 英雄となった男(2)
寝室を後にしたティーゼは、ルチアーノに朝食について訊かれた。
昨夜沢山食べた事もあって空腹感はなかったので、辞退を告げたのだが、ルイを待つべく客間に向かうと、そこには新鮮で美味しそうなフルーツが用意されていた。
フルーツは食事というより、デザートの範囲内だ。屋敷にいる姿の見えない使用人はよく分かっているじゃないかと感動し、ティーゼは、一人で皿いっぱいのフルーツを完食した。
「ごちそうさまでした」
そう告げて濡れ布巾で手を拭ったところで、ルチアーノの呆れたような視線とぶつかった。
「昨夜も思いましたが、その小さな身体のどこに食べ物が吸収されているのでしょうね」
「胃袋です。ルチアーノさんは、果物とか食べないんですか?」
「生憎、それを食する種族ではないので要りません。陛下は気分によって口にはしますが」
なるほど、それで果物も完備されているわけか、とティーゼは納得した。
昨夜の豪勢な食事の席でも、ルチアーノは食が細かった。あの時聞かされた話だと、強大な魔力を持っている生粋の魔族は、人間のように毎日数回食事をとる、という習慣がないらしい。
魔王の場合は、膨大な魔力を収める特別な器の持ち主のため、満腹という感覚すら持ち合わせていないとう事だった。しかし、ルイは人間に親しみを覚えていて一日三食、午後の三時には間食をするという生活を好んで送っているようだ。
「ルチアーノさんって、クッキーは食べるのに、パンもフルーツも食べないなんて変な魔族ですね。人間はそれを偏食と呼びます」
「ハーブは魔族も精霊も口に合いますからね。あなたもそうでしょう。ハーブだと一番しっくりくるのでは?」
言われて、ティーゼはきょとんとした。少し考え、自分に精霊族の血が流れていると指摘されたのだと気付いて目を丸くする
「精霊の血が入ってる事、私、言いましたっけ?」
「魔族は目と鼻がいいのです。精霊の血の匂いも嗅ぎ分けられます」
「へぇ。じゃあルイさんも知っているんですか?」
「当然です。私達ほどの階級であれば、どの精霊族であるのかも推測できますよ。それにしても【予言の精霊】ですか。他種族の精霊の血が混じっていない、生粋の血を引いている人間であるほど特徴的ですから、分かり易くもありますね」
ルチアーノが含むように言ったので、ティーゼは首を傾げた。
「特徴的? 精霊の血が流れているなんて珍しくもないでしょう。こう言っちゃなんですけど、私は両親と違って、特に精霊らしいところもありませんし」
精霊は銀や黄金の髪が多いが、ティーゼの髪はくすんだ薄い金髪でぱっとせず、瞳の色も濁った緑色と人間族に多い色合いだった。母のような女性的気品もなければ、父のように神秘的な落ち着きもない。
「混血児に関しては、確かに珍しくはない話しです」
ルチアーノは、そう認めつつ先を続けた。
「しかし、数が少ない【予言の精霊】の血を引いた人間は、どの精霊混じりよりも無力な代わりに、人間側も知っているほど強い特徴を持っています」
「『人としての生涯で一度だけ未来を夢に視る』事でしょう? 私の両親がそうだったから知ってます」
ティーゼが答えると、ルチアーノが意外そうに片方の眉を上げた。まるで、それだけしか知らないのかと問うような眼差しだった。
「彼らが未来を視る前と後に、変化はありましたか?」
「いや、特にはないですけど……?」
ティーゼの両親は、とても精霊族らしい幻想的な美貌を持った夫婦だった。彼らは、ティーゼが三歳の頃に未来を視たが、記憶を辿ってみても、未来を視る前も後も特に変化はなかったように思う。
いつか、ティーゼも未来を視てしまうのかもしれない。それが何年、何十年先なのかは分からないが、周りの大人達は「両親が珍しいパターンなだけであって、滅多に国政に関わる未来視はないので安心するように」とも言っていた。
ティーゼとしては、こんなにも人間じみているのに、本当に視る事があるのだろうかと常々疑問に思っている。
とはいえ、ルチアーノの口振りには、まるでそれ以外にも特徴があると言っているようで気になった。思わず、疑問と好奇心の混ざった目を向けると、それを横目に受けとめたルチアーノが、呆れが滲む吐息をこぼした。
「どうやら、知らないようですね。人間側でも有名な話ですよ。精霊の血を引いているのなら、少しは調べて知っていても損はないと思いますが。――ああ、でも事前に知識があることで変わってしまう事もあるのでしょうかね。あなたの両親は珍しいパターンです」
「……あの、答えがはぐらかされているようで苛々するのですが?」
「お子様なあなたに説明しても、徒労に終わりそうなので躊躇します」
「ストレートに教えてくれれば理解できますよ」
さあ、どうぞ、とティーゼが不貞腐れた顔で促すと、ルチアーノは薄い笑みを浮かべた。
「いいでしょう、それではヒントを差し上げます。【予言の精霊】の血を引いた人間は、生涯で一度だけ、一人のためだけに未来を視ます。他に特殊な能力もなければ魔力さえ持ちませんが、それが他の精霊族とは違う最大の特徴です。だからこそ、国政に関わる予言も極端に少ない」
ルチアーノはそう告げると、「分かりましたか?」と薄く微笑んだ。冷やかな美貌には、下等種を苛めるような愉快さが滲んでいた。
正直、ちっとも分からない。ヒントが圧倒的に少ないような気がする。
ある種の新しい嫌がらせなのではないだろうかと、ティーゼは、美貌の嫌味宰相を睨み付けた。けれど、彼の言葉の中に何かヒントがあるのでは……と素直にしっかりと考えてみる。
悩むティーゼを見ていたルチアーノが、数秒もしないうちに鼻を鳴らした。
「ほら、理解できないでしょう?」
「くッ、……ちなみに、未来を視るタイミングって自分で選べたりするんですか?」
「残念ですが、タイミングは選べないと思います。相手を選ぶまでが当人の意思だと聞いたことはありますが、私は魔族ですのでそこまでは詳しくありません」
視るタイミングではなく、相手を選ぶと言われても困る。ティーゼには精霊らしい能力は何もないので、以前から考えていた疑問とは別の問題を投入されても疑問が増えただけだ。
両親の未来視について、未来の英雄がティーゼの幼馴染だから、という可能性を考えてみる。しかし、思えば夫婦が揃って同じ未来を視たのも不思議であり……
そもそも、一体どうやって『選んだ』のだろう?
「……あの、相手を選ぶとか言われてもピンとも来ないんですけど」
「『選ぶ』というのが最大の特徴でもありますし、答えはとてもシンプルで簡単ですから、少しはご自分で考えなさい」
ルチアーノは淡々と続けた。それさえ分かれば、何も身構えることがない特徴で、そういう能力なのだと理解できるはずですよと、珍しくも嫌味を含めずに説いた。
人間側でも有名な話しらしいので、ティーゼは、もし思いつかなかったら誰かに聞いてみようと問題を放り投げる事にした。ルチアーノの説明は小難しすぎて苛々するので、タイミングがあればルイに尋ねてみてもいいかもしれない。
考えが一段落ついたところで、ティーゼはテーブルへ視線を戻した。
先程まであったはずの空皿と濡れ布巾が既に下げられており、暖かい湯気の立つ紅茶が置かれて、テーブルもキレイに拭かれている事に気付いた。
「…………一体いつの間に」
今度ばかりは、姿を見ていない魔王の別荘の優秀すぎる使用人の仕事ぶりに、ティーゼは言葉を失ってしまった。
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