第20話 楽園より

「どうかね、私の楽園は」


 古城に三つの足音が響いている。

 中でも一際大きな甲高い音を立てて歩くグランツが、人の胴体ほどある大きさの水晶を宙に滑らせてククルの前に浮かべた。


「……悪趣味ね」

「フフフ、辛辣だ。凄く


 ククルは水晶の中を見るのを避けて周囲に視線を動かす。


 古びた調度品の数々は時代を感じさせ、所々にこびり付いた血肉はかつて起きた惨事を想起させる。

 眼下。

 吹き抜けの下。


 一階のエントランスにはアンデッド系の魔物が所狭しと詰められている。


 ダンジョンを作る──というのは、どうやら本気らしい。


「しかしククル嬢。私は本当に分からない」


 背後には金髪の男。

 前方には仮面の男。


 隙なく囲みながら、グランツは一方的に語りかける。


「よりにもよって何故あの腕力だけを持った気弱な平民と組もうなどと思った? 機を待てば私から守り通すだけの権力を兼ね備えた理想のナイトと出会えたやも知れぬのに」

「……運命なんてつまらないものは信じない派なの」

「同感。とはいえ、気の毒なのは平民だ。何も知らぬまま人生を変えられたのだからな」

「……」

「おっと失敬。貴方は私に関する一切を漏らすことができない──私がそう仕込んだのだった」

「グランツ、キミの事なんて興味ないし話す気もなかったよ。なんならもう、『ウロボロス』でくたばってると思ってた。前に会ったのは三年も前だから。

 まぁ、わたしが欲しいのなら、まずはその驕りを捨てることね」

「フフ……私から逃れたいがために家出した傲慢な女が吐く科白セリフではないな」 


 足音だけが暫しの間、空白の時間を刻み続け、やがて古城の最深部へと辿り着く。

 

 そこは複数の水晶が宙を漂う部屋。

 中心には一際大きな赤い水晶が鎮座している。


「ダンジョンコア……」

「その通り。しかし、あくまでとしか言えないがね。『ウロボロス』の奇跡は今、私の支配下にある。それで、貴方に見せたいものがあるのだが……どれだったか」


 階下の魔物はこれで産み出したものなのだろう。

 グランツはくぐもった息を漏らしながら、水晶を一つ手繰り寄せる。


 これを近づけられたククルは思わず目を背けてしまう。

 

「だめだだめだだめだよククル嬢……目を背けてはいけない。というより──この程度で目を背けてしまっては、私の伴侶として身が保たぬだろう?」


 促されグググと眼球を動かす。


 水晶の中の世界。


 そこでは、枷の嵌められた人々が鬼の形相でアンデッドとの戦いを繰り広げていた。


「調整を兼ねて実験しているのだ。奇跡を人工的に再現するにはやはり、供物が必要だと思ったのでね。私も探窟家シーカーの端くれとして、最大限の敬意を払おうと思っているのだよ」


 一人、また一人と死んでいく。

 その度にダンジョンコアが脈動し魔力が濃密に、強くなる。


「……キミ、祟られて死ぬよ」

「笑止。この身などとうにダンジョンにくれてやったわ」


「嘘つき」


 ククルの零度のごとき視線を仮面が相殺し、こしゅーっと息が漏れた。


 

 再び沈黙が流れ、思い出したかのようにグランツはククルに問う。


「そういえばククル嬢。やけに余裕があるように見えるが?」

「……べつに」

「そうか……っ、この期に及んで婚約破棄が有効だと思っているのか」

「? そんなわけないって。どうせ金でも積んで説得したんでしょ、もう逃げられないよ。わたしには後ろ盾もいないしね」

「いかにも」


 ククルの前に、グランツは真っ二つに引き裂かれた婚約証明。

 これ──を、地面に放り捨て踏み躙ると新品を取り出し突きつけて見せた。


「この通り、貴方はもう逃げられない」


 グランツは鼻息を荒くして、腕を指揮棒のように振るい水晶をまた一つ呼び寄せる。


 その中には馴染み深い灰色髪の青年が映っており、携えられた大剣を見てククルは少し眉を吊り上げた。


「──ほう、早くも処刑の時間が来たようだね」

「……」

「別れの挨拶は必要ないだろう? 貴方の奔放さが招いた演目だ」

「そう……」


 映し出された光景が激しく揺れる。

 視界の主が走り出したのだ。

 

 この速度、これをもってククルはより確信を深める。


「ごめんね、演目ってどれ?」

「──?」


 鍔迫り合いはほんの一瞬にして終わりを迎え、瞬きほどの拮抗の後に剣を粉砕された視界の主は即座に組み伏せられた。

 青年は歯を剥き、水面を漂うような弱さの奥底に確かな強さを感じさせる瞳で以ってこちらを射抜いている。

 グランツは僅かにたじろいで思わずといった様子で仮面の──そう、目の部分を抑えてしまい、振り上げられた拳が落ちる決定的な瞬間を見逃した。


「…………いやはや、恐れ入った。本当に素晴らしい。想像以上と言って差し支えない。彼が何もしないというのなら、余計な手出しをするのは悪手やもしれぬな」


「……ほんとにね」


 やけに怯えた様子を見せるグランツを鼻で笑い、ククルはしなやかな指を動かし、仮面の上をつう──と這わせた。


「次、彼に手を出したらわたし──首釣って死ぬから」

「それが詫びのつもりかね?」

「さあね、でも実際、わたしがいなくなったら彼を攻撃する理由もなくなるでしょ?」

「……釣れぬ女だ」


 グランツは引き退がり、ククルを視界から外さぬようにしながら慎重に背を向けた。

 金髪の男を連れ立って歩き始めると、どっしりとした声を響かせる。


「客人の相手をしてくる。大好きなダンジョンを心ゆくまで散策するといい」


 かつん、かつん──硬質な足音が遠ざかり、やがて独りとなったククルは冷め切った表情を部屋中の水晶それぞれに向けて、それからダンジョンコアの前で足を止める。


 緩く息を吸い上げると、暖かい風が無風のはずの部屋に吹き荒れる。

 何人なんぴとにも縛られぬ自由の風。

 永遠に足踏みを続ける愚かな娘。

 

 エルとは隔絶した次元に存在する、ククルヒロインが放つ最大最強の大魔法。


「どうせ、あの雑魚はわたしを咎めない」


 傲慢に無遠慮に誰からも縛られることなく、彼女の消滅魔法が何の躊躇いもなく解き放たれたのだった。

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