出る杭は打たれろ

「「……え?」」


 疑問の声は、ほぼ同時に放たれ。

 また振り返るのもまた、同タイミングだった。

 唯を侑杏だと分かるのは、極限られた人だけだというのに?

 知り合いだろうかと思いながら恐る恐ると振り返れば。

 そこに立っていたのは全く見覚えのない、中年男性だった。


 なんの変哲も無い。ただのおじさん。

 私の親戚だと言われたら信じてしまうくらいに、ただ普通の。

 ダボっとした緑色のパーカーを着て、剃っていない髭のせいで清潔感のかけらも無い。

 親戚の集まりに一人はいそうな感じの、至って普通のおじさん。

 このおじさんに、私は毎年お年玉を貰っていそうな気さえする。


 でも。私は、全くもってこの人を知らなかった。唯もきっと同様である。

 私の先までの興奮は一気に冷めて、恐怖が次第に湧き上がってくる。


「ど、どこかで、知り合い。でしたっけ?」


 私は問う。

 声はぷるぷると震えて、足もガクガクと横に往復する。

 唯は縮こまって何かを喋るどころじゃ無さそうだった。


「…………」


 呼吸が荒い。ただ、ひたすらに荒かった。

 この男性が『侑杏』と言ったことの重大さに、うっすらと気が付き始める。

 そして。今、タイミングを見計らったかのように、こうして話しかけられて。

 だから。つまり。私たちは、尾けられていたという事実にハッとする。

 いつからだ? いつから、私たちは? 尾けられて?

 少なくとも、私の公開告白が一因になっているのだと理解するのに、大した時間を要さなかった。

 インターネットの恐ろしさを、眼前に突きつけられている様だった。


 どうすればいい? どうすればいい?

 痴漢をされたわけでもないのに、痴漢だと叫ぶわけにもいかない。

 そもそも声をかけられただけだ、それ以上は何も無い。

 ストーカーされていたっていう証拠もあるわけがない。

 交番に駆け込むか──って、交番はどこにある?  分からない。

 もう少し、ここら辺の地理について調べておくべきだった。


「なぁ、侑杏」


 唯が小さく「ひっ」と漏らす。

 私は唯の肩を抱き寄せて「なんですか!」と大きな声を出した。

 周りの視線が向いたが、みんな無視して私たちの横を通り抜ける。薄情だった。

 だけどそんなものかと思う。誰だって、自分が巻き込まれたくは無いだろうから。

 そもそも大したことが起こっているように、見えていないのかもしれない。


「……なぁ、侑杏」


 その男の口はゆっくりと動く。

 侑杏の名前を呼びながら、唯のことを見ている。

 一体この男は、どこまで知っているんだよ、と。

 そう思っていた矢先に、こんな言葉を吐き出した。


「……なんで、葵と付き合ったんだよ」


 ──デジャブ。

 デジャブを覚えた。

 その台詞に似た言葉を、どこかで耳にしたことがある気がした。

 昨日、違和感を覚えた一つのコメントが頭をよぎった。


:侑杏、なんで葵と付き合った? 百合営業じゃ無かったのか?


 まるで彼氏ヅラの様なコメント。

 そして。恐らくは、弓波侑杏のガチ恋勢。

 なんとなく、合点がいくものがある気がした。

 でも。突き詰めてみると、何も分からない。


 だから。今、私たちができることを探す。

 そんなの一つしか無かった。


「唯……走れる?」


 ポソっと。

 その声を、そよ風に流す。

 唯は震える唇をそっと動かす。

 唇は二回動いて『うん』と、私に示した。


「じゃあ。……3、2、1」


 ゼロを言う前に踵を返し、転げるくらいの勢いで、前へ前へ前へ。

 逃げる。逃げる。ひたすらに、前へと。


「なんで逃げるんだよぉぉぉおおぉぉお!」


 怒声が耳の中を侵す。気持ちが悪かった。

 しばらく走って振り返れば、男は追ってはこなかった。

 ここで追ったら自分が不利な立ち位置になるのが分かっているのかもしれない。

 それなのに。私たちは、ただひたすらに、家に向かって走り続けた。

 ずっと、何かに追われている様な気がしたから。



         ※



「唯、ご飯食べる?」


 あれきり、唯は部屋にこもっていた。

 よほど怖かったらしい。私も同様に怖かった。

 でも。私は、唯を支えなければならないから、今は強がっている最中である。

 持ってきたお盆に乗った親子丼は──私が食べようか。唯は食欲が無いだろうし。

 けれど何も無いというのはよく無いので惣菜パンを部屋の前に置いておいた。


「ちゃんと食べなね。……お水も置いてるから」


 それだけを言って、私は自室に戻った。

 このまま親子丼を食べようか、と思ったけれど。

 その前に。だ。あの男について、少し知りたい。

 そのために私は記憶を掘り起こして、一つのユーザーネームを思い起こす。


『煮卵焼き人間』


 そう。確かそんな名前だった。

 フェイスブック──は本名だろうし、まずはツイッターから検索をかけてみるか。

 と。検索欄に『煮卵焼き人間』と入れてみれば──いきなりそれらしきアカウントが出てきた。そんなふざけた名前のアカウントは一つしか無かった。


 フォロー14人。

 夢咲葵、弓波侑杏。それから、他のVtuberのアカウント。


 フォロワー1人。

 スパムアカウント。


 フォロー欄を見るに、あのコメントを打ったアカウント運用者だろう。

 しかしまだ、あの男と同一人物だということが確定したわけでは無い。

 そのままプロフィールに目を通してみる。なんだか色鮮やかなプロフィールだった。


『40代のおっさんです^_−☆ Vtuberをこよなく愛するバツイチ^^; 最近は弓波侑杏のガチ恋勢やらせて貰ってマース!(勝手に笑) ♯自撮り界隈 ♯Vtuber好きと繋がりたい ♯裏垢女子と繋がりたい』


 なんだこの気持ち悪さの塊みたいなアカウント。

 呆れて笑いが出てくるレベルで気持ち悪い。

 いや別に、40代のおっさんが気持ち悪いわけでもない。

 Vtuberをこよなく愛するバツイチが気持ち悪いわけでもない。

 いや。でもそれを堂々とプロフィールに書いてしまう辺りがアレなのだけど。

 なんにせよ。ストーカーをする奴のプロフィールがこんなんなのが、心底気持ち悪くて仕方が無かったのだ。


 確かに。あの男の見た目も40代と言っていいだろう。

 そう思いながら、まだ決定的なものに欠ける気がして、下へとスクロール。

 最新のツイートがどんなものかと見てみる。


『見つけた(^ ^)』


 そんな文章を始めに、もう少しスクロールして──ゾッとした。

 文章と共に投稿されていたのは、私たちが行った漫画喫茶の画像だった。

 私たちの姿写真が一つも無いのは、それは証拠になってしまうからだろう。

 非常識なくせに、変なところに常識が備わっているらしい。


 『自撮り界隈』とか書いてあったが、どうやら自撮りなんてしていないようだ。

 それとも、証拠になりそうなものを全て消したのかもしれない。

 あの男のアカウントだということは発覚したが、どうも気持ち悪かった。

 それなのに。好奇心──いや、好奇心とも違う感覚だった。

 怖いのに。スクロールをしてしまう。


『無闇に写真投稿すると危ないよー笑 今、この近くにいるわ笑』


『コメント無視されちゃった笑笑』


『学校も分かった、天才だわ(←なわけ笑)』


『はいビンゴ。配信の声きこえてますよー(^ ^) 防音しっかりね笑』


『結構豪華な一戸建てに住んでるだねー、羨ましー』


『推しの浮気現場みっけた。こいつらが中身か笑 運よすぎ爆笑』


 ここまでだった。

 それより前は、割とどうでも良いツイートで埋まっていた。


「──!」


 窓の方を見たが、カーテンで外は見えなかった。

 今も。この外に、あの男がいるかもしれない。

 そう考えると恐ろしくて吐きそうだった。

 今すぐにでも警察にいきたい。

 でも。何も証拠が無い。

 きっとこれじゃ。動いてくれない。

 怖い。怖い怖い、怖い。……怖いよ。


 あの告白をした時から、ストーカーは始まっていたんだ。

 だから。私があの生配信を始めなければ、こんなことには、ならなかった。

 私のせいで。私が、あんな告白をしなければ、ストーカー被害には合わなかったのか?

 ストーカー被害で、殺される事件は今まで何度もニュースで耳にしたことがある。

 私のせいで、唯は、ストーカーに殺されるかもしれない。

 家もバレている。じゃあ、今すぐにでも突撃してくるかもしれない。

 唯の命が。私のせいで危険に犯されている。

 後悔しても。完全に遅かった。


 私は気が気でなくて、唯の部屋へ訪れる。

 ドアの前に立ち止まって、唯の泣き声が胸に痛くて。

 結局。何も言えずに、私は引き返してしまった。


 今日は一睡も出来なかった。

 新聞配達もサボってしまった。

 冷め切った親子丼の存在に、今更ながらにして気が付いた。



         ※



 どうやら、無事に朝を迎えられたらしい。

 ゾンビ映画の主人公ってこんな気分なのだろうか。

 唯の部屋へと赴けば、ドアの前のパンとお水はそのままだった。

 きっと。今も、心細さを覚えているのだろう。


 ──コンコンコン。


 ドアをノックする。

 返事は無かったけど、ドアを開き、足を踏み入れる。

 ベッドの上には丸まった毛布があり、その中には唯がいた。


「……お姉ちゃん」


 唯の声が、泣き声として私の耳に届く。

 近付いて顔を覗いてみれば、目は真っ赤っか。

 どうやら唯も一睡も出来ていないように見受けられた。

 私の顔を見た唯は、顔の形を一気に崩して、私に泣きついた。


「昨日から。変なアカウントからのDMが止まらないの……」


 心臓がズキりと痛んだ。

 やはり昨日は、あそこで唯の部屋に入ってやるべきだったのかもしれない。

 慰めて、少しでも安心させてやるべきだったのかもしれない。


「……どんなDM?」

「葵ちゃんと別れろ、とか。会ってくれ、とか。今から家に行ってもいいのか、とか……ほんとに、ひどいDMがいっぱいで……」


 唯は泣きじゃくる。

 泣きじゃくって、私の着替えすらしていない服をいっぱいに濡らす。

 あの男が許せなかった。悔し涙がジワリと私の目に浮かぶ。


 しかし、私にはどうにも出来ないのだ。

 今の私にできるのは、ただ唯の頭を撫でてやることだけ。

 噛んだ唇からは血が溢れ出る。


「ねぇ。私、明日も生きてるよね?」


 許せない。

 本当に許せない。

 唯にこんなことを言わせたあいつが。

 けど。それ以上に、元凶の自分が、何よりも許せなかった。


「大丈夫。大丈夫だから」


 私は唯を強く抱きしめた。

 この声も、震えてる時点で説得力に欠けている。

 どうすればいいのだろうか。何も分からない。

 きっとこれは。本当に私じゃどうにもできない案件なのだろう。


「先生に相談してみる。……唯は今日は学校休んで、ゆっくりしてて」


 やれるべきことと言えば、このくらいだろう。

 警察はダメかもしれない、でも教師を経由してなら大丈夫かと思ったのだ。

 頼れるものは、頼るべきだ。

 祖父母──いや、そこを巻き込むわけにはいかない。

 だからせめて教師だ。それなら、何か変わるかもしれない。


 身支度を済ませて、家を出た。

 とっくに遅刻の時間だったけれど、急ぐ気にもなれなかった。

 首をいちいちキョロキョロと回して、これじゃ私が不審者みたいだ。


 そんなことを思いながら、無事に学校に着くことはできた。

 唯がいない登校路なんて久しぶりで、味気なかった。

 教室を目指す。三階までの階段、こんなにキツかったっけ?

 やがて教室に辿り着く、授業真っ只中の教室に悪びれもなく足を踏み入れる。

 国語教師が少し私のことを叱ったが、何も響かなかった。

 恵にも何か茶化されたけれど、耳に入った声はすぐに抜け出ていった。

 とりあえず、教師に相談をするのはこの授業が終わった後にしよう。

 なんて思いながら、スマホをこっそりいじり、なんとなしにツイッターを開く。

 開いた画面は昨日の気持ち悪いアカウントで、すぐに閉じようとしたのに。

 最新のツイートが目に入ってしまった。

 いや、目に入ってくれたというべきなのかもしれない。


『お(^^) 葵の方だけ家を出たってことは、今は侑杏だけってことかな』


 そして。映し出されたのは、私が通る通学路の画像。


「────っ!」


 ハッとした。

 私は、大事なことを忘れていた。

 唯に無理させないよう学校に行かせないというその行為は。

 同時に、唯を家に一人取り残すことになるということと同義なのだ。

 私は気付いた時には席を立ち上がっていた。


「おい、白羽? 遅刻したかと思えば──」

「すみません、急用ができました。帰らせて頂きます」

「ちょっと舞!?」


 呼びかける恵の声と教師の声を振り払って、私は来た道を引き返す。

 階段を下って、下って、下って。長い、とても長く感じる。

 グダグダしているうちに、タイムリミットはくるというのに。

 唯にラインで『絶対に部屋から出ないで!』と送る。

 余計に不安にさせてしまうかと思ったが、万一の時よりもこれでいい。


 正門を抜ける。

 走って走って走り続ける。

 けど。全力なんていつまでも持つわけがない。

 体力に限界が来て、私は道の途中で立ち止まってしまう。


「──っはぁ。──っはぁ」


 ──ピロリン♪


「──唯!?」


 思わず声を荒げながら、通知を確認する。

 しかし期待虚しく、いつも配信をしているアプリからの通知だった。

 こんな時に空気読めないな、と思いながら目は自然と文字を追う。


「……あ。あ、あはは」


 そしたらなぜか、自然と笑みが溢れた。

 本当に、なんで今、こんなことを知らせてくれるのかな。


『おめでとうございます! チャンネル登録者が一万人を超えました!』


「……本当に、空気、読んでくれよ」



 涙を拭きながら、私は笑った。

 私自身に、笑ってみせた。


 あぁ。そうだ。私はVtuberだ。

 Vtuberの時が、一番私らしくなれるとも言える。

 あの公開告白は、視聴者も一番の反応を見せてくれたんだ。

 自分も。告白してよかったって、そうあの時は思ってたのに。

 今更しなきゃよかった、だなんて。私、どうかしてるな。

 結局はそれはもう過去のことで。戻って来やしない。悔やんでも仕方がない。

 私が生きているのは今なのだ。そしてその今も、一瞬で過去になってしまう。

 だから私は未来を見る。今の私の最適解。それを考えるしかない。

 あの公開告白の時も、私は未来を見ていたじゃないか。

 ストーカーができたなんて、結局は結果論だから。


「よし。決めた」


 息を吸って、


「チャンネル登録者数、一万人突破記念動画のタイトル」


 気持ちの良い独り言を。さんはい。


「『侑杏のストーカーを、ボコボコにしてみた』」


 こんなの、神動画確定だろ。

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