第五章 出る杭は打たれなかったらどうなるのか編
白羽姉妹の恋人生活
何やら学校が彩られているなぁ。
正門前に立ち止まり、そう思った。
登校を共にした唯は隣で「綺麗だね」とぎこちなく言う。
「……そう、だね」
と。校舎に飾られた装飾を眺めて。
同じく、ぎこちなさを残しながら私は応答する。
あぁ。思えば、もうすぐ『聖夜祭』だった。
聖夜祭とは年に一度、その名の通り聖夜に行われる文化祭の様なものだ。
一応私の学校はカトリック系なのでその様な催しがあるのだけど、生徒も教師もカトリックとか関係なく、ただの文化祭として楽しんでいるみたいなところはある。
キリストの扱いェ……という感じではあるのだけど、一応、最後には皆が講堂に集まってキリストに感謝を捧げる『聖夜の集い』なるものがある……けれど、なんというか一人ずつ蝋燭を持たされ、それを掲げる、という光景はシュールだったのを覚えている。
高校三年生は受験を控えているので事前準備はしない。
そのためか。どうやら聖夜祭があるのを忘れてしまっていたらしい。
ちなみに。
高校三年生の聖夜祭への参加は、大学が決まっている生徒か、就職が決まっている生徒に限られている。
だから毎年、聖夜祭に参加する生徒は一般入試勢に恨まれている印象だ。
で。今年は私が恨まれる立場になる──と。
いやぁ思った以上に優越感ある。
今年のクリスマスは土曜の25日。
しかし聖夜祭は一日ずらして金曜の24日。
つまりは四日後に開催する予定のようだ。
だからと言って、私は別に興味が無かった。
惰性的に過ごして、最後はなんとなく講堂にいるのがいつものパターン。
けれど──。
「楽しみだね」
今年は唯がいることに気が付いて。
不覚にも、なんだか楽しみになってきてしまった。
正門を抜けて、校舎に入る。
会話はほとんど無い。
「じゃあ。私、教室に行くね」
廊下を暫く歩き、唯がそう言って私の元を離れる。
背中を見送れば、唯が最後にチラッと私の方を振り返った。
軽く上げた右の手の先っぽを横に振って、私も同じ様に振り返す。
恋人同士なんだなって実感をした。
そして、恋人同士になれた喜びも確かにあった。
心の中で、もう一人の自分がはしゃいでいるのが分かる。
けど、やっぱり。お互いにまだ、恥ずかしさが残っていた。
※
自分の教室に入り、席に着く。
瞬間、前方にあった人の背中──及川恵がくるりと私の方を向き。
かと思えば私の耳元に顔を寄せ、こんなことを囁いてきた。
私の目の端で、彼女の眼鏡がカチャっと揺れる。
「……昨晩は、お楽しみでしたね」
肩がびくりと跳ねる。
反射的に距離を置き、声量小さく声を荒げる。
「なっ。なな、なぜそれを!?」
「……そりゃあ。昨日のアレ、見てたから」
「くそっ。そうだった、身近にはこんな脅威がいたんだ」
先日発覚したばかりの事実だが──。
及川恵はVtuber兼イラストレーターの風間恵だ。
そして弓波侑杏のアバターをイラストした人物であり、仲が良い。
昨日の配信に目を通しているのも自然のことと言えた。
私は置いていた距離を詰め寄り、今度は私が彼女の耳元で囁く。
「誰にも言ってないよね? というか学校の人で知ってる人とかいない?」
「私の知る限りではいないかなー。私も少し心配でツイッターで検索してみたけど、動画とかは流失してないぽかったから。……にしても大胆なことしたよね、舞」
「ま。まぁね。あくまで視聴者を盛り上げるための大胆さだからね」
「ふーん? それにしても舞って、唯ちゃんのこと好きだったんだ」
「うっ──!」
お腹を殴られたみたいな衝撃が私に走る。
周りの視線が一瞬で私に向き、教室は静寂。
私は「あぁすみません」とぺこぺこと頭を下げ、すぐに恵の耳元に舞い戻る。
「ちょっと、教室でその話をするのは良くないんじゃないでしょうか」
「あれは百合営業じゃない、って解釈でいい?」
「無視するな。というか待って。その前に、私がVtuberやってることとか、百合営業してることとか。どれくらい前から知ってたの?」
「まぁ。……そこそこ前から。そりゃ分かるよ。別に唯ちゃんから聞いたとかじゃないけど、唯ちゃんと仲良くしてればさ、自然とね」
「……な、なるほど。いや、もう今更それに関してはいいや。……けど! でも! ……もう分かってると思うから言うけどさ、私と唯が恋人同士だってこと誰にも言わないでよね」
「分かってる。私の将来の夢は、百合カップルがいる部屋の観葉植物になることだから」
「それは生まれ変わらないと到底叶わなさそうな夢だけど……まぁ分かった。一応、恵のことは信頼してるつもりだから」
「一応とは失敬だなー。……ま、いいや。とりあえずは唯ちゃんと幸せにね」
「……そうだね、幸せになりたいな。……ありがとう」
そこまで言って、私は彼女の耳元から距離を置く。
目の前の恵が嬉しそうに笑ったので、最後に二人でこっそりと微笑み合った。
とりあえず、バレることは無さそうなのにホッと一息。
やがて担任が入室し、ホームルームが始まり。
それが終わるとすぐに授業が始まった。
午前中の授業は面倒臭い。しかも今日は月曜日ときた。
いつもだったら面倒臭いに決まっている。
けれど今日は違う。
なんと、面倒臭いなんてちっとも感じなかった。
それは今日はずっと、唯のことを考えていたからである。
唯のことを頭に浮かべて、帰ったら何しようだとか妄想して。
退屈なんて一切も無く、授業中ながら楽しい時間を過ごせたと思う。
あ、でも。三限では数学の吉田が当ててきて、問題に答えられなかった。
妄想の邪魔をされ、少しだけ恥をかいてしまったのが、午前中の後悔だった。
そして昼休み。
古典の斎藤が教室から出た瞬間に、私は大きく伸びをした。
前方の恵はすぐさま席から立ち上がり、私の元へやってくる。
「いよっし、舞。学食行こうぜ」
私は「はーい」とあくび混じりに立ち上がる。
学食は混雑する。それ故、私たちは授業が終わればすぐに教室を出る。
しかし3年の教室は一番上の三階にあるので、必然的に1、2年に先を越される。
いつものことではあるが、せめて三年より早く、と高速で階段を降り、一階に降り立つ。
けれど案の定というか、一年生の赤いリボンと二年生の青いリボンで混ざり合っていた。
そしてここに私たちの緑色のリボンが追加されるので、もはや混濁である。
せめて前の方に、と人の間を縫うように歩き、恵と共に前を目指す。
しかし暫く進めば前方には人の壁が出来ており、縫って進むのは不可能そうだった。
仕方ないかと小さく溜息を吐いて、人の流れに乗る。
遅いなぁと、ぼんやりと前を向きながら心の中でポツリと呟いて。
けれどその時。前方の人の壁の一人が、目に飛び込んで釘付けにさせた。
「……唯」
いつも近くにいたはずなのに、大して気にならなかったその存在。
唯が。私たちの前を、4、5人の女友達と歩いていたのだ。
私の心は一瞬だけ喜びを覚えたが、しかしそれは、本当に一瞬だった。
唯は私と違って友達が多い。学年一番の人気者と言って差し支えないほどだ。
だから、学校で一緒に過ごす女は沢山いる。私だけじゃない。
唯は四六時中、私のことを考えているわけではない。
いや。私も恵とよく話すから人のことは言えないんだけど。
また、嫉妬してしまっている。それに気付けるだけマシなのだろうか。
だけど唯の恋人は私だから。そう思えば、前みたいにモヤモヤは広がらなかった。
それでも。唯の笑う横顔はキラキラとしていて──やっぱりモヤモヤするかも。
「……お。ほんとだ。話しかける?」
「いや。いいよ。……邪魔しちゃいけないから、ね」
答える私の声は、舞の耳には不機嫌な声として届いたかもしれない。
嫉妬しているのバレバレかな。なんて思いながら唯から視線を外そうと──けれど。
数秒遅れで、私の声が聞こえたのか唯が反射の様に後ろを見た。
前に歩きながら、視線はキョロキョロと動かし、やがて私のことを捉える。
友達から話しかけられ、それに言葉を返しながら。こっそりと私に手を振ってくれた。
最後にはにかみ、すぐに前に向き直って、ほんのり赤い耳だけを私に見せた。
「…………」
思わず立ち尽くすところだった。
やばい。一瞬で心臓の鼓動が速さを増した。
これが恋人がいるってことなのか、と変な思考を回す。
二人だけの秘密をしているようで、なんだか心が躍るものがあった。
「舞、顔赤いよ」
「そ。そりゃあ。赤くなるでしょうよ」
恵がからかってくる。
嫌な気分では無かった。
やがて学食に辿り着き、食券機にできた長蛇の列に並ぶ。
数分後に順番が周り、私はA定食のから揚げ定食を購入した。恵も同様だった。
カウンターで定食を受け取り、そしてキョロキョロと空席を探す。
端の方の八人ほど座れるテーブル席に、二人分の席が空いてるのを見つける。
邪魔かと思われるかもしれないが、座れないよりかはマシだと、二人で駆け込んだ。
「すみませーん。失礼しまー、す……?」
赤いリボンを付けた、高一の女子グループ。
遠目からじゃ、それくらいしか情報が無かった。
だから今。そこに映る人物を見て、私の作り笑いは固まってしまう。
目を大きく見開いた唯の存在に気が付いたが、どうやらもう遅かったらしい。
「……ど、どうぞ?」
唯がおどおどしながら答えて、恵が「ごめんねー」と席に着く。
私も続くように、気まずさを覚えつつも恵の横に座る。
「私らの存在、空気として扱っていいから」
恵がそのグループに呼びかけると、みんな元気に頷いていた。
いや。唯の返事は少しだけぎこちなかったかもしれない。
恵は両手を合わせると、すぐに唐揚げに箸を伸ばした。
黙々と口に運び、じゃあ私も食べるかと恵に倣う。
「…………」
女子グループの楽しげな声がテーブルに響く。
陽キャ的な女の子たちだけど、みんな唯みたいな感じの良さがある。
少なくとも唯の交友関係は安心だな、といつの間にか親目線になっていた。
いやしかし。それ以上に──。
──気まずい。
私と唯の間には、何か壁があるような気がしてならなかった。
付き合った次の日とは、どこのカップルもこのようになるのだろうか。
けど。昨日キスをした、ってのも気まずさの一因だろう。
今日の朝ごはんの時も、平静を装ったけどうまく喋れなかった。
30秒に一回くらいのペースで唯と目が合い、恥ずかしさから逸らしてしまう。
そんな状態がしばらく続いて。結局、私たちの間に進展は無いし、会話も無かった。
「ごちそうさま」
恵が手を合わせた時、ちょうど私も最後の一口だった。
女子グループは会話に集中しているせいか、半分ほどしか減っていない。
しかし唯は既に食べ終えていた。
「じゃ、じゃあ。ありがとう」
と、その席の女子に向けて呟く。
しかし賑やかな声にかき消されて、それは届かなかったらしい。
唯だけは下を向いた頭をさらに下げて、私の声に応じてくれた。
後悔を残し、席を立ち上がり。お盆をカウンターへ返しに歩く。
一歩。二歩。三歩。四歩ときて、そして五歩目で、後方から「ごめん、私ちょっとお手洗い行ってくる!」という快活な唯の声が耳に飛び込んだ。
雑に椅子を引いて戻す音が聞こえたかと思えば、そこからは一瞬。
「お姉ちゃん、ちょっと」
横に現れた唯は、私の手を万引きでもするかのようにサッと取ってくる。
落としそうになったお盆を、もう片っぽの手で咄嗟に支えながら。
私は唯の表情を見たが、俯いていて何を考えているかは分かりそうに無い。
「ごめんなさい、恵先輩。ちょっとお姉ちゃん借りるね」
「お、唯ちゃん。楽しんでおいでー。舞のお盆、私が戻しとくから」
唯が恵に、タメ語と敬語の混じった言葉を投げ、恵が楽しそうに応じた。
なんか変なことを想像してそうな恵に「ごめん」と言いながらお盆を預ける。
ぺこりと頭を下げた唯は、友達の方をチラと見ながら、私の手を引いて学食の外へ。
そのまま校舎裏の人目が付かないところまで私を運び、唯は立ち止まった。
「唯? どうしたの?」
「あ、あのさ……」
唯は気まずそうに切り出し。
続く言葉を待つ前に、私は乾いた笑いを唯に与えた。
「あはは……なんか学校だと気まずいね」
「う、うん。……そうだね」
「あ、ごめん。なんか用があったんだよね」
「うん……。えっとね……」
そこまで言うと唯は言葉を止めた。
顔を俯かせて、少しモジモジしながら、上目遣いでボソボソを言葉を切り出す。
「わ、私が女の子、あの子たちといたら、嫉妬する?」
見透かされているようで、私の肩はびくんと跳ねた。
「な、なんで!?」
「だってお姉ちゃん、嫉妬しいだもん」
「……いや。た、確かに。嫉妬するけど。……だって唯、なんでもない女の子に凄く明るい笑顔を見せるから、さ……。で、でも! 気にしないように頑張る、から!」
言ってから、私は割ととんでもないことを言っているのではないかと疑った。
私が言った『なんでもない女の子』とは、唯にとっては友達だから。
私は唯と恋人関係だけど、それで他の人との関係を裂くようなことはするべきではない。
それを分かっているのに。どうして、そんなことを言ってしまえるのだろう。
本当に今更なことだけど、私の姉としての立場は既に崩れているようだった。
私は年上の女性なのに、年下の恋人が他の女と仲良くしてるのに嫉妬する。
どうしても。それは子供らしい気がしてならなかった。
でも唯は昨日、嫉妬をする私のことを可愛いって言ってくれたから、それもいいのかな。どうなんだろう。
分からなかった。
恋人になれても、結局は分からないことだらけで。
結局私は、何も変わっていないようだった。
「……お姉ちゃん」
唯はそれだけポツリと漏らして、私の顔を見た。
何か怒られるのかなって思いながら、覚悟を決めて唯を見る。
でも──違かった。
「お、お姉ちゃんは、特別だから!」
叫ぶようにそう言った唯は、私に飛び付いて、ぎゅっと抱擁した。
その瞬間に、先までの邪念が全てどうでも良くなる気がした。
ここでハグなんてしていいのか、と思いながら視線も感じないので抱き返す。
こんなこと。他のカップルでも中々しないよなぁと思いながらも、少しだけ力を込めた。
唯は、私には勿体無いくらいの良い子だと思う。
それこそ姉妹じゃないと、接点こそ作れなさそうで。
だから、ずっと彼女を大切にしたいと、月並みだけど心から思ったのだ。
唯の耳元に顔を寄せて、小さく、恥ずかしさを捨てきれないまま私は囁く。
「……嫉妬は、しないっていう確証はできない……けど。……けど、私は唯をめちゃくちゃに愛してるので。それは、変わらないから……」
唯は「分かった」と満足そうに頷くと、私に回していた腕を取り外した。
もうハグは終わりなのか、と少しだけ悲しい気持ちになりながら。
数秒、唯より長く腕を回した後に、私も腕の力を緩めた。
「……それじゃあね。私、友達待たせてるから」
唯は軽く笑って告げた。
ここで。私を置いて友達のとこに行くんだって思ってしまうから、私は面倒臭い奴なのだろうと思いながら、離れた唯をもう一度抱き寄せて、肌で感じで、また離れる。
唯の顔はさっきよりも赤くなって、さっきよりも俯いていた。
また。さっきよりもボソボソとした声を下に飛ばす。
「……不意打ちのハグは禁止です」
「ゆ。唯も不意打ちのハグだったじゃないですか」
なぜか互いに敬語である。
何だかおかしくて、一緒のタイミングで笑ってしまう。
唯の方は面白がっているというよりは、純粋に楽しそうだった。
目の端に、笑ったせいか水滴を浮かべた唯は、それを拭き取りながら私に言う。
「……なんかずっと夢の中みたい。あのお姉ちゃんが、私のことをこんなに愛してくれてるんだから」
顔がボッと熱くなるのを感じながら。
これ以上は唯の友達を待たせられないな、と軽く片手を上げる。
「よし。じゃ……また放課後かな」
私がそう言うと、唯は「あ、待って」と。
「その放課後のことなんだけどさ……」
指をつんつんとする仕草と共に。
「えっと。聖夜祭の準備するからさ。一緒に残って欲しいな、って」
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