白羽舞は嫉妬する

 浮気現場を調査する探偵。って、こんな感じなのか。

 いや違うな。浮気現場を調査する恋人、か。

 なんにせよ。『浮気』なんて単語が出てくること自体、おかしなことではあった。

 唯は何も悪くなくて、もちろん恵も悪くないというのに。


 二人の会話は届かない。

 私がいるのは数メートル離れた物影だ。人の騒めきもある。

 会話が届かないのは当然と言えた。

 私に与えられた情報と言えば、見える彼女らの整った横顔のみ。

 読唇術が使えれば、何を言っているのか分かるのだろうか。

 それでも。楽しそうにしているな、というのは火を見るより明らかで。

 だから水を差してみたかった。


『唯。今は何してるの?』


 勢いに任せて入力したラインを見て、ごくりと生唾を飲み込む。

 唯に視線を戻し、送信ボタンに置いた指でその場所に触れる。

 次の瞬間、話していた唯の口元は動きを止め、顔を下に向けた。

 恵が不思議そうな顔をして唯に何かを問うた時。ピロリンという着信音が耳に飛び込む。


『えー、さっきからなにー? 心配なのー? 今はまだお昼ご飯だよ』


 反射で見て、反射で文字を打つ。


『そう。いや、私、暇だから。気になっただけ』


 すぐに唯を見れば、下を見つめて頬を緩めていた。

 その唯の笑顔は、いつもよりも特別なものの様に思えて。私の心は、ほんの少しの安堵を覚える。

 それから少しだけラインのやり取りをし、二人のデートの邪魔した。

 唯は『今日のお姉ちゃん、少し変だね』と言ってきたけど、それでさえも嬉しかった。

 二人が席から立ち上がった時には、時間はそこそこ経過していた。


 私は二人の背中を追う。

 次に向かったのは、服屋だった。

 私はまた物陰にコソコソと身を隠して、二人が何をしているのかを探る。

 最終的には何も買わずに店を後にしていた様だけど、私の存在に気付かれる気配は無い。

 私ってストーカーの素質があるのでは。と。恐らく勘違いに終わってしまうことを考え付き、首を振った。

 少量の虚無感が私の中に取り巻いていた。何をしているんだ、こんなことに意味はあるのかって。

 それでも今、私が止まれないのは、こんなことにでも意味はあると信じているからだと。

 そう解釈して、前を歩く二人の背中を遠目から凝視する。

 凝視し続けて、だけど、一瞬。思考に焦点を当ててしまった。

 不覚だった。その瞬間に。


「……あれ?」


 二人の影は忽然と消えた。

 前にはいない。もちろん後ろにも。

 別に神隠し、とかでは無く。何か、店へと入ったのだとは思う。

 だが、どこだろうか。それらしき店は見当たらない。

 先まで二人がいた場所に向かって、首を回す。

 

「あ……」

 

 すぐ隣には、雑貨屋があった。

 どうやら。死角になって見えなかったらしい。

 だから。あの二人も、死角になっていて──。

 それに気付いて、やばい。と、そう悟った時には、もう遅かった。


 ほら。

 唯と恵が。

 目の先にいた。


「や、ば……」


 呼吸に乗って、少量の声が漏れ出る。

 犯罪をした時の様な気分だった。いや、したことないけどさ。

 でも。犯罪がバレてしまって、観念してその場に留まってしまうみたいな。

 そんな状態に陥って。でも、私はまだバレていないことに気が付いて。

 諦めかけた身体が回り出して。すぐさま振り返る。

 その時、視界の端に私を向く二人がいたような。そんな気がして。

 けれどすぐに、気のせいでは無いのだと。そう知らせてくれる『お姉ちゃん』と呼ぶ、唯の声が聞こえてきて。

 まずいまずいまずいまずいと。混濁して、爆発しそうで。

 次の一歩は大きくて、素早くて。

 だがその前に、出遅れた私の左腕が掴まれた。

 コート越しでも伝わる、とても柔らかな手によって。


「お姉ちゃん!」


 唯の快活な声。

 バレた。バレた。

 見られた。見られてしまった。

 ここで私はようやく、身なりの汚さを自覚した。

 整っていない髪とか、テキトーすぎるチョイスの服とか。靴とか。

 そんな私を今、自覚して。でも、もう、戻れない。


「あれー? 舞じゃん」


 続く恵の素っ頓狂な声。

 後ろから、痛いほどの視線が刺してくる。

 私たち三人以外の時間が、全て静止している気さえした。


 この状況でどうすれば。

 少なくともここで黙るのは変だ。

 だから、必死に言葉を探る。

 見つけた言葉を修正もせず、すぐに解き放った。


「あ、あ。と。……唯は。今日は、恵とお出かけなんだね」


 踵を返して、彼女らに向き合ったはいいものの、視界は遠くなって、二人の顔は見れなかった。

 自分が何を言ったのかすらも、記憶が曖昧だった。


「うんうん。唯ちゃんお借りしてるよー」


 恵が回答を代弁する。

 唯は続けて「恵ちゃんお借りしてるよー」と。

 そんな風に冗談めかして──って、あれ?

 いや。え? 待って。待って。

 恵……ちゃん? って。そんな呼び方。

 二人は先輩後輩の関係、いや。もしくはそれ未満じゃないのか?


「なんで。……なんで?」


 あ。まずい。

 また、私。おかしくなってる。


「どうしたの? お姉ちゃん。なんか顔色悪く見えるけど……」


 おかしい。


「なんで。唯が、恵と……」


 おかしい。

 やばい。これ以上は。

 

「なんで──」


 ──私に黙って、仲良くしてるの?

 と。その言葉を、ギリギリで飲み込んだ。

 これを言ってしまうのは。ただのやべーシスコン女だということは理解できたから。


「お姉ちゃん?」「舞、大丈夫?」


 ほぼ同時に聞こえた二つの声。

 もう。何も話すことはできそうになかった。

 だから。私は二人に完全に背を向ける。

 右足を一つ前に出して、もう捕まらないように。私は。


「じゃ。私……用事も、済んだから」


 耳に入る私の声には、嫉妬が籠っているのが簡単に分かった。

 少し震えて、寂しそうで、不機嫌そうな。嫉妬の声。

 私って、こんな声、出せたんだ。


「……今日は、帰るね」


 刹那。私は駆け出した。

 もう全部。振り解いて逃げた。

 不恰好にも、腕を全力で振って。

 走って。走って。走り続けて、モールの外に出た。

 振り向けば、そこには寂寥感しか残っていなかった。

 やけに周りはシーンとしていたが、心臓の音はうるさい。


 もう何もすることは無く、私は家に向かった。

 歩きながら、自分に怒りを覚えた。

 何かがもう。ずっと喉に引っかかっている感覚だ。

 本気で病院に行きたかったけど。行かない時点で、本気では無かったのかもしれない。

 ともかくは。もう。なんか。私の全部が嫌でたまらなかった。


 家に入る。

 鍵はかかっていなかった。

 部屋に戻って、ベッドの上に身を投げ出す。

 思い出されるのはやはり先の出来事で、頭が痛くなった。


「あーーーーもー。やだなー」


 枕に顔を埋めて叫ぶ。

 今日は暫くこんな状態が続くと考えると、また頭が痛くなった。

 何か解決方法は無いか、と模索する。

 そしてすぐに。一つ、あぁそうだ。と思い付いた。

 配信をすれば、少しは気分も和らぐかもしれないな、と。

 私はデスクに向かった。

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