7.小娘はどうして涙目なんだ

「おばあちゃんたすけて!」


 てちてちと駆け足でクロの子供がやって来た。

 子猫が一匹で出歩けば危害を及ぼす猫は居ないと思うが危険だ。クロがいないということは何かあったのだろうか。


「チビクロか、何があったんだ?」

「パパがにんげんにつかまったの!」


 あー、とうとうあの小僧も玉無しになるのか。もう子供をこさえることが出来るのなら当たり前かと思う。だが突然引き離されたチビクロには何が何だか分からないだろう。

 それにあのクロも私が世話をした猫だ。あからさまな捕獲器に引っかかる阿呆ではないはず。


「どういう経緯で捕まったか分かるか?」

「あのね、ぼくがいいにおいにつられて、そしたらパパがかばって」


 にゃうとチビクロは耳としっぽを下げる。きっとこのチビがこっちに来たのは自分の意志だろう。クロも自分の子供がこちらに来るのは分かっていると思う。

 だがこういう『保護団体』とかいう人間どもは自分たちの『やさしさ』というものを私たちに押し付ける。

 他の地域は知らないが最近この地域で捕獲された猫は皆飼い猫にされる。『リリース』というらしいがそういうことをしなくなったのだ。なのでクロを捕獲した後また野良として開放するなんて思えない。

 最近この二匹は父子でありながら母子のようにべったり行動しているという噂を他の猫からも聞くから、人間も知っているはずだ。子連れだと分かっている猫を子供と引き離すような真似はしないだろうからなおさら執拗にこのチビを探し回るはず。

 私とて子供を産んでほんの二カ月だが子育てをしたことのあるメス猫だ。親と猫を引き離すことはしたくないという人間の思考には同意する。甘えん坊なパパっ子であるチビクロならなおさら。

 私も野良として死ぬと決めている。クロには申し訳ないが、しばらくこの子猫は私が面倒を見ることはできない。


「安心しろ。クロと会える日が来る。だがそのためには飼い猫になることと同義だ。お前はどうしたい」

「……かいねこ?」

「人間の家で暮らすんだ。その代わり二度と人間の家から出ることは出来ない」

「どうして?」

「人間は欲深いからな。それに捕まえる人間側にもそれなりに考えっていうのもあるのだろうさ」

「……そんなのずるい。ぼくたちはただここで生きてるだけだ。人間に甘えたくない!」


 おや。と私は思った。この子猫はこの歳でそれなりに猫としての誇りがあるらしい。流石人間から逃げるために母猫から離れただけのことはある。

 流石クロの子供というだけのことはあるな。


「私も我が子を人間に引き離されたことがある。だがその時私は少しだけ安堵したよ」

「どうして?僕のママはそんなこと」

「私が子供を産んだ時には既に人間に捕まっていたからな。あの時は私は野良に戻ることが出来たが子供はそうはいかない。私とて生きるために人間の家に何度も厄介になっている身だ。だがあの場所は行動が制限されること以外はとても居心地が良かったよ。どこにも危険もないんだからな。……それを知ってしまえば私は子供をあんな危険な場所で生きて欲しくなかった」

「でもパパはどうして」

「お前が母親と離れるほど人間に関わりたくなかったことを知っているからだろ。それにあのクロも人間は捕まえる気だったみたいだしな」

「おまたを取るから?」

「あぁ」

「ぼくのおまたに取るものなんてないよ」

「…………」


 この子猫は自分をぼくと言いながら中身は立派なメス猫だった。まだ繁殖することが出来ないので忘れていた。あのクロが気にかけていたのは自分が好いたメス猫の子供だからというより年端もいかない娘だからという父親なりの牽制もあったのかもしれない。


「メスだろうが人間は子供を産めなくすること出来るぞ。人間は猫を愛玩動物としか見ないしな。まぁ野良が多いと人間にも弊害があるんだろうさ。その分猫としての尊厳を踏みにじった上で徹底的に管理するぞ。飼い猫にするなら尚更」

「…………おばあちゃんはぼくをどうしたいの」


 この子猫は震えだす。何をされるか尚更分からないからだろう。正直私も去勢される時眠らされたので人間に何されたのか全く知らない。腹を切られたのは目が覚めた後の傷を見て分かったけど。

 だが多くの元野良は人間の元で暮らした方が命の危険を晒されることなく長生きすることが出来るということを知っている。きっとあのトラもそれを分かったうえで人間からの勧誘に応えた。だがこの子猫は生まれてこのかた親に守られていたから危険を知らない。飢えることを知らないのだ。


 だがちょうどいいタイミングか、自分の知っている人間の気配を感じ取った。気付けばもう日も傾いており、本来なら私が縁側に来るはずの時間帯だ。どうやらわざわざ来てくれたらしい。


『出て来て良いぞ。小娘』


 私の声にがさがさと草を踏む音と同時に制服姿の小娘が現れた。


「……ミケ、もしかして誰かと話してるの?あ、子猫だ!」

『えっ人間!?』

『安心しろチビ。この小娘は私たちの言葉が分かる』

『どういうこと?』

「その子めっちゃ驚いてるね」


 きっと小娘以外の人間から見れば私とチビクロはにゃーにゃー鳴いているようにしか聞こえない。もしかしたら無音に感じる会話もあるかもしれない。

 だが目の前の小娘はどういうわけか私たちの言葉を理解できる。

 だが私はともかく人間の言葉を理解することが出来ないチビクロからすればどういうことか分からないだろう。とりあえずこのチビを安心させるために顔を舐めながら説明した。


『少なくともお前の父親みたいに捕まえることはしない。コイツは私の知り合いの孫だ』

『あー、この子親とはぐれちゃった?』

『えっ、ナニコレ!?』


 頭の中に小娘の声がはっきりと聞こえて身の毛がよだった。隣にいるチビも同じらしい。私は思い切り小娘に睨みつけた。

 わかることはこの小娘は未だに私たちを下に見ているということだ。


『……小娘これはどういうことだ』

「ごめん、言ってなかったね。」


 小娘は口を閉じて私とチビクロを見つめる。

 すると口も開いていないのに小娘の言葉が聞こえてきた。


『人間の言葉で言えば念話、テレパシーっていうの。相手の頭の中に直接言葉を送るっていうのかな。使える人はいるみたいだけど直接会ったことないから使える人は少ないよ。ちなみに私は人間には通じないけど、他の動物となら話せる。犬とかもね。ミケは元々人間の言葉理解できるから普通に口で話してたけど』

『それを先に言え!!この生意気な小娘がぁああっ!!』

『『ひぃいいいっ!?』』


 私の鳴き声に鳥たちも驚いたのか一斉に飛んで行った音が聞こえた。だがそんなことはどうでもいい。

 私は人間だろうが猫だろうが対等に話そうとしない者が嫌いだ。その結果このチビも近付いてきた人間に怯えてしまったではないか。


『……ここに座れ小娘』

「は、はい」


 おずおずと小娘は草むらに両膝を付いた。しばらく私はお互いに対等に話すことの大切さというものを説き伏せる。

 結局チビクロは一匹では夜の寒さに耐えられないので、今夜は小娘の家に厄介になることになった。

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