大晦日のシンデレラ

羽間慧

嫁いびりを受けるシンデレラ

 王子様と結ばれたシンデレラは、幸せに暮らしましたとさ。

 魔法が解けても消えなかったガラスの靴は、大人になっても美しく感じる。某テーマパークで買ったガラス細工は片手に収まるほどのサイズだけど、大きな夢を内に秘めていた。叶わない夢はない、苦しさを乗り越えた先に幸せが待っているのだと。


 わたしは怒らない。洗濯物が洗い直されていることくらい。

 わたしは負けない。雪が吹きすさぶ中、三時間も雪かきに励むことを。

 わたしはへこたれない。義理の両親と夫には与えられる高級寿司が、一人だけかっぱ巻きに替えられていても。出汁の取り方がなっていない家の生まれには、夫の家行きつけの味を楽しむ資格が与えられなかった。


 わたしは格下を演じる。形勢が逆転したときの姑の反応は、無様であればあるほどよい。


 嫁いびりの証拠を集めながら、わたしは来るべき日に備えた。




「美幸さん、黒豆の番を頼んだわよ。年越しライブ、精一杯楽しんでくるわ!」


 大晦日の夕方。姑の全身は、メンバーカラーのショッキングピンクに染まっていた。着ているパーカーは物販で購入したものではない。愛の言葉を総柄にした、特注の参戦服だ。


「あたし達がいじわるしているんじゃないのよ。アッシュ・グレイのチケットは、ファンクラブ会員になっていても入手困難なんだもの」

「あんたみたいな赤ぎれ女は、家にいた方がいいわ。醜い手で、神聖なペンライトを握ってほしくないもの。アッシュ・グレイと同じ空間で呼吸してほしくないわ。帰ってもおせちができていなかったら、雑煮の餅はないと思いなさい」


 昨日帰省した小姑も、姑に似た醜悪な笑みを浮かべている。

 夫はというと、午前から中学校の同窓会に参加していた。舅も麻雀に出かけていて、日付が変わるときに帰るだろう。おせちの準備をわたしに押し付け、皆が散らばっていった。わたしは閉じ行くドアを、肩を落としながら見つめる。


「これで自由よ。やっと邪魔者がいなくなったのね!」


 この瞬間を待っていた。

 わたしは重箱に、ありったけの食材を詰め込んだ。えびの旨煮、五色なます、高野豆腐、たたきごぼう、筑前煮、にしんの昆布巻き。姑に何度もやり直しさせられた伊達巻も忘れない。あっという間に、三段とも彩り豊かになった。


「こんにちは! 宅配便です!」


 調子を図ったように、インターホンが鳴る。私は注文していた折りたたみ自転車を組み立て、カゴに重箱を慎重に入れた。風呂敷が唐草文様だったら、絵に描いたような泥棒になっていた。実際には、それに近いことをするのだが。


「おとぎ話とは違うから、かわいそうな子の前に魔法使いが登場することはない。自分で自分に魔法をかけてあげないとね。この不条理な世界から抜け出せられるように」


 オレンジ色の車体を、わたしは走らせた。

 御者も召使いもいない道のりは、楽しさよりも不安の方が大きい。高速道路を使わずに県境を越えるなんて大冒険だ。しかも、ナビゲーションなしに。GPS機能を強制されているスマートフォンは、台所に置いてきていた。

 事前に調べていた地図を懐中電灯で照らしながら、現在地を確認する。夫に財布を握られていなければ電車を使いたかった。夫の目を盗んでへそくりを貯めることから、復讐は始まっていた。


 ほつれたマフラーで風を避けつつ、上り坂を果敢に挑む。合流地点のキャンプ場まで、ご飯を減らされていた身にはきつすぎる。空気に白い輪がいくつもできた。


「お姉ちゃん! こっちこっち!」


 一年ぶりに会う妹の笑顔が、夕日以上に輝いていた。アウトドアチェアに座らされる。


「迎えに行かなくてよかったの? あかぎれがひどいって話していたけど、手袋に血が付きそうじゃない。あの一家、絶対に許さない」

「同居する前は分からなかったから。でも、こんな形で別れてよかったと思ってる」


 帰宅すれば、用意されているはずのおせちは空。あるのは味付け数の子と松前漬け。痛風まっしぐらの食べ合わせだ。雑煮の餅も、白菜、にんじん、大根もない。


「あいつらには、お姉ちゃん以上に痛い目を見てもらわなきゃ。推しと過ごす最高の夜が明けたら、地獄を見るんですもの。あの一家の性格上、向こうから離婚届を持ってくるに決まってる。家政婦としてこき使っていた人がいなくなったら、ゴミ屋敷になるかもね」

「そう思って、お姉ちゃんは今日のために頑張ってきたの。一番つらかったのは、猫アレルギーなのにブラックプリンセスの世話をさせられたことだわ。彼女には悪いけど、何度包丁を研いだかしら」


 暗い話はおしまいにしましょと、わたしは明るい声を上げた。


「元王子様が離婚届を持ってくるまで、じゃんじゃんお酒呑んじゃうわよ! 除夜の鐘が鳴っても知らない。だって、明日からは素敵な一年になるんだから! 前祝いをパーっとしないとね!」


 ガラスの靴は割れた。一年前、姑がわたしの部屋を勝手に掃除したときに、手が滑ったと言いながら落としたのだ。母さんは悪くないと擁護した夫を、わたしは二度と愛せない。


 一目惚れの魔法が消えたシンデレラは、銀の束縛から解放され、それからは幸せに暮らすのだった。

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大晦日のシンデレラ 羽間慧 @hazamakei

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