第三章 赤ずきんちゃんと天神さま

一 Blue Rose Café ―ブルーローズカフェ―

 何の前触れもなく、突如として堕天の力が使えなくなって、七日目。まりんは、憂鬱な気持ちになっていた。大好きな生け花やフラワーアレンジメントの授業を受けても調子が出ず、当たり前のように出来ていたことが出来なくなっていた。

「まりんちゃん、大丈夫?」

 四時限目の授業が終わった、昼休み中の教室にて。生け花の授業中、ケアレスミスを連発したまりんを心配して、クラスメートの黄瀬きせりりかがさりげなく具合を訊いた。

「大丈夫……って、いいたいところだけど……午前中の授業からして大丈夫じゃないみたいね」

 机をくっつけあい、りりかちゃんと一緒に持参した弁当を食べながら、まりんは溜息を吐く。

「なにか、心配事でもあるの?」

「うん、ちょっとね……」

 にわかに顔を曇らせたりりかちゃんに、憂鬱な表情で返事をしたまりんは言葉を濁す。

 堕天使にしか扱えない、堕天の力が急に使えなくなったなんて……りりかちゃんには言えないよね。

 りりかちゃんはゴーストでもなければ、なんの特殊能力を持たない、ごく普通のクラスメートだ。ファンタジー系の漫画や小説が大好きでよく読んでいるとは、入学したばかりの頃に本人から聞いている。自身が大好きなファンタジーの世界が実在していると知ったら、りりかちゃんはどんなリアクションをするだろうか。

 そしてもうひとつ、りりかちゃんに内緒にしていることがまりんにはあった。それは、まりん自身が生身の人間ではなく、ゴーストであること。堕天使と契約したまりんが堕天の力の使い手になり、ゴーストにもなっている事実は、このクラスの中では細谷くんしか知らない。

 細谷くんも、自身が魔力使いであることを、まりん以外のクラスメートには話していないようで、特別な事情を抱えるまりんと細谷くんを、先生方も含めてクラスメート達は自分たちと同じ、ごく普通の人間として接していた。

「そっか……あっ、そーだ!ねぇ、今日の放課後、空いてる?まりんちゃんと一緒に行きたい店があるんだけど」

「今日はバイトもないから空いてるよ。放課後が楽しみだね!」

 そう、笑顔で返事をしたまりんは、朗らかなりりかちゃんの誘いに応じたのだった。


 放課後になるとまりんは、りりかちゃんと一緒に校舎を後にし、電車に乗って自宅がある美浜みはま駅で下車。改札を通り抜けて駅の構外へ出る。商店街を抜けたところにひっそりとその店はあった。

「カフェ……?」

「うん、そう!ついこの間、見つけたの。その時に食べたフルーツパフェがとっても美味しかったから、まりんちゃんと一緒にここに来てみたかったのよ!」

 あっけらかんとしているまりんに、るんるん気分でりりかちゃんはそう告げると、Blue Rose Caféブルーローズカフェの看板が掛かるお店の戸を開けて来店。

「いらっしゃいませ」

 来客に贈る挨拶とともに店内にいた店員が笑顔で出迎える。その店員の顔を一目見た瞬間、まりんはどきりとした。

 え、エディさんっ……?!

 シャギーカットが施された黄土色のショートヘアに、エメラルドグリーンの目をしたエディさんが、爽やかな青シャツに濃紺のエプロン姿で接客をしているのだから、驚かないわけがない。

 彼は本物……?それとも、彼に化けた祠の管理人さん……?どっち?ねぇどっちなのあなた?!

 気になるその問いが喉から出かかったが、まりんはぐっとそれを呑み込んだ。りりかちゃんがいる手前、迂闊な質問は避けたいところだ。

「奥のテーブルへどうぞ」

 そう、営業スマイルを浮かべて店内奥へと案内をしたエディさん、四人がけの窓際の席に、向かい合うようにして着席したまりんとりりかちゃんは、揃ってフルーツパフェをオーダーしたのだった。

「ここのマスターがね……思わずみとれるくらい超絶イケメンなの」

「ふーん……そーなんだ」

 オーダーしたフルーツパフェが来るまでの間、りりかちゃんと会話をしていたまりんは興味なさげにそう返事をした。

 美少年だったら食いつくんだけどなぁ……それに、超絶イケメンは今までにたくさん見てきたからおなかいっぱいなんだよね。

 青江神社の最高神、死神総裁カシンとその秘書官のセバスチャン、天神アダムに大魔王シャルマン、精霊王と時の神カイロス、そして狡猾な堕天使。

 今まで出会った超絶美しいイケメンの面々を思い浮かべながら、まりんはそう、興味なさげに心の中でぼやいた。

「お待たせいたしました。ご注文のお品物でございます」

 ひとつ結わきにした濃紺の髪に青紫色の目をした容姿端麗の店員がテーブルの前にやって来て、銀のトレーに乗ったフルーツパフェを、着席するまりんとりりかちゃんの前に並べる。

「ごゆっくりどうぞ」

 品物をテーブルに並べ終えた店員はにっこりしながらそう告げると、厨房へと戻って行った。

「もしかして……今のが、超絶イケメンのマスター?」

「その通り!ねっ、めちゃくちゃかっこいいでしょ?」

「まぁ、確かにイケメンではあるけど……」

 イケメンって言うより黙っていれば、それはそれは美しいお姉さん……よね。でもなんで、エディさんじゃなくて、マスターがオーダー品を持ってきたのかしら。

 単にエディさんが別の仕事をしているために、マスターが代わりに品物をまりん達のもとへと運んだのだろうが、この時まりんは何故か、そのことが妙に引っかかったのである。

「う~ん!苺が甘くておいしい~!」

 甘さ控えめの生クリームと一緒にスプーンですくった苺を食べ、おいしいと声に出すりりかちゃんが絶品パフェを堪能。まりんも、スプーンですくった葡萄ぶどうを食べて、あまりのおいしさに言葉を失った。

 そう言えばあの時も……頭が混乱した私に気遣って、シャルマンがアフタヌーンティーを開いてくれたっけ。そのことを思い出し、まりんはふと照れくさそうに微笑んだ。

 祠の管理人さんが、冥府役人のエディさんに扮していた事に気付き、混乱したまりんのためにアフタヌーンティーを開いた大魔王シャルマンはその後、喫茶グレーテルのすぐ近くで理人さん、勇斗くん、美里ちゃん、藤峰燈志郎ふじみねとうしろう氏と戦闘をしていた緋村ひむら東雲しののめ本藤ほんどうの三人の部下達を回収し、魔界へと戻って行った。

 その日は午後五時からバイトがあったが、急に体調不良になったから行けなくなったと告げて、まりんはバイトを休んだ。天神アダムが張る結界の中での戦闘が終わりを告げ、ごたついていたことが一段落したのが、勤務時間の五分前。勤務先に遅れると連絡した後に出勤することも考えたが、とても仕事が出来るほど心身ともに余裕がないのを理由にしてのことだった。

 その翌日、まりんは一緒に手を繋ぎ、瞬間移動をしたシロヤマに連れられて、時の神殿へと赴いた。

「二人とも、よく来たな」

 時の神殿にて、出迎えたカイロス様に案内された、神殿内にある『永久とわの部屋』と呼ばれる一室にて、まりんは穏やかな表情をして眠る自身の本体と対面したのである。

「君が堕天使に殺害され、ゴーストになった日から、この部屋に保管していた。私の力で以て、君の身体の時を止めている。その手で本体に触れると再び時が動き出し、ゴースト化した君は元の身体へと戻れる筈だ」

 カイロス様とシロヤマの真ん中に佇むまりんはそっと右手を伸ばし、自身の体に触れてみる。しかし……

「……っ!」

 ゴースト化したまりんが触れても何も起こらず、本体に戻ることが出来なかった。

「どうやらまだ、未解決の案件が残っているようだな」

 カイロス様が真顔でそう推測すると、

「残る案件を解決した後、再び時の神殿に来るといい。ガクト、お前の処罰はその時に言い渡す。それまでしっかり、彼女を護ってやれ」

「承知しました」

 まるで、なにもかも見透かしたような口振りのカイロス様に、恭しく頭を下げたシロヤマはしっかりと返事をしたのだった。

 それから今日まで、シロヤマと会っていない。シロヤマがまりんに愛の告白をしてから七日が経過したが、まりんは未だにその答えを見出せずにいた。

 気持ちの上では、細谷くんと両思いになりたい。けれど嘘偽りのない、真剣なシロヤマの気持ちを考えると無視できない。あの時、あの場所でシロヤマが真剣に愛の告白をしなければ、まりんはきっと、細谷くんと両想いになっただろう。それが今や二択になってしまい、頭を悩ませる種となっている。

 まりんは未だに、二人からの告白に返事を出来ずにいる。本命はたった一人だけ……今すぐ返事をすれば、その人と両想いになれる。それなのに……

 もしもどちらか一人を振ってしまったならもう二度と、二人とは良好な関係でいられなくなってしまうかもしれない。どちらか一人を振っても振らなくても、私は嬉しくないし幸せにならない。そんな予感しかしない。怖い。その人が、私の目の前から去ってしまうのが……良き理解者でもあり、好きな人でもあり、友人でもある二人との、今のこの関係が壊れるのは嫌だ。

 悩み事や、もやもやする気持ちを抱えている時は、こうして甘い物を食べるに限る。

「ありがとう、りりかちゃん。素敵なお店を紹介してくれて。フルーツパフェがとっても美味しいお店……パフェ以外にも美味しいスイーツや料理がきっと、このお店にはあると思う。店内も素敵だし、いろんな人に紹介出来そう」

「そだね!私も初めてこのお店に来た時に、まりんちゃんと同じ事を思ったよ。だからさ、ランチタイムにまたここに来ようよ!平日は学校だから週末に駅で待ち合わせてさ!」

「それ、いいね!」

 控えめに微笑んでやんわりと礼を告げたまりんと、それに応えたりりかちゃんとの会話が弾む。気付けば、悩み事ももやもやする気持ちも吹き飛んでいた。会計を済ませ、喫茶店の外に出て少し歩いたところで、まりんは忘れ物をしてきたことに気付く。ここで待っているからと告げたりりかちゃんをそこに残し、まりんは慌てて踵を返してお店へと向かう。

「あ、エ……店員さん!」

「やぁ、ちょうど良かった」

 お店の前で、駆け寄ったまりんと合流した店員さんが気さくに挨拶をすると、手短に用件を述べる。

「忘れ物だよ。スマホは調べ事にも適しているし、連絡手段のひとつでもあるけれど、大事な個人情報を持ち歩いているようなものだから、取扱いにはよく注意してね」

「すみません……今度から、気をつけます」

「分かってくれれば、それでいいよ。それと……」

 控えめに微笑んで詫びたまりんに、優しく微笑んだ店員さんがそう返事をすると、スマホと一緒に喫茶店のオシャレなロゴが入った小さな紙袋を手渡した。

「これは、僕から君達に。まだ店舗には出していない試作品なんだけど……手作りのリーフパイだよ。フルーツパフェを食べて感動した君達に、是非お礼が言いたくてね。実はそのフルーツパフェ、僕が考案したんだ。それがマスターのお眼鏡にかなって、店のメニューに入れてもらったんだよ。ありがとう。僕が作ったスイーツを気に入ってくれて」

「いえ、こちらこそ……あのフルーツパフェ、とっても美味しかったです!友達誘ってまた来ますね!」

 スマホと一緒に手作りのリーフパイを受け取ったまりんはそう返事をすると、にっこり笑った。

「それじゃ……失礼します」

 そう告げて、軽く会釈をしたまりん、笑顔で送り出してくれた店員さんに背を向けて、りりかちゃんのもとへと急ぐ。

「……今日は、赤いコートを着た、赤ずきんちゃんじゃないんだね」

 えっ……?

 駆け出す直前、背にした店員さんがぽつりと呟いた『赤ずきんちゃん』の言葉を耳にし、きょとんとしたまりんは振り向いた。

「いや、ただの独り言だよ。気をつけて」

 ばつが悪そうな笑みを浮かべた店員さんはまりんにそう告げると右手を振って送り出す。

「は、はい……」

 腑に落ちない表情をしながらもまりんは、顔を前に戻すと駆け出した。

「本当の事を、言えば良かったのに。今のあんたは正真正銘、エディと言う名の冥府役人なんだってこと」

 まりんの姿が見えなくなるまで、店の前で見送っていたエディの背後から姿を見せたマスターが、腕組みをしながら気取った笑みを浮かべてそう告げた。振り向きざま、エディは控えめに微笑みながら返事をする。

「僕が彼女の前で正体をバラしてしまったら、堕天使を封印した祠の管理人が僕に化けていた事実が公になってしまう。そうなったら、僕に情報提供をしてくれたあなたに迷惑をかけてしまうことに繋がりかねない……彼女からしてみれば七日前のその事実を、僕が知っているのもおかしな話ですしね」

「あたしを気遣ってくれたのは嬉しいけれど……遅かれ早かれ、あんたの正体が彼女にバレるのも時間の問題ね。ここで本当の事を言わなかったこと、後悔するわよ」

「そうかもしれませんね……でも、驚きましたよ。まさかあなたも、七日前からこの世に滞在されていたなんて」

「ちょっと気になることがあってね……この間もうちの店に来てくれた黄瀬りりかって言う……あたしの勘だと、ただ者じゃないかもしれない」

「ただ者じゃないかもしれない……とは?」

 マスターの話に俄然興味を持ったエディは、真顔でそう尋ねる。マスターが真顔で続きを話す。

「七日前に勃発した天神アダム、大魔王シャルマンも絡む戦闘にちょっと関わっちゃって……あの、クラスメートの友達を助けるんだって、天神アダムの結界の中に入って行っちゃったのよ。アダムの結界は、普通の人間はもちろんのこと、あたしですら中に入れないわ。それなのにあのは……

 あのを引き留めた私までアダムの結界の中に入れたのは、今でも信じられないわ。そのおかげで、あなたに化けた祠の管理人が、赤ずきんちゃんと対峙しているところを目撃してしまったけれど……

 黄瀬りりかが、アダムの結界の中に侵入することが出来たと言うことは、普通の人間ではない可能性が高いわね。ひょっとしたらひょっとするかもしれないから、このまま喫茶店のマスターとして監視の目を光らせるつもりよ」

「そう言う理由なら僕も、暫くの間は店員として喫茶店で働きますよ。赤園まりんさんの監視も兼ねて」

「あなたは人間を対象とする、冥府ゴースト保護一課の役人、あたしは人間以外の動物や生物を対象とする二課の役人だものねぇ……対象者と課は違えど、仕事内容も使命も同じもの同士、これからも仲良くしましょうね!」

「ええ、そのつもりです。こちらこそ、これからもよろしくお願いします。ローレンス課長」

 エディはそう、気取った笑みを浮かべて返事をしたのだった。

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