八 大魔王シャルマンが赤ずきんちゃんを狙う理由

「どうして……祠の管理人さんが、冥府役人なんかに……」

「この世は、冥府役所の管轄だからな。だから、冥府役人である彼に化けて君を追跡したのさ。その方がいろいろと都合がいいし……立場上、もとの姿を曝すわけにはいかないんでね」

「私を追跡したのはやはり、先ほど仰っていた堕天使絡みで……?」

「そうだ」

 エディさんに扮する祠の管理人さんが真顔で返事をする。

「この目で、実際に堕天使の姿を目撃するまでは半信半疑だったよ。何故、どうやって祠に封印されていた筈の堕天使がこの世に復活を遂げたのかは分からない。が、それが現実に起きたということは、誰かが祠に侵入しただけでなく、堕天使の封印を解いたことになる。問題は、誰が堕天使の封印を解いたかだが……」

 祠の管理人さんはそこまで言うと不意にまりんと視線を合わす。

「君ともう一人、白いダッフルコートを着た黒髪の青年の双方から、詳しく事情を聞く必要がある。君達を処罰するかしないかを決めるのは、その後だな」

 鋭さを帯びた目でまりんを見据えた祠の管理人さんはそう言うと徐に剣を下ろし、鞘の中に納めた。

「君に、一ヶ月間の猶予を与える。それまでの間に、この世で未練を晴らせ。霊界へ渡ったらもう二度と、この世に戻って来られなくなるからな」

 ポーカーフェースが崩れ、青ざめたまりんに、祠の管理人さんはそう告げて釘を刺すと、

「じゃあな」

 素っ気なく挨拶をして、その場から立ち去った。黒雲が晴れて、再び紅色に染まる空の下、こちら側に背を向けて、歩を進める祠の管理人さんの姿が徐々に小さくなって行く。祠の管理人さんの姿が完全に消えた頃。緊張の糸がぷっつりと切れたまりんはその場にしゃがみ込んだ。

「赤園……大丈夫か?」

 まりんのもとへ駆け寄った細谷くんがそう、気遣わしげに具合を訊く。

「うん……少し休めば、大丈夫」

 腰を屈めてそっとまりんの肩を抱きながら気を遣う細谷くんに、弱々しく微笑みながら返事をしたまりんは、真顔になると出し抜けに話を切り出す。

「赤い飾り房付きの黒い剣。覚えておいて。いま挙げた特徴の剣を持っている人こそが、祠の管理人さんだから」

 祠の管理人さん。まりんの口からその名が飛び出した時、細谷くんがはっとした表情で息を呑む。

「まさか……エディさんの正体が……祠の管理人さんだったのか?」

「うん。祠の管理人さんが、エディさんに化けていたのよ。その方が、私を追跡するのに都合が良かったみたい」

「待ってくれ、赤園……」

 まりんの肩を抱いたまま、空いているもう片方の手で頭を抱えた細谷くんが待ったをかける。細谷くん自身も混乱していると、まりんは即座にそれを感じ取った。

 一見、落ち着いているようにみえるまりん自身も混乱している。すっかり冥府役人だと思い込んでいたエディさんの正体が、まりんに疑惑の目を向ける祠の管理人さんだったのだから。完全に騙されていた人間からしてみればこれは……

 混乱するだろう。左手で頭を抱えた細谷くんは内心そう思った。

 赤園が堕天使と再会したところを目撃したのは冥府役人じゃなくて、それに扮していた祠の管理人で、赤園を追跡した挙句に保護の形で冥界へ連れて行こうとした。それは自身が冥府役人に扮しているから、それに見せけて俺達を欺くための偽言だったのか、それとも本当のことだったのか俺には分からない。

 そもそも祠の管理人って、一体何者なんだ?冥府役人の仲間か、それとも冥府役人とは似て非なる、まったくの別物なのか?

「おい、そこの槍使い」

 槍使いって……

 背後から聞こえた、素っ気ない男の低い声でむっとした顔で細谷くんは、

「俺のことか?」

 振り向きざま、不機嫌そうに尋ねる。この場で槍を持っているのは、細谷くんくらいしかいないのは明白だ。

「お前の他に、誰がいる」

 細谷くんの背後で腕組みしながら仁王立ちをしている魔王シェルアがそう、仏頂面で素っ気なく返答した。

「俺に、なんか用かよ」

「腕試しだ。俺は今、暇を持て余している。暇つぶしに付き合え」

「はぁ?」

 細谷くんはいよいよ面倒臭いと言いたげに眉をひそめた。

「先攻はお前だ。どっからでも、かかってこい」

 そう言うとシェルアは、左腰に提げている剣を鞘から引き抜いた。

「私なら、大丈夫よ。シェルアの相手になってあげて」

 そう、しゃがんだままのまりんに促され、細谷くんは短く溜息を吐くと、

「しょーがねーな……」

 観念したようにそう呟き、槍を手に立ち上がり、シェルアと対戦した。

「さて、君には今から、私が茶会へ招待しよう」

 さりげにまりんの傍まで歩み寄った大魔王シャルマン、徐に指揮棒サイズの黒い杖を一振りする。高級の洋菓子が並べられた三段重ねのティースタンドと高級茶葉を使用した紅茶が注がれたティーカップが乗る、白色のテーブルクロスがかかる円卓と椅子が出現し、まりんを驚かせた。

「こんな時に……こんなところでお茶会ですか?!」

「こんな時だからこそ、茶会を開いたのだ。君はいま、まったく予期していなかった事実を知って、頭が混乱しているだろう?そんな時は絶品の紅茶を飲み、うまい菓子を食べるのが一番だ」

 椅子に座り、シャルマンはのんきにそう告げるとティーカップに口を付けた。

 な、なにこの人……私に気を遣ってくれたわけ?

 大魔王シャルマンが、まりんの心境を見透かし気を遣っている。まりんの記憶が確かなら、シャルマンは自身の館にまりんをさらった敵だ。

 つい先ほど、細谷くんから「騙されないように、用心しろよ?」と注意されたばかりだ。このテーブルに並ぶ洋菓子や紅茶になにか仕込まれていないか、まりんはにわかに心配になった。

「安心しろ。このテーブルの上に並べた紅茶や洋菓子にはなにも細工などしていない。ここは、天神アダムの結界の中。どこかで結界の中を見守るアダム本人の目もある中で、君をどうこうするつもりはない」

 ものすごい圧と化したまりんの、疑いの視線を浴びて、余裕のある笑みを浮かべながらもシャルマンはそう告げた。

「君達も、どうかね?」

「いや、我々は遠慮しておこう。今はまだ、甘い物を食べたい気分では、ないのでね」

 さりげなくシャルマンに勧められ、綾さんと顔を見合わせた精霊王が代表してお断りを入れた。

 小腹がすいたまりん、まだ疑いは残るものの、徐に立ち上がり、シャルマンの向かい側の席に着くと、目の前に置かれたティーカップに手を伸ばし、紅茶を一口飲み干した、次の瞬間。

 美味しすぎるあまり、驚いたまりんの目がきらきらと輝いた。

 無糖なのに苦みがなくてすっきりと飲みやすい。この紅茶、とってもおいしい!

 ティーカップを置き、小皿に取り分けた洋菓子を咀嚼。ほどよい甘さの絶品スイーツにフォークが止まらない。

 他のみんなが戦っている最中、自分だけがこんなに美味しくていい思いをしていて申し訳ないと内心思いつつもまりんは、幸福感を噛みしめのだった。

 一方的に、シェルアに腕試しをさせられている細谷くんはなにかがおかしいと訝った。今のところ、槍で以て攻撃をしているのは細谷だけ。シェルアはと言うと、剣で以て細谷くんの攻撃を受け止めるだけで反撃をする素振りを一切見せないのだ。不意に、槍を駆使する細谷くんの手が止まる。

「なんで……反撃してこないんだ?腕試しがしたいって言ったの、あんただろう?」

「俺が反撃しなくとも、結果は目に見えている。どう頑張っても、お前は俺に勝てない」

「ならなんで、腕試しなんて……」

「言っただろう?暇つぶしだ。お前のおかげで、有意義な時間が過ごせた。感謝するぜ」

 フッと、気取った笑みを浮かべて、シェルアはそう言った。

 これのどこか有意義な時間なんだか……

 細谷くんはそう、むすっとした表情をして内心、呆れたのだった。


「おかえりなさい」

「ただいま……って赤園、なんで大魔王とアフタヌーンティーなんてしてんだよ」

 条件反射でまりんに返事をした細谷くんがそう言って乗りつっこみをした。

「私も、こんなことしてる場合じゃないって思ったんだけど……紅茶とお菓子があまりにも美味しくて!」

 いささか呆れたような表情をする細谷くんに、にっこりと笑って返事をしたまりんは気付いた。

「あれ?細谷くん……なんか、すっきりしたような顔してるね」

「えっ……?」

 その、ちょっとした異変に気付いたまりんに、細谷くん自身がきょとんとする。

 そう言えば……なんとなく心が軽くなったような。

 不可解な表情をした細谷くんは、はっとあることに気付いた。

 シェルアのやつ……混乱した俺の気を紛らわそうとして、わざとあんなことを……そうまでして、この世の人間に優しいシェルアは本当にあくどい魔王なのか?たぶんそれは俺の勝手なイメージだよな。あくまでもイメージ……だけど、それならそうと……

「あんな回りくどいことしないで、はっきりとそう言えばいいのに」

「え?細谷くん、いまなんて?」

「いや……独り言だよ」

 思わず心の声を洩らした細谷くんに反応したまりんの問いに、仏頂面を浮かべて返答した細谷くんはシェルアを一瞥。睨めつける細谷くんの視線など気にも留めず、シェルアはこちら側を背にしてその場に佇んでいた。

「気持ちの方はもう、落ち着いたかな?」

「はい、おかげさまで」

 向かい側の席に着くシャルマンの問いかけに、まりんは控えめに微笑むとそう返事をした。

「ならばもう、気遣う必要はないな。茶会を閉めよう」

 冷静なシャルマンによるこの一言を合図に、椅子から立ち上がったまりんが円卓から離れる。徐に席を離れたシャルマンが杖を一振りすると、高級の洋菓子が並べられたティースタンドと紅茶が注がれたティーカップが乗った円卓と椅子が一瞬にして消えた。

「事が落ち着いた今、ここに長居する必要がなくなった。これより部下を回収した後、私は魔界へ戻る。赤園まりん。君はこれから、最も厄介な相手に立ち向かわなければならない。が、最強となる味方が君についてくれる筈だ。

 これからはその者が私に代り、君を護り、加勢してくれるだろう。戦いはまだ、終わったわけではない。来るその日に向けて、今のうちから準備をすることだな。では、武運を祈る」

 気取った笑みを浮かべて、まりんにそう告げたシャルマンは徐に体の向きを変えた。

「待ってください」

 こちら側を背にして、この場を去りかけたシャルマンに、真顔を浮かべてまりんは待ったをかける。

「私の質問に、答えてください。何故、自身の館に私を閉じ込めたのですか?」

「それだけは言わずに去ろうと思っていたのだが……聞きたいか?君が今、私に問うたその答えを」

 背を向けたまま、気取ったように含み笑い浮かべてまりんに問いかけたシャルマン。

「はい」

 まりんはそう、しっかりとした口調で返事をした。

「ならば教えてやろう。私が君をさらい、自身の館に閉じ込めたその理由を」

 徐に振り向き、まりんと向かい合ったシャルマンは、淡々とその理由を語った。

「理由はいたってシンプル……君が、下校途中で堕天使と遭遇し、それを目撃した冥府役人に保護されかけたからだ。

 私は、堕天の力を持つ君に興味がある。私が持つ、強大な闇の魔力で以て君の心を支配し、この地球を乗っ取るほどに悪の限りを尽くしたい。それを実行するのに、君を保護する形で冥府役人に邪魔されては困る。故に、この世に降臨した私は、冥府役人が動く前に先手を打ったのだ。隙を突いて君をさらい、私の館に監禁すると言った手段でな」

 やっぱり……細谷くんの言った通りだった!

 優しいふりして、中身はとんでもないことを考えていた。そんな大魔王シャルマンの本性を知り、まりんは青ざめる。

 くっ……こんなもんでめげないわよ、私は!

 気を取り直し、シャルマンを睨めつけたまりんは凜然と口を開く。

「確かに、あなたに連れ去られた私は館に監禁状態にあったわ。けれど、突然目の前に現れた天神アダムが、私を館の外に出してくれた。その時点であなたの野望は頓挫……あなたから逃れ、こうして向き合っている私が今もなお、あなたに心を支配されていないのは……何故?」

「それについては詳細が不明故、憶測でしか語れないが……アダムが言うには、私の闇の魔力すらも無効化にする無敵の加護ちからに、君は護られているらしい。どうやら大魔王の私にとっても想定外な人物が君を護っているようだ」

 私を護ってくれる……無敵の力。

 大魔王シャルマンからその事実を知り、絶句したまりん。再び背を向けて、シャルマンが悠然とその場から立ち去った後も、まりんは放心状態で立ち尽くしていた。

「赤園まりん、こっちを向け」

「えっ……」

 放心状態で立ち尽くすまりんを、半ば強引に振り向かせたシェルア、そのままガバッとまりんを抱き、額にキスをした。

 自身にとって大切な相手が、恋人同士でもない男に『でこチュー』されるのを、間近で目撃した細谷くんがめちゃくちゃショックを受けたのは、言うまでもない。

「堕天の力の使い手と言えど、実戦では武術に長けていなければ命取りになる。本来は年単位で修行して武術を身につけるところだが……たった今、それを省いて、俺の持てる武術全てをお前に与えた。俺がお前に与えた武術は、一ヶ月間の期間限定。その期間までに堕天使を斃せ」

 真顔でシェルアはそう、向かい合うまりんに言って聞かすと、

「武運を祈る」

 素っ気なく言葉を付け加えてその場から立ち去った。それから間もなくして、放心状態からめたまりんが思い切り細谷くんに抱きついた。

「赤園……?!」

「やっぱり、細谷くんとの方が一番、落ち着く」

 いきなり抱きついたまりんの本音を耳にし、赤面した細谷くんは、

「俺も……赤園と同じことを思ったよ」

 照れくさそうにそう返事をして、愛情を込めて抱き返したのだった。

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