四 君達三人が知らなければならない、真実を知らせるため

 精霊王の力で以て、まりんは天神アダムに言われた通りに喫茶グレーテルへとやって来た。魔王シェルアに捕まっていたため、こうして無事に目的地へと赴くことが出来たまりん。心底安心していい筈なのに、精霊王とともに瞬間移動し、店内のフローリングの上に蹲ったまりんの頭は、あの場に残してきたシロヤマのことでいっぱいになっていた。

 ただただ不安感だけが募っていく。そんな気持ちから、耐えられなくなったまりんは不安を吐き出した。

「今でも不安で、迷っているの。私は本当に、ここに来て良かったのかって。彼を……シロヤマを置いて、自分だけが安全な場所に避難して……私よりも年下の子供達だって、強い魔人相手に頑張っているのに……シロヤマがまた、あの時のように無茶しないだろうかって、それが心配で、どうしようもなくて……」

 モヤモヤした気持ちや不安感だらけのまりんの心が、助けてくれと悲鳴を上げている。頭の中がぐちゃぐちゃで、今にも泣きそうだ。自身の気持ちに押しつぶされそうになっているまりんの傍で、そっとしゃがんで寄り添う美女が、優しく話かける。

「ねぇ、まりんちゃん。あなたがここに来る前……ガクトから、何か言われなかった?」

「「後で、まりんちゃんに伝えたいことがあるんだ。だから……先に喫茶店で待ってて。俺も用事が済んだら、すぐに向かうから」って、彼は言ってました」

「だったら、ガクトはもう、あの時のように無茶なことはしないわ。それをしたら、あなたとの約束を破ることになるもの。だから……ガクトを信じてあげて」

 心からシロヤマを信頼する綾さんの願いだった。今まで何も見えていない状況だったが、こうして綾さんが寄り添ってくれたことで、まりんは初めて自分以外の人の存在に気付き、周りが見えるようになった。

「ありがとう、綾さん。そして……ごめんなさい。完全に、自分を見失っていました。私も、綾さんみたいに、シロヤマを信じて待ちます」

「そうね、二人で無事を祈りながら、ガクトが戻って来るのを待ちましょう」

 綾さんはそう、優しく微笑みながら返事をした。まるで血の繋がった親娘おやこのような、姉妹のような、そんな優しくも温かい愛情が、まりんと綾さんを包み込んでいた。

「綾さんも無事で良かったです。エディさん、なんだか強そうな感じがしたので」

「彼は強いわよ。私なんかじゃとても敵わないくらい。でもね、彼は強いだけじゃないの。ちゃんと相手のことを気遣うことが出来る、とても賢い人よ。少しだけだったけれど、彼と戦ってみて、それを実感したわ」

 冥界は、冥府の施設内に構える役所の人間。死神に鎌を振られることもなく、深い怨念により成仏出来ずにこの世を彷徨うエターナルゴーストを保護するのが、冥府役人エディさんの仕事だ。そんな彼と、綾さんは戦ったのだ。喫茶店へと急ぐまりんの手助けをするため、それを阻止しようとするエディさんの足止めをするために。

「私は、本当に運が良かったの。彼と対戦後、道端で動けなくなっていた私を、精霊王さまがここまで運んでくれたのよ。怪我の手当までしてもらって、お礼はすぐに伝えたけれど、それだけじゃ気持ちが収まらないから、後できちんとお礼をするつもり」

 そうだ、私も……

 しばし、喫茶店の窓際の席につき、向かい側の席で穏やかなに語る綾さんの話を聞いていたまりんはふと思い出し、綾さんに断りを入れてから席を離れた。

「精霊王さま!」

 店内の中でも見通しが良い場所に一人佇む精霊王のところに向かったまりん。その呼び声に反応し、振り向いた精霊王に、まりんは静かに口を開く。

「あの……先ほどは、シェルアから助けていただき、ありがとうございました。お礼を伝えるが遅くなってしまい、申し訳ございません」

 ごく自然な感じでお礼を伝えようとしたのに……妙に緊張して、ぎこちなくなってしまった。

「そんなに、かしこまらなくても大丈夫だ。礼を告げねばならないのは、私も同じなのでな」

 まりんに優しく微笑みながら、精霊王は穏やかに話を切り出した。

「今から、半年以上も前のことだ。この町よりも小さな町に広がる田圃道で、私は君に命を救われたのだよ」

「私が……精霊王さまの命を?」

 思わぬ事態に、まりんはきょとんとした。この町よりも小さな町の田圃道で、まりんは既に、精霊王と出会っている。これはどう言う状況だろうか。

「そうか……この姿で君に会うのは、今日が初めてだったな」

 うっかりしていたと言う風に、やや驚きの表情をした精霊王。ポンッと軽い音を立てて変身。紅色の狩袴に白色の狩衣、ウェーブした焦げ茶色の長髪を一本結びにした小学生くらいの、容姿端麗な少年の姿に。

「う、うそ……」

「これで、分かってもらえたかな?」

 半年以上前の、あの日の出来事を思い出し、思わず頬を赤らめて驚いたまりんの反応に、美少年に変身した精霊王がフッと気取った含み笑いを浮かべて、そう告げた。

「そ、それじゃ……さっきあそこで遭遇したあの三人は、あの時の……」

「そうだ。私も理人も勇斗も美里も、九死に一生を得たあの時から、君のことを命の恩人だと思っている。大げさに聞こえるかもしれないが、私達が相手にしているのはそれくらい強力なのだ」

 まりんを狙って到来した、大魔王の幹部の東雲と本藤と言う名の、二人の魔人と対峙していた時に、当たり障りのない言葉を並べて、加勢しようとしたまりんを引き留めた理人さんが言っていた最後のこの言葉。

「――私達にも、まりんさんに恩があるしね」

 物静かな大人のような理人さんによるこの言葉は、命を救ったまりんに対する恩返しの意味が込められていたのだろう。精霊王の話を聞いて、はっとしたまりんはようやくそのことに気付いたのだった。

 今も、喫茶店の外で強力な魔人達と戦う理人さん、勇斗くん、美里ちゃんの気持ちを知ってしまい、静かに動揺するまりんだったが、ぐっと堪えて精霊王の話に耳を傾けた。

「それ故、精霊王の私と、魔法界切っての大魔法使いの燈四郎とうしろう殿とで強力な結界を張り、私が依頼したVILLAIN BUSTERSヴィランバスターズとともに、君と細谷くんとシロヤマがここに来るのを待っていたのだ。そう……君達三人が知らなければならない、真実を知らせるために」

「私達が知らなければならない、真実……?」

 辺りが、異様な静けさに見舞われた、その時だった。出入り口のガラス戸に吊されている、来客を告げるベルが鳴り、二人の男子が姿を見せたのは。

「シロヤマ!それに、細谷くんも……」

 全身傷だらけの泥だらけになっている二人が、仏頂面を浮かべて戸口に佇んでいる。

「なんで俺達がこんな状態になっているのか……理由を話す前にまずは、水を一杯下さい」

 細谷くんと並んで佇むシロヤマが、つんけんとした目つきでそう告げた。


 ただいま不在中の喫茶店のマスターに代わり、綾さんがグラスに注いだミネラルウォーターを受け取り、細谷くんと一緒に、ごくごくごくと一気飲みしたシロヤマがやおら口を開く。

「俺が代表して理由を説明すると……ついさっきまで俺は、まりんちゃんを仲間にすべくこの世に降臨した魔王シェルアと戦っていたんだ。そしたら……」

 シロヤマの話によると、決着をつけるべく魔王シェルアと対戦中、槍で以て相手からの攻撃を受け止めた状態で細谷くんが乱入してきたそうだ。

「細谷くん……きみ、素晴らしくいいところで邪魔してくれたね?」

 仁王の如く両手で柄を握り、構えた銀色の剣で以て対峙するシェルアに光線を撃とうとした矢先に巻き込まれたシロヤマが残念そうにそう告げる。

「それは悪いことをしたな」

 武器となる槍を振るい、受け止めていた青紫色の光線を自力で回避した細谷くんがそう、対峙する二人の間に立ち、前方を睨めつけながら素っ気なく詫びた。

「まりんちゃんを、迎えに行くんじゃなかったのかい?」

「ああ、そのつもりだ。だが、その前に……あいつを、なんとかしなきゃならない」

 素っ気ないシロヤマの問いに、凜然と細谷くんが応じる。毅然かつ、緊張感を漂わせて見据える細谷くんの視線の先、シャギーカットが施された黄土色のショートヘアに、エメラルドグリーンの目をした青年が姿を現した。赤色のネクタイを結わいたチョコレート色のシャツと靴、白色のベストとパンツとロングコート、その左腕には『冥府』と太文字で黒く書かれた赤い腕章が付いている。

「げっ……冥府役人じゃねーか」

 右手に剣を携え、厳格な雰囲気を漂わす冥府役人の登場に、シロヤマは嫌な顔をした。

「指定場所へ向かう途中……あいつが赤園を追跡しているのに気付いて、足止めをするために相手になったんだ。けど……俺が思っている以上に手強くて、正直てこずっている」

 うん?

 その時ふと、シロヤマは妙な違和感を覚えた。

 俺が知る限り、エディさんは細谷くんがてこずるほど手強い相手じゃない筈だけど。いや、待てよ……そもそも、エディさんは何かあった時のために拳銃を所持しているけれど、あんなに立派な剣は所持していない。それに、エディさんが持っているあの剣……どこかで見たことがあるような……

 内心、さりげなくエディさんに対して失礼なことを言いつつもそこまで考えて、シロヤマははっとした。

 まさか……あそこにいるエディさんは……

「……っ!」

 槍を片手に突進した細谷くんが、その先で待ち構えるエディさんと一戦した後、エディさんが振るった剣の風圧を受けて、再びシロヤマの面前に戻って来た。

「くっ……!」

 全身傷だらけの泥だらけで、片膝をついて蹲りながらも前方を睨めつける細谷くんの顔に、悔しさが滲んでいる。

 あれは、絶対に諦めていない顔つきだな。

 細谷くんの顔色を読み、これ以上、戦わせるのは危険と判断したシロヤマが説得を試みようとした、その時だった。

「止めておけ。あの人は、お前が対戦するには強すぎる。悔しい気持ちは分かるが……今のお前の実力じゃ、どんなに攻め込んでも、あの人には勝てねーよ」

 今まで沈黙していたシェルアがそれを破り、厳粛な雰囲気を漂わせて細谷くんにそう告げたのだ。

 どうやら、細谷くんに手厳しいシェルアも、シロヤマと同じことを考えたらしい。冷ややかな口調で細谷くんを制するシェルアの言動に、シロヤマは目を見張った。

 立場上、魔王シェルアはシロヤマ、細谷くんとは敵対関係にある筈だ。にも関わらず、魔王自ら細谷くんの説得を試みるとは……

 本当ならその役目は、細谷くんと立場は違えど、まりんちゃんを護る仲間同士のシロヤマが担う筈だった。

 シェルアが到底、敵対関係にある相手を制するとは思ってもみなかったので、その光景を目の当たりにしたシロヤマは動揺した。シェルアに制され、細谷くんがむきになる。

「そんなの……やってみなきゃ、分かんないだろ!」

「お前、自分で言ってたじゃねーか。「俺が思っている以上に手強くて、正直てこずっている」って。

 そう……お前が今、相手になろうとしているのは、自分が思っている以上に手強いんだよ。あの人は、魔王の俺ですらてこずる相手だ。そんな人の相手になるとしたら……俺やそこにいる死神よりも強大な力を持つ大魔王か、天神くらいだろうぜ」

 真顔で細谷くんを制するシェルアは、

「お前が今すべきことはなんだ?少なくとも、ここで無駄話をしている場合じゃねーよな。何を優先すべきなのか、そこんところをよく考えろ」

 そう言って、辛辣に細谷くんを窘めた。言い方は悪いが、シェルアの言っていることは正論だ。細谷くんは今、喫茶店に向かったまりんちゃんの足止めをしている最中。けれどその前に、細谷くん自身も、指定場所へ向かわねばならない。それはシロヤマも一緒だ。

 細谷くんを連れてさっさとこの場を離れるか、それともシェルアと決着を付けてから離れるか……シロヤマは葛藤した。

 細谷くんを挟んでシロヤマの様子を窺っていたシェルアが面倒臭そうに溜息を吐く。

「……お前らほんと、めんどくせーわ」

 心底うんざりしたシェルアはそう呟くと、徐にパチンと指を鳴らす。すると……

 一瞬、体が宙に浮いて、すぐにすとんと着地した。この奇妙な感覚がしたのはシロヤマだけではない。細谷くんと、三人の子供達も同じだった。大魔王の幹部である二人の魔人や、冥府役人の姿はなく、視界に広がる景色が変わっていた。

「瞬間移動でも……したのか?」

 誰に言うでもなく、ぽつりと呟いたシロヤマの問いに、片膝をついて蹲る細谷くんを挟んで、シェルアが真顔で返答をする。

「その通り。たった今、闇の魔力を使って、俺がお前らを、ここまで移動させた。ここで待っててやるから、そいつを連れてさっさと用事を済ませて来い」

「なんで、どうしてそんなことを……」

「俺と決着、つけたいんだろう?ただ、お前の気持ちを酌んでやっただけだ」

 腕組みしながらシェルアはそう、無愛想に告げた。

 あれ、おっかしいなぁ……魔王さまって、こんなに優しい人だったけ?

 内心そう思いつつも、驚きと感動で胸がいっぱいになったシロヤマ、

「ありがとう……なるはやで用事を済ませて来るから、絶対にそこを動くなよ!」

 いつもの調子を取り戻し、シェルアにそう告げると徐に立ち上がった細谷くんと一緒に、背にしていた喫茶グレーテルへと駆け込んだのだった。


「これで、全員揃ったな」

 これから話すことに関係する赤園まりん、細谷健悟、ガクト・シロヤマの三人が喫茶店に集合し、準備が整った精霊王がやおら、口を開く。

「話の順序としてまずはまりん、君から話を聞こう」

「え?私から……?」

 いきなり精霊王にご指名され、まりんはきょとんとした。

「君はまだ、細谷くんに言っていないことがあるのではないか?」

 私が、細谷くんに言っていないこと……

 精霊王に真顔で促され、まりんは考えた。そうして、あることを思い出したまりんは息を呑む。

「……そうね。私にはまだ、細谷くんに言っていないことがあるの」

 徐に体の向きを変えて、細谷くんと向かい合ったまりんは、意を決したように口を開く。

「少し前まで、私達が住んでいた海山町に古くから伝わる噂話があるんだけど、覚えてる?」

 神妙な面持ちで尋ねるまりんに、細谷くんは真顔で頷いた。

「確か、江戸時代に建てられた長者屋敷の地下に、天と地を揺るがすほどの強大な力を持つ堕天使が封印された祠があるって言う……それが、赤園に関係しているのか?」

「うん。実はその噂話は実在していて……私が、堕天使の封印を解いちゃったの」

「なんだと……?」

 想定外のまりんからの返事に、細谷くんが目を丸くした。顔色を崩さず、まりんは話を続ける。

「それだけじゃなくて、私は今、封印を解いた堕天使と契約状態にあるの。そのおかげで、堕天の力と言う、堕天使にしか扱えない特殊能力の使い手になったのよ。そしてそのまま……私は堕天使に殺されて、エターナルゴーストになってしまった。

 実はさっき、下校途中で再会したの。私をゴーストにした堕天使と。悪趣味なミニブーケをもらって、気持ちが悪いから、私に誕生日プレゼントを渡しに来たシロヤマにそのままあげちゃったけどね。

 堕天使が封印されていた祠には、そこを管理する人がいて、私は祠の侵入者として疑いの目を向けられているわ。それからもうひとつ、細谷くんに言っていないことがあるの。さっき、細谷くんが足止めをしていた相手のことなんだけど……

 その人はね、エディさんって言って、エターナルゴースト化した私を保護するために冥界からやって来た冥府役所の役人なの。

 エターナルゴーストと言うのは、死神に鎌を振られることもなく、深い怨念により成仏出来ずにこの世を彷徨うゴーストのことで、エディさんは、エターナルゴーストを保護するのが仕事なんだって言っていたわ。

 そんな彼に、目撃されてしまったのよ。私が堕天使と一緒にいるところを。当然、それを不審に思った彼は私を追跡、保護しようとした。けれど私はまだ、この世に未練があるからそれを拒んで今に至っているの。今まで黙っていて、ごめんなさい」

 事実を、ありのままに告げたまりんは最後に謝罪を述べて、言葉を締め括った。真一文字に口を結び、俯き加減で細谷くんは黙ってまりんの話を聞いていた。細谷くんが今、まりんに対してどのように思い、感じているのかを知るのが怖い。けれどまりんが語ったこの話は、細谷くんも無関係ではないので知らせなければならないのだ。

「赤園……ひとつ、訊きたいことがあるんだけど」

「なにかしら」

 まりんは静かに返事をする。沈黙を破った細谷くんがやおら口を開く。

「赤園が、堕天使と契約をしていることを、祠の管理人とエディさんは知っているのか?」

 視線を下に落としたまま、まりんに問いかけた細谷くんの疑問を晴らすことが出来るか不安に思いながらも、まりんはぎこちなく返答をする。

「たぶん……知らないと思う。でなければ、私が疑いの目を向けられたりしないもの」

「そっか、そうだよな……」

 そうして、ようやっと顔を上げた細谷くんは、

「だったら、赤園から聞いた話は秘密にしなきゃだな」

 意味ありげに含み笑いを浮かべてそう呟いた。細谷くんのそんな姿に、まりんが唖然とする。

「……怒ってないの?私が……今の今まで、細谷くんに黙っていたのに」

「なんで、俺には本当のことを話してくれないんだろうとは、前から思ってた。赤園には、赤園なりに言えない事情があるんだろうなとも考えてたし……

 けど、こうして赤園からちゃんとした事情が聞けて安心したよ。だから俺は、赤園に対して怒ってなんかいないさ」

 余裕のある笑みを浮かべて、細谷くんはまりんにそう告げた。

 細谷くんは、まりんよりもずっと大人に感じた。同い年の高校生なのに、いつの間にか大人な雰囲気を漂わせている。自分自身が、細谷くんよりも幼稚であることを思い知ったまりんは少しだけ恥ずかしくなった。

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