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「許すまじ生徒会」

 マイクに被せられたビニールを取り除いての第一声がこれだった。以降、琉夏さんはただの一曲も歌わずに延々と呪詛を垂れ流している。

「自分たちの失策を棚に上げて部活側に不都合を強いるとか、組織としてありえないね。楠原は論外だし、人畜無害そうな顔してあくどいあの小判鮫も、ただじゃ済まさない」

「私が目黒さんに余計なことを洩らしたのが悪かったです。あんなふうに足を掬われるとは思ってなくて」

「皐月も不用心といえば不用心だったけど、つけ込んできたのは生徒会のほうだからね。連中には明確な悪意があった。文芸部を陥れようとしてた。そういう集団と分かってれば、こっちにも用意があったのに――甘かったなあ」

 学校近くのカラオケボックスに私たちはいる。改めて視察に行くから現状を保存しておくようにと、あのあと楠原さんから指示された。壊れた本棚と対峙するのが忍びないというのもあって部室に戻る気が起こらず、場所を移しての作戦会議と相成ったのである。

「で、奴らをどうやって破滅させるかだけど。できる限りグロテスクなほうがいいね」

「目的は生徒会への復讐なんですか。本棚は?」

「そんなの連中を始末したあと、ゆっくり考えればいいんだよ。いい備品は自分たちで抱え込んでたりする可能性もあるじゃん」

 余程のこと腹に据えかねているらしい。目黒さんも楠原さんも、琉夏さんとこのうえなく相性の良くない人たちであろうことは、まあ理解できるけれど。

「生徒会が万一私腹を肥やしてるなら、真実を暴き出してやるのもいいかもしれません。でもかなり無理筋だと思いますよ。規則を破るくらいなら切腹を選びそうな感じだったじゃないですか、あの人たち」

 琉夏さんはマイク越しに溜息を吐き、「自分らが純白だから、他人も純白じゃないと気が済まないってか。果てしなく迷惑だね。ああいうのがいるせいで、私の平穏な学校生活が阻害される。活動記録も強制で提出なんだっけ? あらゆる部活が反対するだろうけど、奴のことだから強行する気満々なんだろうね。どうにか失脚させないと」

 失脚させると来た。「その類の工作は、私の手には余ります。どうしても実行したければ、部長おひとりでどうぞ」

「皐月は文芸部の部員でしょ? 愚弄された悔しさはないのか」

「なくはないですが、生徒会の言い分も理解はできます。うちの高校、創立百年の歴史とか自慢げに宣伝してますけど、けっきょくすべてが老朽化しておんぼろじゃないですか。トイレは汚いし、廊下には蟲が出るし、雨漏りしてる箇所すらある。ここで現代的な快適さを期待するだけ無駄だなって思っちゃいますよ」

「歴史でいったらもっと長い高校あるでしょ、漣女とか。あそこは何年目だっけ。百二十? 百三十? でもうちよりはましだよ、微々たる差だとしても。とにかく生徒側が及び腰でいたら、なにも改善されないんだって。私たちには学校生活を満喫する権利があるわけでしょう? 生徒はがんがん希望を伝えるべきだし、生徒会もそれを実現するために動くべきじゃない? それとも奴らは学校側の言いなりになって、生徒側の不満を握り潰すのが仕事なわけ?」

 確かにその通りではある。しかし実際のところ、もういちど楠原さんたちとやり合える気はしなかった。彼女たちが限界ぎりぎりまで試行錯誤を重ねた結果が、今の杠葉高校なのだろうし。

「なんというか――楠原さんがただ予算を出し渋ってるだけであれば、私も部長と一緒に反撃の手立てを考えたと思います。言い方はきつかったし、無理やり黙らされたみたいで腹は立ちますけど、私、あの人は悪人じゃないと思うんです」

 ふん、と鼻を鳴らす音。

「悪人じゃなかったら極悪人だね。ま、皐月はまだ純真でいればいいよ。いずれ私が化けの皮を剥いでやるから」

 カラオケの個室特有の暗がりの中、なにやら危なげな笑みを湛える琉夏さんを見るに堪えず、私は席を立った。「飲み物取ってきます。部長も要りますか」

「ソフトクリーム大盛り」

「またですか」

「せっかく食べ放題なんだから勿体ないじゃん。山盛りだよ、山盛り」

 差額ぶんを自分が出すからと言い張ってまで、琉夏さんはドリンクバーソフトクリーム食べ放題付きのコースに執着した。そうとう好物らしく、お腹が冷えやしないかと心配になるほど積極的に食べている。わざわざカラオケを選んだのも、歌いたかったからというよりこの食べ放題が目的だったのかもしれない。

 ともかくも頷き、トレイを持って部屋を出た。受付の近くにあるドリンクサーバーに自分のコップを設置し、烏龍茶の釦を押したとき、隣にふと人の気配を感じた。

「あれ、志島さん」

 振り返った瞬間、心臓がひっくり返るかと思った。なんと目黒さんだったのだ。「――どうも。カラオケですか」

「カラオケにいるんだからカラオケだよ。志島さんは違うの?」

「いえ、その――目黒さん、生徒会の皆さんと一緒なんですか」

「ううん、ひとり。ヒトカラ好きなんだよね、私。志島さんは友達と? それとも文芸部の倉嶌さんと来たのかな?」

「後者です」

 動揺のあまり、危うくソフトクリームの盛り付けを失敗するところだった。零す寸前のタイミングで機械を止める。

「そっか。相棒じゃなくても仲良しなんだね。どこの部屋? せっかくだから一緒に歌ってみたいな」

 この人はこの人で、恐ろしく肝が太い。どうあれ馬鹿正直に、あなたたちを陥れる計画を練っているのでお断りです、と告げるわけにもいかない。「部長ってああ見えて繊細というか、歌声を聴かれるのは恥ずかしいらしいんですよ」

「ふうん。倉嶌さんにとって志島さんは、心許せる相手ってことなんだね。だったら挨拶だけでも。ほら、早く戻らないとアイス溶けちゃうよ」

 やむなくコップをトレイに乗せ、部屋へと引き返した。平然と追従してきた目黒さんが、親切にもドアを開けてくれる。内側から洩れ出す轟音。

「おかえり」とリモコンから顔を上げた琉夏さんが目を見開いて、「――目黒」

「そこでたまたま会ったから、ちょっとお邪魔したの。倉嶌さん、ずいぶん激しいのを歌うんだね。こういうの、なんていうの?」

「ブルータルデスメタル。歌ってたんじゃなくて、ただ流してただけだから。それより、なんであんたがここに」

「ドリンクバーで志島さんと会って、倉嶌さんもいるって聞いたから」

「じゃなくて、なにしに現れたの? 楠原の蛮行を代わりに詫びてくれる気にでもなった?」

 うーん、と目黒さんは首を傾けて、「確かに言い方とか態度については、律ちゃん自身で反省しなきゃいけない点があったかもしれない。でも考え方や理屈、生徒会として出した結論については間違ってたとは思わないし、訂正もしません。本棚は諦めてください」

「やっぱ喧嘩売りに来たんか。うちの楠原が失礼千万で申し訳ありませんでした、が最初じゃない?」

「謝罪が必要って認めたら自分で頭下げに行くって、律ちゃんはいつも言ってる。だから私が勝手な真似をする気はない」

「実際に謝ったことあるの? 単に他人の意見を聞く気はないってことじゃない? ほんとに横暴な奴」

「あの子が意地っ張りなのは私にも分かる。でも保護者面されるのは大嫌いだっていう律ちゃんの気持ちを、私は友達として優先する」

「隣にいながらブレーキ役は放棄するんだ。仲良く転落しても本望ってわけ?」

 目黒さんはきっぱりと、「取り返しのつかない間違いをしそうなときは止めるよ。でも律ちゃんはまだ、そこまでの大失敗はしてない。これからもしないと私は思ってる」

 は、と琉夏さんは笑った。「だったら私を怒らせたのが最初にして最大の失敗だよ。まあ見てな、そのうちふたり纏めて――」

「ストップ」私は咄嗟にマイクを掴んで叫んだ。「そのへんにしましょう。仲直りしろとは言いませんけど、いったん喧嘩はやめてください。特に部長、発言が完全に悪役でしたよ」

「ごめんなさい」一瞬の静寂のあと、目黒さんが先に謝ってくれた。「つい熱くなっちゃった。いつもそうなの。律ちゃんのことになると歯止めが利かなくて」

 本音のようだと私は思った。自分のことならば平然としているのに、友人のためには激情を露わにする人というのがときどきいる。目黒さんはその口らしい。

 次は部長の番ですよ、と私が促すと、琉夏さんは吐息交じりに、「不思議なんだけどさ、なんであいつのためにそこまで?」

 生徒会の仲間だから、友達だから、といった答えを予期していた。しかし実際に目黒さんの口から発せられた言葉はこうだった。

「律ちゃんは高潔だから。私なんかの、ううん、誰の手も届かないところまで、自分の魂をひとりで押し上げようとしてる人だから。小さい頃から傍にいる私には分かるの。私にだけは分かる。律ちゃんはどんなときも――自分のお母さんが亡くなったときだって泣かずに前を向いてた。母親を早くに亡くしたからあんな性格なんだとか揶揄する人もいるけど、冗談じゃない。律ちゃんはどれだけ理不尽な目に遭っても屈しないで、自分の信念を貫こうとする人。だから私だけは、いつでも律ちゃんの味方でいる」

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