タイトルは最後に ー後編ー

       一


 休み時間、

「ツリー、無かったの?」

 清美が聞き返した。

「うん、だから柊矢さんと買いに行くんだけど良かったら一緒に来てくれる?」

「いいよ。置く場所は?」

「リビングに置くものじゃないの?」

「それは家によるよ。リビングが狭かったら玄関とかテーブルの上とか」

「場所はあるからリビングに置けると思う」

「そっか」

 霧生家のリビングならそれなりに大きいものでも問題ない。

 トラックで運ばなければならないような巨大なツリーを注文しようとしたくらいだからプラスチックのツリー程度なら値段も気にしないだろう。

 大きいツリーならオーナメント形式のアドベントカレンダー七十二個飾れるはずだ。

 清美は楸矢と小夜、柊矢の三人に色違いのアドベントカレンダーを贈る事にした。


 中のお菓子は徳用大袋のチョコになっちゃうけど……。


「ケーキは普通のでいいんだよね?」

「特に決まりはないよ。流行はやすたりはあるけど」

「最近の流行りは?」

「クリスマスはブッシュ・ド・ノエルかなぁ」

クリスマス・・・・・は?」

「何年か前から十二月一日から毎日シュトレンってケーキを食べるのが流行り始めたんだよ」

「毎日ケーキ食べるの?」

待降節アドベントに一個のケーキを毎日少しずつ食べるんだよ」

「そうなんだ。清美はパーティで食べたいケーキある?」

 清美に聞いてきたと言う事はおそらく楸矢や柊矢には希望が無かったのだ。

 ツリーを持ってないくらいだからクリスマスにケーキを食べたりもしなかったか、食べたとしても元カノの好みに合わせていたのだろう。

「あたしは特に無いよ」

「ならブッシュ・ド・ノエル、作れそうなら作ってみる。あと、シュトレンって言うのも」

 小夜はそう言って作り方を検索し始めた。


 デパートの売り場は混雑していた。

「ツリーがいっぱいある……」

 小さい物は三十センチ程度の物から大きいものは二メートルのものまで様々だった。

「どれにしたらいの?」

 小夜が困ったように清美に訊ねた。

 一緒に来た柊矢も清美を見ている。

「柊矢さんちならこれくらいかな」

 清美はそう言って一メートル半近いツリーを指した。

「これだけ大きいと車に入らないから配達ですね」

 小夜が柊矢に言った。

「組み立て式だよ。まぁそれでも箱は大きいけど」

「飾りは……付いてるんだ。なら買わなくていのかな」

「あ、飾るのは三十日まで待って」

「うん、分かった」

「他に買う物は?」

 柊矢が箱を手にして訊ねた。

「ツリーの飾りは付いてるので、後は特に……」

 小夜がそう言うと柊矢はツリーの会計に向かった。

 買い物を終えると三人はデパートの外に出た。


 デパートの前には大きなクリスマスツリーがあり、植え込みもイルミネーションの電飾で飾られていた。

「ここも夜は綺麗そう。二十五日、晴れるといね」

 小夜がツリーや電飾を見ながら言った。

 どうやら二十五日に清美と楸矢が中央公園に行く話は聞いているようだ。

「夜だから雨じゃなきゃいんだけどね。雪でも降ってくれればロマンチックなのになぁ。なんで東京って四月には積もるのに十二月には降らないんだろ」

「ちらつくくらいならたまにあるだろ」

「クリスマスに降った事あります?」

「さぁな。クリスマスの天気なんか気にした事ないからな」

 彼女がいたにも関わらずクリスマスの天気を気にした事が無いなんてデートをした事が無かったのだろうか。


 柊矢さんから振ったって聞いたけどホントは振られたんじゃ……。


 小夜はその点寛大というか気にしない性格なので問題ないと思うが。

 そう言う意味ではお似合いなのかもしれない。


 割れなべぶたと言うか……。


 翌日、清美と小夜は雑貨屋に来ていた。

 クリスマスリースを買いに来たのだ。

 小夜がリースを見ている間に清美はオーナメント形式のアドベントカレンダーを見ていた。

 一セットだけなら大した金額ではないのだが三セットに加えて中に入れるお菓子代となるとかなりの金額になってしまう。

 清美が悩んでいるところへ小夜が来た。

「楸矢さんへのプレゼント?」

 清美が持っているラッピングペーパーを見て小夜が訊ねた。

「あ、小夜」


 しまった!

 一人で買いに来れば良かった……。


「清美、これプレゼントするの?」

「どうしようか考えてたんだ」

 清美は曖昧あいまいに答えた。

「楸矢さん、喜ぶと思うよ」

「ホント?」

「うん、私も柊矢さんへのプレゼントこれにしようかな。違う種類のなら間違えないよね」

「そうだね」

「清美はどれにするの?」

「どれにしようかな……」


 ま、いっか。

 自分のは買わないようだし後で小夜の分を買お。


 柊矢には別のものを用意すればいだろう。

「小夜、中身はどれ買うの?」

「え、お菓子ならなんでもいいんでしょ。自分で作るよ」


 そうか……。


 ケーキが作れるなら小さいお菓子くらい簡単だろう。

 清美は中身用のお菓子に目を向けた。

 買えそうな金額のものはどれもビニールに包まれている。


 クッキーはビニールに包まれてる方が湿気しける心配なくて良さそうだけど……。


 カラフルな包みならともかく、透明なビニール包装ほうそうだといかにも市販品という感じだ。

 それに様々な色や形があるジンジャークッキーはともかく、それ以外のお菓子は見た目も味も同じものだ。

 毎日同じお菓子では途中で開ける楽しみがなくなるだろう。

 よほど味が良ければ別だろうが高校生の小遣いで買える金額のものがそんなに美味しいとは思えない。

「小夜、なに作るの? クッキーは湿気しけちゃうよね?」

「そうだね。三週間以上だし、ものによってはいたんじゃうね」


 それを考えると包装されたものの方がいいのかも……。


いたみそうなものは前の日に作って夜か朝早くに入れればいいかな」


 同居してるとその手が使えるんだ……。


「でも小さいの毎日一個だけ作るのは不経済だし、かといって前の日のおやつと同じものって言うのも……。やっぱりいたまないお菓子の方がいいのかな」

 小夜が首をかしげた。

「清美、どれにするの?」

 清美は考えた末、

「これにする」

 と言って金色の星の形をしているアドベントカレンダーを手に取った。

 二人分なら予算より高めのものを選べる。

「なら、私はこれ」

 小夜が赤い四角錐のオーナメントを選んだ。


 じゃ、小夜には家の形してるのにしよ。


 会計をませて店を出ると、

「ね、小夜、中に入れるお菓子、あたしにも作れそうなら教えて」

 と頼んだ。

「うん、何入れるか考えておくね」

 清美は店の前で小夜と別れた。

 小夜の姿が人混みに消えると店に戻った。


       二


「清美ちゃん、ホントごめん」

 楸矢が電話口の向こうで謝った。

 清美は部屋で楸矢とスマホで通話していた。

「椿さん、忙しいらしくてレポート自力でやらないといけないんだ……」

「なんのレポートですか?」

「哲学」

「……頑張って下さい」

「あはは、やっぱ清美ちゃんでも無理か~」

 楸矢の高校は音大付属だから一般科目の成績は参考程度にしか見ないのだが、それでも本来なら進学させられないと言うほどひどかったらしい。

 それでも進学出来たのはそれに目をつぶってもらえるほどフルートの腕が良かったからである。

 清美の高校は都立高の中では十位以内、国立や私立を合わせても四百校以上ある中で三十位以内に入るかどうかと言う上位校である。

 清美の高校は定期テストの結果ごとに各科目のクラス分けが変わるのだが清美と小夜は常に一番上のクラスにいる。

 だから数学や国語など一部の科目は清美が楸矢に教えられるレベルなのだ。

 音楽家を目指すならそのままフルートの腕をみがけばいのだろうが一般企業に就職したいなら勉強をしなければ就職試験には受からない。

 サラリーマンになりたい楸矢は今から必死で勉強しているのだ。

「元々あたしが手伝えそうな科目はほとんどありませんから」

 大学ともなると一般科目でも高校では習わないものが多い。

 しかも音楽科だと教養科目でも音声学や音楽療法など普通科には無い科目がある。

 そう言う科目は付け焼き刃の清美より既に高校である程度教わっている楸矢の方が詳しいはずだ。

「そういう訳で当分空き時間は出来そうにないんだ。ごめんね」

「いいんです。勉強、頑張って下さいね」

「ありがと」

 スマホを置いた清美は溜息をいた。

 アドベントカレンダーは十二月一日から開け始めるものだから十一月中に渡したい。


 小夜から渡してもらうしかないか……。


 翌朝、清美は、

「小夜、お菓子どうするか決めた?」

 登校してきたばかりの小夜に訊ねた。

「うん、いくつか日持ちしそうなのあったよ。キャンディとか」

「あたしにも作れる? チョコはともかくキャンディって作った事ないんだけど」

「キャンディもチョコと同じだよ。溶かして型に流し込むだけ」

「自信ないから作り方教えて」

「いいよ。柊矢さんのだけだと材料が余っちゃうから一緒に作ろ」

「ありがと」


 十一月三十日、清美は学校が終わると小夜と一緒に霧生家にやってきた。

「抹茶パウダーはチョコに掛けるから分かるとして食紅は何に使うの?」

「キャンディに色を付けるんだよ」

「ナッツはチョコに入れるの?」

「チョコもだけど、キャンディも。後アーモンドは砂糖掛けとシュトレン」

「柚とかオレンジは? フルーツ使ったものって傷まない?」

「ピールは保存食だから」

 清美は小夜に教わりながら二十四日分のお菓子を作った。

 小夜は数種類の材料だけで複数のお菓子を作り出してしまった。

 その中にはマカロンもあった。

 かなり苦戦したが小夜が丁寧に教えてくれたのでかろうじて失敗せずに出来た。

 マカロンは日持ちがしないので冷蔵庫の奥に隠しておき、明日開けるオーナメントの中に置き場所を書いたメッセージカードを入れる。

「ラップで巻くのはいいんだけどさ、なんか見栄え良くないよね」

 出来たお菓子を前に清美が言った。

「こうすればいいんだよ」

 小夜はチョコを一つラップの真ん中に置いて巻くと両脇をじった。

 余ったはしをハサミで切るとキャンディの包みのようになった。

「そっか~」

「これにシールを貼れば可愛くなるよ」

 小夜はそういってシールを手に取った。


 それでテーブルの上に置いてあったんだ……。


 なぜ台所にシールがあるのかと不思議だったのだ。

「すぐに食べるならラッピングペーパーでもいいんだけど何日も常温保存するとなるとラップを巻いておかないと心配だし……」

「そうだね。チョコは溶けちゃうしね」

「柊矢さんがイブまでリビングに暖房入れなくていって言ってくれたけど……」

 清美はリビングに目を向けた。


 一戸建ての一階で暖房なし……。

 クリスマスまで寒くてリビング使えないんじゃ……。


 二人はチョコとキャンディをラッピングしてオーナメントの中に入れていった。

「小夜、自分で入れるんじゃサプライズにならないね。昨日教わってうちで作ってくれば良かった」

 と言ってもマカロンやピールなどは清美一人で作るのは無理だが。

「作ったのが自分でも楽しみなのは変わらないよ」

 小夜がくすぐったそうな笑顔で答えた。

「この為に大きいツリー選んでくれたんだね、ありがとう」

 小夜は本当に嬉しそうに礼を言った。


 帰宅した楸矢にプレゼントを渡し霧生家で夕食をご馳走になった帰り道、

「今日はありがとう。清美ちゃんと久しぶりに会えたのもプレゼントも嬉しかった」

 楸矢が清美に礼を言った。

「そんな、大したものでは……」

「ツリーの飾り付けもうちったの初めてだし、すっげぇ楽しかった」

 楸矢が嬉しそうに言った。

 夕食後に清美と楸矢、小夜の三人でツリーを飾ったのだ。

 ツリーが無かったので予想はしていたが、やはり楸矢は家でクリスマスの飾り付けをしたことが無かった。

 各自の部屋のドアや玄関に飾られたクリスマスリースも、

「クリスマスって感じがする!」

 と言って喜んでいた。

「アドベントカレンダーも初めてだし、明日の朝がすっげぇ楽しみ」

 楸矢がそう言った時、清美のマンションが見えてきた。


 もういちゃった……。


 こう言うとき家が近いと一緒にられる時間が短いのが難点だ。

 すぐに会いに行けるというのはメリットだが。

「次はクリスマスイブだね。デートもろくに出来なくてごめん」

「気にしないで下さい」

「でも清美ちゃん、デートとか出来る彼氏の方が良かったでしょ」

「楸矢さんが大学出たらいっぱいデートすればいいんですよ」

 その言葉に思わず笑顔がこぼれた。

 清美はいつも前向きだ。

 小夜に突っ込んでるのを聞いている限りでは現実はしっかり見えている。

 つまり事実をきちんと受け止めた上でいい方向に考えているのだ。

 楸矢や小夜がそのポジティブさにどれだけ救われているか、清美は気付いていないだろう。

 人付き合いが苦手な小夜が清美とだけは親しくしているのもその為だ。

 楸矢も小夜も見せないようにしているだけで実際にはかなり後ろ向きだし、家庭の事に関しては諦観ていかんに支配されていた。

 仕方が無い、自分には縁が無い、無い物ねだりだと思って諦めていた。

 それを変えてくれたのが清美なのだ。

 清美が違う視点から見る事を教えてくれた。

「じゃあ、卒業まで振られないようにしなきゃね」

 楸矢が笑いながら言った。

 浮かれていた清美は一気に現実に引き戻された。

 謙遜なのか天然なのか、楸矢はよくこういう事を言う。

 見た目と性格のい音大生なんてどう考えても引く手あまたで、普通の女子高生でしかない清美には本来手が届かない存在だと思うのだが。

 音大付属高校は女子の方が遥かに多かったと言っていたし女の子はよりどりみどりだろうに何故なぜ自分と付き合う事にしたのだろうと、つい考えてしまう。


       三


 イブの日の午後、清美は霧生家に訪れた。

 料理の手伝いをする為だ。

 しかし清美が着いた時には小夜は既にシチュー用の肉をでながらローストチキンの下拵したごしらえをしているところだった。

「でかっ」

 思わず声が出てしまった。

 頭と毛が無いだけの丸ごとの鶏肉を生で見たのは初めてだ。

「ホント、びっくりだよね~」

 楸矢が笑いながら言った。

「家でこういうの作れるものだとは思わなかったよ」

「あたしに出来ること無さそうだから洗い物するね」

「サラダ作るの手伝って」

「うん。あ、その前に。楸矢さん、お願いしたい事が……」

「いいよ、何?」

「実は柊矢さんへのプレゼント、シャンパンにしようと思ったんですけど……」

「いいんじゃない? 嫌いじゃないと思うよ」

「それが、あたしじゃ売ってもらえないので……」

「あ、そっか。未成年はお酒買えないんだっけ。いいよ、俺、買ってくる」

「すみません」

 清美が謝りながら楸矢にお金を渡した。

「いいって。俺、柊兄とうにいへのプレゼント用意してないから俺の分と合わせればいやつ買えるだろうし」

 楸矢はそう言って部屋から財布と上着を取ってくると酒屋へ向かった。


 料理が出来上がってテーブルの上に並べているときチャイムが鳴った。

「俺が出るよ」

 楸矢はそう言って玄関へ向かった。

 ドアを開けると椿矢が立っていた。

「あれ、来られないって言ってなかった?」

「いつになるか分からなかったから。でも今日に間に合って良かった。柊矢君、呼んでくれる?」

 その言葉に楸矢は柊矢を呼んできた。

「なんだ?」

 柊矢が来ると椿矢は封筒を差し出した。

「これ、小夜ちゃんへのクリスマスプレゼント。ご両親の写真」

「残ってなかったんじゃ……」

 楸矢が言った。

「ネットにはね。でもご両親の知り合い探したら持ってる人いたからプリントアウトしてもらったんだ。あとデータを入れたSDカードも入ってるから」

 柊矢は封筒を受け取った。

「今渡すと泣いちゃうかもしれないからお開きになったら渡してあげて」

「すまない」

 柊矢が頭を下げた。

「気にしなくていいよ」

「予定ってこれ探す事? ならもう終わったんだよね?」

「うん」

「ならあんたも一緒にパーティしようよ」

いの? もう料理、作り終わってるでしょ」

「小夜が食べきれるか心配してたくらいだから問題ない」

「なら、お言葉に甘えて」

 椿矢はそう言うと霧生兄弟の後に続いた。


 椿矢はテーブルの上のチキンの大きさに目を見張った。

「……感謝祭と間違えてないよね?」

「感謝祭は七面鳥ですよね? これはチキンですから」

 鶏一羽を丸ごと焼いたなら確かに四人で食べきれるか心配になるのも無理はない。

 チキンの他にリースのように円形に盛り付けてあるサラダや直径二十センチほどのドーナツ状のゼリーのようなものなどがある。

 ゼリー状のものは中に緑や赤い野菜が入っていて、サラダと同じようにリースに見立ててある。

「これはゼリー? て言うかジュレ?」

 椿矢が訊ねた。

「寒天を使ってるのでゼリーとも言えます」

 首をかしげた椿矢に、小夜は、

「煮こごりやジュレも寒天を使う場合があるので」

 と補足した。

 つまり作り方――というか材料――はゼリーも煮こごりやジュレも同じ(場合がある)という事らしい。

 それに雪の結晶のような形に焼いたパンもあった。

「これ、小夜ちゃん達が作ったの? すごいね」

「あたしが手伝ったのはハムや野菜の型抜きとサラダの盛り付けだけです」

 作ったとは口が裂けても言えないレベルの事しかしていない。

 下拵えは小夜がほとんど終えていた。

 ローストチキンに至っては二日前からマリネ液にけていたと聞かされ、自分にはとても真似出来そうにないと白旗しろはたかかげた。

 楸矢は小夜に恋愛感情を持ったことはないようだが、こういう事が出来る女性が好みなのだとしたら清美では到底とうてい太刀打たちうち出来そうにない。

「清美がそう言う時間が掛かるの引き受けてくれたから手の込んだ料理が作れたんだよ」

「そうかな」

「そうだよ。さ、座って下さい」

 小夜がみんなうながした。

「どれも綺麗に盛り付けてあるから食べるために崩しちゃうのもったいないね」

「でも飾っておく訳にもいきませんから」

 そう言いながら席に着いた。


 食事が終わると五人はリビングへ移った。

「あんたには借りが出来たな」

 柊矢が言った。

「貸しじゃないけど……借りを返したいって言うなら柊矢君のヴァイオリンが聴いてみたいな」

「あんた、音楽に興味ないって言ってなかった?」

「興味は無いんだけど、前に楸矢君が柊矢君はすごい才能があったって言ってたから。楸矢君に言われるほどなら聴いてみたいと思って」

「なんで俺が言うと聴いてみたくなるの?」

「君の演奏、すごく良かったから。音楽に興味ない僕が感動したほどだし」

「楸矢さんってそんなに上手いんですか?」

 清美が驚いて言った。

「付き合ってるのに聴いた事ないの?」

「あたしも音楽はそれほど……」

「清美ちゃん、柊兄が小夜ちゃんにセレナーデいたって聞いてドン引きしてたから……」

「普通はセレナーデとか引くよね」

 楸矢の言葉を引き取った椿矢を柊矢がにらんだ。

「まぁ、小夜に弾いてやろうと思ってたから構わないが」

 柊矢は立ち上がると四人を促して隣の部屋に移動した。


       四


「グランドピアノ!」

 清美と椿矢が同時に声を上げた。

「普通科はみんな驚くんだな」

みんなって?」

「小夜も驚いてた」

「驚いて当然でしょ。ここ新宿だよ。しかも一戸建てだし」

 敷地の広さや建物の大きさは椿矢の実家の方が上だが雨宮家は郊外だ。

「音楽科の生徒だって大抵はアップライトピアノか電子ピアノだから驚くよ」

「そうなの?」

 椿矢が訊ねた。

「グランドピアノは大きいから広い部屋じゃないと置けないし、ピアノ自体の値段が全然違うから。音楽って習うだけでもかなりお金掛かるからプロでもないのにグランドピアノが家にあるのは元々持ってた人くらいだよ」

 楸矢が答えた。

 都心でグランドピアノが置けるだけの広さの部屋がある家は少ない。

 部屋を借りるにしても賃料が高い。

 特に防音の部屋は普通の部屋より割高だ。

「リクエストはあるか?」

 柊矢がヴァイオリンケースを開けながら訊ねた。

「ごめん、音楽には興味ないからどんな曲があるのかも知らない」

 椿矢がそう答えると柊矢は清美の方を向いた。

「あたしもクラシック音楽は全然……」

「『アヴェ・マリア』とかは?」

 楸矢の言葉に、

「クラシックに興味ないならクリスマス・ソングの方がいいだろ」

 柊矢がそう言ってヴァイオリンを手に取った。

「あ、俺が伴奏するよ」

 楸矢がピアノの前に座った。

「柊矢君、合奏出来ないって言ってなかった?」

「俺があわせればいいだけだから」

「楸矢さん、ピアノも弾けるんですか?」

「どの楽器専攻でもピアノは副科として必修なんだよ」

 楸矢はそう答えると『We Wish You A Merry Christmas』の前奏を弾き始めた。

 柊矢がヴァイオリンを弾く。

「え!?」

「ヴァイオリンでこんな速い曲も弾けるんだ……」

 清美と椿矢が目を丸くした。

「これ、そんなに速くないよ」

 楸矢がピアノを弾きながら答えた。

「ヴァイオリンはゆっくりな曲しか引けないと思ってた」

「ゆっくりな曲でもいいけど。あんた、『Have Yourself a Merry Little Christmas』歌詞知ってる?」

「知ってるけど……」

 楸矢の問いに椿矢が答えるとピアノで前奏を始めた。

 柊矢がヴァイオリンを弾き始める。

 椿矢が歌い始めた。

 ピアノとヴァイオリンの音色に甘いテノールの歌声が重なった。

「…………」

 清美は言葉もなく歌っている椿矢を見ていた。

 音楽に興味がないと言っていたのに歌手だと言っても通りそうなほど上手い。

 そう言えばこの人もムーシコスって言ってたっけ……。

 椿矢が歌い終えると、清美は、

「小夜、なんか歌える?」

 と小夜に訊ねた。

「『アヴェ・マリア』知ってる?」

 楸矢が聞いた。

「曲は知ってますけど歌った事は……」

「歌詞見れば分かるなら楽譜に書いてあるよ」

 楸矢はそう言って『アヴェ・マリア』の楽譜を差し出した。

「歌えそう?」

 清美が楽譜を覗き込んだ。

 すご、本格的……。

「……歌詞、読めません」

 困ったような表情で小夜が言うと楸矢が楽譜とボールペンを椿矢に渡した。

「読み、カタカナで書いてあげて」

「楽譜に直接書いていの?」

「指揮者の指示とか色々書き込んだりするよ。どっちにしろこれはうちで使うものだから」

 楸矢の言葉に椿矢はカナで読みを書いて小夜に渡した。

 小夜が楽譜を受け取ると楸矢と柊矢がピアノとヴァイオリンを弾き始めた。

 小夜が歌い始める。

 嘘……。

 こんなに上手かったんだ……。

 ムーシコスは音楽家って意味だって言ってたっけ。

 小夜が歌い終えると柊矢と楸矢が有名なクリスマスソングを演奏してくれた。

 最近のアーティストが歌っていたりしてポップスだと思っていた曲の多くが古いものだった。

 楸矢がピアノを弾きながら曲の由来などを説明してくれた。

 歌詞が付いている曲は清美達も一緒に歌った。

 最初、小夜と椿矢の玄人跣くろうとはだしの歌声に怖じ気づいていた清美も恐る恐る歌っているうちに気恥ずかしさも消えて最後には盛り上がった。


 パーティがお開きにり、部屋に戻った小夜はベッドに座って封筒を見ていた。

 片付けを終えて部屋に戻ろうとした時、柊矢から両親の写真だと言って渡されたのだ。

 椿矢はわざわざ写真を持っている人を探し出して譲ってもらい、今日届けに来てくれたのだという。

 どれくらいそうしていたか分からない。

 ずっと知りたかった。

 せめて写真だけでもと思って家の中を探した事もあったが一枚も無かった。

 柊矢にネットにも無かったと言われてようやく諦めが付いた。

 無い物ねだりをしても仕方が無い。

 親の顔を知らないのは自分だけではない、と。

 それを椿矢は見付け出してきてくれた。

 見て……いいんだよね、お祖父ちゃん。

 椿矢さんがクリスマスに届けてくれたのは見ていいって事だよね。

 小夜は深呼吸をすると震える手で封筒を開け写真を取り出した。

 写真に若い女性が写っていた。

 女性の顔がぼやけた。

 写真の上に落ちた水滴を急いで拭き取ると脇に置いた。

 涙があふれてきて止まらなかった。

 小夜は顔を覆った。


 クリスマスの朝、楸矢の予想通り小夜の目は赤かった。

 楸矢も柊矢も気付かない振りでいつも通り振る舞った。


 連日徹夜でいていた課題の絵が仕上がると、裕也はベッドに倒れ込むように横になった。

 次の瞬間には眠りに落ちていた。


 いつものようにあの夢を見た。

 だが今日はいつもと違った。

 どこからか歌声が聴こえてくる。

 大学の前で聴いたあの歌だ。

 裕也は空を見上げた。

 声はあの少女のものだが歌っているのはあの惑星ムーシケーだ。

 澄んだソプラノの歌声が白い惑星ムーシケーから聴こえてくる。

 不意に目の前が空から降ってくる銀色のもので埋め尽くされた。

 荒涼こうりょうとした大地に空から無数に舞い落ちてくる。

 まるで雪のようだ。

 それは本来なら人間の目には見えないほど微細びさいな有機物。

 それがゆっくりと落ちて地上に降り積もっていく。

 大気はそそ有機物ゆうきぶつ――生命のみなもと――で満ちていた。

 突如とつじょ轟音ごうおんがして空の片隅が明るく光った。

 火球だ。

 地響きと共に地面が揺れた。

 燃え尽きなかった隕石が大地に衝突したのだ。

 その間にも空を次々と流星が流れていく。

 この惑星グラフェーの大地はどこも乾いて草一本生えていない。

 衝突の衝撃で隕石が気化して出来た四千度の岩石蒸気がんせきじょうきが惑星をおおい地上の水分は全て蒸発して多くは大気圏外に逃げてしまった。

 今、地上に残っている水だけでは生命をはぐくむ事は出来ない。

 だが隕石は破滅だけではなく生命に必要な水ももたらす。

 隕石の表面の酸素原子と恒星から吹き付ける高エネルギーの水素イオンが反応して水になるのだ。

 それが隕石として落ちてくる事で惑星上に水が溜まっていく。

 隕石によって少しずつ増えていった水が海になった時、これらの有機物は生命となり、いつかこの惑星も地球と同じように緑豊かな惑星に戻るのだ。


 裕也はもう一度、白い星を見上げた。

 あの星へ、この星の想いを伝えなければいけない。

 その使命感だけでこの風景を描き続けてきた。


 けれど……。


 あの星はとっくの昔にこの星の想いを知っていた。

 知らない言葉なのに何故かそれが分かった。

 あの星が歌でそう伝えてくれている。

 もう、この景色を描く必要はない。

 好きに描いてい。

 絵で想いを伝えるべき相手はあの星ではない。


 裕也は目を覚ました。

 窓の外を見ると西の低い空は淡い橙黄色とうこうしょくをしていた。

 そこから上に向かって徐々に赤が濃くなり紫を経て青墨あおずみの夜空へと変わっていく。

 この惑星ちきゅうにはこんなに綺麗な色があふれている。


       五


 その夜、清美と楸矢は中央公園に向かって超高層ビルの間を歩いていた。

 夜だがビルの窓やイルミネーションなどでかなり明るかった。

「昨日はありがと」

 楸矢が清美に礼を言った。

「そんな! あたしこそ、いつもご馳走になっちゃって……。でも楽しかったです!」

 それは本心だった。

〝家族〟でのパーティがこんなに楽しいと思ったのは初めてだ。

 いつか清美が親になった時、自分の子供にもこの楽しさを教えてあげたいと思った。

 それが楸矢との家庭なら最高だ。

 とは言え、あと最低四年、清美が大学を出るまでとなると五年以上横取りされずにむか自信は無い。

「ホント?」

「はい!」

「良かった。ホントは昨日来たかったでしょ」

 楸矢は気付いていたらしい。

「クリスマスは今日ですよ」

「……そうだね」

 楸矢はそう言って微笑わらってから空を見上げた。

「ちょっと残念だな」

「え?」

「月が出てれば『月が綺麗ですね』って言えたのにって思ってさ」

 楸矢の言葉に清美は真っ赤になった。

 頭の中が真っ白になって言葉が出てこない。

「あ、ごめん、実は俺の方から付き合ってっていったの清美ちゃんが初めてだから告白とかもした事なくて……」

 狼狽ろうばいしている清美を見て楸矢が謝った。

 楸矢の言葉に清美は冷静さを取り戻した。


 そりゃ、楸矢さんはモテるから女の方からよってくるし……。


 なんと返事をしようかと考えあぐねていると、中央公園にあるアーチ型のイルミネーションが目に入った。

「楸矢さん、あれ」

 清美はアーチを指した。

「月みたいに見えません? 綺麗ですね」

「ホントだ」

 不意に清美の顔に冷たいものが当たった。

 見上げると空から白いものが舞い落ちてくる。

「嘘! 雪が……」

 清美は信じられない思いで夜空を見詰みつめた。

 雪が次々と降ってくる。

 イルミネーションの色に染まった雪がビル風に流されていく。

 雨に変わらないくらいだから地上の気温がかなり下がっていた。

「清美ちゃん、大丈夫? 寒くない?」

 楸矢が気遣きづかうように言った。

 空気がかなり冷たい上にビル風も吹いているから体感温度はかなり低い。

 二人の息は真っ白だった。

「全然平気です! それより奇跡ですよ!」

「え?」

「ホワイトクリスマスになったらいいなって思ってたんですけど、十二月ってほとんど降りませんよね?」

「うん」

 清美が調べてみると直近でクリスマスに雪が降ったのはイブが一九六五年、二十五日が一九八四年だけだった。

「まさか今日降ってくれるなんて……」

 清美が嬉しそうに言った。

 楸矢は超高層ビル群を見上げた。

 曇ってはいるがビルの上層階が雲に隠れてない。

 雨や雪が降っているとき超高層ビルの天辺てっぺんは雲に隠れる。

 雨雲の方がビルの上層階よりも低いところにあるからだ。

 つまりこの雪は普通の雪雲より高い位置にある雲から落ちてきていると言う事になる。

「……もしかして、小夜ちゃんとホワイトクリスマスの話した?」

 小夜が雪を願うムーシカを歌っていた。

「ツリー買いに行った時にしましたよ。柊矢さんが十二月でもちらつくくらいならあるって言ってました」

 このムーシカには雪を降らせる効果はない。

 これはムーシケーからの贈り物だ。

 おそらく裕也という美大生にグラフェーの事を伝えたからグラフェーの代わりに礼をしてくれているのだろう。

 小夜と楸矢の清美への感謝を形にしてくれたのだ。

 清美の願いを叶える事で。


 清美は浮かれていた。

 彼氏が出来て最初のクリスマスのデートが東京では数十年に一度しかないホワイトクリスマス!

 最高のクリスマスだった。

「願いがかなうなんて、サンタさんってホントにいるのかもしれないですね!」

「きっと清美ちゃんがいい子だからだよ」

 楸矢はそう言って清美に笑みを返した。

「全然い子じゃないですけど……あたしだけ貰うの申し訳ないですから楸矢さんも何かお願いしたらどうですか?」

「今からじゃ間に合わないんじゃない?」

「一日で地球一周出来るくらい仕事が早いサンタさんなら出来るかもしれませんよ」

「そうだなぁ……」

 両親が自分の巻き添えで死んだと聞かされた時、小夜は他人ひとの為に祈った。

 自分の恨みを晴らす復讐ではなく他の人達の幸せを。

 それは自分には無理だ。

 例え顔も覚えてないとしても両親を奪った相手は許せないし、せめて他の人だけでも幸せになって欲しいなどと祈る事も出来ない。

 けれど小夜の幸せなら願える。心から。

 本当に奇跡が起きるなら小夜ちゃんに温かい家庭と幸せな人生を……。

「あ、別に無理に言わなくても……」

「いや、俺の願いは来年も、再来年も清美ちゃんとずっと一緒にいる事」

「私もです!」

「ホントだ、かなった」

 楸矢が微笑わらった。

「これからもずっと一緒にいようね」

「はい!」

 清美と楸矢は雪の中で約束を交わした。

 二人を祝福するように雪は降り続けた。


タイトル『Snow Falling』


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この話は「歌のふる里」と、その続編「魂の還る惑星」の後の話です。

もし気に入っていただけたら「歌のふる里」と「魂の還る惑星」もよろしくお願いします。

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タイトルは最後に 月夜野すみれ @tsukiyonosumire

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