双子のころ

日笠しょう

双子のころ

「双子の兄が、セパタクローと言うんです」

 出会い系で知り合った女に『seed island』とひねりのない名前の喫茶店に連れられて、すわ壺か入信かと身構えているとそんな告白を受けた。

 セパタクロウはサッカーに似たスポーツだったのではないか、彼女は水瀬ゆかりと名乗ったが本名はセパゆかりなのか。大小さまざまな疑問が頭をよぎったがそれはさておき——。

「今、セパタクローってサッカーの親戚でしょ、と思いませんでした?」

「いや、それはさておいたんだけど」

「置いといた?」水瀬ゆかり(セパゆかりかもしれない)が小首をかしげる。「セパタクローは足や頭でボールを扱うのでサッカーの亜種と思われがちなんですが、本当はバレーボールやテニスに近い競技なんですよ。相手のコートにボールを落としたら勝ち」

「どうして今、双子のお兄さんの話を?」

 無理矢理に話題を戻す。ゆかりさんはそれ以上スポーツのセパタクローについて話すつもりがなかったのか、すんなりと応じてくれた。

「殺したからです」

「誰を」

「兄を」

「兄って、セパタクロー?」

「そう。実は私も、本当の名字はセパです」グラスの結露で指を濡らし、ゆかりさんは『瀬波』と机に書いた。「下の名前は教えられませんけど」

「ゆかりさんじゃないんだ」

「出会い系に本名で登録するわけないじゃないですか」

「じゃあ、ええと、あなたが」

「ゆかりでいいですよ」

「……ゆかりさんが、兄のタクローさんを殺して、それをどうして僕に?」

 誰でもよかったんですけどね、とゆかりさんが言うので、少しむっとする。

「では、私たちの子ども時代から話しましょうか」


 私たちは、この世に無限なんてないと思っていました。惜しみない愛とかいいますけど、愛が無限にあるならわざわざ惜しむ必要ないですし、兄と私とでは明らかに、親から譲り受けたものが偏っていました。きっと全部兄が持っていってしまったんです。才能も、母からの愛も、すべて。

 でも、兄のことは嫌いじゃありませんでした。兄はそのリソースを、半分より少し多めを私に、残りを自分のために使っていました。何をするにも二人一緒。最初に乗った自転車も、カップルが乗るような二人乗り用だったんですよ。

「メンインブラックで豆電球たくさんつけた宇宙人が乗っているみたいな?」

「意外と博識なんですね」

「それはさすがに嘘でしょ」

 思わずつっこむと、まぁ、と一呼吸置いてゆかりさんが答えた。

「さすがに嘘ですけど」

 自転車は一台しかなかったんです。母が、私には買ってくれませんでしたから。だから兄と代わりばんこに乗っていました。

 今思うと、母は兄にお父さんの影を見ていたのかもしれません。お父さん、顔はもちろん、そもそもいたかどうかも知らないんですけど。でも母は、兄を抱きしめながらいつも「あの人に似ている、あの人に似ている」とつぶやいていました。双子なので、私もお父さんにそっくりなはずなんですけどね。だからいつも兄はいいこいいこされて、私はいないみたいでした。

 とはいえ、それでも良かったんです。限りあるものを、兄と分け合う。私たちにとってはそれが普通で、世界の真理だと思っていました。多少物足りなくても、分かち合える喜びが不足を満たしてくれる。むしろ足りないくらいがちょうどよかった。兄が私を必要として、私が兄を必要とする。おもちゃも、ご飯も、部屋も、注がれる愛も、二人で一つ。その関係が続くならなんでも良かったんです。お布団が一人分しかなくても、二人くっついて眠れば寒くありませんでした。でも、小学校にあがって、世界にたった一つの無限の存在を、私たちは知ってしまいました。


「何を見つけたんですか?」

 ゆかりさんはすっと顔をあげ、天井を仰いだ。つられて僕も目線を上げる。なんの変哲もない木目の天井に、洋梨型のペンダントライトがぶら下がる。せめてこれくらいは、と店主が雰囲気を出すために買ってきたかのような寂しさがある。

「あ、電気とか?」

「宇宙です」 ゆかりさんが即答する。「最近の研究では果てが見つかったなんて言いますけど、宇宙は広がり続けています」

「火の鳥では、いつか収束して戻ってくるって」

「少なくとも私たちが生きている間は無限でしょう」

 続けますね、とゆかりさんは水に口をつけた。入店時に頼んだコーヒーセットはまだ来ていない。


 理科の授業で宇宙が無限であることを知った私たちは、それこそ世界が壊されたような感覚でした。この世に分け合っても分け合いきれないものがある。

 もしかしたら、兄はずっと我慢していたのかもしれません。そうでしょう。毎晩のおかずだって私に分けてくれてましたし、自転車も本当は自由に乗り回したかったに違いありません。でも、兄は私のために半分こしてくれていました。そんな兄だから、無限の存在に心を惹かれるのは当然だったと言えます。

 私たちがそれで険悪になった? いいえ、そんなことはありません。私も宇宙が好きになりました。双子だから同じものが好き、というよりは兄の好きなものが好き、というのが当時の本当の気持ちですね。本人には言いませんでしたけど。

 平日は学校の図書室に、休日は近所の図書館に入り浸って書籍を読み漁りました。宇宙の始まり、惑星の成り立ち、太陽系の幾何学的美しさ、まだ見ぬ生命との出会い、人類が宇宙へ挑むために培った技術の数々。とりわけ兄は宇宙工学への興味関心が高かったようでした。私はビックバンとかブラックホールの正体が気になったのですが、兄が宇宙飛行士をめざすというので、一緒に宇宙に行こうねと約束しました。

 ただ、またここで問題が発生するのです。開発系に所属していると、問題ってどこにでも、いつでも発生するんだなって嫌気がさしますよ。虫と一緒です。

「問題って?」

「最初にお話しした通り、兄のほうが才能に優れていたことです」


 高校、大学と兄は自分の夢を叶えるために必要な学校へ、何なく進学していきました。いえ、勉強していたのは知っています。同じ部屋で学習してましたから。でも、頭の出来が違うんです。兄が十分そこらで理解できることを、私は一時間かけても覚えられない。兄に教えてもらってようやく輪郭が掴める。その程度だったんです。

 兄と離れたら生きていけない。その一心で勉強しました。それでようやく、でも一年遅れで兄と同じ大学に進学したんです。兄はすでに実家を出ていて、私は母と二人、狭い実家で息の詰まるような時間を過ごしていました。その頃にはバイトもできるようになっていましたから、自分のご飯くらいは自分で用意できます。二人暮らしといっても、一つ屋根の下、他人同士が住んでいるみたいでしたね。

 兄が出ていったあとの実家での暮らしに良い思い出はありません。すべては兄と夢を追うため。そして兄と、二人で暮らすため。

 二人のためのソファ。二人で横になれるお布団。二人分のお夕食。二人だけの時間。もうすぐ叶う夢を思えば、呼吸ができないことも、忘れていられたのです。

 母の現在ですか?

 さあ……今朝、家を出たときは静かでしたから。

 ただ、世界の広さは驚くほど私に対して残酷でした。

 試験に受かって、初めて兄の部屋を訪れたとき、すぐに違和感に気がつきました。

 兄の匂いがしないクッション。およそ今までの趣味趣向と似合わない家具の数々。2本並んだ歯ブラシ。文通で気の合う学友ができたとは聞いていましたが、同棲までしていたなんて言われませんでした。私の入る隙間はもうなくて、夢見た二人暮らしも夢のまま終わってしまったのです。


 お待たせしました、とのんびりした口調で店主がコーヒーセットを運んできた。僕がチーズケーキとアイスコーヒー。ゆかりさんがエッグトーストとホットコーヒーだ。

「あら」

 ゆかりさんがトーストにのった目玉焼きを指さす。

「たまご、二つなんですか?」

 トーストには、まん丸の黄身が二つ、食べ頃を伝えているかのように揺れている。

「双子たまごだったのです」

 サービスです、と店主は笑ってきびすを返す。その瞬間の、ゆかりさんの冷めた表情を僕は目撃してしまった。血の通っていない、氷でできた人形に薄布をかぶせただけのような、温かみとは無縁の様相。怪しい人ではなかったら、と思うほど、その顔立ちは儚く美しく見えた。

「どっちの黄身が兄で、どっちが私でしょうか」

 ゆかりさんの顔に血の気が戻っている。

「たまご、よかったですね」

「私、欲張りに見えますか?」

 目を細め、こちらを威嚇するような顔つきを向けてくる。言い訳がましく、言葉を紡ぐ。

「お兄さんのおかず、いただいていたんでしょう?」

「おかずだけじゃないんです」


 兄の好きなものは好き。それは人でも変わりありません。私の場所を奪ったあの人を憎らしく思ったのは最初だけで、すぐに私たちは打ち解けました。何をするにも三人いっしょ。よくあの人には「どっちがタクローだか迷う」と笑われました。

 二人が三人になった。一つを半分にしていたのが、三分の一になった。単純計算なら、そうなんです。でも、そうじゃないんです。

 不思議なことに、お互い相手に割り当てられるのはそれぞれ三分の一のはずなのに、それ以上にお腹が膨れるんです。胸が温かくなるんです。同じ空気を吸って同じ部屋で寝て起きて、同じものを見て同じ瞬間に笑って。兄と二人でしてきたことが、三人だと減るどころか三倍になる。あの人の笑顔が、私たち双子に新しい世界をくれたんです。

 それから学校を卒業して、私も一年遅れで二人と同じ宇宙局に入りました。兄とあの人は鳴り物入りで入局していて、輝かしいキャリアを歩んでいました。私はほとんど、兄のおこぼれで開発局に配属されたようなものです。それでも、影ながら兄を支えられるのはうれしかった。あの人も開発局にいました。兄が宇宙で不自由なく暮らせるように、と一緒に船外活動用の道具開発に明け暮れました。

 あの人は私と兄の話をするのが楽しいようでした。私しか知らない兄の話。あの人しか知らない兄の話。二人が共有する兄の秘密。お互いが思う、兄の好きなところ。私たち二人で、兄を分け合っているみたいでした。そしてあの人が兄の話をするときに必ず浮かべる、優しくて暖かい表情に目を奪われたとき、ふと思ったんです。


「独り占めってしたことないな、って」


 兄は明日、この種子島から宇宙に飛び立ちます。帰ってくる頃には、生まれるどころかハイハイしているかもなあなんて、兄はあの人の大きなお腹に話しかけていました。残念ながら、兄は帰って来れません。兄の宇宙服は機能しませんし、シャトルは宇宙ステーションに辿り着かないからです。ただ、記録上、兄はシャトルに乗っていないことになっています。私が密かに兄と入れ替わってシャトルに乗り、そして不運にもシャトルは事故に遭う。私は死に、兄は運良く生き残る。そういう筋書きです。世間はそう思い込みます。誰が気づくでしょうか。あの人は分かるでしょうか。それとも兄を失った私を、愛してくれるでしょうか。あの人が兄に向ける笑みは、愛は、決して私に向けるそれとは同じではありません。私は羨ましかったんです。いつも兄にだけ注がれる愛を、一度だけでも良いからいっぱいに浴びてみたかった。


「無限じゃなくても、分け合う必要がなくなるんです。ただ、世間的に私は兄に、兄は私になります。私は兄としていき続け、兄は私の中で生き続ける。一人で一つを、二人で分け合う。今までと変わりません。誰かに話したかったのは、社会的に私はいなくなってしまうので、それが少し寂しかったんです」

 そういってゆかりさんは、二人分の食事代を置いて席を立った。結局エッグトーストに口をつけず、残されたパンのうえでは片方の黄身だけが、ぐちゃぐちゃに弄ばれていた。

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双子のころ 日笠しょう @higasa_akira

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