黄衣の少女

のすけまる

第1話

「ごめんね、旭哉(あさや)君。わざわざこんな遠いところまで来てもらって」


「いえ、どうせ暇してましたので」


父の妹であり、俺のおばにあたる道子(みちこ)さんに呼ばれて、俺は父の生まれ育った田舎にある一軒の古い日本家屋を訪ねていた。


父と道子さんの両親、つまり俺の祖父と祖母はすでに他界しており、今この広すぎる屋敷には道子さんと道子さんの高校生になる娘の由奈(ゆな)ちゃんが暮らしている。旦那さんとは十年以上前に離婚しているそうだ。


父はあまり実家の話を俺にせず、長期休暇に帰省などもしなかった為、俺は祖父と祖母には会ったことがない。もとより祖母は俺が物心つく前に事故で亡くなっていたらしく、5年前の祖父の葬式の際に俺はその話を初めて知った。そして、祖父の顔を見たのもそれが最初で最後であった。


なんでも祖父はかなりの変わり者だったらしく、父は意図的に実家のことを俺を含め自分の家族に隠していたようだ。


「前に会ったのはいつになるかしら。確かおじいちゃんのお葬式の時だから、旭哉君がまだ大学生の頃かしらね。旭哉君は今おいくつ?」


「今年で26になります」


「あら、もうそんなになるのね。私もおばさんになるわけだわ」


「はは」


「その、お仕事の事情は軽く聞いているけれど、もし無遠慮なこと言っちゃったらごめんなさいね。田舎暮らしだと、そのへんの意識がぼけやすくなっちゃって」


「あぁ、いえ」


世間話をしながら、俺は道子さんに続いて木造の細長い階段を上っていく。足を踏み出す度にギシギシと軋むような音が鳴る。階段の長さに反して天井に付いている照明の数が少なく、まだ昼間なのに階段は全体的に薄暗かった。小さな窓が階段を上った先の廊下についているが、あいにくの曇りで日の光はほとんど入ってこず、また広い屋敷の為しかたないのかもしれないが、掃除もあまり行き届いてはいないようで少しほこりぽかった。


道子さんは2階の廊下を進んで行き、その一番奥の部屋の前で足を止める。


「ここが由奈の部屋よ、旭哉君」


「はい」


「由奈のこと、お願いね」


「…その、ここまで来といてなんなんですが、専門のお医者さんに掛かられたほうが」


「お医者さんじゃ、ダメなの」


「でも」


「旭哉君。お願い」


「…分かりました」


有無を言わさぬ道子さんの口調に、俺は意を固めてこんこんと扉をノックする。


「由奈ちゃん。俺、旭哉だけど。久しぶり。覚えてる?」


しばらく待ってみるが、扉の向こうから返事はない。


「道子おばさんに頼まれて、話をしに来たんだ。いきなり来られて迷惑かもしれないけど、由奈ちゃんの嫌がることは絶対にしないから、少しだけでもお話できないかな」


返事はない。


「どうして」


…引き籠ってるの?

そう問いただそうとして、俺は言葉を止めた。

軽率に聞いていい内容なのか判断がつかなかったし、何より扉越しに話すような話題でもないと思ったからだ。


「旭哉君」


そんな俺を、道子さんがじっと見つめ始める。


「由奈を、お願いね。私はもう、限界なの」


「…限界?」


「もう、ここには いたくないし、何も知りたくない 何も見たくない

 娘は 由奈は、黄色い悪魔になった わたしは わたしは わたしは

 もうなにも考えたくないし これ以上耐えられない 耐えられない

 知りたくない 知りたくない 知りたくない 知りたくない」


「あっ、…えっ?道子さん!?」


急に狼狽したように、道子さんの口から次から次へと言葉が溢れ出し、その体ががくがくと震え始めた。事態が呑み込めない。

さっきまで普通に話していたと思えないような蒼白とした顔面で、道子さんの顔は冷や汗がべったりと覆っている。明らかに異常だ。

俺は道子さんから一歩後ずさろうと



「娘は         “人” ではなくなった         」



その言葉と同時に、俺の顔に鉄臭い粘ついた液体が飛び掛かった。

ぶしゅぅと間抜けな音を立てながら道子さんの首筋から赤黒い液体が溢れ出していく。


それが血だと認識するのに、数秒の時間がかかった。


道子さんの手にはどこから取り出したのか包丁が握られており、それで自分の首を刺したのだ。…何のためらいもなく一突きで。

ばたんと、鈍い音を立てて道子さんの身体は冷たい廊下に崩れ落ちた。


その瞬間、俺は叫んだ。

自分の顔にかかった血液を手でぬぐおうとするが上手くいかず、手が道子さんの血でベトベトになっていく。


腰が抜け、上手く立てない。

倒れた道子さんの身体から少しでも逃げたくて這うように距離を取り、目の前の扉に縋りつく。


「由奈ちゃん!!開けて!!道子さんが!!道子さんが!!」


力強く、乱暴に扉を叩く。

それでも、扉は開かなかった。


俺は自分でもよく分からない雄たけびを上げて、今度は扉に向かって何度も何度も身体をぶつけ始めた。肩に痛みが走ろうが、今はそんなことはどうでもよかった。


何度目か分からない体当たりを行った瞬間、ばきりと、扉の何かが壊れる音がして扉は部屋の中へ倒れ込む。

同時に勢いを殺しきれず、俺も部屋の中へと倒れ込んでしまった。


荒い呼吸を繰り返す。

物が散らかり、据えた匂いのするその部屋に   “由奈ちゃん”  は いた。


否、正確には  “由奈ちゃんだったもの”  が そこにいた。


部屋の隅に体操座りで丸くなり、ごめんなさいごめんなさいと震えた声で呟き続けるそれは。


黄色いレインコートを羽織っており、その眼には涙が浮かんでいる。


そして、その右腕は  “紫がかった巨大な触手”  異形の化け物の形へと醜く変貌していた。

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黄衣の少女 のすけまる @nosukemaru

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