数え切れないプロポーズ

月之影心

数え切れないプロポーズ

『ユウナちゃん!おおきくなったらけっこんしよう!』


『え~?コウタくんとぉ?やだぁ~!』


 幼稚園児だった頃、僕、宗方むなかた煌大こうたは、隣の家に住んでいる幼馴染の姫宮ひめみや優那ゆうなに何度も何度もプロポーズし、その回数だけ振られていた……。



『ゆうなちゃん!ぼくとけっこんしよう!』


『イヤよっ!』


 小学校に通う間も僕のプロポーズは続いていて、『結婚しよう』と僕が口にした回数と同じだけ、『イヤ』と言う優那の声を耳にしていた。



 中学生に上がる前、僕の家族は一時的に他県へ引っ越した。

 親父の仕事の都合だった。

 優那の傍から離れたくなかった僕だが、小学生が一人で生きていける訳も無く、引き摺られるようにして連れて行かれてしまった。


 だが、僕が進学先を優那の志望と同じ高校に絞って合格を勝ち得た事で、再び元の家……優那の隣の家に戻る事が出来た。

 尤も、親父の仕事も一時的なもので、仕事が片付けば戻って来る予定だったのだけれど。

 優那の志望校をどうやって知ったかって?

 そりゃ『愛の力』ですよ。



 元の家に戻って真っ先に向かったのは、当然ながら優那の住む隣の家だ。

 以前のようにチャイムを鳴らし、奥から可愛らしい『はぁ~い』という声が聞こえて来た時は心臓が止まるかと思った。

 玄関の扉が開き、笑顔を覗かせた優那。

 この笑顔に再会出来るのをどれだけ心待ちにしていた事か。


「優那!ただいま!」


「げ!?煌大!?」


「随分な反応だなぁ。でもそこがまたキュート!結婚しよう!」


「アンタまだそんな事言ってるの?」


「僕の気持ちに『まだ』なんてものは無いぞ。いつだって現在進行形さ。」


「ウッザ!」


「と言うわけで戻って来たので明日からもう寂しい思いはさせないよ。」


「どういうわけかさっぱりだけど、別に寂しい思いなんかこれっぽっちもしてなかったから。」


「ツンデレ優那もまた良き哉。」


「どこにデレの要素があったのよ?」


「まぁそれはともかく、また隣に帰って来たんでよろしく。」


「はいはい。じゃあね。」


 再会初日はこんなもんだろう。

 ただ、次会った時にはドアを閉めてすぐに鍵を掛けてご丁寧にチェーンまでするのは止めた方がいいって教えてやろう。



「どうして僕の愛を受け止めてくれないんだ?」


 理由が分かれば対策の立てようもある。

 こういうのは回りくどいのはNG。

 ストレートに訊く方がいいんだ。


「だって好きな人が居るんだもの。」


 ほら、ストレートに訊けばストレートに返って来る。


「まじで?」


「まじで。」


「だったら素直に僕のプロポーズを受けてくれればいいのに。」


「アンタじゃないから。」


「照れなくてもいいじゃん。」


「米粒アートほども照れてないし。」


「ちっさ!てかホントにマジ?」


「だからそう言ってるじゃないの。」


「だって優那、ついこの前までバスケ部の佐藤と付き合ってて別れたばかりじゃないか。まだ別れて1ヶ月も経ってないだろ?」


「何で戻って来たばかりのアンタが知ってるのよ?」


「はっはっはっ。愚問。優那とどれだけ距離が離れて居ようと優那の事で知らないことなんか無いぞ。」


「キモッ!」


「そんな事より、別れたばかりなのにもう好きな人が居るのか?」


「アンタには関係ないでしょ。」


「未来の嫁の事で関係無い事なんか無い。好きな人が居るのに佐藤と付き合ってたのか?」


「誰が未来の嫁よ。はぁ……半分諦めって言うのかな。好きな人が振り向いてくれないなら……なんて自棄になってたんだろうね。まぁ、佐藤君も付き合いだした途端に『俺様』になったからすぐ別れようって思ったけど。」


「僕はいつでも優那の方を向いているぞ?」


「だからアンタじゃないって言ってる。」


「佐藤も佐藤だ。僕の優那に偉そうにしやがって。」


「誰が『僕の』よ。」


 少し疲れたような呆れ顔の優那もまた可愛いんだ。



 優那がさっきから僕の身体を上から下まで舐めるように眺めている。


「何?惚れた男の身体をじっくり見たいって?脱ごうか?」


「いやいい。惚れてもないし。それにしても、随分身体ががっちりしてるよね。中学で何かやってたの?」


「筋トレはやってたよ。何があっても優那を守れるようにね。」


「何があるってのよ?」


「それは分からないけど、何かあってからじゃ遅いから。」


「ふぅん。」


「気の無い返事だなぁ。」


「無いもの。」


「まぁそう言うなって。鍛え上げられた裸体を見れば考えも変わるから。」


「だから脱ぐな。」


 服の上からでは分からない良さがあるんだから遠慮する事ないのにな。



 高校に通い出して早1ヶ月。

 何度見ても優那の制服姿はそそらr……可愛らしい。

 いや、優那は何を着ても可愛いんだけどね。


「おはよう優那!清々しい朝だね!結婚しよう!」


「朝から煩い。」


「朝だから元気出さないといけないんじゃないか。」


「アンタのせいでその元気も無くなる。」


「それはいけないな。結婚したら元気出るかもよ?」


「あのさ……」


 優那が立ち止まる。

 身体は歩いていた方向のまま。


「ん?どうした?」


「私、好きな人が居るって言ったよね?」


「あぁ、優那の言葉は一言一句覚えてるぞ。小さい頃に『何でもするから結婚しよう』って言ったことも。」


「それ言ったのアンタ。」


「くぅ~!さすが嫁!僕の言葉を覚えてくれてるなんて!」


「はぁ……それはどうでもいいから……私、好きな人が居るって言ってんのにどうしてアンタは相も変わらず『結婚しよう』ばかり言うわけ?」


「そりゃ優那と結婚したいからに決まってるだろ。」


「だから毎回断ってるじゃない。何で諦めないのよ?」


「優那は人を好きになった気持ちをそう簡単に諦められるのか?」


「それは……」


「相手に好きな人が居る、相手に想いが届かない、相手にしてもらえない……それだけで諦められる気持ちなら大した事無い証拠だよ。僕の優那に対する気持ちはそんなもんじゃないから諦める事なんて無いさ。」


「でも、相手の気持ちがこの先もこっちに向く事は無いかもしれないんだよ?それでも諦めないで想い続けるって……辛いだけじゃん……」


 目線を地面に落とした優那の横顔が辛そうだ。


「ん~……僕としては優那と結婚出来るのがベストなんだけど、要するに優那が幸せになってくれる事の方が大事なんだよね。」


 地面に落としていた優那の視線が僕の方へ向く。


「私?」


「そ。最終的に優那が本当に好きな人と結ばれて笑顔になってくれるなら、僕が選ばれなくても有りかなぁなんて思ってる。」


「……」


「まぁ、優那を笑顔に出来る相手ってのが今まで僕自身しか思い付いてなかったし、これからもそんな奴は僕以外には居ないと思ってるから。」


 優那が目線を再び地面に落とす。


「だから、結婚しよう。」


「イヤ。」


「えっ!?」


「え……って……何で改めて驚くのよ?」


「いやいや、今の雰囲気だったら『はい』って言うところじゃん?僕凄くいい事言ったじゃん?胸がキュンとしただろ?」


「全然。それはそれ、これはこれだから。」


「くぅ~……いい流れだと思ったんだけどなぁ……」


 優那が足を踏み出す。

 その横顔は薄く笑顔が浮かんでいて、風に紛れて『ふふっ』という優那の笑い声が流れていた。



 ジリジリと刺すような陽射しが肌を焼く。

 蝉の声が耳障りだ。


「と言うわけで来週は期末テスト、それが終われば夏休みだな。」


「随分一気に時間が流れたわね。」


「高校1年の1学期なんて友達作るくらいしかイベントなんか無いからな。」


「だから飛ばしたのね。」


「何が言いたい?」


「そのまんまじゃない。」


「そりゃまぁ、常に優那と一緒に居るから作る必要も無いし……」


「私は友達いっぱい居るわよ。」


「僕はいいの!優那さえ居ればいいんだよ!」


「え?私たちって友達だったの?」


「酷い!……って、あ~……友達じゃなくて恋人だったな。」


「勝手に恋人にしないで。」


「嫁か?嫁って言って欲しかったのか?よし!分かった!結婚しよう!」


「無理。」


「うはぁ!『イヤ』から『無理』にトーンダウン!可能性少し上がった?」


「私的にはトーンアップなんだけど。」


 言い方が変わるという事は気持ちに変化があったという事……もしかしてもしかするかも……なんて考えながら、来る夏休みの予定を考えちゃったりするんだ。



 『猛る暑さ』と書いて『猛暑』とはよく言った。

 教室にはエアコンが付いているので入ってしまえばそうでもないが、登下校及び校内でも廊下やトイレは文字通りの暑さ。


「9月だってのに全然涼しくならないな。」


「また時が飛んだわね。」


「夏休みなんてものは無かったんだ。いいね?」


「私はあちこち遊びに行ったわよ。山にも海にも。」


「何っ!?海ということは水着になったのか?」


「当たり前じゃない。」


「因みにどんな水着だったんだ?」


「何だっていいじゃないの。」


「くっ……何故僕はその現場に呼ばれていないんだ……」


「補修受けてたからじゃない?真面目に授業聞いてないからそういう事になるのよ。」


「むむ……てか、因数分解とか不等式とか実際の生活じゃ使わないぜ?何であんなややこしい事させるんだって話だ。」


「確かにね。でも数学って論理的に物事を考えるのに必要なんだから勉強しておいて損は無いわよ。」


「んむ……まぁ、将来の旦那が因数分解の一つも出来ないんじゃ困るもんな。」


「アンタが出来ないのはどうでもいいけど。」


「ところでさ。」


「何よ?」


「優那の好きな人って誰なの?」


「はい?」


「いや、好きな人が居るってのは聞いたけど誰なのかなぁって。」


「何で教える必要があるのよ?」


「そりゃ、優那の事は何でも知りたいからに決まってるじゃないか。」


「ストーカー気質丸出しにしないで。」


「引っ込めたら結婚してくれる?」


「知り合いにストーカーが居るなんて思われたくないだけ。」


 それにしても、優那の好きな人って本当に誰なんだろう?

 僕がここを離れていた3年の間に知り合った誰かなんだろうか……。



 衣替えも済み、行き交う人の中にはマフラーや手袋をしている人が増えてきた。


「おはよう優那!今日も元k……ってどうしたの?」


「うぅん……何でもない……」


「何でもない事ないだろ。顔赤いぞ。僕との出会いに照れて……」


「無いから……」


「ちょっと待て。」


「何よ……ってひゃうっ!?」


 優那の額に手を当てる。


「熱あんじゃん。」


「大丈夫よこれくらい。」


「駄目だ。帰ろう。」


「帰ろうってアンタは関係無いでしょ?学校行きなさいよ。」


「嫁が体調不良の時に学校なんか行ってられるか。」


「誰が嫁よ。いいから学校行きなさい。」


「はいはい。ほら帰るぞ。」


「こら、話を聞け。」


「病人はおとなしく言う事を聞いておくもんだ。」


「こらぁ……ごほっ!げほっ!」


「ほらみろ。いいからいいから。」


 僕は優那の手を引いて、来た道を戻って行った。

 一応、優那は抵抗していたけど、優那くらいの力じゃ鍛え上げた僕はびくともしないさ。



「38度2分。アウトだな。暫くは安静にしといて。」


「分かったから学校行きなさい。」


「はいはい。家からひえピタ持って来るから。喉渇いてないか?お腹空いてないか?後で桃缶持って来てやるからな。」


「全部大丈夫だから学校行け。」


「出来るだけ汗かいて水分補給して食べられる時に食べるのがいい。水分はスポドリ買って来るとして、食べ物はお粥がいいか。梅干しあったかな?」


「人の話を聞k……ごほっ!ごほっ!」


「ほらほら、病人はゆっくり落ち着いて寝ておけばいいんだよ。」


「こほっ……こほっ……」


「じゃあちょっと買い物行って来るけど寂しくなったら携帯鳴らすんだぞ。」


「寂しくなんかならないから学校行きなさい。」


「はいはい。」


 僕は優那の部屋を出ると、階段を降りて玄関へと向かった。

 靴を履こうとしゃがんだ時だった。


 かちゃっ


 玄関の扉が開いて若い男が顔を覗かせた。


「え?」


「ん?君は……ひょっとして煌大君?」


「え……は、はい……」


「やっぱりかぁ。覚えてないかな?」


 その男は鼻と頬を寒さで赤くしながらも、爽やかな笑顔で僕の顔を覗き込むようにしてそう尋ねた。

 僕の頭の中にこんな爽やかな青年の記憶が……


「あ……た、龍兄たつにい……さん?」


「おぉ!覚えててくれたかぁ!久し振りだなぁ。大きくなってまぁ。」


「え……と……お、お久し振り……です……」


 苗字は知らない。

 『龍兄さん』と呼んだその青年は、まだ僕や優那が幼かった頃、よく一緒に遊んでくれたお兄さんで、詳しい事は知らないが優那の親戚にあたる人だったと記憶している。


「てか、平日の昼間に煌大君がうちに居るって……何かあった?」


 そんな事よりも、長らく会っていなかった龍兄が何故優那の家に来たのかを知りたかったが、今は優那の看病の方が優先だと思って言葉を飲み込んだ。


「優那が風邪を引きまして、熱があるので連れて帰って来たんです。今は部屋に寝かせてあるのでこれから飲み物と食料を買いに行ってきます。」


「あー、やっぱりかぁ。昨日の晩からちょっとおかしかったんだよね。」


 昨日の……晩?


「えっと……龍兄さんは昨日から居たんです……か?」


「え?あーっと……昨日と言うより、もう1年以上ここで世話になってるよ。」


「え……」


「仕事の関係でここからの方が都合いいんで、まぁ居候みたいなもんかな。朝早く出て夜遅く帰ってくるから全然会わなかったよね。」


「は、はぁ……」


 僕が戻って来るよりも前から龍兄はここに住んでいたのか。

 全然気付かなかった。


「こほっ……あれ?龍兄?帰って来たの?……けほっ……」


 玄関先で龍兄と話し込んでいると、2階から優那が降りて来た。

 完全に顔が1階から見える位置まで降りて来た優那と、振り返った僕の視線がぶつかる。


「こ、煌大、まだ学校行ってなかったの?は、早く行きなさいよっ!げほっ!!」


「あ、う、うん……」


 優那の視界に僕と龍兄が入った途端、優那は見た事の無いくらい慌てた様子だった。

 僕は目線を優那から龍兄へと移す。


「えっと……熱は8度8分、咳もしてますし熱も今後上がる可能性もあるので病院に連れて行った方がいいかもしれません。飲み物と食料品は夕方にでもお持ちしますので後はお願いします。」


「分かった。ありがとな。」


「いえ……」


「ちょっ……煌大……?」


 僕は龍兄の横をすり抜けて玄関から出た。

 何て言うか……空気?みたいなので分かる事ってあるよね。



 僕は優那の為のスポドリとレンジで温めるだけのお粥にパックの梅干し、それと家の食品庫から持って来た桃缶をレジ袋の中に入れ、優那の家の玄関の中へと置いてすぐに帰宅した。

 部屋でベッドに寝そべり、頭の後ろで手を組んで天井を眺める。


(優那が幸せになるのが一番……かぁ……)


 カチカチという時計の音が妙に耳障りだった。



 3日程して優那は学校に出て来れるようになった。


「おはよう!優那!君の居ない学校はブラックホールの底のように暗かったよ!」


「煩い。朝から近所迷惑になるでしょ。」


「何にしても治って良かった。」


「だから大丈夫だって言ったでしょ。その……」


「ん?」


「あ、ありがと……」


「……」


「な、何か言いなさいよ!」


「あ、いや……素直な優那ってのもいいなと思って……」


「私はいつも素直よ。自分の思った通りにしてるんだから。」


「じゃあ僕と結婚……」


「しない。」


「あー……じゃなくて……」


「ん?」


「やっぱアレだ……本当に好きな人が居たんだ。」


「はい?」


「いや、僕の返事を躱すのに居もしない『好きな人』を作ってただけかと思ってたんだけど、まさか本当に居たんだと思って……」


 僕はゆっくりと深呼吸してから言葉を続けた。


「龍兄さん……かっこいいもんな。」


「え……な、何で……」


「何で分かったかって言われると難しい……『何となく』としか。」


 大きな目を更に見開くように大きくして優那は僕の顔を凝視した。


「煌大って鋭いのか鈍いのか馬鹿なのか間抜けなのか分からなくなる事あるよね。」


「随分ネガティブなご意見の方が多かったのはこの際ヨシとしよう。」


「煌大は私以外の事だと結構ネガティブになるからねぇ。」


「さすが嫁!略して『さす嫁』……って何かいやらしく聞こえない?」


「変態。」


「それはともかくアレだ。」


「どれよ?」


「『親戚のお兄ちゃんしゅきしゅき』の妹的優那もそれはそれでツボ。」


「はい?」


「だから、僕は優那の恋愛成就の為に全面的に協力しようじゃないか。」


「要らない。」


「いやいや。そういつまでも意地を張らなくてもいい。優那が幸せになってくれるのが僕の生き甲斐でもあるんだからな。」


「ホントに必要無い。寧ろ関わるな。」


「ヒドいっ!……げほっ!がはっ!む、咽た……」


 言ってさっさと学校へと向かって言ってしまう優那の背中を、僕は喉の違和感に咽ながら追い掛けたわけだ。



 ピピッ……


「むぅ……」


 何とか一日を凌ぎ、部屋に戻って布団に潜り込んだ僕は、体温計に表示された体温を見た。


「38度5分……こ、これは……優那の風邪をもらったか……妙に喉が痛いと思ったんだ……ごほっ……しかしこれで優那とウィルスレベルで繋がっていることに……ごほごほっげほっ!……ってそんな事言ってる場合じゃないな……」


 ひとしきり咳き込んでから落ち着いてみると、そろそろお袋が帰って来てもおかしくない時間だと言うのに、家の中はシンと静まり返っている。


「動く気にならんけど水分は補給しておかねば……」


 超絶ダルい体を起こしてキッチンへ行き、冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出してコップに注ぎ、ゆっくりと喉に流し込んでいた時、ふとテーブルの上に置かれたメモが目に入ってきた。


『パパが単身赴任することになったので住む部屋探しに行ってきます。3日くらい留守にするのでヨロシク♪ ママより』


 よりによってこのタイミングで……とは思ったものの、今更言っても仕方ない。

 気怠い体に鞭打って……って本当に鞭を打ったわけじゃないけど、冷蔵庫や食品庫の中を漁ってみる。

 幸い非常食的な缶詰やペットボトルの水なんかはあるが、病身にカロリー高過ぎるものもどうだろう。

 取り敢えず米だけ炊いておくか、と炊飯器をセットして部屋に戻った。



 部屋に漂うのは何の匂いだろう?

 あぁ、これは米の匂いだな。

 有るような無いような香り……ちょっとでも鼻が詰まっていたら気付かないような香りだ。


「ん?」


「ん?起きた?」


「え……優……那?」


「食べられる?」


「あ……うん……って……何で……?」


「こ、この前看病してくれたお返しよ……」


「う、うん……ありがとう……へへっ……」


「な、何よ?気持ち悪い声出して……」


「いや……『健やかなる時も病める時も』ってフレーズ思い出してさ……」


「馬鹿言ってないでさっさと食べて。」


 僕が布団の上で体を起こすと、優那が僕の肩にパーカーを掛けてくれた。

 僕はその優那の顔を目で追っていた。


「何よ?」


「ううん……風邪引いたら僕の奥さんは……こほっ……こんな風に看病してくれるんだと思って。」


「そういう人が現れるといいね。」


「優那になってもらいたい……けほっ……」


「はいはい。元気になったらいくらでも聞いてあげるから今は治す事に専念しなさいな。」


「てことはっ!?ごほごほっ!」


「いいからさっさと食べて寝て治せ!」


「はい……ごほっ……」


 少しは『デレ』が入ってきたのかなぁ?と思わなくもない。

 優那の作ってくれたお粥はめちゃくちゃ美味しかった。



 優那は帰宅して洗面所で手を洗っていた。

 そこへ通りがかった龍兄が声を掛ける。


「煌大君。だいぶ弱ってたんじゃない?」


「そうね。」


「それにしても二人、相変わらず仲いいよな。」


「そ、そんな事ない!アイツはただの幼馴染ってだけ!」


「そんなにムキにならなくてもいいじゃないか。」


「む、ムキになんかなって……」


「仲がいいのは悪い事じゃないさ。お前もそろそろ年頃なんだしいい人の一人くらい居てもおかしくないだろう。」


「私に……彼氏が出来ても龍兄は……何とも思わないの?」


「何ともって……ん~どうだろうな……可愛い従妹に相応しい奴なら祝福するよ。」


「従妹……」


「俺の知る限り、お前の周りに居るのって煌大君くらいしか居ないから他は分からないけど、彼なんかどうだ?告白とかしてこないのか?」


「毎日『結婚しよう』って言ってくるよ。」


「ま、毎日?そ、それは凄いな……まぁ、仲いいんだし、付き合ってみるとかは?」


 優那が手を拭いたタオルをきゅっと握り締める。


「私……好きな人が居るんだ……」


「なんだ。ならそいつと付き合ってみればいいじゃん。」


「……その、私の好きな人が龍兄だったら……私と付き合ってくれるの?」


「は?」


「私……龍兄のこと好きだもん……」


「え……」


「私、龍兄の事、一人の男の人として好きだもん。」


「ちょ、ちょっと待とうか。俺たち親戚なんだからさ。そういうのは無しだろ?」


「龍兄……」


 龍兄が一瞬困った顔をしたかと思ったら、次の瞬間、真面目な顔になって優那の顔をじっと見詰めた。


「本気で言ってるなら諦めろ。俺はお前を従妹以上に見る事は無いから。」


 そう言って龍兄は洗面所から出てキッチンの方へと行ってしまった。

 優那は流れ落ちそうになる涙をぐっと堪えて立ち尽くしていた。



 すっかり風邪も治り、4日ぶりの登校となったわけだ。

 で、何事もなく授業を受けて帰宅……と。


「お疲れ優那!結婚しよう!」


「うっさい。黙れ。」


「くぅ~!相変わらずクールビューティ―!そこがまたツボる!好きだ!」


「……」


「ちょっ……ガン無視は応えるから!せめて何か反応して!」


 優那はスタスタと歩いて行ってしまおうとするが、4~5歩の所で足を止めると、くるっと後ろを向いて僕の顔を睨んで来た。


「ふぁっ!?な、何か……ご機嫌ナナメ……ですか?」


「そうじゃない。」


「じゃ、じゃあ……な、何でしょ?」


「煌大さ。前に『簡単に諦められるなら大した事無い想いだ』って言ったじゃん?」


「あ、あぁ言ったよ……それが?」


「諦めたくないけど諦めないといけないって分かってる想いはどっち?大した事有るの?無いの?」


「分かってる時点で大した事『無い』んだよ。」


「え……」


「諦めないといけないって分かっちゃった想いは大した事は無い。本気なら諦めないといけないなんて考えにならないから。」


「あ……」


 何かに気付いたように、優那の目が大きく見開かれていた。


「何があっても、どう扱われても、本気でその人の幸せを願うなら、その想いを諦めるなんて出来ないよ。」


「そっか……」


「え?何?ひょっとして、ついに僕と結婚……」


「しない。」


「だよねぇ。」


「でも……」


「ん?」


 優那が僕の方へ一歩、二歩、近付いて、左手を指し出す。


「な、何?」


「手を握ってみて。」


「え……でも今日は指輪持ってないし……」


「握ってって言ったの。」


「あ、はい……」


 僕は指し出された優那の左手を自分の左手できゅっと掴んだ。

 その掴んだ僕の手を、優那が握り返してくる。


「……」


「あ、あの……ゆ、優那さん?こ、これは何の……」


「何ともない……」


「へ?」


「私、今まで二人の人と付き合ったの。」


「う、うん……」


「でも、二人とも手すら繋いだ事無くて……ううん……繋ぐどころかちょっと手が触れただけで胸の奥がゾワゾワして気持ち悪くなってたの。」


 優那は僕の左の手のひらや手の甲を指圧をするように押さえたり、指の間に僕の指を挟んでみたりしていた。


「煌大の手だとそういうのが無い……」


「そ、そうなんだ……」


「ねぇ、煌大。」


「は、はい?」


「どうして……私と結婚したいって思うの?」


「へ?そりゃ優那のことが好きだからに決まってるじゃないか。」


「でも煌大は私が幸せになるなら自分が選ばれなくてもいいって言ってたよね?」


「まぁ僕にとっては最悪のケースだけどさ。優那が笑顔になるならそっちの方が大事だから。」


「どうして?」


「どうし……て?」


「私だって煌大が幸せになって欲しいって思ってるよ?何で自分の幸せを放棄しても私の幸せを願えるの?」


 僕は繋いだままの僕と優那の手をじっと見て言った。


「優先度かな。」


「優先度?」


「うん。僕の幸せよりも優那の幸せの方が大事って事。」


「なん……で……」


「ん~……何でと言われてもな……好きな女の幸せを願うって普通だろ?」


「だってそれじゃ……自分の幸せが……」


「好きな女の幸せ以上の幸せなんかあるもんか。」


 少し潤んだような目で優那が僕の顔を見上げていた。


「煌大……アンタ……本物の……バカだよ……」


「す、数学はどうも苦手で……」


「違う。」


 繋いだ手を離した優那は、両手で顔を覆ってからパンパンと頬を叩くと、真っ直ぐな目を僕の方に向けていた。


「私、今の今まで龍兄の事が好きだった。」


「う……ん?今……まで?過去形?」


「そう。ついさっきまで他の男が好きだって言ってた女が別の男を好きになった。」


「うん?」


「そんな私でも……そんな軽い女の私でも、煌大は私の事嫌わないで居られる?」


「僕が優那の事を嫌うわけないだろ。」


「私が煌大の事を好きって言ったら……喜んでくれる?」


「え?マジで?」


「答えなさいよ。」


「そりゃ喜ぶどころの騒ぎじゃない……けど……マジで?」


 優那はふぅっと息を吐くと、笑顔になって僕の顔を見上げた。


「仕方ないな。バカなアンタをほったらかしにして不幸になられても困るし。好きになってやろうじゃないの。」


「マジ……か……」


「何よ?喜んでくれるんじゃないの?」


「くぅ~……苦節40年……ついに……ついに大願成就かぁ……」


「16年しか生きてないでしょうに。」


「や……」


「や?」


「っっっっったぁぁぁぁぁ!!!!!」


「ちょっ!?う、煩いっ!周りの人が見てるってば!」


「構うもんか!ついに……ついに僕の願いが叶うんだ!やりました!○○町の皆様ぁっ!僕はついにっ!姫宮優那さんを嫁にすることgっげふっ!!!???」


「いい加減にしなさいっ!」



 公園のベンチで、僕は優那から渡された濡れタオルを右頬に当てて冷やしていた。


「痛いんだが。」


「ごめん……つい本気で殴っちゃって……」


「いや、僕もすまなかった。つい嬉しさが爆発してしまって。それにしても……」


「ん?」


「ついに優那が僕の嫁かぁ……感慨一入ひとしおだなぁと思って。」


「ま、まだ結婚は無理よ。私たち高校生なんだし……」


「分かってるって。恋人としてお付き合いってのは今までの付き合いもあるから省略出来るとしても、まずは高校卒業して取り敢えず大卒のレッテルだけは持っておかないと就職キツいだろうから、早くて6年後……いや、就職してすぐってのも厳しいから8年後くらいかな?」


「わ、割と現実的なのね。」


「そりゃ、優那を幸せにするには惚れた張っただけじゃダメな事くらい分かってるよ。ちゃんとした生活基盤を築いてからだな。」


 隣に座る優那が優しい目で僕を見ている。


「え?何?もう惚れ千切って『煌大しゅきしゅき状態』になってる?」


「うん。」


「え”っ……」


「何よ?」


「い、いや……素直過ぎると何か調子が狂うんだが……」


「私はいつでも素直だったよ?」


「あー……それもそうか。」


「私だけ幸せになるのは不公平よ。だから、一緒に幸せになろうよ。」


「あぁ……勿論。」


 夕焼けが空をオレンジ色に染める頃、公園のベンチから伸びた二つの影が重なっていた。



「と言うわけで、結婚を前提にお付き合いさせていただく事になりました。」


 僕と優那は、優那の家で龍兄の前に座っていた。


「あ、えっと……『おめでとう』が正解?それともおっちゃん優那の父の代打で二、三発殴るのが正解?」


「ちょっ……」


「ふふ、冗談だよ。取り敢えずは煌大君の言うように高校を卒業して大学出て就職して生活を安定させる所まで頑張ってよ。」


「勿論そのつもりですし、生活が安定して優那を迎え入れてからが本番です。」


「うんうん。優那良かったなぁ。」


「う、うん……」


「あーそれと……」


「何?」


「別に煌大君と付き合う事になったからと言っても、いつでも『龍兄しゅきしゅき~!』は言ってくれていいんだからな?」


「んなっ!?い、言うわけないでしょっ!」


「それは僕も見てみたいところです。出来れば『龍兄』を『お兄ちゃん』もしくは『にぃに』と言い換えるのがベストかと。」


「うはっ!煌大君とはやっぱり気が合うみたいだね!」


「ははっ。恐悦至極!」


「な、何言ってんのよ!?そんな事言わないわよっ!」


「えぇ~……でもなぁ~つい先日俺の事が好きだって言っt……」


「わーわー!聞ーこーえーなーいー!アンタも龍兄に同調しなくていいから何とか言いなさいよ!」


「僕は別に構わないよ。寧ろ聞いてみたいくらいだ。」


「だー!この役立たずめ!」


 陽が暮れて、昼間の喧騒が落ち着く頃、姫宮家の応接室はいつまでも賑やかさを失う事は無かった。



 その健やかなるときも、

 病めるときも、

 喜びのときも、

 悲しみのときも、

 富めるときも、

 貧しいときも、

 これを愛し、

 これを敬い、

 これを慰め、

 これを助け、

 その命ある限り、

 真心を尽くすことを誓いますか?




 誓います。

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