かよわいハートが折れちゃいそう。

川門巽

もう負けそう

 私立ドラゴン高校。桜が満開を迎えた校庭を窓越しに見つめながら、桜木剣二は憂えている。

「今年は受験だっていうのに……イノシシみたいに遊び回りやがって」

 桜木剣二は、三年三組を担任する高校教師。県内随一の進学校であるドラゴン高校の生徒は、この時期になると受験に備えて猛勉強をする。他の教室では、三十人の生徒が一斉にシャープペンシルの音を響かせる。生徒たちは塾などに通わなくとも、ドラゴン高校の教師は優秀ゆえ、教わればほとんど第一志望に合格できる。

 しかし、午後五時。三年三組には、教師の桜木を除いて誰一人としていない。彼の生徒は全員、校庭で駆けずり回り、笑顔で汗をかいている。


「あいつら、サルなのか? 何を考えているんだか……」

 桜木は拳銃を取り出し、窓を開け、空に向かって発砲した。校庭にいた生徒たちは、その乾いた音に驚き、三年三組にいる桜木の方を見上げる。

「おい、戻ってこい! トラの話はちゃんと書いたのかよ!!」

 桜木が大声でそう問いかけると、生徒たちはどこか不満そうな顔を浮かべながら、ぞろぞろと教室へと戻ってきた。

「全員、席に座れ。……お前ら、今の状況がちゃんと分かっているのか? 受験シーズンなんだぞ。……おい、お前。ヘビみたいに舌を出すんじゃない」

 注意された生徒は、桜木に向かって立てていた両手の中指を元に戻し、席へつく。他の生徒と同様に、椅子に腰を深くかけ、両手をズボンのポケットに手を突っ込み、足を机の上へと伸ばす。教室にある六十の足裏は、すべて桜木の方を向いている。

 桜木はその目をギロリと生徒たちの方に向け、拳銃を胸ポケットへとしまう。そして、黒板にチョークで虎の絵を描いた。

「お前ら、合格する気があるのか! 揃いも揃ってニワトリのトサカみてえな髪型しやがって。そんな髪型にするなら、せめて赤く染めてみろよ!!」

 そう言って桜木は、黒板を全力で叩く。拳銃の音では動じなかった他の教室の生徒たちも、廊下に響かせていたシャープペンシルの音を一斉に止める。それほど、桜木の怒りと焦りは限界だった。このままでは、桜木は生徒たちを第一志望に合格させることが出来ない。そしてそれは、桜木の解雇を意味するのだった。

 齢四十。教員資格はねつ造し、普通自動車運転免許すら持っていない桜木。解雇されれば、家族を養っていけないどころか、自身の生活すら危うい。つもりにつもった桜木の、怒りと焦りとは裏腹に、生徒たちは全く言うことを聞く気配がないのであった。

 シャープペンシルの音が再び他の教室から聞こえてきたころ、三年三組の生徒たちが始めたのは雑談だった。一人は剣道を熱く語り、一人はフリマアプリで転売した自慢話をする。盛れるメイク方法、好きな果物、機械工学……。受験とは全く関係のない話が、桜木の耳を襲う。

「ヒツジみたいにメェメェメェメェ喋りやがって。何の話をしてるんだ!」

 そう一喝したあと、桜木は一旦、窓から外を覗き、外には誰も歩いていないことを確認した後、再び教壇に戻ってから窓に向かって拳銃を発砲する。

 窓ガラスは粉々に砕け、校庭に降り注ぐ。生徒の一人である清掃係は急いで外に向かい、ガラスの破片を片付ける。

 清掃係はガラスの破片が入ったポリバケツとともに、新しい仲間を連れてきた。掃除用具倉庫の中に、どこからか迷い込んでいたという。毛並みはモフモフで、ポチと書かれた首輪がついている。

「イヌじゃねえか! 可愛いな……」

 桜木はポチを腕で抱える。ポチは舌を出しながら、おとなしくしている。生徒たちは一斉に桜木の近くへ走り寄り、モフモフした毛を触ろうとする。

「おい、お前ら! 順番だ! パドックのウマみたいに、間隔開けて並んで歩いてこい! あと、手袋もつけろ! 今はそういうシーズンだろうが!」

 その言葉を聞いた生徒たちは、教室の中で等間隔に並び、ビニール手袋を装着した。

 

 全員がポチを撫で終わったころには、もう午後六時だった。学校の最終下校は午後七時。あと一時間で全員が帰ってしまう。

 桜木は心を鬼にし、ポチを職員室へと預けた。飼い主の連絡先は首輪に書いていたので、すぐに見つかるだろう。

 名残惜しみながらも、三年三組へと戻る桜木。しかし、そこには誰もいなかった。慌てて、学校中を探し回る。このままでは、解雇だ……! 桜木はつのる焦りを抑えていたが、その眼は血のように赤く染まっていた。

「ネズミみたいにこそこそ逃げやがって! 一体どこに隠れやがった!」

 廊下、トイレ、三年二組、視聴覚室、三年二組、体育館、保健室、三年二組、校長室、三年二組、校庭……息を切らしながら、必死に生徒たちを探した。

 しかし、桜木が目にしたのは三年三組の生徒たちではなく、校門から入ってくる完全武装した警察達だった。その数、九人。

 パトカーは校庭から学校へと、そのサイレンを鳴り響びかせる。そして校庭の真ん中にいる桜木は、メガホンから投降を呼びかけられている。

「警察が一体何の用だ! 俺はドラゴン高校の教師だぞ! モーモーモーモー、ウシみたいなうるさい音を鳴らしやがって! 生徒たちは受験シーズンなんだ! 汚い音で、勉強の邪魔をするんじゃない!」

 興奮し、支離滅裂なことを言いながら拳銃を取り出す桜木。それを見た警察達は踏み留まる。

 睨みあう警察と桜木。その均衡が崩れたのは、桜木が空に向かって発砲しようと、引き金に手をかけたときだった。

 ポチだ。

 保健室から抜け出したポチが、桜木の足へと嚙みついたのだ。

 体勢を崩す桜木。一斉に距離を詰める警察。桜木の耳を舐めるポチ。

 あっという間に桜木は取り押さえられ、後ろ手に手錠を掛けられた。


 パトカーで連行される桜木を、三年一組の教室にいた彼の生徒たちは校庭へと降りてきて、背中からそれを見送る。ポチの飼い主は桜木に感謝の言葉を述べ、家へと帰っていった。

 最後に警察は、何も言わずに頷きながら、生徒たちへの別れの言葉を許した。


「最後にこれだけ言わせてくれ。……お前ら!! 受験勉強頑張れよー!!」


 飛び跳ねながら叫ぶその声は、校庭だけでなく、学校の中全体へと行き渡った。シャープペンシルの動きを止め、窓から桜木を見る三年生達。

 ドラゴン高校の校庭には、三年三組の大切な生徒……そのすすり泣く声だけが、響き渡っていた。

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かよわいハートが折れちゃいそう。 川門巽 @akihiro312

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