26 : Lynn

# Lynn


 こんなに惨めな気持ちになったことってあっただろうか。

 

 ▽


 目の前には、砕いても砕いても生えてくる、角の欠片の山。

 どう考えても、質量保存の法則に反している。


 痛みにはもう慣れた。

 吐き気にも。

 問題は、今までできていたことが何もかもうまくいかないことだ。


 加速すれば、脚力が邪魔をしてコントロールできない。

 伸長はなぜかできない。加速の代償としての伸長も来ないが、意図的に伸長しようとしてもうまくいかなかった。

 できるのは時間を止めることだけ……と言っても、完全に止まっているわけではなくただの超加速だし、しかも使おうとすると、目視できるくらい濃密な魔力が額に集まってきて、みるみるうちに角が伸びる。


 ––––魔力はあまり使わないほうが良さそう。


 体はピンピンしている。

 だけど、言葉にできないような息苦しさと倦怠感がある。

 

 じっと座っていると、あたしの気配を感じて魔獣がやってくる。

 今までは、目線が通れば問答無用で襲いかかってきた魔獣たちが、目と目をしっかり合わせていても襲ってこない。

 それどころか、怯えたように遠巻きに見られる始末だ


 ––––ますます人間離れしてきている。


 前までは、人間離れしてくるにつれて、少しずつハイジに近づけているようで、嬉しかった。

 ペトラの店で三百六十度を見通せるようになった時も、ピエタリと戦った後に鏡で耳の欠けた獣じみた顔を発見した時も、初めて魔獣たちに気づかれずに、つい森で昼寝してしまった時も、あたしは嬉しかったのだ。

 強くなったことがではない。というより、強くならなくていいのなら、強くなんてなくて良かった。ほどほどに、自分の身を守れる最低限の力があればよかった。

 ただ『はぐれ』の身には、その「最低限」がなかなかに厳しい。自分の力だけで自分を守ろうと思えば、この世界にいる誰よりも鍛錬が必要だ。

 でも、あたしは守られるだけなんて嫌だった。


 ハイジは傭兵だ。

 戦う人なのだ。

 ただ守られるだけの小娘など、ただのお荷物でしかない。

 それどころか、大きな弱点にすらなりうる––––


(そうだ、思い出した)

(ハイジは、いつのまにかあたしのことを「お前」ではなくちゃんと「リン」と呼んでくれていたじゃないか)


 ハイジにとって『はぐれ』は守るべきものであることは間違いない。

 でもハイジはちゃんとあたし自身を見てくれていたんだ。


(それなのに––––)

(––––全部あたしがめちゃくちゃにした)


 ズルリ、とまた角が伸びる。


(いけない)


 ガチン、ガチンと角を削る。

 気づいたのだが、どうやらネガティブなことを考えると角が伸びるらしい。

 

(もうやだ)


 角を削り取り、フラフラと立ち上がる。

 あっちだ、あちらの方向へ歩けば、もう少し魔力が濃い場所がある。


 理由はわからないが、魔力が枯渇するのは危ない気がした。

 何故か今の自分は大量に魔力を消費し続けていて、額の角の断面を通して自動的に魔力を集めまくっている。

 もし周りから魔力が枯渇したら、ひょっとすると自分自身のを消費して魔力として利用されてしまうのではないか。

 そうなった時にには、あたしは自分を人の形のまま保つ自身がない。


 どうしてこんな事になったのか。

 あたしは惨めな気持ちのまま、魔力の濃い場所を探して樹海をうろつく。




# Metsästäjät


 二頭立ての軽量馬車に乗り込み、大人たちは目的地へと急ぐ。

 馬車では獲物を追い詰めるための作戦会議を行うはずだったが、作戦らしい作戦はなく、「まぁいつもどおりやればいいだろう」と、あっさりと会議を終わらせた。

 作戦などというまどろっこしいものが単なる足かせにしかならないほどに、この四人の経験値は高い。



 ▽



「……殺したはぐれか」

「ああ、話しづらいかもしれねぇが、ちょっと気になってな……だってよ、距離をいじっただけじゃなく、リンの魔力を切断したって言うじゃねぇか。そんなこと、できるもんなのか?」


 普通じゃねぇ、とヘルマンニは言う。


 ヘルマンニの疑問は尤もだ。

 二つの能力持ちもいなくはないが、使えても同系統の能力のバリエーションだ。

 例えばリンの『加速』と『伸長』もそうだ。全く無関係の魔力を使うことは、基本で気に不可能のはずなのだ。

 魔力切断と、距離を変更する力……ヘルマンニには、どう考えても、同系統の能力のようには思えなかった。


 ペトラはその話をつまらなそうに聞いているが––––というよりは、ペトラの魔術はあくまで力技であって、他の三人のように超常の能力とは言えないので、この手の話は少し面白くないのだ––––しかしそこに異を唱えたのがヨーコだ。


「無関係の能力を使えるやつなら、そこにいるだろう」

「いや、ハイジは別だろ……元々能力を持ってたところに、アゼム師匠からの遺産が加わっただけだ。って……」


 ヨーコの言葉は回りくどい。というよりは、わかる人間にしかわからないように話す習慣がついている。これは、秘密を保持する能力が求められる傭兵団の長として最低限のセキュリティだが、ヨーコの場合はその陰湿な性格によるところも大きいかも知れない。

 ヘルマンニは、ヨーコの言いたいことを察して、顔を青くした。


「もしかしてか?」


 ヘルマンニの言葉に、ハイジは苦々しく頷いた。

 正直、あまり話したい話題ではない。『はぐれ』のことでもあるが、何よりも……。


「ノイエを覚えているか」

「もちろん、覚えている。モーリと、確か……カナタと言ったか? 師匠が死んだ時に『谷』に保護されてた二人の『はぐれ』の子供だ」

「あたしも覚えてるよ」

「二人とも、多少は戦えるように師匠に鍛えられてたっけ。能力は、えーと……」


 ノイエは、四人全員がよく知る人物である。

 但し、四人とも現在のノイエについては何も知らない。

 知るのはあくまで『谷』に居た時の記憶だけだ。


「モーリの能力は『切断』だ。あまり役に立つ力ではなかったが、肉体派じゃなかったからな。カナタの方は逆に考える方がダメな肉体派だったな。敵との距離を書き換える、攻防どちらでも有利な力だったと記憶している」

「……ちょっと待て、それ、どちらもノイエの力と同じじゃねぇか?」

「……まさかッ?!」


 ––––親殺し。


 この言葉は、望まない形で親を失った四人にとっては口にするのもはばかられるほどのタブーだ。


 ハイジは実の親の記憶がないが、目の前で育ての親を失っている。

 ヘルマンニは両親をハーゲンベックの兵に目の前で殺されている。

 ヨーコは貴族の誇りを汚した父をその手で殺害しており、その原因となったのが母の自殺だ。

 ペトラの母は早くに病死し、父も出稼ぎ先で死んでいる。

 

 モーリとカナタのことは、四人ともよく知っていた。何しろ、アゼムが訓練を付けていた『はぐれ』なのだ。はっきり言うと、自分たちの鍛錬の邪魔だったため、強く印象に残っているだけだ。そのため、四人にとってモーリとカナタはさほど良い印象はないが、この二人の『はぐれ』は、有り体に言えば善人だった。


 四人は、子供が生まれるのだと言って幸せそうに笑っていたカナタと、ちょっと困ったようにはにかむモーリのことを覚えている。少なくとも子供に殺されても良いようなろくでなしには見えなかった。


 それぞれ望まない形で親を失った四人にとっては、な親を子が殺す––––これはタブー中のタブーと言える。四人にとってだった師匠––––『愚賢者』アゼム・ヒエログリードとの死別は、未だに四人の関係をギクシャクさせている。


 こうしている間にも、馬車は猛スピードで走っている。

 ノイエが、その能力から両親を殺した可能性––––馬車内は一気に緊張感で満たされる。中でも、ヘルマンニがわなわなと震えていた。


「もし、能力を奪うために親を殺したというのなら……殺されて当然だ」


 そう言ったのは、自らも父親をその手にかけたヨーコだ。


「だが、そうなると少しおかしい。経験値ならともかく、能力まで引き継いだというのなら、少なくともあの二人は死の瞬間にノイエのことを信頼していたことになる。力の継承は、お互いの合意が必要だ」


 現在、アゼムの力はハイジが継承している。これはアゼムがハイジに殺されることを望んだからこそ可能なことだ。仮にどれほど信頼関係があったとしても、いきなり殺して奪えるようなものではない。


「それについては、思い当たることがある。……訊きたいのだが、お前たちの前にノイエは現れたことがあるか?」

「いいや」

「あたしのところにも来たことはないね」

「俺もだ」

「……そうか」

 

 ハイジは頷いた。


「––––もう十年以上前だ。エイヒムで、おれはノイエと会った」

「聞いてねぇぞ?」

「少し面倒なことになったので、話さなかった」

「それで?」

「会ったと言っても、ノイエが一方的におれを見つけて、会いに来たんだ」

「そう言えば、あの子の名前はお前から取ったんだったな」

「ああ……思えば、それが良くなかった」

「どういうこったよ?」


 ハイジは少しためらってからそれを口にした。


「……ノイエは、俺が本当の父親だと思いこんでいる」

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