23 : Lynn

 彼が狙っているのは、

 事実、前回の遭遇では、あたしが加速するたびに、嬉々としてそれをキャンセルしてあたしを苦しませた。


 つまり––––彼の能力は『敵の魔術のキャンセル』。

 そしてキャンセルされた魔力は暴走し、牙をむく……敵の攻撃を無効にするだけでなく、それそのものを反撃に転ずる、なかなかいやらしい能力だ。


 だが、お話にならない。

 そんなものは、能力を使わなければいいだけだ。


「あはっ。弱い。まるで弱い」

「黙れっ! さっきの能力を使えばいいだろ!」

「使う必要がないわね」

「使えっ! 使えよっ!」

「じゃ、ちょっとだけ」

「……えっ?」


 時間停止。


 あたしが能力さえ使えば、勝機があるとでも思ったのだろうか?

 馬鹿みたいだ。そちらが魔術を行使するより先に、お前を屠ってしまえばいいだけだろうに。


 人間というのは、瞬間瞬間で眼球の位置が定まっていないらしい。

 今も、目の前から消えたあたしを探そうとしているのか、ほとんど停止した世界の中で、ノイエの黒い瞳は忙しく動いている。

 こちらはじっと観察しているのに、向こうはあたしの存在が見えていない。

 一体どこを見ているのだ。ちゃんと努力しろ。


 時間停止解除。

 あたしは後ろに回り込んで、ノイエの耳元で囁く。


「キャンセルされる前に殺せばいいだけね」


 ヒャア、と甲高い悲鳴を上げて、ノイエが倒れ込んだ。

 完全に恐慌状態だ。


「あは。何それ? あんなに派手な登場をしてくれたくせに、とんだ弱虫じゃないの!」

「黙れッ! 黙れよッ!」

「かかってこないから喋ってるだけよ。黙らせたいならかかってきたら? それに、ハイジが何だって?」

「そうだよ、お前はハイジさんに認められて、何でも与えられて……自分の力なんかじゃないくせにッ!」


 何だそれは。

 あたしの力で、努力せずに手に入れたものなんて一つもないぞ。

 チートものの小説じゃあるまいし、ハイジが「お前にこの力をやろう」と能力を与えてくれたとでも思っているのだろうか。


 どれだけ甘えてるんだ、こいつ。


「まぁいいわ。別にあなたに解ってもらいたくもないし。かかってくる気が無いなら殺すね」

「…………ッ! くそっ!」


 ノイエは歯を食いしばってあたしにかかってくる。


「あら、休憩は終わり?」

「クソッ! クソクソクソッ!」


 そう言いながら攻撃してくるノイエの姿が何度もブレて見える。

 どうやら能力は一つだけではないようだ。


「ふぅん、敵能力のキャンセルだけじゃなく、相対距離をいじれるのか……時空をいじってるわけだから、あたしの能力に近いのかな」

「何をッ! 冷静にッ!」

「……だって、よく見てたら怖くないもの」

「ガァアッ!! 殺してやる!」


 言葉とは裏腹に、ノイエの攻撃はだんだんと遅くなっていく。

 どうやらバテてきているらしい……どんだけ脆弱なんだ。


「オトコノコなんだからさ、もう少し鍛えたら?」

「ア"ア"ア"ア"ア"ッ!! 殺すッ! 殺すッ!!」

「聞き飽きた」


 パキン、とレイピアを弾き飛ばす。

 ついでに蹴っ飛ばすと、ゴロゴロと転がっていく。


「……お前……なんか……!ハイジさんはっ! 何で、俺のことは見捨てた癖にッ! 何でお前だけ!」

「知らないわ。 でも……そうね。弱虫だったからじゃない?」


 その言葉を聞いて、ノイエは呆然とした顔をした。

 あっという間に顔が真っ赤になったかと思うと、スーッと青白くなっていく。


「はぁ、そろそろ甚振るのも飽きたわ。大して面白くもないし、殺すね」

「………………ぃで」

「ん? ごめん、もうちょっと大きな声で言ってくれる?」

「……殺さ、ない、で……」

「んー、ちょっと無理かな。だって、あたしだって殺されかけたわけだし、ここは戦場なわけで、あたしとあなたは敵同士で、貴方はあたしより弱いわけで」

「やめて……ごめんなさい、ごめんなさい……!」

「命乞いは相手を見てしろ。お前の目の前にいるのが誰だと思ってる」

「ごめんなさい、ごめんなさい! 殺さないで! お願い!」

「あはっ」


 あたしはノイエの命乞いを笑い飛ばした。


「あたしは『黒山羊』。『黒山羊』っていうのはね、あたしの生まれた世界じゃ、悪魔のことなのよ」


 嗤うあたしを、ノイエが絶望の眼差しで見ている。

 そこにあたしは躊躇なく剣を突き出した。


 ––––死ねっ。



 * * *




「何をしている」


 ノイエの心臓を貫くはずだった剣は、そんな声に止められて、ピタリと止まってしまった。



(まだそんなに時間は経っていないはずだぞ!)

(何故そこにいる……!)


 ––––『番犬』のハイジ!


 ハイジが、怒りを湛えた顔であたしを見ていた。


(何故そこにいる?! まだしばらく先だと思ったのに!)

(何故、あたしの手は止まる!? あと十センチも突き出せば、簡単に殺せるというのに……!!)


 ノイエはへたり込んで、ぐずぐずと泣いている。

 あたしもハイジを睨みつけながら言った。


「……何の用?」

「……お前は、誰だ」

「は?」


 ハイジから返ってってきた言葉に、あたしはキョトンとする。

 一体何を言っているのだ、この男は。


「何を言ってるの? 貴方が一番良く知っているでしょう、ハイジ」

「……お前なんぞ知らん」

「……何? 言うことを聞かない女などいらんってこと?」

「違う」


 ハイジはあたしを真っ直ぐに睨みながら言った。


「お前と同じ顔をした女を、俺は知っている」

「は?」


 ハイジの言葉は、意味がわからなかった。


「何を言い出すの、ハイジ」

「だが、そいつは敵を甚振るような真似は絶対にしない。敵であっても殺す必要がなければ殺さないようなだ」

「な、何? 何なの?」

「命乞いをする兵を目の前に、そんな風に笑ったりできない女だ」

「な……に、を……」

「何よりも、その二つ名を誇らしげに名乗ることなど絶対にしない!」

「……ッ!」


 ハイジが獰猛に歯をむき出しにして、射抜くようにあたしを睨む。


「リンのことは、この俺が一番よく知っている! ……お前は誰だ?!」

「ああああああああああああああああああッ!」


 あたしはボトリとレイピアを落とし、顔を覆った。


「見るなっ!」


 顔を見られたくなくて、顔を覆って叫んだ。


 そうだ、確かにあたしは、この少年を甚振っていた。

 殺す価値は無いと知りながら、面白半分に殺そうとしていた。

 八つ当たりみたいに傷つけて、嘲笑して、楽しんでいた。

 命乞いをするノイエを見て、後ろ暗い快感に酔い痴れていた。


 ––––見られた!

 ハイジに見られた––––!

『はぐれ』の少年を甚振るところを。

 命乞いを笑って見ているところを––––!!。


 誰だ。

 あたしは、誰だ。


 なぜ、あたしはあんなことを––––!!


「見るな! あたしを見るな!」

「お前は誰だ!」

「見るなぁああああああっ!!」


 自分のしたことが信じられない!

 それをハイジに見られるなんて……!


(恥ずかしい! 恥ずかしい! 死んでしまいたい!)


「やめてぇえええええええっ!」


 叫んだ瞬間だった。眉間のあたりに強烈な痛みが走った。


「ガ……………ッ!」


 頭を上空に引っ張られるような感覚があたしを襲った。

 先ほどまで自由自在に扱えていた魔力が、反旗を翻しているのがわかる。


「ア……ガ……ッ!!」


 ブツリ、と皮膚を破る感覚。

 頭蓋骨が左右に割れるような不気味な激痛が走る。

 魔力が頭蓋骨を破り、額の肉と皮膚を破り、体から這い出ようとしている。

 頭が引っ張られる。そのうちに踵が地面から離れ、体が宙に浮かび始める。


「ア"ア"……ッ! ア"ア"ア"ア"……ッ!」


  ズルリ、と額からなにかが生えた。激痛に耐えながら、両の目でそれを負う。

 ––––つのだった。


「ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ッッッ!!」


 痛みより、恐怖が勝った。

 何度も何度も見たことがある––––それは、魔獣の角。

 それも、寂しの森の魔物の領域でしか見られないような、醜く捻れた、長く立派な角––––!


「リンーーーッ!」


 声がした。

 見ると、ハイジがあたしに向かって走ってきている。その手には愛用の獲物グレートソードが握られている。


(ああ、あたし、ハイジに殺されるんだ)

(魔獣になっちゃったから、狩られちゃうんだ)


 だって、彼は魔物の森のハイジだから。

 激痛の中、あたしはそれをぼんやりと見ていた。


(もう、生きてててもしょうがないや)

(せめて、ハイジに殺されるなら––––それも悪くないかも)


 意思に反して、時間が引き伸ばされている。

 走ってくるハイジが、スローモーションに見える。

 体を引き絞り、やや下段から背負投のように繰り出される大剣グレートソード

 でも、その剣はあたしには届かなくて––––。



 * * *



「きゃぁああああああああああーーーー!!」


 甲高い悲鳴が聞こえる。


いだいッ! いだいぃいッツ!」


 あたしの目の前を通り過ぎていったのは、ノイエの両腕だった。

 鮮やかな紅色を撒き散らしながらくるくる回っている。

 その腕にはあたしのレイピアが握られている。


(この子、この隙に、あたしを殺そうとしたのか––––)


 あたしを殺そうとしたノイエは、両腕を失い、スローモーションで倒れ込んでいく。しかしハイジはそれを一瞥もしない。にあたしの顔を見つめながら、怒りをたたえた表情で一直線に向かってくる。

 今度こそあたしの番か。


 そして、ハイジの愛剣グレートソードによる渾身の一撃が、あたしの頭を捉えた。

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