31 : Lynn

# Lynn


「悪く思わないでね」


 直線距離なら、この脚で超加速しても問題はない。ただ殺さないようにコントロールしさえすればいい。

 ペトラがどれほどの動体視力を持っていようと、あたしの動きに突いてこれるはずがない。

 そう思って加速した瞬間だった。

 ペトラが笑みを深くしたのがわかった。


 すでにあたしの脚は地面を蹴っている。


(うそーーーーーーっ!?)


 蹴った瞬間を狙って、網がペトラの前に出現した。

 まるで見計らったかのような完璧なタイミング!


(ちょ、逃げられない! 流石に空中で方向転換は無理!)


 往生際悪く加速を重ねがけし、さらには時間停止まで試みたが、目の前のロープに吸い込まれていくことを止めることが出来ない。


(あ〜れ〜)



# Hermanni


(魔物化なんかしちまうからさ……タイミングが丸見えなんだよなぁ)

『で、うまく行ったのか』

(ああ、加速する瞬間を捕らえた。絶対に逃げられねぇよ)

『だが、まだナイフを持ってるな。もうひと押しか』

(はいよ。それじゃ仕上げを御覧じろ)



# Petra


「ぃよいしょぉーーーーーーっ!!」


 ゴォォォォオオン、と重低音がして、目の前からリンが消えた。

 ヘルマンニの指示したタイミングで拳を奮ってやったら、見事に嵌ったらしい。


(普通の人間だったら腸詰めの中身みたいになってるところだけど、まぁ、あの様子なら大丈夫でしょ)


 見れば、網にナイフが残っている。

 加速中になんとかナイフを斬って逃れようとしたらしい。


(それにしても、何と言うか……)


 ぶら下がるナイフを見て、ペトラは肩をすくめた。


(何もかもヨーコの予想通りになってるってのが恐ろしいわね)



# Lynn


(ぎゃああああああああああ!!)

(痛いッ! 痛いッ! 痛過ぎるっ!)


 ゆっくりと網に吸い込まれていったあたしは、ついナイフで網を切り裂こうとあがいてしまった。

 明らかな間違いだ。生の蔓を切り裂くことはかなり難しい。しかも、網に到着した瞬間を狙って、衝撃波がやってきた。

 ペトラの拳ははるか前方にあるというのに、殴られた衝撃だけが。


(打撃位置を……ずらす……!! こういうことか!!)


 もはや「あ〜れ〜」どころの騒ぎではない。

 当たったところは肉が皮の内側でグズグズのミンチ状態だ。

 慌てて加速を解く。加速中に治癒速度まで加速してくれるわけではないのだ。

 この痛みを少しでも速くやり過ごすには伸長しかないのだが––––


(伸長ッ! 伸長ッ! なんで伸長しないのっ!?)


 結果、苦痛に喘ぎながらとんでもない速度でぶっ飛ばされている。


(痛いっ! 痛いっ!! くそぅ、ペトラめ、いくら何でもやりすぎじゃないの!?)


 バキバキと小枝をぶち破りながら、その終着点は––––網!


「ヤバ……っ?!」


 無事な方の腕で枝を掴み、無理やり減速する。

 あれに捕まれば、あたしに逃げる手段はない。何が何でも捕まるわけにはいかない!


「ハァッ! ハァッ! ハァッ! ……と、止まった」


なんとか止まったところで、音が。


ゴォォォォオオン。


「もういやぁーーーっ!!」


 逃げるなら右か! 左か!

 いや、裏を書いて網の方! さすがにこっちに逃げるとは思わ………


「ギャン?!」


 足元にはられた一本のロープにすっ転ぶ。

 途端に斜め上から振ってくる二つの網。


「あわわわわわ!?」



# Jouko


『予定通りだ。ヘルマンニ。そこから左に誘導しろ』

(はいはーい)

『ペトラ。追い付く必要はない。その代わりに派手に鳴らしてやれ』

(まかせな! 楽しくなってきたッ! ぃよいしょぉーーーーーーっ!!)

『囮は十分だ。ヘルマンニ、どうだ? そろそろ?」

(いやぁ、まだみたいだな。……あ、ヤケになって走り出した)

『転ばせろ』

(了解)

(うわぁ。えええーっと……あれ、死んでないだろうね?)

『そのくらいで死んでくれれば楽なんだがな。ヘルマンニ。仕上げだ。そこから谷へ誘導しろ。まずは右だ』

(あっ、転んだ。トラップじゃないのに、ドジだなー。あ、怒ってるな。自業自得なのに)

『そのまま真っ直ぐ誘導だ。ペトラ。もう一発行け。ダメ押しだ』

(ぃよいしょぉーーーーーーっ!!)

『いいぞ。その辺りでいい。ヘルマンニ、そのまま落とせ』

(了解。懐かしの古巣にご招待、ってな)

『うまく行ったようだ。捕まるものもないから、下まで転げ落ちるしかないだろう』

(流石に心折れたようだぜ。諦めて落ちるがままだ)

(流石にちょっとかわいそうになってきたね……)

(武器も無し。トラップが怖くて加速も使えず、時間停止も役に立たない)

『そして王手チェックメイト。––––ハイジがいる』



# Lynn


「ギャーッ! ギャーッ! ギャーーッ!!」


 悲鳴を上げっぱなしで翻弄されっぱなしのあたしは、最後にはつるりとした崖に追い込まれた。

 なんとか落ちるまいと脚を出したところには落とし穴!

 ガクンと姿勢を持っていかれたところに、捕らえる気まんまんの網が振ってくる。


「クッ……きゃぁああああああ?!」


 避けようとしたところには、木の葉に隠された板!

 踏んだ瞬間に板に繋がれたロープが引かれ、全く踏ん張ることが出来ないまま、崖に落とされた。


(あーもう!)

(だめだこれ!)


『黒山羊』なんて二つ名をもらっているものの、本当に崖から落とされればどうにも出来ない。捕まるところもなければ、足場もない。しかも先日の雨で濡れてよく滑る。


 あたしは諦めて崖を転がり落ちていく。

 あがくのもやめて、目も閉じて、もういっそ頭から落ちてくれれば即死できるかも–––などと考えながら、力を抜く。


 あんなに内側から溢れ出ていた力も枯れ果てていた。ついでにペトラに殴られて利き手が使えないし、脚には乳酸が溜まって動かすだけでも苦痛だ。さすがの自動補修も筋肉疲労までは範囲外だったようだ。


 ただ、あのまま捕まって街へ連れ帰らされることを考えれば、崖から落ちるくらいのことは許容範囲内だ。まさか見世物小屋に売り飛ばされるわけでもあるまいが、街の人に受け入れてもらえるとも思えない。


 一体どこに角の生えた、気味の悪い黒髪黒目の女を許容できる人間がいるというのだ。


 痛いのは嫌だったので、なんとなく時間を加速していたが、よく考えれば地面に当たって死ぬ瞬間も引き伸ばされて、余計に苦しむことになる。そんなのはごめんだ。

 それに気づいて加速を解こうとした瞬間だった。

 ぽす、とほとんど衝撃もなく、何かに受け止められた。


 うっすらと目を開けると、見覚えのある青い瞳と目があった。


(〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?!?!???!??!!?)


「は、は、は、ハイジ!!!!」


 なんと、あたしはハイジに抱きとめられていたのだった。


(冗談じゃない!)


「は、は、離してーーーーっ! 離せぇーーーーっ!」


 ジタバタ全力で暴れるが、びくともしなかった。


「暴れるな」

「離してよっ! いっそ殺せぇーーーーっ!」

「何を言っとるんだ、お前は」

「なんでハイジがいるのよ! 何しに来たの!」

「お前と話をしにきたに決まっているだろう」

「話したいことなんてないっ!!」

「嘘を付くな」

「……離してよぉ……」

「では、こうしよう。今日一日だけでいい。逃げずにおれと話をすると約束するなら手を離そう。話が済んだ後なら、逃げようが何をしようが好きにしろ」

「……なによぅ、何の話があるっていうの」

「こんなところでは話もしにくかろう。……茶でも淹れよう」


 ハイジはそう言うと、あたしを腕に抱いたまま歩き始める。


「ちょ、ちょ、ちょっと、何で離してくれないの!?」

「離してもいいが、お前、逃げる気だろう?」

「逃げない、逃げないから」


 ハイジが疑わしそうにあたしを見る。

 いや、お願いだから見ないで欲しい。

 顔が真っ赤なんだから。


「お願い、本当に逃げないから……」

「そうか。なら離してもいいが……逃げるとさっきより酷い目に遭うぞ」

「?!」

「逃げずに話をするなら邪魔は入らない。だが、逃げたときのために、ヨーコとヘルマンニ、それにペトラが待機している。観念しろ」

「は!? ペトラはさっき見たけど、ヘルマンニとヴィーゴさん?!」

「ああ、お前と話をするために、依頼した。お前が面白いように翻弄されていたあのトラップは、全てヘルマンニの仕業だ」

「ちょ?!」


(ヘルマンニ、何してくれてんのよ!)


「殺さないようにトラップを仕掛けるのはなかなか大変だったと言っていたぞ。ちなみに作戦を考えてお前を誘導したのはヨーコだな」


(ヴィーゴ!?)


 ハイジはクツクツ笑うが、断言する! あたし以外にあのトラップの山を生きてくぐり抜けられるやつは絶対にいない!


 ハイジは膝をついてしゃがむと、あたしをそっと地面に下ろした。

 えらく優しい扱いにあたしはますます顔を赤くしたが、ハイジは平然としている。

 あたしがよたよたと立つと、ハイジは膝をパンパンと叩いて立ち上がり、あたしが落ちてきた崖を見上げる。


「さすがヨーコだ。落下位置まで完璧に予想通りだった」

「……そーですか……」


(ヴィーゴ、ヘルマンニ、それにペトラも!)

(覚えてなさいよ!)


 ブツブツ言いながら、ハイジの後ろについて行く。

 逃げたいが、逃げる気にはならなかった。

 もう一度あの性格の悪いトラップと付き合うのは、流石にごめんだった。


 しばらく歩くと、崖にもたれ掛かるように立てられた、ボロボロの廃墟に到着した。

 長い時間を駈けて自然に飲まれたのだろう。

 苔や蔦などに覆われている。

 屋根や壁にいくつも大穴が空いていて、ガラスなどほとんど残っていない。

 ハイジは慣れた手付きでドアを開けて、あたしを招き入れる。


「だいぶ老朽化が進んでいるが、崩れることはないから心配するな」

「ここは?」

「それもあとで話そう。好きに座れ。おれは茶を淹れてくる」


 逃げるなよ、と言ってハイジは奥の部屋へ向かう。


(……なんだろう、ここ)


 どこかに似ていると思ったら『寂しの森』の小屋だ。

 比べればかなり大きな建物だし、二階建てのようなので少し印象は違うが、やはりどこか似ている。

 

 周りを観察すると、どうやら事前に掃除しておいたらしく、床や壁に掃き清められた形跡がある。

 この部屋はダイニングだろうか? 部屋の真ん中には大きなテーブルが、窓際に小さなテーブルがあって、窓際の椅子には清潔な布が敷いてあった。

 好きに座れなどと言っていたが、明らかにあたしが座ることを考えて、用意してくれている。


 ––––相変わらず、気遣いが分かりづらい男だこと。


 ふ。と笑いが漏れる。

 一体なんなんだろうか、この感じ。

 日本時代も含めても、こんなお姫様扱いされたことないぞ。


 しばらく待っていると、ゴツリ、ゴツリと聞き慣れた足音が聞こえて、両手にお茶のマグを持ったハイジがヌッと現れる。


(……この光景、何処かで見た気がする)

(どこでだろう?)


 ハイジはあたしの前にマグを置いて、向かいに座る。

 ずず、と一口お茶を啜ると、ハイジが口を開いた。


「さて、どこから話そうか……話したいことが沢山あるが」


 その口調は、まるで世間話をするかのようで。

 でも、どこか何時もより優しい響きだった。


「さしあたっては……おれはあと二日ほどで死ぬだろう」

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