第26話 隔絶された世界

「おはよう、ラオ」


 ラオは、ゆっくりと目を開ける。


 今日、何度目の目覚めだろう。


 まぶたを開けて、すぐにそんなことを思えるほど、今日は意識を失っている。


 意識を失うような出来事が続いている。


「ミコト……」


 いつもと変わらない……いや、いつもよりも優しい目をした幼なじみの様子が、これまでの出来事が夢では無いと語っていた。


「まだ眠っていていいよ?」


「そうか……」


 そう答えて、自分の頭が今、ミコトの膝の上に乗っていることに気がついた。


 膝枕である。


「昔は、よくしてたな」


「え?」


「膝枕。もっとも、俺が膝を貸してたけど」


 眠たいというミコトを、よくラオは自分の膝に乗せていた。


「……そうだね。ねぇ、気づいていた?」


「何が?」


「あのとき、私は別に眠たくなかったんだよ?」


 眠たくはないが、ミコトはラオの膝に頭を乗せたかった。


「そうか」


 ラオは、ゆっくりと目を閉じる。


「思い出さなくて、いいよ」


 ミコトは、ラオの頭を撫でる。


「話しても、いいよ。泣いても、いいよ。なんでも、していいよ。ラオが楽になるなら。なんでも、どんなことでも。ここは私の本殿だから。ラオを傷つけるモノは何も近づけないから」


 ミコトは、優しく、優しく撫でる。


「ミコト……ミコト……」


 ラオは、繰り返しミコトの名前を呼ぶと、そのまま、もう一度眠ってしまった。


 ラオの消耗しきった体力と気力は、この程度の眠りでは回復出来ないのだろう。


「それに……まだ穢れが残っている」


 ラオの体はミコトが綺麗に拭いて、汚れた制服も脱がせて、今は狩衣を着せている。


 なので、見たところ汚れは無い。


 しかし、穢れはついていた。


 ラオの首に、黒い糸が巻き付いてくる。


 それを、ミコトが手で払う。


「……ラオがかき集めたクラスメイトの髪の毛。髪の毛には情念が宿る。それが、まだ若い少女のモノで、集めたのが彼女たちが慕う者なら……こうなるか」


 ミコトは、視線をラオが持ってきた通学カバンに移す。

 

 そこでは、大量の髪の毛が静かにゆっくりと、しかし確かに、うごめいていた。


「15人の少女の髪の毛……ラオを狙っているの?でも、ダメ。そんな想いじゃ、ラオは渡さない」


 ミコトが手をかざすと、通学カバンに光が降り注いだ。


 すると、髪の毛が暴れだし、そして大人しくなる。


「……まぁ、私も似たようなモノだし、気持ちがわからないわけじゃないけどね」


 ミコトは、ふうっと重たい息を吐きながら奥の祭壇に目を向けた。


「人間の魂は、そのままでは体の機能が停止するとすぐに「空」へ還る。髪の毛は想いが留まりやすい遺物だけど……普通の少女達の魂がここまで残るなんて、通常はあり得ない」


 ミコトは、空を見上げる。


 そこには本殿の天井があるが、ミコトの眼ならば透かしてみることができる。


 空はどこまでも青く、そして雲一つなかった。


「もう、丸一日。空は青いまま。ラオは気がつかなかったみたいだけど……」


 実は、ラオが最初に気絶してから……アイプフェンが死んでから、時間でいえば二十四時間以上が経過している。


 気絶し、作業し、空も変わっていなければ、ラオが時間の経過に気がつくのは難しかっただろう。


「空間が隔絶されている……か。こんな事になるなんて、ね。まったく見通せなかった」


 ミコトは、神様だ。

 だから、ある程度は人間の運命を……未来を見通せる。


 しかし、今日の出来事。

 ラオに降りかかった悲劇はまったく見えていなかった。


「可愛い転入生がきて、ラオが一目惚れする。そのことに嫉妬したソラ、リク、ウミの三人が、ラオに対する攻勢を強めて、ワチャワチャとしたラブコメ展開。っていうのが、私の見ていたラオの未来だったんだけど……な」


 ミコトは、さらさらとしたラオの髪の毛を撫でた。

 すると、通学カバンに詰め込まれている少女達の髪の毛がより強く暴れだそうとしはじめる。


 それを、ミコトは視線も向けずに止める。


「ラオが好かれる、っていうことは大成功だったけど……アレは、なんだったんだろう」


 ミコトは、覗き見ていた転入生、アイプフェンの体内から出てきた謎の物体を思い返す。


 無数の赤ん坊のような実を実らせた物体。


 ミコトの知識には、該当するものがまるでなかった。


「空間の隔絶も、なぜ発生しているのか……神様でも、解らないことがある、か。私は人間からの転成だし、神といっても亜神みたいなモノ。全知全能にはほど遠い」


 ぎゅっと、ミコトはラオを抱きしめた。


「昔から、そうだったよね。私は、何でも出来た……出来るって思われていた」


 運動神経は抜群で、勉強も出来たミコトは、神童ともてはやされていた。


 そんなミコトに、真っ向から勝負を挑んできたのがラオだった。


「私がかけっこで一番だったら、次の月にはラオが私を追い越して。言ったよね、ラオ。『何でも一番になれると思うなよ』って。それから、私が一番になったモノに、ラオはどんどん挑戦してきた」


 そのままミコトが一番のままだった事もあれば、ラオに負けたモノもある。


「悔しい……って気持ちもあったけど、私は嬉しかったよ、ラオ。ああやって競い合う友達は、ラオ以外いなかったから」


 ミコトは、そこで目をふせる。


「でも……ダメだよね。私はもう、神様なんだから。神様は、全知全能じゃないと……『何でも一番』じゃないと。知らないことがあるなんて、ダメだよね」


 そっと、ミコトはラオの頬に手を当てた。


「大切な人を、守れないとダメだよね」


 そのまま、ミコトはラオに顔を近づける。


 はらりと落ちた髪の毛が、眠っているラオの顔を撫でた。


「……可愛い」


 さらにミコトがラオの顔に近づけ、唇同士が触れ合おうとした時だ。


 ミコトは、ゆっくりと顔を上げる。


「……最悪」


 ミコトの顔は、不機嫌そのものだった。


 睨むように本殿の扉を見る。


 すると、扉のさらに向こう、拝殿の方から声が聞こえた。


「こんにちはー! 神様はいらっしゃいますかー!」


 澄んだ、男性の声。


 大抵のモノは、彼の声を聞けば彼の事を善人だと思うだろう。


 しかし、ミコトは違う。


「私は全知全能じゃないけど、アイツらの事は知っている」


 ミコトは、ラオを起こさないようにゆっくりとラオの頭を床に置く。


「行ってくるね。ラオ」


 ミコトは、おでこをラオのおでこにくっつけた。


「アイツらは……『勇者』は、私が追い払う」


  そうして、ミコトはラオから離れた。

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