第4章 桜散編

第25話 山形警部補の行方

 香島良一は佐川に逮捕され、湖上署で身柄を抑えた。荒木警部は香島を捜査本部に引き渡さず、湖上署で取り調べをすることにしたのだ。そこで県警捜査本部から早速、横やりが入った。


「香島良一は捜査本部で取り調べる。即刻、身柄を大津署に移すように。」


 だが荒木警部はそれを無視した。そこで久保課長が湖上署に乗り込んできた。


「荒木君。香島良一は捜査本部で調べるのが筋だろう。我々が連続殺人事件の捜査をしていたのだから。優秀な人員もいるし、きちっと調べられる。さっさと渡したまえ。」

「お言葉ですが、この湖上署では心もとないと?」

「そんなことは言っていない。筋として・・・」

「筋ならこの湖上署で調べるのが筋でしょう。こちらで逮捕しておりますし。しかも逮捕状は静岡県警の青山翔太の殺人容疑で出ており、滋賀県の連続殺人事件で出たわけではありません・・・」


 荒木警部は理屈をぶつけて香島の身柄をどうしても渡そうとしなかった。これには久保課長が根負けしてしまった。


「まあ、いい。ただし24時間だけ許そう。それ以降は刑事部長命令でもなんでもして身柄をもらっていくぞ。いいな!」


 久保課長はそう言って帰っていった。荒木警部がそこまでして香島を取り調べようとしているのに佐川は不思議に思った。


「警部。どうしてここで香島を取り調べるのですか? わざわざ捜査本部とけんか腰にならなくても・・・」

「佐川。お前は捜査本部なら安心だと思っているのか?」

「いえ、いや、そう思うのが普通ですが・・・」


 佐川は首を傾げた。荒木警部は一体、何を考えているのか・・・。


「佐川。この事件。どうも何か重大な見落としをしているような気がする。我々は誤った方向に進んでいるのかもしれない。捜査本部はそれに気づいていないと感じるのだ。」

「警部。11年前の過去の事件も調べました。日比野舞子が軽音楽部の部員に殺され、その恨みを香島良一が晴らしている・・・そのこと以外、何があるというのですか?」


 佐川はそうは言ったものの、内心、何かが引っかかる気がしていた。なにかそぐわないことがあるようでしっくりこないのだ。それを荒木警部も感じていたのだろう。しかも佐川が違和感を抱いていることも警部は気づいていた。


「佐川。お前も分かっているはずだ。例えば妹が被害者だった日比野香が殺されたこと。琵琶湖疎水や三井寺、それに甲賀の犯行現場では香島は目撃されていないこと。しかも琵琶湖疎水や三井寺は昼間の犯行で人も多かった。それなのに目撃者がいなかったのはどういうわけだ。」


 荒木警部にそう言われると、佐川はうなずくしかなかった。それに山形警部補、いや軽音楽部の部長だった平塚響子が、香島に首を絞められただけで殺されなかったのが気にかかってもいた。最後に荒木警部は確信したように言った。


「これには裏がある。それをこれから香島から聞き出そうと思う。」

「わかりました。山形警部補も湖上署に出頭されると思います。彼女からも話を聞こうと思います。」


 佐川はそう言って自分の机に戻った。香島の取り調べまでまだ時間があるし、山形警部補もそのうち姿を現すに違いない・・・。今日は犯人の取り調べのため、湖国は大津港からの定期の出港はしない。停泊したままである。佐川はふと窓の外を見た。空に雲が広がり、静かに小雨が降っていた。この雨は折角の満開の桜を散らしてしまうだろうと彼は思っていた。

 山形警部補を待っている間、佐川は手持無沙汰だった。彼の机の上には日輝高校から借りた卒業アルバムと名簿が無造作に置かれていた。すでに捜査本部で卒業生、特に軽音楽部のOBの名簿は作成してあるから、もうこれは用なしである。


(日輝高校に返しに行かないとな・・・)


 佐川刑事はそう思いながら卒業アルバムを開いた。そこには生徒が楽しそうに学校生活を送っている姿が写っていた。彼らはその若い力をみなぎらせて青春を謳歌していた。佐川はページを繰っているうちにあの軽音楽部の部員のページに行きついた。そこには当時3年生だった青山翔太、長良渡、立川みどり、村田葵、浜口大和、村田葵、そして平塚響子が写っていた。もちろん失踪した日比野舞子は写ってはいない。

 彼ら、彼女らは皆、あふれんばかりの笑顔を向けていた。あんな恐ろしいことをしたようにはとても見えなかった。そしてそれぞれが現在の顔の面影を残していた・・・はずだった。


「ん?」


 佐川は平塚響子の写真の顔をじっと見た。気のせいか、今の顔とはちょっと違う。思い過ごしかもしれないが・・・だがこの顔をどこかで見たことがあるような・・・しかし彼はどうしても思い出せなかった。


 それからしばらく時間が経っても山形警部補は湖上署に現れなかった。


(まさか・・・山形警部補は・・・)


 佐川は山形警部補を信じていた。彼女なら湖上署に出頭して自ら真実を話してくれるだろうと・・・優秀な警察官ならそうするはずだと思ったし、佐川が知っている彼女なら必ずそうすると、昨日、彼女の身柄を拘束しなかったのだ。佐川は信じる半面、悪い予感がもたげてきていた。

 佐川は山形警部補のスマホに電話をかけたが、電源は切られていた。あの(お客様のおかけになった・・・)のアナウンスが聞こえるばかりだった。


(まさか・・・そんなはずはない!)


 佐川は山形警部補の泊まっている滋賀ホテルに電話を入れて、彼女の客室につないでもらうように頼んだ。しかし電話に出ない・・・。フロント係の話ではルームキーを預けてもいないという。


(連絡できない。これは変だ!)


 その時、佐川のスマホが鳴った。山形警部補からか・・・と思ったが、画面を見ると堀野刑事からだった。


「佐川だ。また何かあったのか?」

「少し話をしていいか?」


 その声の様子からして佐川に内々に話したいようだった。


「どうした? 香島ならこちらで取り調べをやる。そう久保課長に伝えて24時間は許されたはずだ。山上管理官から文句でも出たのか?」

「まあ、それはあるが・・・それは仕方がない。それより山形警部補はそこにいるのか?」

「いや・・・」


 佐川は山形警部補が11年前の軽音楽部の部長だった平塚響子であることを堀野刑事や捜査1課に伝えずにいた。もしこれを知れば捜査1課、いや県警の幹部は黙ってないだろう。11年前とはいえ、現役の警察官が過去に関わった恐るべき事件であるのだから・・・


「もうすぐこっちに来られると思う。何か用なのか?」

「香島を捕まえたというのに、まだ拳銃の返却がないんだ。特例で貸与していたんだが。それでどうなっていると久保課長からつつかれてな。」


 昨日、山形警部補はあの後、そのまま帰ったはずで、今朝、ここに来るまでにすべての後処理をしているものと佐川は思っていた。だが一番重要な拳銃の返却がない・・・佐川は悪い予感がした。


「実はな、時間になっても山形警部補は来ていないんだ。この湖上署に。」

「なんだって!」


 佐川の言葉に電話の向こうの堀野刑事は驚いているようだった。


「山形警部補意に何かあったのか?」

「それがな・・・山形警部補は平塚響子だったんだ。11年前の事件の関係者だったんだ。そういえばわかるだろう?」

「そうか! それで・・・」


 堀野刑事はそれですべてが飲み込めたようだった。山形警部補が今回の連続殺人事件の背景を知っていたのにもかかわらず黙っていた。そして11年前に日比野舞子の殺人が行われているとしたら、彼女が関わっている可能性が高い。それが露見してしまったなら・・・最悪の場合、拳銃自殺も考えられる。


「佐川。これは・・・」

「ああ、俺も同じことを考えていた。すぐに彼女が泊まっている滋賀ホテルに向かう。」


 佐川そう言って電話を切ると、あわてて席を立った。そのただならぬ様子に梅沢が尋ねた。


「佐川さん。どこに? もうすぐ取り調べが始まります。」

「滋賀ホテルだ。山形警部補を見てくる。」


 そう言って佐川は捜査課を飛び出していった。そして湖国を下船して、その足で滋賀ホテルに走って向かった。確かに香島を逮捕したとき、彼女は何か、思いつめたような表情をしていた。


(山形さん。早まるな!)


 佐川は山形警部補が11年前の罪にさいなまされて拳銃で自殺するかも・・・と思っていた。ホテルに到着すると、フロントに行って警察バッジを見せた。


「湖上署の佐川です。緊急です。自殺する可能性がある。山形響子さんの部屋を見せてください。」

「えっ! はい、わかりました。直ちに! 607号室です。」


 フロントマンは慌てて鍵を持って走った。その後を佐川がついて行った。エレベーターの扉が開くや否や、飛び込んで6階のボタンを押した。エレベーターが昇っていく短い時間さえも佐川にはかなり長く感じられた。


(落ち着け! 落ち着け!)


 心の中で何度も唱えながら、6階に着くと607と書かれたドアの前に飛んでいった。


「湖上署の佐川です。開けてください!」


 ドアを叩いて呼ぶが中から返事はない。佐川刑事の後ろから心配そうにフロントマンが見ていた。


「お願いします。開けてください。」


 佐川刑事の言葉にフロントマンがカギを開けた。佐川刑事はすぐに部屋に飛び込んだ。


「山形さん!」


 だが部屋には誰もいなかった。何もなく静まり返っていた。山形警部補はフロントに見られないようにそっと部屋を抜け出したようだ。


(まだ安心できない。どこへ行ったんだ。)


 佐川刑事は部屋を見渡した。散らかってはいない。いつも持っていた肩掛けカバンはそこにはなかった。確か、それはかなり重いものが入ったカバンでいつも彼女が持ち歩いていたと佐川は記憶していた。

 机の引き出しには何もない。クローゼットを開けるとそこにはあの淡い紺色のジャケットとスラックスがかけられていた。服装を変えて出かけたようだった。

 ゴミ箱を見ると何かの書類がまとめて折り曲げられて捨ててあった。佐川刑事はそれを取り出して広げてみた。それは捜査資料とレンタルバイクの領収書だった。


(大事な捜査資料をこんなところに無造作に捨てたんだ? 廃棄するにしてもシュレッダーなのに・・・。それにレンタルバイクとは・・・)


 その領収書はこの近所のレンタルバイクショップのものだった。確か、夜間でも借りられるということで人気になっていた。そこで山形警部補は400㏄バイクを借りていた。佐川はレンタルバイクを借りた日付を見た。それは彼女が滋賀に来た日だった。彦根から帰ってから借りたらしい。しかも1週間、借りるようになっていた。


(彦根から帰った後、山形警部補はどこに行ったんだ? 捜査のためなら車両の手配をするというのに・・・)


 そこまで考えた時、佐川の頭にはっとある推理が浮かんだ。

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