第2話 緊急事態

 「やることありすぎだろ……」


 覚えることで言えば、領地の地勢や人口分布、特産物や地域の歴史など。

 加えて地主や地元有力者との会談、代官からの仕事の引き継ぎとやることには事欠かない。


 「それをこの三日間でやれってのは、キツすぎじゃないすか?」

 

 アルスはエミリアに抗議した。


 「でも結果として出来たじゃない?」

 「おかげで死にそうになったんだが……」

 

 アルスの目にはクマが出来ていて、心なしかやつれていた。


 「やれば出来るじゃない!!流石は私の主君よ!!」


 エミリアは、さらにアルスを扱き使うべく、さらにおだてた。


 「そんなんで喜ぶほどチョロくはないぞ?でも何だか悪い気分はしないな」


 エミリアのそんな考えを露とも知らないアルスは、エミリアの言葉に気を良くした。

 

 「で、そんな優秀な主君様に一つお願いがあるんだけど……聞いてくれる?」


 ここぞとばかりにエミリアは、しなをつくって上目遣いにアルスを見た。


 「おう、今の俺は機嫌がいいからな!!なんでも―――――してやれるわけではないぞぉ?」


 エミリアの抱えた紙の束に気づいて「何でもする」と口から出かかった言葉をアルスは飲み込んだ。


 「あ〜せっかく署名サインするだけの仕事だったのになぁ〜もっと大変な仕事押し付けちゃおうかしら?」


 エミリアの言葉に、アルスは押し黙った。


 「……よ、喜んでやらせていただきますよ!!こんチクショウ!!」

 「ふふふ、それでよろしい」


 ガックリと項垂れるアルスを見てエミリアは満足そうに言うのだった。

 

 ◆❖◇◇❖◆


 「新しいアンデクス伯がやってきたそうじゃないか」


 口髭をしごきながら侍従長に対してそう言ったのはアンデクス領から見て東隣に領地を持つクラムサッハ子爵アブサム・ゲルツだった。


 「そう伺っておりますが……」


 アブサムの相談役を兼任している侍従長は、ゲルツが何を言い出すのかと首を傾げた。


 「これは領地拡大の絶好の機会とは思わんか?」


 ゲルツは懐から、さっき受け取ったばかりの書簡を取り出した。


 「これを見てみよ」


 侍従長は書簡に目を通すと、ゲルツが何を言いたいのかを察した。


 「確かに……税収の増加は期待できそうですな」


 書簡の内容というのは簡潔に纏めるのならば、

 『アンデクス伯としてサルヴァドーレ家が転封されることとなったが、これまでのサルヴァドーレ家に対する工作の成果を鑑みて、アンデクス領をティロル伯とともに切り取り勝手次第とする』


 というものだった。

 もちろん差出人はアルスの政敵であるカティサーク公であり、カティサークの署名を始めとして保守派大貴族数人の署名がなされていた。


 「サルヴァドーレの連中にとっては泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目だがまぁカティサーク公に楯突いたのだから致し方あるまいて」


 ゲルツは領地拡大を夢想すると喜色満面となった。


 「善は急げだ、今用意できる兵はどれほどいる?」

 「二百程かと……」


 侍従長の答えに満足そうに頷いたゲルツは、顎をしゃくると攻め込むための準備をさせるのだった。

 そして翌日の朝、ティロル伯に先を越されまいと、アンデクス領へと出発したのだった。


 ◆❖◇◇❖◆


 「ちょっとアルス、起きてる!?」

 「にゃむにゃむ……お帰りはあちらです……」


 屋敷が俄に騒がしくなっていることにアルスは気付かず二度寝を希望した。

 寝てる振りをしつつも指先は部屋の扉に向けている。


 「はい分かりましたってなるわけないでしょうがぁぁぁっ!!」


 ものすごい剣幕で怒鳴ったエミリアによって、毛布を剥ぎ取られ寝台から叩き起こされたのた。


 「どうした?朝ご飯か?」

 「違うわよ!!それにもうお昼よ!!」

 「なら何だ?」


 さすがにアルスも庭で隊列を組む兵士たちの甲冑の擦れる音に気付いたのか、真剣な表情になった。


 「お客さんよ」

 「誰が来たんだ?」

 「クラムサッハ領から二百、ティロル領から四百人程度といったところね」

 「おいおい……随分と大きな団体客だな……」


 事態は既に緊迫した状況にあるのだが、二人には少しも慌てる様子は無かった。


 「あ〜もうこれは降伏するしかないか――――って俺たちが思ってると認識してるんだろうなぁ」


 それどころか二人とも楽しそうに笑みを浮かべている。


 「クレムスラント騎士団、出撃の準備整いまして御座います」


 二人の自信の現れは、その声の人物がいてこそのものだった。


 「着いてそうそう忙しくさせて悪いな」


 アルスは声の主であるパウル・アムステンに対して詫びた。


 「我々の忠義は国家ではなくサルヴァドーレ家に捧げたものです」


 そういうとかパウルは臣下の礼をとった。

 解体されたはずの騎士団の長である彼と、騎士団がここにいる理由にはちょっとしたカラクリがあった。


 「ちょっとした腹いせに出来そうで今から笑いが止まらん」


 エミリアの要求した二週間という期間で、高価な芸術品や調度品の類いは懇意にしている商人の協力を得て基本的に売り払ったし、持っていた資産は地方財団への寄付、或いは投資に使った。

 その財団というのが曰く付きで、エミリアが急いで設立させた片田舎のありもしない架空の財団だった。

 つまり資産が、カティサークの手に渡ることは防がれたわけだった。

 騎士団も解体を命じられたが、解雇の過程でアンデクスの街に集まるよう指示を出しておき再結成の運びとなっていたのだ。


 「だが数は六百対四百であり数の上では敵が有利であることには変わりない。そこで一つ策を練った」

 

 アルスは確実に戦闘に勝利し、逆侵攻することを目論んでいた。


 「ここを見てくれ」


 アルスは机の上に広げられた地図の一点を指さした。

 そこは東のクラムサッハ領から伸びる街道と、南のティロル領から伸びる街道とがぶつかる場所だった。


 「どの道、ここより南での迎撃は間に合わない。つまり両方を各個撃破することは無理ということだ。それならば連中には足を引っ張りあってもらおうじゃないか」


 アルスは口角を釣り上げた。

 

 「パウル、俺が直率する騎兵百騎を選抜しろ」

 「えっ!?あんた戦場に出る気なの!?」


 これに驚いたエミリアは思わず声を上げたが、アルスは自信を持ってこう言いきった。


 「安心しろ、この三日で地勢は把握しておいた。どれくらいの時間で敵がやってくるかぐらいは容易にわかる」


 アルスが昼まで寝ていたのは、寝る間も惜しんで領内の地勢を把握していたからだった。


 「それにデスクワークはもう飽きた。あとはエミリアに頼むぞ」


 確実に勝つために自らが出るというのは建前で本音は、外に出て体を動かしたいだけなのだがそんなことをわざわざ口にするはずもなく、アルスは内心ガッツポーズをとっていた――――――。

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